「シン・エヴァンゲリオン劇場版」
2021年3月13日 日常
ほぼ1年ぶりの映画。映画館。
いやっほーい!
写真2枚目みんなに配られるアスカのパンフ。んー私はカヲルくんなら良かったな。
平日朝イチ回だけど最前ブロックのぞいてほぼ満席。みんなお仕事は??
去年の秋くらいからアマゾンプライムでアニメをけっこう見るようになり「鬼滅の刃」「進撃の巨人」「約束のネバーランド」などなど見た。
次は「呪術廻戦」だなと思っているところで「シンエヴァ」公開の情報。金ローでも「エヴァンゲリオン劇場版」序・破・Qとやったので見た。
この3作は前も見たが専門用語が難しくて世界観も難解すぎる。ちょいちょいはさまれるオタク好みの裸シーンが「うーん?」「14歳でこのボディラインってありえないんだけど」でいい感じもしなくて以前はそれっきり。
今回「序・破・Q」3作、ネットで数々の疑問を調べYouTubeの考察動画で検証し、「シンエヴァ」に臨みました。
「にわか」なのでエヴァとの歴史は全くなくて申しわけないです。
以下ネタバレありです。
終劇後。よくキレイに完結させたなあとしみじみ。でもやっぱりエヴァはエヴァだから難しい。そういうの含めてエヴァなんだろう。
シンジによるレイ、アスカ、カヲルの救済。ゲンドウの独白。母としてのミサトさんのくだり。胸にせまるものがあり泣けた。
平たく言えば私もオタクでありゲンドウやアスカと同じだった。
子どものころから空想の世界に入るのが好きで、大人になっても傷付くことを恐れて他者との深いコミュニケーションが苦手。
「エヴァ」というのは「閉じた内的世界」の象徴なのかな。
ストーリー内で語られる言葉「私はエヴァに乗るしかないの」「エヴァに乗れば認めてもらえる」「エヴァにさえ乗れれば他の人と関わる必要性はない」「エヴァに乗らなくていい人生もある」だったかなんだったか、うろ覚えですみませんが、「エヴァ」とは「自分の中の閉じた世界」と考えると腑に落ちる部分がある。
「エヴァの呪縛」が歳をとらないということも。
「エヴァに乗らなくていい人生」を表しているのはストーリー前半の第3村の描写なのだろう。
土や水に触れて太陽の光を浴び汗水たらして助け合って労働する。その中で人々は老若男女ふれあい人として精神的に成長していく。クローン綾波がひとつずつ人としての気持ちを覚えていったように。
他者との関わりを拒否して自分の世界に閉じこもるだけではいくらその内的世界を充実させたとしても精神的には成長することはない、と。
自分と照らし合わせてああーーー・・・と思った。
「シン・エヴァ」は「さらばすべてのエヴァンゲリオン」。
庵野監督からの「もうエヴァは終わらせたよ。みんなもエヴァから卒業して地に足つけて外の世界を見て生きていってね」というメッセージと読めるよね。
エヴァは25年の歴史で「これで青春が終わった」と思うファンが多いそうだが、私の場合は「スター・ウォーズ」。
16歳で出会ったスターウォーズと人生のほぼ半分を並走してスターウォーズが終わってしまうと思ったときは喪失感があった。
「伝説は完結する」え?うそ!って。40年間も「フォースとともに」あったのに。
とはいえ。
魂をディズニーに売り渡した「スターウォーズ」側が私の思う「スターウォーズ」ではないものにシフトチェンジしたおかげで「こんなの私のスターウォーズじゃない!」「でも世の中の流れはこういうことなんだな」とあきらめて受け入れるしかなかった。
エピソード8のような「思うスターウォーズ」ではない「スターウォーズ」や数々のスピンオフを見せられてなんか違う感を抱いたりした。
最終的に最後のエピソード9の監督のおかげでスターウォーズもまあまあなところに着地できて良かったけれど。
「エヴァ」は庵野監督の手でキレイに完結したし、庵野くんはもう「エヴァ」はやらないから「コレジャナイ感漂うエヴァ」は見なくてすむ、となれば良いのかなあとも思う。
