ポメ子、元気になった!
お外でわんわんするようになった。
調子悪かった時は1日に23時間くらい寝てたけどだいぶ起きてるようになった。
朝は自分で起きてきてごはん待ちするようになったし、チャッチャッチャッチャッと軽快な足音で歩くようになった。
我々が何か食べてると熱い視線を送って「食べたいです!」と全力アピールするようになった。
よしよし。ポメ子ほんとに良かった!
トイレまで連れて行ったりふんばるのを支えてやったりこのまま介護が必要になるかと心配したよ〜。
無事抜糸も終わって病院行っておつかれのご様子。
行き倒れたみたいに寝てる。写真2枚目
よく見たらボール出してある!
おかあさんと遊ぼうと出してきたんだね。
それだけ元気になったってことね。
急に寒くなったからホットカーペットが幸せ。
ぬくぬく。
お外でわんわんするようになった。
調子悪かった時は1日に23時間くらい寝てたけどだいぶ起きてるようになった。
朝は自分で起きてきてごはん待ちするようになったし、チャッチャッチャッチャッと軽快な足音で歩くようになった。
我々が何か食べてると熱い視線を送って「食べたいです!」と全力アピールするようになった。
よしよし。ポメ子ほんとに良かった!
トイレまで連れて行ったりふんばるのを支えてやったりこのまま介護が必要になるかと心配したよ〜。
無事抜糸も終わって病院行っておつかれのご様子。
行き倒れたみたいに寝てる。写真2枚目
よく見たらボール出してある!
おかあさんと遊ぼうと出してきたんだね。
それだけ元気になったってことね。
急に寒くなったからホットカーペットが幸せ。
ぬくぬく。
退院してからも調子良く元気だったポメ子。
ところが。
退院後3日目の朝。
前の夜7時くらいに寝てずーっと寝たまま朝起きてこない。
おかしいな??どうした??
声かけしても寝たままなのでとりあえず抱っこしてトイレシートへ。
立たせるとふるえている。
ぼやっとしたままおぼつかない足取りでゆっくりくるくるまわり大量のおしっこ。
そのままやっとやっとふんばってうんち。
チュールでさそって血栓予防薬を飲ませごはんも食べた。
そのまま動く気配なくふるえながらぼんやり4本の足で立っている。
どうした?ポメ子。
ベッドに寝かせるとそのまま寝た。
新調したホテル仕様(?)のベッドが役に立った。
どうしたんだろう?
あんなに元気で安心していたのに。
震えてるってなに?どうした?
手術した横浜の心臓専門医に電話。
「術後はよく寝るものですが、心配であればかかりつけ医で診てもらってください。手術と検査のデータは送ってあります。必要なら血液検査やレントゲンなどの処置をしてもらって。こちらから電話しておきますから」と。
傷口があるのでいつもの車用のリードはつけられない。助手席シートを倒してホテル仕様ベッドのままポメ子を乗せる。
気温20度で暑くないのにハアハアするポメ子。
耳がくっつくほど寄っている。←ヤバい状況
病院では血液検査とレントゲン。
検査結果は多少炎症の数値は高かったけれど、特に悪いわけではなかった。
そのころには震えはおさまる。
かかりつけの先生のお話。
「ふるえてるのは痛みがあったんでしょうが、ごはんを自分から食べてるし、おしっこうんちもしているので少し様子を見ましょう。
今の検査結果を手術した病院に送って、もし薬が必要と指示があれば連絡します」。
「大きい手術をしたあとだから、ご自宅でもまだ入院中と考えて安静にしてくださいね」。
帰るときの車では耳が立っていた。←緊張状態が改善
表情も朝より少し良くなった。
ほぼ寝たまま2日半。食欲はある。
朝ぐったりして声かけして起きなくてもささみのゆで汁を鼻先に持っていくと寝たままくんくん。
指先で少しポメ子の口元に汁を持っていくとぺろぺろなめる。
そのうち頭を起こして汁をなめ始める。
「ポメ子、起きるよー。ごはん食べよう」と声かけして誘うとゆっくり立ち上がりよろよろついてくる。
ささみにはさんだ血栓予防薬を飲ませてトイレへ。
足のふんばりがいまひとつだけどなんとかおしっこ。続けてうんち。
そのあとごはんを出すと半分ほど食べる。午前中には残りも食べる。
おやつも食べる。ボーロとかさつまいもスティックとかチュールとか。
先生が「ごはんを自分から食べるようならだいじょうぶ」と言うように、だいじょうぶなんだ。
おとといよりきのう、きのうよりきょう、と少しずつ元気になってる。
「おかあさん、どこ行ったの?」と見に来るようになった。
ずっと寝たままで動くのもやっとだったのに。(写真3枚目)
1日に何回もしていたせきも退院してからは一度もしていない。
寝ているときの呼吸も前はもっとおなかが上下していたのに、今は「え?息してる?」と思うほどおなかが動かないし静か。
だっこするとすぐ手に触れていた心臓の動きも前ほど感じられない。
そして毛並みがすごく良くなった!
手術前はパサパサした手ざわりだったのにサラサラでやわらかい。
入院中に毛並みのメンテナンスまでするはずがないので心臓が良くなって血行が良くなったから?
確実に良くなってる。
そうだな。
「あんなに元気だったのにどうして?」と勘違いしてた。
退院して前と変わらないくらい元気!と安心していたけどまだまだ安静が必要だったんだ。
元気だったのはおうちに帰ってうれしくてはりきってたんだろう。
心臓を止める大手術をしたんだから大変なことだ。
ポメ子は12歳8か月。
13歳で人間なら68歳と考えると回復に時間かかるよね。
心臓手術は10歳までならダメージなしで回復する、と前読んだけど10歳なら56歳だもんな。
50代の人と70近い人では回復も違うだろう。
おうちで安静に。
ゆっくり体をならしていこうね。
ところが。
退院後3日目の朝。
前の夜7時くらいに寝てずーっと寝たまま朝起きてこない。
おかしいな??どうした??
声かけしても寝たままなのでとりあえず抱っこしてトイレシートへ。
立たせるとふるえている。
ぼやっとしたままおぼつかない足取りでゆっくりくるくるまわり大量のおしっこ。
そのままやっとやっとふんばってうんち。
チュールでさそって血栓予防薬を飲ませごはんも食べた。
そのまま動く気配なくふるえながらぼんやり4本の足で立っている。
どうした?ポメ子。
ベッドに寝かせるとそのまま寝た。
新調したホテル仕様(?)のベッドが役に立った。
どうしたんだろう?
あんなに元気で安心していたのに。
震えてるってなに?どうした?
手術した横浜の心臓専門医に電話。
「術後はよく寝るものですが、心配であればかかりつけ医で診てもらってください。手術と検査のデータは送ってあります。必要なら血液検査やレントゲンなどの処置をしてもらって。こちらから電話しておきますから」と。
傷口があるのでいつもの車用のリードはつけられない。助手席シートを倒してホテル仕様ベッドのままポメ子を乗せる。
気温20度で暑くないのにハアハアするポメ子。
耳がくっつくほど寄っている。←ヤバい状況
病院では血液検査とレントゲン。
検査結果は多少炎症の数値は高かったけれど、特に悪いわけではなかった。
そのころには震えはおさまる。
かかりつけの先生のお話。
「ふるえてるのは痛みがあったんでしょうが、ごはんを自分から食べてるし、おしっこうんちもしているので少し様子を見ましょう。
今の検査結果を手術した病院に送って、もし薬が必要と指示があれば連絡します」。
「大きい手術をしたあとだから、ご自宅でもまだ入院中と考えて安静にしてくださいね」。
帰るときの車では耳が立っていた。←緊張状態が改善
表情も朝より少し良くなった。
ほぼ寝たまま2日半。食欲はある。
朝ぐったりして声かけして起きなくてもささみのゆで汁を鼻先に持っていくと寝たままくんくん。
指先で少しポメ子の口元に汁を持っていくとぺろぺろなめる。
そのうち頭を起こして汁をなめ始める。
「ポメ子、起きるよー。ごはん食べよう」と声かけして誘うとゆっくり立ち上がりよろよろついてくる。
ささみにはさんだ血栓予防薬を飲ませてトイレへ。
足のふんばりがいまひとつだけどなんとかおしっこ。続けてうんち。
そのあとごはんを出すと半分ほど食べる。午前中には残りも食べる。
おやつも食べる。ボーロとかさつまいもスティックとかチュールとか。
先生が「ごはんを自分から食べるようならだいじょうぶ」と言うように、だいじょうぶなんだ。
おとといよりきのう、きのうよりきょう、と少しずつ元気になってる。
「おかあさん、どこ行ったの?」と見に来るようになった。
ずっと寝たままで動くのもやっとだったのに。(写真3枚目)
1日に何回もしていたせきも退院してからは一度もしていない。
寝ているときの呼吸も前はもっとおなかが上下していたのに、今は「え?息してる?」と思うほどおなかが動かないし静か。
だっこするとすぐ手に触れていた心臓の動きも前ほど感じられない。
そして毛並みがすごく良くなった!
