「オペラ座の怪人 25周年記念公演inロンドン」
2020年12月20日 日常
写真1枚目 けっきょく買ったブルーレイ
写真2枚目 2004年映画版のジェラルドファントムさま
劇団四季「オペラ座の怪人」を観に行ってからはや2週間。
ずっと頭の中はオペラ座で満たされている。
観劇などは贅沢品でコロナ禍においてはまったくもって不要不急とは思うが、そのおかげでこんなにも自分時間が豊かになるなんて。
リンクのもりのいずみさんも書いていたけど「続くようになくなってしまわないように自分も何かできれば」と私も思った。
劇団四季が春のころクラウドファンディングしたときに3日で1億達成できたそう。すごいな。
私のような下々が四季特製マスク1500円を買ったり「オペラ座」パンフレット1800円を買ったところで微々たるものとはいえ。気持ちだから。ロングランなのでまた観に行く!
さてさて。
「オペラ座の怪人」についてネットで調べると今までもときどきアンテナにかかってきていた「オペラ座の怪人25周年記念公演inロンドン」。
あちこちで大絶賛されてるのでいつか見てみたい、でも私のファントムさまはジェラルドしかいないよな。と思ってたらアマゾンプライムで299円で48時間レンタルできることがわかった。
観ました。
3時間近いのを3回観た。
画面から伝わるあまりの熱量にやられて3回とも泣けた。とにかくすばらしかった!!!
ブルーレイ買っても1000円だから初めから買えばよかった。
どれだけ観客が入るの?っていう大きな舞台に驚き、演者さんたちの歌と演技のすばらしさに酔いしれた。
映画版のジェラルドファントムから入った人はハードルが高くてほかのファントムは受け入れられない、そうオペラ座沼かいわいでは言われてる。
それをもってしてもラミンファントム良き!
歌が抜群に上手い。緩急自在。仮面に隠れたお顔も「あれ?ちょっとつぶらな瞳と口角上がった口元カワイイ?」。
シエラクリスティーヌも演技と歌がすばらしい。
ファントムを父として音楽の先生として尊敬して慕っていた完全な上下関係だったのが、最後には逆転して愛とは何かわからないファントムを包み込む慈母のようなクリスティーヌ。ということが伝わってくる。
そしてハドリーラウルが力強く熱いことによって3人のバランスが対等。
このラウルは好き。この役者さんがそのうちファントムやっても魅力的かと。
このバランスによって単なる三角関係のハナシではないと伝わる。
粘着質のアブナイおっさんの恩を忘れて、若くてイケメンで金持ちのラウルにふらっと行くアタマの弱いクリスティーヌと言う構図ではないとわかる。
このロンドン版の演者さんたちの熱い歌と演技、そして字幕によって今まで私が映画版を何度観てもわからなかったことがストンと心に落ちた。
「あ!こういうこと?」と思えた。
それほど素晴らしかったし、逆に言うと繰り返し何回映画版を見てもわからないはずだよ、と思う。
戸田奈津子御大の字幕の問題らしい。
これはネット調べていくうちに引っかかってくるんだけど、映画版戸田奈津子訳が英語のニュアンスと違う日本語訳になっていてあまりにひどすぎる、と。
字幕改善向上委員会?まで立ち上げられてDVDでは多少の修正はされているとか。
私は繰り返し映画版を見て細かい表情や日本語字幕にたよってクリスティーヌの気持ちを理解しようとしていたけど、映画の日本語訳が違うんじゃいつまでたってもわからないよね。
クリスティーヌの気持ちとしてはファントムは音楽の師だし、ファントムの気持ちは愛だとしても表現としては支配であり依存だろうと思うのだが、戸田さんの訳では2人のあいだに「男女の愛」がある感じ。
だから何度観てもわからなくて疑問のままだった。
劇中劇オペラ「ドンファンの勝利」の「ポイントオブノーリターン」の演出も映画版と舞台では全く違う。
映画版ではオペラの役の2人ではなくファントムとクリスティーヌが「戻れないポイント」に来ていると解釈してしまう。映画版のほうがエロくて私は好きだけどね。