そして、ストーリー中のこの言葉。
「息子が父親にできることは肩を叩くことか殺すことしかない」。
「肩を叩く」はとうさんお肩をたたきましょ♪のねぎらいではなく引退勧告の意味と受け止めたけどあってるのかな。
この言葉は「ああ」と刺さると同時に「男って不器用だな。そうしないと成長できないってことか。いつまでも庇護される息子のままでは人間としては進めないんだ」と。(あくまでも息子対父親の場合)
「父親殺し」はスターウォーズでもそうだった。こちらは精神的父親殺しではなく実際に殺したんだけどね。ルークはアナキンを殺しカイロ・レンはハン・ソロを殺した。
シンジはそうはしなかった。妻ユイの愛情が息子シンジにいってしまったことを嫉妬して息子を遠ざけ、ユイを取り戻すためならシンジも全人類も犠牲にする考えのゲンドウ。
そんないつまでも大人になれないゲンドウの不完全さを受け止めるシンジ。←ここどう描かれてたか機会があればもう一度よく見たい。
シンジはエヴァの呪縛から解放されて大人になった。落ち着くところに落ち着いてハッピーエンド?と言えるのかな。
ラストシーン。
大人になったシンジとマリが宇部新川駅(庵野くんの故郷なんだって)のホームにいる場面。
電車を降りて2人手をつないで歩いていく。成長したシンジもいっぱしの口聞いたりして笑。
え?シンジ、マリとカップリング?と意外に思ったけど、レイやアスカはクローンなので、オタク卒業のためのカップリングとしてはマリが正解か。
マリはエヴァの呪縛によって見た目は若いけどゲンドウとユイくらいの年のはずだよね?
マリの歌う歌も「世界は2人のために」とか「ひとりじゃないの」とかだしちょいちょい出てくる言葉のセンスが昭和40年代。ゲンドウというよりむしろ私や庵野くん世代(アラカン)。
呪縛からとけてポン!とおばちゃんの姿にはならないんだろうか笑
いやっほーい!
写真2枚目みんなに配られるアスカのパンフ。んー私はカヲルくんなら良かったな。
平日朝イチ回だけど最前ブロックのぞいてほぼ満席。みんなお仕事は??
去年の秋くらいからアマゾンプライムでアニメをけっこう見るようになり「鬼滅の刃」「進撃の巨人」「約束のネバーランド」などなど見た。
次は「呪術廻戦」だなと思っているところで「シンエヴァ」公開の情報。金ローでも「エヴァンゲリオン劇場版」序・破・Qとやったので見た。
この3作は前も見たが専門用語が難しくて世界観も難解すぎる。ちょいちょいはさまれるオタク好みの裸シーンが「うーん?」「14歳でこのボディラインってありえないんだけど」でいい感じもしなくて以前はそれっきり。
今回「序・破・Q」3作、ネットで数々の疑問を調べYouTubeの考察動画で検証し、「シンエヴァ」に臨みました。
「にわか」なのでエヴァとの歴史は全くなくて申しわけないです。
以下ネタバレありです。
終劇後。よくキレイに完結させたなあとしみじみ。でもやっぱりエヴァはエヴァだから難しい。そういうの含めてエヴァなんだろう。
シンジによるレイ、アスカ、カヲルの救済。ゲンドウの独白。母としてのミサトさんのくだり。胸にせまるものがあり泣けた。
平たく言えば私もオタクでありゲンドウやアスカと同じだった。
子どものころから空想の世界に入るのが好きで、大人になっても傷付くことを恐れて他者との深いコミュニケーションが苦手。
「エヴァ」というのは「閉じた内的世界」の象徴なのかな。
ストーリー内で語られる言葉「私はエヴァに乗るしかないの」「エヴァに乗れば認めてもらえる」「エヴァにさえ乗れれば他の人と関わる必要性はない」「エヴァに乗らなくていい人生もある」だったかなんだったか、うろ覚えですみませんが、「エヴァ」とは「自分の中の閉じた世界」と考えると腑に落ちる部分がある。
「エヴァの呪縛」が歳をとらないということも。