手術前はパサパサした手ざわりだったのにサラサラでやわらかい。
入院中に毛並みのメンテナンスまでするはずがないので心臓が良くなって血行が良くなったから?
確実に良くなってる。
そうだな。
「あんなに元気だったのにどうして?」と勘違いしてた。
退院して前と変わらないくらい元気!と安心していたけどまだまだ安静が必要だったんだ。
元気だったのはおうちに帰ってうれしくてはりきってたんだろう。
心臓を止める大手術をしたんだから大変なことだ。
ポメ子は12歳8か月。
13歳で人間なら68歳と考えると回復に時間かかるよね。
心臓手術は10歳までならダメージなしで回復する、と前読んだけど10歳なら56歳だもんな。
50代の人と70近い人では回復も違うだろう。
おうちで安静に。
ゆっくり体をならしていこうね。
ポメ子 退院してから
2021年10月17日 日常
退院後のポメ子。(写真1枚目)
左半身毛刈りしてあるのが正面からじゃわからない。
術野にかからないようよけて手術して顔の横の毛はちゃんと残してあるんだって!
もっと長いと三つ編みして残すそう。
ちゃんと考えてくれてるのね。
あら?
よく見たらおててが昭和のプードルみたいになってる笑!
ポメ子は毛でモフッとしてるけど中身はこーんなに細かったんだ。
ソファもベッドもいつも飛び乗っていたので登れないようにしてしばらく和室に布団で寝ます。(写真2枚目)
さっそくホリホリしてここに。
ボールも持ってきて遊べ!と。
もふもふの布団が気持ちいいかな。
夜もけっきょくのところ布団の私の足元に寝てる。
せっかく苦労して物置から出してきたケージと新調したホテル仕様のベッドは意味なかった。
退院後してからの薬は血栓予防薬を朝1個飲むだけに。
手術前は心臓薬・利尿剤・降圧剤を朝晩計5個ずつ飲んでたので「え?心臓薬なくていいの?」「あれ?夜の薬いらないんだっけ?」。
ごはんも「心臓サポートフードじゃなくなんでもいい」と聞いて「ええ?そうなの?」。
とりあえずまだ心臓サポートがあるのでそれを。
手術の傷が痛々しいのでアマゾンで「術後服」というのを買ってみました。1500円くらい。(写真3枚目)
手と足の部分がついてるのね。
お股の露出も最小限で「え!これでおしっことかうんちできるの??」って。
・・・できてました。
服を着たポメ子見慣れないからヘン。
これなら桃尻がモフッとする病院の胴着のほうがいいかなあ。
今まで服着せたことなかった。
前にためしに100均で買ったの着せたときもすぐもしゃもしゃして脱いでしまったし
ずっとハダカのわんこのまま。
私もしばらく仕事を休みにしてるのでポメ子とゆっくり過ごそう。
ところが。
家にいると時間が「あっ!」という間に過ぎる。
時間があるだろうから、と図書館から本を借りてきたり新しいドラマを欲張っていろいろ録画したりしたのに、ぜんぜんそんな時間がない。
新聞さえ目を通さないうちに夕方になる。
おかしいなあ・・・。
左半身毛刈りしてあるのが正面からじゃわからない。
術野にかからないようよけて手術して顔の横の毛はちゃんと残してあるんだって!
もっと長いと三つ編みして残すそう。
ちゃんと考えてくれてるのね。
あら?
よく見たらおててが昭和のプードルみたいになってる笑!
ポメ子は毛でモフッとしてるけど中身はこーんなに細かったんだ。
ソファもベッドもいつも飛び乗っていたので登れないようにしてしばらく和室に布団で寝ます。(写真2枚目)
さっそくホリホリしてここに。
ボールも持ってきて遊べ!と。
もふもふの布団が気持ちいいかな。
夜もけっきょくのところ布団の私の足元に寝てる。
せっかく苦労して物置から出してきたケージと新調したホテル仕様のベッドは意味なかった。
退院後してからの薬は血栓予防薬を朝1個飲むだけに。
手術前は心臓薬・利尿剤・降圧剤を朝晩計5個ずつ飲んでたので「え?心臓薬なくていいの?」「あれ?夜の薬いらないんだっけ?」。
ごはんも「心臓サポートフードじゃなくなんでもいい」と聞いて「ええ?そうなの?」。
とりあえずまだ心臓サポートがあるのでそれを。
手術の傷が痛々しいのでアマゾンで「術後服」というのを買ってみました。1500円くらい。(写真3枚目)
手と足の部分がついてるのね。
お股の露出も最小限で「え!これでおしっことかうんちできるの??」って。
・・・できてました。
服を着たポメ子見慣れないからヘン。
これなら桃尻がモフッとする病院の胴着のほうがいいかなあ。
今まで服着せたことなかった。
前にためしに100均で買ったの着せたときもすぐもしゃもしゃして脱いでしまったし
ずっとハダカのわんこのまま。
私もしばらく仕事を休みにしてるのでポメ子とゆっくり過ごそう。
ところが。
家にいると時間が「あっ!」という間に過ぎる。
時間があるだろうから、と図書館から本を借りてきたり新しいドラマを欲張っていろいろ録画したりしたのに、ぜんぜんそんな時間がない。
新聞さえ目を通さないうちに夕方になる。
おかしいなあ・・・。
ポメ子無事退院。
7泊8日でした。
抱っこすると軽い!!
ひとまわりちっちゃくなったみたい!!
家ではちょこちょこもらって食べていたからちょっと太りすぎだったかも。
病院でのおやつなし生活でちょうどいい体重になったかな。
ポメ子は知らない人には「スピッツですか?」と聞かれるポメラニアン。
手術前5.5キロあったけど4.9キロに減ってた。
これが適正体重ってことね。
傷口保護のため伸び縮みする胴衣みたいなの着せてもらってました。(写真1枚目)
車で使ってるピンクのベッドが初めに買ったもの。はみだしてるよね。
「ポメちゃんは大人になっても3キロだからこのサイズで」とペットショップのおねえさんが言ったんだけどみるみる大きく。
いやこれは太ったとかではなく骨太でキツネ顔なのでもともと大きくなる子だったんだと思う。
「退院したら1ヶ月検診までは安静に」と聞いていたので、物置の奥の奥からしまっていたケージを出してきた。
赤ちゃんわんこのとき使ってたもの。
そのうち室内放し飼いになってけっこう場所とるから片付けてた。
ベッドも前のじゃ小さいと思って大きいのを新調。
奮発して「ホテル仕様」ってのを買いました。
どこがどうホテル仕様??
手ざわりはもちもちフワフワ。
ケージで安静に?はじめからムリな感じ。
すぐにアピール。(写真2枚目)
こんなせまいところにいられないですよ!
病院ではおりこうしてたけどあきました!
おうちの中を小走りに見てまわったり、わんわんしておやつをくれ!といったり。
あちこち匂いをかいだりホリホリしたり。
ダメと言われたソファへの飛び乗りもあっ!と思ったらやってた。
「無駄吠えしなくておりこうさんですよ」って病院で先生言ってたのになあ。
けっきょく定位置のここ。(写真3枚目)
ケージで安静にはしてないね。
汗だくでケージ出して組み立てたのに。
ベッドも新調したのに。
まあいいか。ポメ子元気に戻ってきた。
神様、ポメ子を守ってくれてどうもありがとうございます。
7泊8日でした。
抱っこすると軽い!!
ひとまわりちっちゃくなったみたい!!
家ではちょこちょこもらって食べていたからちょっと太りすぎだったかも。
病院でのおやつなし生活でちょうどいい体重になったかな。
ポメ子は知らない人には「スピッツですか?」と聞かれるポメラニアン。
手術前5.5キロあったけど4.9キロに減ってた。
これが適正体重ってことね。
傷口保護のため伸び縮みする胴衣みたいなの着せてもらってました。(写真1枚目)
車で使ってるピンクのベッドが初めに買ったもの。はみだしてるよね。
「ポメちゃんは大人になっても3キロだからこのサイズで」とペットショップのおねえさんが言ったんだけどみるみる大きく。
いやこれは太ったとかではなく骨太でキツネ顔なのでもともと大きくなる子だったんだと思う。
「退院したら1ヶ月検診までは安静に」と聞いていたので、物置の奥の奥からしまっていたケージを出してきた。
赤ちゃんわんこのとき使ってたもの。
そのうち室内放し飼いになってけっこう場所とるから片付けてた。
ベッドも前のじゃ小さいと思って大きいのを新調。
奮発して「ホテル仕様」ってのを買いました。
どこがどうホテル仕様??