ロンドン版ではファントムがクリスティーヌに「この暗い孤独から導き救ってほしい」「君が行くところすべて行かせてくれ」と字幕がつき切実さが伝わる。
もうファントムが幼い子供が母を慕う必死な気持ちのようで泣ける。だって幼い子は親に捨てられたら死ぬしかないのだから。
そこをふまえての最大の疑問、クリスティーヌのキス。
これはやはりラウルを助けるためにファントムを選んだということではない。
クリスティーヌは歌っている。「神様私に勇気をください 伝えさせて あなたはひとりではないと」。
ロンドン版字幕ではクリスティーヌは最後までファントムに「愛」を伝えていないし恋愛感情を伝えるキスではない。
人に愛されたり人に触れられたりしたことのないファントムの孤独と人生を思い「決してあなたはひとりじゃない」と伝えるためのキスだったのだ。
そう思うとラスト泣きながら「オールアイアスクオブユー」を歌いながら去ってゆくクリスティーヌの気持ちも「ひとつの愛一度きりの人生をわかちあって」いく相手はラウルでもありファントムでもあると思える。
人生をラウルと生きていったとしても心はファントムともいたのだろうな、と。
ロンドン版ラストは涙なしでは観られない。
ああーファントム・・・もっとはやく愛をうまく伝えられていたらもっと違った結末になったかもしれないね。
でもどう伝えたらいいのかわからなかったしそもそもクリスティーヌへの思いが愛だともわからなかったのだろうな。哀しい。
「オペラ座の怪人」は演者さんによってもその組み合わせによってもきっとそのたび違う印象を受けるのだと思う。
今回の検証?踏まえた上でジェラルドファントムさまのDVDを見直してみた。
やっぱり最高にイケメンでセクシーなファントムがそこにいた。歌声を聞くだけでドキドキほわほわ。
ロンドン版によって泣きのスイッチがしっかり作られてしまったので、やっぱりラストの場面はファントムを思って泣けてしょうがない。
そして映画版のラストでもファントムは救済されていたのだなということがわかって、つくづくロンドン版をみて良かったと思った。
それにオペラ座のシャンデリアが崩落して火事になる場面などは映画ならでは。見ごたえあってやっぱりすばらしい!
劇団四季の「オペラ座の怪人」もまたぜひ観に行きたい。こちらも日本語訳なってないらしいけど。
とにかくはやくコロナが落ち着いてほしいもの。
写真2枚目 2004年映画版のジェラルドファントムさま
劇団四季「オペラ座の怪人」を観に行ってからはや2週間。
ずっと頭の中はオペラ座で満たされている。
観劇などは贅沢品でコロナ禍においてはまったくもって不要不急とは思うが、そのおかげでこんなにも自分時間が豊かになるなんて。
リンクのもりのいずみさんも書いていたけど「続くようになくなってしまわないように自分も何かできれば」と私も思った。
劇団四季が春のころクラウドファンディングしたときに3日で1億達成できたそう。すごいな。
私のような下々が四季特製マスク1500円を買ったり「オペラ座」パンフレット1800円を買ったところで微々たるものとはいえ。気持ちだから。ロングランなのでまた観に行く!
さてさて。
「オペラ座の怪人」についてネットで調べると今までもときどきアンテナにかかってきていた「オペラ座の怪人25周年記念公演inロンドン」。
あちこちで大絶賛されてるのでいつか見てみたい、でも私のファントムさまはジェラルドしかいないよな。と思ってたらアマゾンプライムで299円で48時間レンタルできることがわかった。
観ました。
3時間近いのを3回観た。
画面から伝わるあまりの熱量にやられて3回とも泣けた。とにかくすばらしかった!!!
ブルーレイ買っても1000円だから初めから買えばよかった。
どれだけ観客が入るの?っていう大きな舞台に驚き、演者さんたちの歌と演技のすばらしさに酔いしれた。
映画版のジェラルドファントムから入った人はハードルが高くてほかのファントムは受け入れられない、そうオペラ座沼かいわいでは言われてる。
それをもってしてもラミンファントム良き!