「エヴァに乗らなくていい人生」を表しているのはストーリー前半の第3村の描写なのだろう。
土や水に触れて太陽の光を浴び汗水たらして助け合って労働する。その中で人々は老若男女ふれあい人として精神的に成長していく。クローン綾波がひとつずつ人としての気持ちを覚えていったように。
他者との関わりを拒否して自分の世界に閉じこもるだけではいくらその内的世界を充実させたとしても精神的には成長することはない、と。
自分と照らし合わせてああーーー・・・と思った。
「シン・エヴァ」は「さらばすべてのエヴァンゲリオン」。
庵野監督からの「もうエヴァは終わらせたよ。みんなもエヴァから卒業して地に足つけて外の世界を見て生きていってね」というメッセージと読めるよね。
エヴァは25年の歴史で「これで青春が終わった」と思うファンが多いそうだが、私の場合は「スター・ウォーズ」。
16歳で出会ったスターウォーズと人生のほぼ半分を並走してスターウォーズが終わってしまうと思ったときは喪失感があった。
「伝説は完結する」え?うそ!って。40年間も「フォースとともに」あったのに。
とはいえ。
魂をディズニーに売り渡した「スターウォーズ」側が私の思う「スターウォーズ」ではないものにシフトチェンジしたおかげで「こんなの私のスターウォーズじゃない!」「でも世の中の流れはこういうことなんだな」とあきらめて受け入れるしかなかった。
エピソード8のような「思うスターウォーズ」ではない「スターウォーズ」や数々のスピンオフを見せられてなんか違う感を抱いたりした。
最終的に最後のエピソード9の監督のおかげでスターウォーズもまあまあなところに着地できて良かったけれど。
「エヴァ」は庵野監督の手でキレイに完結したし、庵野くんはもう「エヴァ」はやらないから「コレジャナイ感漂うエヴァ」は見なくてすむ、となれば良いのかなあとも思う。
そして、ストーリー中のこの言葉。
「息子が父親にできることは肩を叩くことか殺すことしかない」。
「肩を叩く」はとうさんお肩をたたきましょ♪のねぎらいではなく引退勧告の意味と受け止めたけどあってるのかな。
この言葉は「ああ」と刺さると同時に「男って不器用だな。そうしないと成長できないってことか。いつまでも庇護される息子のままでは人間としては進めないんだ」と。(あくまでも息子対父親の場合)
「父親殺し」はスターウォーズでもそうだった。こちらは精神的父親殺しではなく実際に殺したんだけどね。ルークはアナキンを殺しカイロ・レンはハン・ソロを殺した。
シンジはそうはしなかった。妻ユイの愛情が息子シンジにいってしまったことを嫉妬して息子を遠ざけ、ユイを取り戻すためならシンジも全人類も犠牲にする考えのゲンドウ。
そんないつまでも大人になれないゲンドウの不完全さを受け止めるシンジ。←ここどう描かれてたか機会があればもう一度よく見たい。
シンジはエヴァの呪縛から解放されて大人になった。落ち着くところに落ち着いてハッピーエンド?と言えるのかな。
ラストシーン。
大人になったシンジとマリが宇部新川駅(庵野くんの故郷なんだって)のホームにいる場面。
電車を降りて2人手をつないで歩いていく。成長したシンジもいっぱしの口聞いたりして笑。
え?シンジ、マリとカップリング?と意外に思ったけど、レイやアスカはクローンなので、オタク卒業のためのカップリングとしてはマリが正解か。
マリはエヴァの呪縛によって見た目は若いけどゲンドウとユイくらいの年のはずだよね?
マリの歌う歌も「世界は2人のために」とか「ひとりじゃないの」とかだしちょいちょい出てくる言葉のセンスが昭和40年代。ゲンドウというよりむしろ私や庵野くん世代(アラカン)。
呪縛からとけてポン!とおばちゃんの姿にはならないんだろうか笑
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