手ざわりはもちもちフワフワ。
ケージで安静に?はじめからムリな感じ。
すぐにアピール。(写真2枚目)
こんなせまいところにいられないですよ!
病院ではおりこうしてたけどあきました!
おうちの中を小走りに見てまわったり、わんわんしておやつをくれ!といったり。
あちこち匂いをかいだりホリホリしたり。
ダメと言われたソファへの飛び乗りもあっ!と思ったらやってた。
「無駄吠えしなくておりこうさんですよ」って病院で先生言ってたのになあ。
けっきょく定位置のここ。(写真3枚目)
ケージで安静にはしてないね。
汗だくでケージ出して組み立てたのに。
ベッドも新調したのに。
まあいいか。ポメ子元気に戻ってきた。
神様、ポメ子を守ってくれてどうもありがとうございます。
ポメ子のおかげで2泊3日横浜ホテルに滞在して、そのあともほぼ毎日横浜通い。
ダンナの車で行くとラクだけどつまらないことに直行直帰。
電車で行くと時間もかかるしポメ子面会だけではせっかく横浜に行くのにもったいないかなあ。などと思って寄り道を。
横浜。海のある街はいいなあ。
手術を待ってる間はみなとみらい線日本大通り下車で大桟橋へ。
ここは劇団四季「ノートルダムの鐘」のとき、来たかったけど足が疲れてたどりつけなかったところ。
山下公園から見えてるんだけど。
遠い。はてしなく遠い。足痛くてあそこまで行けそうにない・・とあきらめた場所で心残りだった。
今回は屋上先端まで散策。木と芝のデッキは遊歩道みたいになってる。
行ってみたかった大桟橋の中の「カフェダイニングブルーターミナル」でランチ。(写真1枚目)
窓の向こうには青い海と空と横浜ベイブリッジ。
もうひとつみなとみらい。
みなとみらい東急スクエアガーデンの「タカナシミルクレストラン」。
これもオープンしたてはものすごい行列で話題に。
これまた「ノートルダムの鐘」のときランチもディナーも行ってみたけど行列がすごすぎてあきらめた場所。
何年越しかでやっと行けたよ。
おかわり自由のチーズ盛り合わせとメインの料理、デザート、ドリンクのランチ。
メインはパスタやグラタンなどから選べる。私はタンドリーチキンとポテトと舞茸のグリル。デザートはミルクプリン。(写真2枚目)
「新横浜ラーメン博物館」も行きました。
ひところすごく話題になって行ってみたいなあと思った。子供たちが小さいころだから20年も前?
新横浜は縁がないから行くことはないかなと思ってた場所。
ポメ子病院へのアクセスがいいので新横浜のホテルを探していたところ、なんとラーメン博物館の隣のホテルが1泊3500円!ここに泊まってラー博に行くしかない。
行ってみると、え?ここ?って感じのビル街の一角。東京ドームみたいなのを想像してました。
ラーメン博物館には入場料を払って入ります。
一般380円。シニア料金(60歳以上)100円。やったラッキー100円!
コロナワクチンが早く打てたときもやった!と思ったし、高齢者のくくりに入ることも悪いわけじゃないよね。
ラーメン博物館コンセプトは夕焼けの昭和の街並み。
昭和の街並みが再現されてて室内だけど空が夕焼け。
月光仮面とか笛吹童子とかの音楽が流れてる。駄菓子屋とかカフェーとか辻占いとかいろいろある。
私は田舎育ちなので昔の都会の町並みをなつかしいと思うことはなかったけどドンピシャな幼少期を過ごした人にはなつかしすぎるスポットと思う。(写真3枚目)
空いてる時間に行ったので待ち時間もなくガラガラ。
若いカップルがパラパラいるくらい。ビー玉のラムネの開け方がわからなくてキャッキャしててほほえましい。
コロナ前は海外からもたくさん来てすごい行列だったことを思うと今行けてちょうど良かったか。
ラーメン店は6軒。半ラーメン600円があるので2杯はいける。
結局2回通って4杯食べた。どれもおいしかった。
「浅草来々軒」のラーメンは「昔はラーメンってこんなだったよね」という基本のしょうゆ味の懐かしい東京ラーメン。
衝撃を受けたのは福岡の超濃厚豚骨ラーメン「八ちゃん」。
こんなの初めて!の今まで食べたことないおいしさ!
ラー博開業前から25年かかってやっと出店にこぎつけたほどのお店だと。超濃厚の豚骨スープなのにくどさがなくてまた食べたくなるクセになる味。
これはおいしかった。
浅草来々軒の実物大店舗や屋台などさまざま展示されてて全国のラーメンも売られている。時間あったので来々軒歴史のVもゆっくり見た。
手打ちラーメン体験やチャーシュー作り体験もある模様。ラー博行けて良かった。
家にいると終わりのない家事がつねにあるけれどホテル滞在はそれがない。
ベッドにゴロンとしたまま読書したりスマホ見たり。いつもはこんなふうにゆっくり書くこともないけど時間もあるし記録として残しておこうとがんばって書いた。
素泊まり3500円でめっちゃしあわせー♪
「いつか行けたらいいな」とちょっぴりでも心の中に留めておくと、こうやっていつか行けるときが来るんだね。
ポメ子のおかげで横浜に滞在できて「いつか行きたいな」と思ってた願いが3つもかなえられた。
ダンナの車で行くとラクだけどつまらないことに直行直帰。
電車で行くと時間もかかるしポメ子面会だけではせっかく横浜に行くのにもったいないかなあ。などと思って寄り道を。
横浜。海のある街はいいなあ。
手術を待ってる間はみなとみらい線日本大通り下車で大桟橋へ。
ここは劇団四季「ノートルダムの鐘」のとき、来たかったけど足が疲れてたどりつけなかったところ。
山下公園から見えてるんだけど。
遠い。はてしなく遠い。足痛くてあそこまで行けそうにない・・とあきらめた場所で心残りだった。
今回は屋上先端まで散策。木と芝のデッキは遊歩道みたいになってる。
行ってみたかった大桟橋の中の「カフェダイニングブルーターミナル」でランチ。(写真1枚目)
窓の向こうには青い海と空と横浜ベイブリッジ。
もうひとつみなとみらい。
みなとみらい東急スクエアガーデンの「タカナシミルクレストラン」。
これもオープンしたてはものすごい行列で話題に。
これまた「ノートルダムの鐘」のときランチもディナーも行ってみたけど行列がすごすぎてあきらめた場所。
何年越しかでやっと行けたよ。
おかわり自由のチーズ盛り合わせとメインの料理、デザート、ドリンクのランチ。
メインはパスタやグラタンなどから選べる。私はタンドリーチキンとポテトと舞茸のグリル。デザートはミルクプリン。(写真2枚目)
「新横浜ラーメン博物館」も行きました。
ひところすごく話題になって行ってみたいなあと思った。子供たちが小さいころだから20年も前?
新横浜は縁がないから行くことはないかなと思ってた場所。
ポメ子病院へのアクセスがいいので新横浜のホテルを探していたところ、なんとラーメン博物館の隣のホテルが1泊3500円!ここに泊まってラー博に行くしかない。
行ってみると、え?ここ?って感じのビル街の一角。東京ドームみたいなのを想像してました。
ラーメン博物館には入場料を払って入ります。
一般380円。シニア料金(60歳以上)100円。やったラッキー100円!
コロナワクチンが早く打てたときもやった!と思ったし、高齢者のくくりに入ることも悪いわけじゃないよね。
ラーメン博物館コンセプトは夕焼けの昭和の街並み。
昭和の街並みが再現されてて室内だけど空が夕焼け。
月光仮面とか笛吹童子とかの音楽が流れてる。駄菓子屋とかカフェーとか辻占いとかいろいろある。
私は田舎育ちなので昔の都会の町並みをなつかしいと思うことはなかったけどドンピシャな幼少期を過ごした人にはなつかしすぎるスポットと思う。(写真3枚目)
空いてる時間に行ったので待ち時間もなくガラガラ。
若いカップルがパラパラいるくらい。ビー玉のラムネの開け方がわからなくてキャッキャしててほほえましい。
コロナ前は海外からもたくさん来てすごい行列だったことを思うと今行けてちょうど良かったか。
ラーメン店は6軒。半ラーメン600円があるので2杯はいける。
結局2回通って4杯食べた。どれもおいしかった。
「浅草来々軒」のラーメンは「昔はラーメンってこんなだったよね」という基本のしょうゆ味の懐かしい東京ラーメン。
衝撃を受けたのは福岡の超濃厚豚骨ラーメン「八ちゃん」。
こんなの初めて!の今まで食べたことないおいしさ!
