偶然ではなく必然

2021年12月16日 日常
偶然ではなく必然
偶然ではなく必然
叔母が亡くなり都内まで行った。
亡き母の妹。1年ほど入院していた。
子どもの頃からかわいがってくれていたので入院中に行けばよかった。コロナ禍の東京はこわいなあと行かないでしまった。
今回も「家族だけでやるし葬式的なこともしないし気にしなくていい」ということ。

初めはコロナ禍だしなあ、と行かないつもりだった。
が「いや。あんなにお世話になったのに。顔を見ないと後悔する」と思い直す。

早朝7:30。いとこたちが出迎えてくれる。
棺の中の叔母はきれいに化粧されていた。
すっかり歳をとった叔父。それなりに歳を重ねた私のいとこたち。いとこの子どもたち。岩手から急きょ来た私の妹。
みんなで棺にお花を入れ、叔母は生前の華やかさを取り戻したよう。

火葬を待つ間。
叔母の息子が話す。
「亡くなる人は残される人みんなが一番いい時期を選んで逝く、っていうけどほんとにそうだった。おばちゃん(私の母)のときもそうだったよね。
たまたま、がうまく積み重なってうまく流れて。
そうなると偶然じゃなくて必然だよね」。

ああーーーそうだ。
私の母も離れたみんなが集まれるこれ以上のタイミングはない、というときに逝き、集まったみんなに満開の桜を見せてくれた。
今回もいくつかの偶然が重なり、家族に囲まれた中叔母は逝ったのだという。

今回行って叔母のお顔を見られてよかった。
子どものころ仲良く遊んだいとこたちにひさしぶりに会えて良かった。
いとこの小さいころにそっくりの子どもたちに会えてよかった。
すべては叔母が引き合わせてくれたこと。

そしてもうひとつ。
都内の妹の娘にも何年ぶりかで会えた。妹と妹の娘と私で東京駅でランチ。
たまたま、その日仕事が休みだったと。
これも叔母の引き合わせか。
ひさびさの東京一番街の京橋千疋屋。→写真
フルーツカレー・フルーツサンド・ポテトサラダ・フルーツティーのランチ。これにデザート。
(フルーツカレーは微妙)
妹もコロナで県外に出られなくなり、東京に2年ぶりに思い切ってきて良かった、と。

人生長く生きるといくつかの気づきがある。
「あのときああだったのは今こうなるためだったんだ」と思う瞬間が何度かある。
そのときは「なんで今こうなの?」と思ってもそれはあとで「こうなるためだったんだ」と。

流れに変に逆らわず流されていくことで一番いいところにいきつく。それは「神様に提示される道」なのだと思う。
生きているものは一番いいタイミングを選んで逝く。
たまたま、が重なれば偶然ではなく必然。

行ってよかった。叔母の顔を見られてよかった。みんなに会えてよかった。

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