歌が抜群に上手い。緩急自在。仮面に隠れたお顔も「あれ?ちょっとつぶらな瞳と口角上がった口元カワイイ?」。
シエラクリスティーヌも演技と歌がすばらしい。
ファントムを父として音楽の先生として尊敬して慕っていた完全な上下関係だったのが、最後には逆転して愛とは何かわからないファントムを包み込む慈母のようなクリスティーヌ。ということが伝わってくる。
そしてハドリーラウルが力強く熱いことによって3人のバランスが対等。
このラウルは好き。この役者さんがそのうちファントムやっても魅力的かと。
このバランスによって単なる三角関係のハナシではないと伝わる。
粘着質のアブナイおっさんの恩を忘れて、若くてイケメンで金持ちのラウルにふらっと行くアタマの弱いクリスティーヌと言う構図ではないとわかる。
このロンドン版の演者さんたちの熱い歌と演技、そして字幕によって今まで私が映画版を何度観てもわからなかったことがストンと心に落ちた。
「あ!こういうこと?」と思えた。
それほど素晴らしかったし、逆に言うと繰り返し何回映画版を見てもわからないはずだよ、と思う。
戸田奈津子御大の字幕の問題らしい。
これはネット調べていくうちに引っかかってくるんだけど、映画版戸田奈津子訳が英語のニュアンスと違う日本語訳になっていてあまりにひどすぎる、と。
字幕改善向上委員会?まで立ち上げられてDVDでは多少の修正はされているとか。
私は繰り返し映画版を見て細かい表情や日本語字幕にたよってクリスティーヌの気持ちを理解しようとしていたけど、映画の日本語訳が違うんじゃいつまでたってもわからないよね。
クリスティーヌの気持ちとしてはファントムは音楽の師だし、ファントムの気持ちは愛だとしても表現としては支配であり依存だろうと思うのだが、戸田さんの訳では2人のあいだに「男女の愛」がある感じ。
だから何度観てもわからなくて疑問のままだった。
劇中劇オペラ「ドンファンの勝利」の「ポイントオブノーリターン」の演出も映画版と舞台では全く違う。
映画版ではオペラの役の2人ではなくファントムとクリスティーヌが「戻れないポイント」に来ていると解釈してしまう。映画版のほうがエロくて私は好きだけどね。
ロンドン版ではファントムがクリスティーヌに「この暗い孤独から導き救ってほしい」「君が行くところすべて行かせてくれ」と字幕がつき切実さが伝わる。
もうファントムが幼い子供が母を慕う必死な気持ちのようで泣ける。だって幼い子は親に捨てられたら死ぬしかないのだから。
そこをふまえての最大の疑問、クリスティーヌのキス。
これはやはりラウルを助けるためにファントムを選んだということではない。
クリスティーヌは歌っている。「神様私に勇気をください 伝えさせて あなたはひとりではないと」。
ロンドン版字幕ではクリスティーヌは最後までファントムに「愛」を伝えていないし恋愛感情を伝えるキスではない。
人に愛されたり人に触れられたりしたことのないファントムの孤独と人生を思い「決してあなたはひとりじゃない」と伝えるためのキスだったのだ。
そう思うとラスト泣きながら「オールアイアスクオブユー」を歌いながら去ってゆくクリスティーヌの気持ちも「ひとつの愛一度きりの人生をわかちあって」いく相手はラウルでもありファントムでもあると思える。
人生をラウルと生きていったとしても心はファントムともいたのだろうな、と。
ロンドン版ラストは涙なしでは観られない。
ああーファントム・・・もっとはやく愛をうまく伝えられていたらもっと違った結末になったかもしれないね。
でもどう伝えたらいいのかわからなかったしそもそもクリスティーヌへの思いが愛だともわからなかったのだろうな。哀しい。
「オペラ座の怪人」は演者さんによってもその組み合わせによってもきっとそのたび違う印象を受けるのだと思う。
今回の検証?踏まえた上でジェラルドファントムさまのDVDを見直してみた。
やっぱり最高にイケメンでセクシーなファントムがそこにいた。歌声を聞くだけでドキドキほわほわ。
ロンドン版によって泣きのスイッチがしっかり作られてしまったので、やっぱりラストの場面はファントムを思って泣けてしょうがない。
そして映画版のラストでもファントムは救済されていたのだなということがわかって、つくづくロンドン版をみて良かったと思った。
それにオペラ座のシャンデリアが崩落して火事になる場面などは映画ならでは。見ごたえあってやっぱりすばらしい!
劇団四季の「オペラ座の怪人」もまたぜひ観に行きたい。こちらも日本語訳なってないらしいけど。
とにかくはやくコロナが落ち着いてほしいもの。
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