ラー博開業前から25年かかってやっと出店にこぎつけたほどのお店だと。超濃厚の豚骨スープなのにくどさがなくてまた食べたくなるクセになる味。
これはおいしかった。
浅草来々軒の実物大店舗や屋台などさまざま展示されてて全国のラーメンも売られている。時間あったので来々軒歴史のVもゆっくり見た。
手打ちラーメン体験やチャーシュー作り体験もある模様。ラー博行けて良かった。
家にいると終わりのない家事がつねにあるけれどホテル滞在はそれがない。
ベッドにゴロンとしたまま読書したりスマホ見たり。いつもはこんなふうにゆっくり書くこともないけど時間もあるし記録として残しておこうとがんばって書いた。
素泊まり3500円でめっちゃしあわせー♪
「いつか行けたらいいな」とちょっぴりでも心の中に留めておくと、こうやっていつか行けるときが来るんだね。
ポメ子のおかげで横浜に滞在できて「いつか行きたいな」と思ってた願いが3つもかなえられた。
ポメ子 心臓手術その4
2021年10月11日 日常
ポメ子、点滴もはずれたので面会室で面会。
ソファのある応接室みたいなところです。
「ポメ子ちゃんおりこうさんですよ。無駄吠えもしないし、爆睡して起きるとしっぽふってアピールしてます。ごはんもちゃんと食べてるし、うんち・おしっこもちゃんとできてます」。
ええ?無駄吠えしない??
うちでは意味なくわんわんしてばかりなのに?
しっぽふる?すぐ慣れたのかな?
表情めっちゃ良くなった。
顔の横がふわっと残してあるので左側毛刈りしてあるのが目立たない!
伏せてると前のポメ子と変わらない!
人も犬もダメなのでどうやって過ごしてるかと思ってたら。
お散歩してても人がいると警戒して迂回。
近づいてくると固まって動けないのに少し離れるとワンワン!!
怖がりだしほかのわんこがいるところではムリだなあとホテルも預けたことなし。
手術して入院なんてよけい心臓負担かけるだろうな、おへやのすみっこでおびえてじっとしてるだけかなと思ったら。
意外なポメ子の入院生活にびっくり。
ポメ子がんばってる。
わんこのシッターさんをお願いしたとき、犬が好きな人はわかるらしく一発でなついたポメ子。
病院のスタッフさんたちもそんな犬好きな方々ばかりなのだろう。
良くしてもらってるんだな。良かった良かった。
毎朝の血液検査の数値次第だけど退院も近そう。
ソファのある応接室みたいなところです。
「ポメ子ちゃんおりこうさんですよ。無駄吠えもしないし、爆睡して起きるとしっぽふってアピールしてます。ごはんもちゃんと食べてるし、うんち・おしっこもちゃんとできてます」。
ええ?無駄吠えしない??
うちでは意味なくわんわんしてばかりなのに?
しっぽふる?すぐ慣れたのかな?
表情めっちゃ良くなった。
顔の横がふわっと残してあるので左側毛刈りしてあるのが目立たない!
伏せてると前のポメ子と変わらない!
人も犬もダメなのでどうやって過ごしてるかと思ってたら。
お散歩してても人がいると警戒して迂回。
近づいてくると固まって動けないのに少し離れるとワンワン!!
怖がりだしほかのわんこがいるところではムリだなあとホテルも預けたことなし。
手術して入院なんてよけい心臓負担かけるだろうな、おへやのすみっこでおびえてじっとしてるだけかなと思ったら。
意外なポメ子の入院生活にびっくり。
ポメ子がんばってる。
わんこのシッターさんをお願いしたとき、犬が好きな人はわかるらしく一発でなついたポメ子。
病院のスタッフさんたちもそんな犬好きな方々ばかりなのだろう。
良くしてもらってるんだな。良かった良かった。
毎朝の血液検査の数値次第だけど退院も近そう。
ポメ子 心臓手術その3
2021年10月10日 日常
手術後3日目。面会の前の先生のお話。
「ごはんはきのうの昼は食べませんでしたが夜ときょうの朝は食べました。
ポメ子ちゃん、ここにいるわんちゃんたちの中では年齢は高めですが、比較的しゃっきりしている方ですよ。4本の足でちゃんと立ったりもしてます。
僧帽弁の腱策は1本は切れていて僧帽弁も厚くなって変性がすすんでいました。変性の程度は1〜6として6が半数4が半数。かなりすすんでましたね。
内出血のあともありました。
僧帽弁は7本ゴアテックスで補強してあります。普通は6本ですが1本追加してあります。肺も白く斑点があって肺水腫のため繊維化した部分と思われます」。
元気そうだったけどかなり進んでたんだ。このままではまた肺水腫を起こしていただろう。
ポメ子は私と同じで食いしん坊。
でも怖がりであまえんぼでお泊まりも初めてだからごはんもおしっこも無理なんじゃないかと心配だった。何日もおうちをはなれてがんばれるのか。
でもなんとかなるんだ。ポメ子がんばってる。
それにしても犬ってすごいな。
心臓を止める大手術をしたのに、次の日には心臓も小さくなって次の次の日には4本の足で立ってるとは。
「酸素室には入ってますが、酸素濃度は外と同じ20%なのでとびら開けてさわれますよ」と言われ、いそいそとICUへ。
ところが。
なんと!ポメ子寝てる・・・。
「あれーさっきまで起きてたのに」と先生。
きょうのポメ子は下の段の広い酸素室。
よく寝てたので写真だけ撮って終了でした。
とりあえず急変の多い3日間は乗り越えた。
ゴアテックスの糸がちゃんと定着するまでは血栓ができることもあるため、まだしばらくは合併症の心配はある。
それでも大きな山は超えた。
はあーーーーポメ子。よくがんばった!
冬になれば13歳のシニア。心臓の手術はしたけれど平均寿命を考えるとポメ子との時間はそう長くない。別の病気になるかもしれない。
それでも。肺水腫で苦しんで死ぬことはないんだと思うと本当に本当に良かったと思った。
「ごはんはきのうの昼は食べませんでしたが夜ときょうの朝は食べました。
ポメ子ちゃん、ここにいるわんちゃんたちの中では年齢は高めですが、比較的しゃっきりしている方ですよ。4本の足でちゃんと立ったりもしてます。
僧帽弁の腱策は1本は切れていて僧帽弁も厚くなって変性がすすんでいました。変性の程度は1〜6として6が半数4が半数。かなりすすんでましたね。
内出血のあともありました。
僧帽弁は7本ゴアテックスで補強してあります。普通は6本ですが1本追加してあります。肺も白く斑点があって肺水腫のため繊維化した部分と思われます」。
元気そうだったけどかなり進んでたんだ。このままではまた肺水腫を起こしていただろう。
ポメ子は私と同じで食いしん坊。
でも怖がりであまえんぼでお泊まりも初めてだからごはんもおしっこも無理なんじゃないかと心配だった。何日もおうちをはなれてがんばれるのか。
でもなんとかなるんだ。ポメ子がんばってる。
それにしても犬ってすごいな。
心臓を止める大手術をしたのに、次の日には心臓も小さくなって次の次の日には4本の足で立ってるとは。
「酸素室には入ってますが、酸素濃度は外と同じ20%なのでとびら開けてさわれますよ」と言われ、いそいそとICUへ。
ところが。
なんと!ポメ子寝てる・・・。
「あれーさっきまで起きてたのに」と先生。
きょうのポメ子は下の段の広い酸素室。
よく寝てたので写真だけ撮って終了でした。
とりあえず急変の多い3日間は乗り越えた。
ゴアテックスの糸がちゃんと定着するまでは血栓ができることもあるため、まだしばらくは合併症の心配はある。
それでも大きな山は超えた。
はあーーーーポメ子。よくがんばった!
