実家が空き家になって半年以上。
実家の庭入り口にある枝ぶりのすばらしい大きな松の木がマツクイムシにやられて伐採された。
あーあ・・・。
いつも剪定している植木屋さんによれば樹齢300年だそう。実家の松は江戸時代からあってどんな風景を見てきたことか。

私たちも私たちの子どもたちも幼いころは松の木はいい遊び場になった。
登ったり降りたり上から飛んだり。枝ぶりが良くて木陰になるので、その下にシートを敷いて草の実や花をとってきておままごとをしたり、途中の横に張った枝にブランコをかけてもらって遊んだ。

実家を離れてからは、久しぶりに帰る私をまず迎えてくれるのは松の枝のアーチ。
父がいつも見送ってくれたのも松の木の下。
母が亡くなる前の正月明け。小雪の舞う庭先の松の枝の下で見送ってくれた父と母の姿は目に焼きついている。

1000坪の敷地に竹林やニシキゴイの泳ぐ池。庭園の入り口には樹齢300年の松の木がアーチのように枝を伸ばして訪れる人々を出迎える・・・こう書くといい感じではあるけど田舎の古い家。
これからどんどん劣化していく。

手を入れれば「古民家」ってやつになるんだろうけどなあ。
人が住まなくなってまだ半年ほどなのに突然のマツクイムシ被害。この前の剪定のときまではそんなことなかったのに。
神主だった父は何かにつけて神様に守られてるふしがあったので、父がいたことで実家にも結界がはられてたんだろうか。

松が伐採された日は奇しくも母の命日。
施設にいる父はどんなに行きたかっただろうと思うがコロナ禍で外出禁止。
妹だけが立ち会った。切るときはあっという間だったという。
母が亡くなった年も桜は特別早く咲いたが今年も早く、松の木がなくなったために満開の桜がよく見えてお花見するのにちょうどよくなった、と。

今の言葉で言えばシンボルツリー?その松がなくなったらどんなにガランとして寂しくなるか、と思ったけれど妹は「悪くないね」。
空がすごく広くなった。空間がすっきりした。そんな言い方だった。
どうなったか私も見に行きたいよ。

考えようによっては。
松の木は2年に1度専門の植木屋さんの剪定が必要。以前、実家の維持に必要なお金を計算したときに「松剪定料 10年で100万円」だった。
父は「先祖より受け継いだ松の木が自分の代で」とがっかりしていたが、神様が「松は剪定にお金がかかるからこれ以上次の代に負担をかけないように」とこうなったのかも。

コロナがどうなるのか今年のGWも「県をまたいだ移動はしないで」と。
またかよ。まったく!
先日は実家でカモシカを見た、と妹が動画を送ってきた。「野生の王国か!」と。
次に私が行けるのはいつになるのか、これでは床からたけのこが生えたりハクビシンの親子が住み着いたりしてしまう。

「五輪リレー始めたものはやめられない」発言とか、ワクチンがいつまでも来なくて状況悪化とか(食糧補給はじめから見通なしのインパール作戦?)とか。大日本帝国軍と変わらないじゃんよ。全くもって配色濃厚。

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