冬になれば13歳のシニア。心臓の手術はしたけれど平均寿命を考えるとポメ子との時間はそう長くない。別の病気になるかもしれない。
それでも。肺水腫で苦しんで死ぬことはないんだと思うと本当に本当に良かったと思った。
ポメ子 心臓手術その2
2021年10月9日 日常
手術の日は緊急連絡に備えてホテル泊。
連絡もなく朝を迎えたことに感謝。
午前中、先生の話を聞きに行く。
「まだきのうのきょうで麻酔がきいてるからぽやぽやしてますが、表情はわりとしっかりしている方です。
まだ急変の可能性もありますが、今のところ血液検査数値も想定内です。心臓も小さくなっています。
お水は自分で飲みました。ごはんはきょうのお昼からです。導尿もしています。
酸素室の酸素濃度は30%、きょう20%に下げてみます」。
案内されてICUへ。
10個ほど酸素室が並んでいて術後のわんちゃんたちが横たわっている。
顔を上げてこちらを見ている子もいる。チワワかな。ポメ子よりずっと小さいわんちゃんが多いかな。
みんなちっちゃい体でよくがんばったね。
いちばん奥にポメ子。
顔を上げて笑い顔にはなっているものの目も耳も不安げ。
なんだかわからないままに心臓を止める大手術をしたんだものね。ほんとによくがんばった。
マットや薬といっしょに預けたバッグにつけていたお守り。酸素室に貼ってもらっていた。ポメ子と娘とお参りに行ったときのもの。
よかった!
ここ数日「これでポメ子とお別れかもしれない」という気持ちをかかえたまま過ごしていた。
少し色づいた葉も天高くなる青空もポメ子との最後の時間を彩るもののような気がした。
ポメ子が私を見て笑うのも。トイレやお風呂の前で待っているのも。となりに来てゴロンと横になり白いお腹を見せるのも。
すべてが「おかあさんだいすきだよ。楽しかったよ。ありがとうね」と言っているような気がして。
肺水腫を起こした子が1年後に生きているのは半数なので手術そのものに迷いはなかった。
肺水腫後に3倍に増えた心臓薬も利尿剤もこのまま長く飲み続けるのはポメ子の体に良くないだろう。
このままなら最終的には薬は5倍にもなり酸素室をレンタルすることにもなる。病院に行くことも増える。毎月の出費は10万では足りないかも。
治る見込みもなくお金の負担がふえるばかりではそのことが精神的苦痛にもなる。
それなら思い切って手術したほうがいい。
だけど。
もしかしたら手術で、手術の合併症でそのまま逝ってしまうかもしれない。
手術に送り出したまま、もう二度とふわふわであったかいポメ子にさわることも、しっとりと重いポメ子をだっこすることもないかもしれない。
でも。
麻酔で眠っているまま逝くのだとすれば。
この先加齢による病気などで亡くなるよりも苦しまないで逝けるのかな。
それはそれでいいのかな。とも思い、気持ちは行ったり来たりした。
7月に入って気温と湿度が上がってからの2ヶ月。8月末に肺水腫を起こしてからの1ヶ月。
毎日毎日が「きょうを乗り切れるか?」という綱渡りのような気持ちだった。
ハアハアしていれば室温を下げたり、横になって寝ていればお腹の上下をタイマーで数えて「心拍、呼吸数だいじょうぶ」と思ったり。
夜中は必ず暑くて?起きてハアハアするので私も心配で目が覚めたり。
9月には台風が2つ近づいて気圧がさがり気が気ではなかった。
夏になってから朝まで通して自分が寝たのは数えるくらい。
朝「おかあさん、おはよう」とポメ子が元気に活動し始めてやっと「きょうもだいじょうぶだった。夜を越えた。良かった」と思うことの繰り返しだった。
その長かった日々を思うと。
手術当日あっさりと預けることになり、予定より早く順調に手術も終わり、次の日にはもう心臓も小さくなっているとは。
思い悩んでいた日がうそのようにあっという間に手術は終わった。
続きます。
写真1枚目 酸素室の中のポメ子
写真2枚目 手術前日お散歩に
連絡もなく朝を迎えたことに感謝。
午前中、先生の話を聞きに行く。
「まだきのうのきょうで麻酔がきいてるからぽやぽやしてますが、表情はわりとしっかりしている方です。
まだ急変の可能性もありますが、今のところ血液検査数値も想定内です。心臓も小さくなっています。
お水は自分で飲みました。ごはんはきょうのお昼からです。導尿もしています。
酸素室の酸素濃度は30%、きょう20%に下げてみます」。
案内されてICUへ。
10個ほど酸素室が並んでいて術後のわんちゃんたちが横たわっている。
顔を上げてこちらを見ている子もいる。チワワかな。ポメ子よりずっと小さいわんちゃんが多いかな。
みんなちっちゃい体でよくがんばったね。
いちばん奥にポメ子。
顔を上げて笑い顔にはなっているものの目も耳も不安げ。
なんだかわからないままに心臓を止める大手術をしたんだものね。ほんとによくがんばった。
マットや薬といっしょに預けたバッグにつけていたお守り。酸素室に貼ってもらっていた。ポメ子と娘とお参りに行ったときのもの。
よかった!
ここ数日「これでポメ子とお別れかもしれない」という気持ちをかかえたまま過ごしていた。
少し色づいた葉も天高くなる青空もポメ子との最後の時間を彩るもののような気がした。
ポメ子が私を見て笑うのも。トイレやお風呂の前で待っているのも。となりに来てゴロンと横になり白いお腹を見せるのも。
すべてが「おかあさんだいすきだよ。楽しかったよ。ありがとうね」と言っているような気がして。
肺水腫を起こした子が1年後に生きているのは半数なので手術そのものに迷いはなかった。
肺水腫後に3倍に増えた心臓薬も利尿剤もこのまま長く飲み続けるのはポメ子の体に良くないだろう。
このままなら最終的には薬は5倍にもなり酸素室をレンタルすることにもなる。病院に行くことも増える。毎月の出費は10万では足りないかも。
治る見込みもなくお金の負担がふえるばかりではそのことが精神的苦痛にもなる。
それなら思い切って手術したほうがいい。
だけど。
もしかしたら手術で、手術の合併症でそのまま逝ってしまうかもしれない。
手術に送り出したまま、もう二度とふわふわであったかいポメ子にさわることも、しっとりと重いポメ子をだっこすることもないかもしれない。
でも。
麻酔で眠っているまま逝くのだとすれば。
この先加齢による病気などで亡くなるよりも苦しまないで逝けるのかな。
それはそれでいいのかな。とも思い、気持ちは行ったり来たりした。
7月に入って気温と湿度が上がってからの2ヶ月。8月末に肺水腫を起こしてからの1ヶ月。
毎日毎日が「きょうを乗り切れるか?」という綱渡りのような気持ちだった。
ハアハアしていれば室温を下げたり、横になって寝ていればお腹の上下をタイマーで数えて「心拍、呼吸数だいじょうぶ」と思ったり。
夜中は必ず暑くて?起きてハアハアするので私も心配で目が覚めたり。
9月には台風が2つ近づいて気圧がさがり気が気ではなかった。
夏になってから朝まで通して自分が寝たのは数えるくらい。
朝「おかあさん、おはよう」とポメ子が元気に活動し始めてやっと「きょうもだいじょうぶだった。夜を越えた。良かった」と思うことの繰り返しだった。
その長かった日々を思うと。
手術当日あっさりと預けることになり、予定より早く順調に手術も終わり、次の日にはもう心臓も小さくなっているとは。
思い悩んでいた日がうそのようにあっという間に手術は終わった。
続きます。
写真1枚目 酸素室の中のポメ子
写真2枚目 手術前日お散歩に
ポメ子 心臓手術その1
2021年10月8日 日常
ポメ子の僧帽弁閉鎖不全の手術の日。
当日は「7時に病院」と言われていたので朝4時に起きて5時出発。
運転手さん(ダンナ)よろしくお願いします。
朝だから道も空いてて余裕で6時には着いてしまった。
7時に待合室に入りポメ子は最終血液検査とレントゲン。
私は同意書に記入したり薬やフードやポメ子の性格など記入したり。
先生や看護師さんとのお話があり、ポメ子はそのまま連れていかれる模様。
え?そうなの?
「手術が終わる14時ころに先生から電話連絡があります。面会はあしたになるのできょうはこのままお預かりしますね。受け付けで面会の時間を予約して行ってください」。
あれ?あれ?
いくつか読んだポメ子と同じ病院での手術ブログによるといったん毛刈りされた状態で戻され、手術自体が終わる90分ほどはそのまま待機。
手術の最後のところで遠くからガラス越しに手術室の中を見せてもらえる。
そのあとお昼など食べに外出して、麻酔がさめる14時ころには手術の様子など先生からお話がある。
そう思っていたら違った。
コロナだから?病院も新しくなって手術数も増えたから?
あっさりとポメ子は連れて行かれ、われわれは8:30には御用済みになってしまった。
3日間は急変する場合があるからすぐ駆けつけられるように、と私はホテルとってあるけどチェックインは15:00。
えー?どうする?どうする?
まだ9:00前。
「じゃあ、まあ、帰るから」とダンナ。
ほぼ来ることがない横浜にせっかく来たんだからやっぱり海が見たい。
そうだ、前に行けなかった大桟橋に行こう!海が見えるおしゃれカフェもあったはず。
大桟橋。正確には「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」。
電車を乗り継いで大桟橋へ。
10月なのに日差しも強く風も強い。
海はいいよねえ。横浜ベイブリッジも遠くに見えて船が横切っていく。
きょうは「日本丸」と「飛鳥2」が停泊中。
右手には山下公園・マリンタワー・氷川丸。
左手にはみなとみらい・赤レンガ倉庫。
ポメ子のおかげで横浜に来れたよ。
ポメ子ありがとう。
気持ちを上げようと思うものの、ポメ子がどうなってるかもわからないままではせっかくの青い空と海ももやがかかったよう。
そこで病院から電話!!
えっ!!
14:00ころに電話来るはずがまだ12:30。
ポメ子に何かあったんだ!
手が震える。
「手術は予定より早く順調に終わりました。輸血もしなくてすみました。僧帽弁の逆流も今のところありません。麻酔から少し覚めて首を上げたりしています。順調ですよ」。
ああーーー良かった!!!
手術そのものは無事に終わった。
あとは合併症だ。
まずはほんとに良かった。ひとやま越えた。
ポメ子がんばった!
9月半ばには息子が、先週末には娘がポメ子に会いに来た。娘と神社にお参りにも行き、ポメ子は神様にも守られた。
続きます。
写真1枚目 手術前のポメ子 このあと左半身手術のため毛刈り
写真2枚目 大桟橋入り口
写真3枚目 大桟橋の上 散策できる
当日は「7時に病院」と言われていたので朝4時に起きて5時出発。
運転手さん(ダンナ)よろしくお願いします。
朝だから道も空いてて余裕で6時には着いてしまった。
7時に待合室に入りポメ子は最終血液検査とレントゲン。
私は同意書に記入したり薬やフードやポメ子の性格など記入したり。
先生や看護師さんとのお話があり、ポメ子はそのまま連れていかれる模様。
え?そうなの?
「手術が終わる14時ころに先生から電話連絡があります。面会はあしたになるのできょうはこのままお預かりしますね。受け付けで面会の時間を予約して行ってください」。
あれ?あれ?
いくつか読んだポメ子と同じ病院での手術ブログによるといったん毛刈りされた状態で戻され、手術自体が終わる90分ほどはそのまま待機。
手術の最後のところで遠くからガラス越しに手術室の中を見せてもらえる。
そのあとお昼など食べに外出して、麻酔がさめる14時ころには手術の様子など先生からお話がある。
そう思っていたら違った。
コロナだから?病院も新しくなって手術数も増えたから?
あっさりとポメ子は連れて行かれ、われわれは8:30には御用済みになってしまった。
3日間は急変する場合があるからすぐ駆けつけられるように、と私はホテルとってあるけどチェックインは15:00。
えー?どうする?どうする?
まだ9:00前。
「じゃあ、まあ、帰るから」とダンナ。
ほぼ来ることがない横浜にせっかく来たんだからやっぱり海が見たい。
そうだ、前に行けなかった大桟橋に行こう!海が見えるおしゃれカフェもあったはず。
大桟橋。正確には「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」。
電車を乗り継いで大桟橋へ。
10月なのに日差しも強く風も強い。
海はいいよねえ。横浜ベイブリッジも遠くに見えて船が横切っていく。
きょうは「日本丸」と「飛鳥2」が停泊中。
右手には山下公園・マリンタワー・氷川丸。
左手にはみなとみらい・赤レンガ倉庫。
ポメ子のおかげで横浜に来れたよ。
ポメ子ありがとう。
気持ちを上げようと思うものの、ポメ子がどうなってるかもわからないままではせっかくの青い空と海ももやがかかったよう。
そこで病院から電話!!
えっ!!
14:00ころに電話来るはずがまだ12:30。
ポメ子に何かあったんだ!
手が震える。
「手術は予定より早く順調に終わりました。輸血もしなくてすみました。僧帽弁の逆流も今のところありません。麻酔から少し覚めて首を上げたりしています。順調ですよ」。
ああーーー良かった!!!
手術そのものは無事に終わった。
あとは合併症だ。
まずはほんとに良かった。ひとやま越えた。
ポメ子がんばった!
9月半ばには息子が、先週末には娘がポメ子に会いに来た。娘と神社にお参りにも行き、ポメ子は神様にも守られた。
続きます。
写真1枚目 手術前のポメ子 このあと左半身手術のため毛刈り
写真2枚目 大桟橋入り口
写真3枚目 大桟橋の上 散策できる
大安のきのう。
ポメ子の手術が無事済みますようにとお参りに行きました。
わんこは境内に入れないと思って車に置いて出たものの「犬は抱いて入ってください」との立て看板が!
うわー良かった。せっかくだからポメ子もお参りできればいいなあと思ってた。
車に戻ってポメ子をだっこして神社の境内に。
大安だからお宮参りや七五三のご家族連れが何組も。
もう七五三か。こんなに日差しが強くてお着物は暑いだろうな。
私もポメ子も奮発して100円ずつお賽銭を。
手術が無事すみますように。
また元気でポメ子と暮らせますように。
来年の桜も見に行けますように。
お守りも買いました。
ポメ子、還暦(12歳だもんね)だけど女子らしくかわいいピンク色のお守り。
神様。ポメ子をお守りください。
ポメ子の手術が無事済みますようにとお参りに行きました。
わんこは境内に入れないと思って車に置いて出たものの「犬は抱いて入ってください」との立て看板が!
うわー良かった。せっかくだからポメ子もお参りできればいいなあと思ってた。
車に戻ってポメ子をだっこして神社の境内に。
大安だからお宮参りや七五三のご家族連れが何組も。
もう七五三か。こんなに日差しが強くてお着物は暑いだろうな。
私もポメ子も奮発して100円ずつお賽銭を。
手術が無事すみますように。
また元気でポメ子と暮らせますように。
来年の桜も見に行けますように。
お守りも買いました。
ポメ子、還暦(12歳だもんね)だけど女子らしくかわいいピンク色のお守り。
神様。ポメ子をお守りください。
1泊2日でひさびさに実家へ。
新幹線乗るのなんてほぼ1年ぶり??
あんなに毎月のように新幹線乗ってたのにさ。
写真は新幹線より。だいぶ稲刈りもしたあとだけど稲刈り前の田んぼがキレイ。
今回の目的はまず草刈り。
気温20度曇り空で絶好の草刈り日和。
けっきょくのところ1日目4時間、2日目3時間を草刈りに費やした。
刈っても刈っても終わらない草刈りは途中飽きるけど最後には「やった!」という達成感。
秋の枯れかけた草の匂いが混じった青い草の香りもいい。
暗くなるまで労働したあとの風呂も最高に気持ち良かった!
風呂に入ってさっぱりしたあと途中で買ってきた新鮮なお刺身でひとりごはん。これまた良し。
空き家になった古い大きな実家にひとりでお泊まり、眠れなかったらどうしよう?と思ったけど労働のおかげで横になったらすぐ朝。
良かったー。
そしてもうひとつの目的は↓
新幹線乗るのなんてほぼ1年ぶり??
あんなに毎月のように新幹線乗ってたのにさ。
写真は新幹線より。だいぶ稲刈りもしたあとだけど稲刈り前の田んぼがキレイ。
今回の目的はまず草刈り。
気温20度曇り空で絶好の草刈り日和。
けっきょくのところ1日目4時間、2日目3時間を草刈りに費やした。
刈っても刈っても終わらない草刈りは途中飽きるけど最後には「やった!」という達成感。
秋の枯れかけた草の匂いが混じった青い草の香りもいい。
暗くなるまで労働したあとの風呂も最高に気持ち良かった!
風呂に入ってさっぱりしたあと途中で買ってきた新鮮なお刺身でひとりごはん。これまた良し。
空き家になった古い大きな実家にひとりでお泊まり、眠れなかったらどうしよう?と思ったけど労働のおかげで横になったらすぐ朝。
良かったー。
そしてもうひとつの目的は↓
「おかえりモネ」きれいごと
2021年9月29日 日常
帰宅して録モネ。
りょーちんのキツイ発言に「ああー言っちまったなあ」と思いつつ「よく言った!」と思う。
りょーちんはキンプリ永瀬廉くん。
ドラマのイケメン枠、くらいに思ってたけどなかなかすばらしい俳優さん!
演技うまい。目に色気がある。
「モネはさ。なんで帰ってきたの?スーちゃんといっしょにそのまま東京いればよかったのに」。
「地元のために働きたかった?・・・ごめん。きれいごとにしか聞こえないわ」。
言ってしまって「ちょっと酔った。マジでごめん」とちゃらけたあとに。
シュッとした冷めた目でモネを見て「・・・悪いけど今はそう思ってる」。
はあああーーー。
りょーちん・・・言っちゃったね。
ドラマの中でみんなが「おかえりモネ!待ってたよ!」となったら「なんだ?これ?」となった。
そうはならなかったところに脚本の妙を見た。
モネが島に戻ったことをおとうさんおかあさんおじいちゃんはどう思ってるのか。
同級生たちはどう思ってるのか。
そこらへん描かれてないから本音がわかんないんだよね。
「モネ帰ってくる!やったーーー!」と100%ウエルカムはモネパパくらい?
モネは菅波先生と結婚する未来があるとしたら地元にずっといる人ではないよね。
みーちゃんの立場になれば。
モネがいなくなってから自分が地元で踏ん張って家族を支えてきたのに「いまさら戻ってくるなんて」。りょーちんともうまく行きそうなのにモネが戻ることでまた2人のバランスがくずれる。
りょーちんの立場になれば。
自分の想いを知りながら拒絶したモネ。「仕事もうまくいき結婚も決まってるのになぜいまさらここに戻る?」。心穏やかではないよね。
同級生たちもモネママもみーちゃんがどんなふうに積み上げて今ここにいるか知ってるからモネが戻ることには複雑な思いがあるだろう。と私は思う。
ここまでの流れだって話がうますぎてずっとモヤモヤ。
「島にいたくない」と勝手に出て行く。仕事も住むところもおまかせでまわりの人々はみんな味方になってくれる。
東京に出て行ったときも仕事も決めずに突撃上京。ちょっとのぞいていたら職場も決まりとんとん拍子でテレビに出る人になり、ここでもみんな味方。
今度は「島に戻りたい」。
そしてまたまたうまいこと正社員扱いのまま地元に戻ってFM局ボランティアのお天気を伝える人に。
2年で結果を出す?は普通に考えれば無理そうだけど。
時は2019年11月。
現実ではこのあとコロナで人々は分断される。
ドラマなんだから、と思えばそう。
朝ドラヒロインはそんなもん。
でも役者さんたちもみんないいし、なじみのある気仙沼でのお話だからついリアリティを求めてしまうんだよな。
それに私自身「故郷を出た人」で「戻りたいけど現実を考えると戻れない人」だからよけいいろいろ考えちゃうんだよね。
決してこの朝ドラが嫌いではなく、毎朝見られる気仙沼の海や人々の風景を楽しんでます。
登米でも東京でもまわりにいる人たちはみんなモネの味方。
ほんとうにいちばん居心地がいいはずの地元に戻って、今モネの周りに味方はいるのか??
今こそモネの正念場。
「地元のために働きたい」。
そうは言っても、モネは何も失わず手に入れたまま戻ってきて自分が満足したらまた都会に戻る人。
地元にいることしか選択できずさまざま失った人からすれば、自分が積み上げてきた生活圏にずかずか入ってこられたくないし「きれいごと」ととられてもしょうがないよなあ。
りょーちんのキツイ発言に「ああー言っちまったなあ」と思いつつ「よく言った!」と思う。
りょーちんはキンプリ永瀬廉くん。
ドラマのイケメン枠、くらいに思ってたけどなかなかすばらしい俳優さん!
演技うまい。目に色気がある。
「モネはさ。なんで帰ってきたの?スーちゃんといっしょにそのまま東京いればよかったのに」。
「地元のために働きたかった?・・・ごめん。きれいごとにしか聞こえないわ」。
言ってしまって「ちょっと酔った。マジでごめん」とちゃらけたあとに。
シュッとした冷めた目でモネを見て「・・・悪いけど今はそう思ってる」。
はあああーーー。
りょーちん・・・言っちゃったね。
ドラマの中でみんなが「おかえりモネ!待ってたよ!」となったら「なんだ?これ?」となった。
そうはならなかったところに脚本の妙を見た。
モネが島に戻ったことをおとうさんおかあさんおじいちゃんはどう思ってるのか。
同級生たちはどう思ってるのか。
そこらへん描かれてないから本音がわかんないんだよね。
「モネ帰ってくる!やったーーー!」と100%ウエルカムはモネパパくらい?
モネは菅波先生と結婚する未来があるとしたら地元にずっといる人ではないよね。
みーちゃんの立場になれば。
モネがいなくなってから自分が地元で踏ん張って家族を支えてきたのに「いまさら戻ってくるなんて」。りょーちんともうまく行きそうなのにモネが戻ることでまた2人のバランスがくずれる。
りょーちんの立場になれば。
自分の想いを知りながら拒絶したモネ。「仕事もうまくいき結婚も決まってるのになぜいまさらここに戻る?」。心穏やかではないよね。
同級生たちもモネママもみーちゃんがどんなふうに積み上げて今ここにいるか知ってるからモネが戻ることには複雑な思いがあるだろう。と私は思う。
ここまでの流れだって話がうますぎてずっとモヤモヤ。
「島にいたくない」と勝手に出て行く。仕事も住むところもおまかせでまわりの人々はみんな味方になってくれる。
東京に出て行ったときも仕事も決めずに突撃上京。ちょっとのぞいていたら職場も決まりとんとん拍子でテレビに出る人になり、ここでもみんな味方。
今度は「島に戻りたい」。
そしてまたまたうまいこと正社員扱いのまま地元に戻ってFM局ボランティアのお天気を伝える人に。
2年で結果を出す?は普通に考えれば無理そうだけど。
時は2019年11月。
現実ではこのあとコロナで人々は分断される。
ドラマなんだから、と思えばそう。
朝ドラヒロインはそんなもん。
でも役者さんたちもみんないいし、なじみのある気仙沼でのお話だからついリアリティを求めてしまうんだよな。
それに私自身「故郷を出た人」で「戻りたいけど現実を考えると戻れない人」だからよけいいろいろ考えちゃうんだよね。
決してこの朝ドラが嫌いではなく、毎朝見られる気仙沼の海や人々の風景を楽しんでます。
登米でも東京でもまわりにいる人たちはみんなモネの味方。
ほんとうにいちばん居心地がいいはずの地元に戻って、今モネの周りに味方はいるのか??
今こそモネの正念場。
「地元のために働きたい」。
そうは言っても、モネは何も失わず手に入れたまま戻ってきて自分が満足したらまた都会に戻る人。
地元にいることしか選択できずさまざま失った人からすれば、自分が積み上げてきた生活圏にずかずか入ってこられたくないし「きれいごと」ととられてもしょうがないよなあ。
「鬼滅の刃 無限列車編」
2021年9月26日 日常
「鬼滅の刃 無限列車編」泣けた・・・。
コロナ禍で映画館では見なかったのでずっと見たかった。
煉獄さあーーーん(泣)!
去年の夏、話題になっていた「鬼滅の刃」をアマプラで初めて見た。
アニメなど子供だましかな?と思ったもののそのクオリティの高さに感心。
美しい日本の風景、和な音楽やテイスト、まっすぐで一生懸命でやさしい炭治郎。
鬼には鬼なりの理由や哀しさがあること。
テンポのいい展開がおもしろくて一気に見た。
流行りものはやっぱりおもしろい。大人が見てもいい。これは人気が出るのも当然。
そこからいろんなアニメにハマり声優さんも知るようになったので、その第一歩は流行ってるから見てみるかな?の「鬼滅の刃」。
「特別編集編」をあらためて見直すと単発で出る鬼や鬼殺隊先輩などにも豪華声優さんが出ていてびっくり。
コレすごいことだよね。
「無限列車編」すばらしく見ごたえがあった!
炭治郎のまっすぐな心の美しさに泣け、煉獄さんから放たれる言葉の熱さに泣けた。
映像と音楽も良かった。
戦いの場面では手に汗握って「がんばれ!がんばれ!」と熱くなった。
まだ幼なかった煉獄少年は病床の母よりこう言葉をかけられる。
「弱き者を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです」。
それを忘れることなく心身ともに鍛錬し鬼殺の柱となる。
猗窩座との対戦に傷つき死ぬ間際に見えた母の幻。
「母上。俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと果たすべきことをまっとうできましたか・・・?」。
はうううーーー(涙)
だめだ。泣くしかない。
まだハタチそこそこで世のため人のため責務をまっとうして死んでいく息子。
あきらめない強くてやさしい心の炭治郎ももちろんいい。
でも「無限列車編」では煉獄さんにやられましたね。
この後もテレビアニメ「無限列車編」「遊郭編」と続く。
うわー楽しみだ!
冬には「進撃の巨人ファイナルシーズン パート2」も始まるし「キングダム」もますます楽しみ!
コロナ禍で映画館では見なかったのでずっと見たかった。
煉獄さあーーーん(泣)!
去年の夏、話題になっていた「鬼滅の刃」をアマプラで初めて見た。
アニメなど子供だましかな?と思ったもののそのクオリティの高さに感心。
美しい日本の風景、和な音楽やテイスト、まっすぐで一生懸命でやさしい炭治郎。
鬼には鬼なりの理由や哀しさがあること。
テンポのいい展開がおもしろくて一気に見た。
流行りものはやっぱりおもしろい。大人が見てもいい。これは人気が出るのも当然。
そこからいろんなアニメにハマり声優さんも知るようになったので、その第一歩は流行ってるから見てみるかな?の「鬼滅の刃」。
「特別編集編」をあらためて見直すと単発で出る鬼や鬼殺隊先輩などにも豪華声優さんが出ていてびっくり。
コレすごいことだよね。
「無限列車編」すばらしく見ごたえがあった!
炭治郎のまっすぐな心の美しさに泣け、煉獄さんから放たれる言葉の熱さに泣けた。
映像と音楽も良かった。
戦いの場面では手に汗握って「がんばれ!がんばれ!」と熱くなった。
まだ幼なかった煉獄少年は病床の母よりこう言葉をかけられる。
「弱き者を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです」。
それを忘れることなく心身ともに鍛錬し鬼殺の柱となる。
猗窩座との対戦に傷つき死ぬ間際に見えた母の幻。
「母上。俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと果たすべきことをまっとうできましたか・・・?」。
はうううーーー(涙)
だめだ。泣くしかない。
まだハタチそこそこで世のため人のため責務をまっとうして死んでいく息子。
あきらめない強くてやさしい心の炭治郎ももちろんいい。
でも「無限列車編」では煉獄さんにやられましたね。
この後もテレビアニメ「無限列車編」「遊郭編」と続く。
うわー楽しみだ!
冬には「進撃の巨人ファイナルシーズン パート2」も始まるし「キングダム」もますます楽しみ!
仕事終わって帰ってからの録モネ。
そして録画しておいた「あさイチ」。
プレミアムトークは「俺たちの菅波」。坂口健太郎さんだよ。
息子と同年齢なんだよね。勝手に親近感。
いつものイケてない菅波チェックシャツじゃないし髪型もオシャレ。笑顔もかわいい。
特に写真2枚目。
録画ここだけ何度も見直してそのたび笑う。
恐竜と海が好きで自分で図鑑を作ろうとしたという話から
華丸「好きな恐竜は?」
坂口「好きな恐竜・・・アンキロサウルスですかね?」
・・・微妙な間・・・
「はあーん」「ほうー?」←スタジオあまりにマニアックでリアクションのしようがない。
妙な間にたまらず一同爆笑!
華丸「聞いといてごめんなさい」「生放送なのですいません」。
ティラノサウルスくらいにしとけばよかったね。
坂口健太郎といえば私は「シグナル」「イノセンス」。
でも初めて「この人すごいかも!」と思ったのは宮部みゆき原作のドラマ「模倣犯」のピースをやったとき。
「模倣犯」は網川浩一という魅力的なカリスマ性のある悪役の存在感が重要。
端正な顔立ちで感情を顔に出さないピース。
原作をワクワクドキドキ読みながら「これはイメージとしては長谷川博己か星野源か?でももうちょっと若いな」と思ってた。
映画版では残念なピースを中居くんがやってたね。
ドラマ「模倣犯」は2016年だから当時まだ坂口健太郎は20代なかば。
さわやかな若手俳優が初めて挑戦する悪役。
ピース坂口。良かった!!!
それ以来坂口健太郎さんは注目。
「おかえりモネ」ではモネは気仙沼へ菅波先生は東京へ。
結局はなればなれか。
島で正社員として仕事を続けられるくだりも「ん?」と思うし、ガチの村社会を知る私には「モネ、島に戻らなくてもいいじゃんよ。登米じゃだめなの?下手するとみーちゃんの今までの島での立場こわすよ?」とか。
「勝手に島を離れたいって出てって今度は帰りたいって?でも菅波先生と結婚するならずっと島にはいられないよね?結局は島の調和を乱して出て行く人だよね?そういう人を島の人は心から受け入れられるのか?」とか。
みーちゃんに「島に戻っていい?」と聞いて「いいに決まってる」となるまでの流れはまず若い2人の繊細な演技に感心。
そして「ええー?いいの?いいって言うしかないだろうけどよくないよね?」とモヤモヤ。ドラマ的にはあれで姉妹の和解?
でもそんなもんじゃないでしょう。自分が存在しなくて絶妙なバランスで成り立っているコミュニティにはそんなに簡単には戻れないよ。
私も「故郷を出た人」なのでモネの行動や「故郷に残るしかない人(みーちゃんやりょーちんたち)」の気持ちなどさまざまフクザツな思いはあります。
現実世界ではさらにこのあとコロナ。離れている人たちは親子でも分断される社会になってしまう。
まあドラマだからハッピーエンドなのでしょうな。
そして録画しておいた「あさイチ」。
プレミアムトークは「俺たちの菅波」。坂口健太郎さんだよ。
息子と同年齢なんだよね。勝手に親近感。
いつものイケてない菅波チェックシャツじゃないし髪型もオシャレ。笑顔もかわいい。
特に写真2枚目。
録画ここだけ何度も見直してそのたび笑う。
恐竜と海が好きで自分で図鑑を作ろうとしたという話から
華丸「好きな恐竜は?」
坂口「好きな恐竜・・・アンキロサウルスですかね?」
・・・微妙な間・・・
「はあーん」「ほうー?」←スタジオあまりにマニアックでリアクションのしようがない。
妙な間にたまらず一同爆笑!
華丸「聞いといてごめんなさい」「生放送なのですいません」。
ティラノサウルスくらいにしとけばよかったね。
坂口健太郎といえば私は「シグナル」「イノセンス」。
でも初めて「この人すごいかも!」と思ったのは宮部みゆき原作のドラマ「模倣犯」のピースをやったとき。
「模倣犯」は網川浩一という魅力的なカリスマ性のある悪役の存在感が重要。
端正な顔立ちで感情を顔に出さないピース。
原作をワクワクドキドキ読みながら「これはイメージとしては長谷川博己か星野源か?でももうちょっと若いな」と思ってた。
映画版では残念なピースを中居くんがやってたね。
ドラマ「模倣犯」は2016年だから当時まだ坂口健太郎は20代なかば。
さわやかな若手俳優が初めて挑戦する悪役。
ピース坂口。良かった!!!
それ以来坂口健太郎さんは注目。
「おかえりモネ」ではモネは気仙沼へ菅波先生は東京へ。
結局はなればなれか。
島で正社員として仕事を続けられるくだりも「ん?」と思うし、ガチの村社会を知る私には「モネ、島に戻らなくてもいいじゃんよ。登米じゃだめなの?下手するとみーちゃんの今までの島での立場こわすよ?」とか。
「勝手に島を離れたいって出てって今度は帰りたいって?でも菅波先生と結婚するならずっと島にはいられないよね?結局は島の調和を乱して出て行く人だよね?そういう人を島の人は心から受け入れられるのか?」とか。
みーちゃんに「島に戻っていい?」と聞いて「いいに決まってる」となるまでの流れはまず若い2人の繊細な演技に感心。
そして「ええー?いいの?いいって言うしかないだろうけどよくないよね?」とモヤモヤ。ドラマ的にはあれで姉妹の和解?
でもそんなもんじゃないでしょう。自分が存在しなくて絶妙なバランスで成り立っているコミュニティにはそんなに簡単には戻れないよ。
私も「故郷を出た人」なのでモネの行動や「故郷に残るしかない人(みーちゃんやりょーちんたち)」の気持ちなどさまざまフクザツな思いはあります。
現実世界ではさらにこのあとコロナ。離れている人たちは親子でも分断される社会になってしまう。
まあドラマだからハッピーエンドなのでしょうな。
ポメ子 術前検査と手術説明
2021年9月17日 日常
ポメ子の心臓術前検査と手術説明。
写真は病院待合室。
検査は血液型とか他の固まりやすさとか血液検査とか。
わんこの血液型は+と−。プラスが多いのでプラスなら輸血しやすいとのこと。ポメ子はプラス。
さんざん調べたり闘病記を読んだりしていたので説明は大体こんな感じ、と。
リスクなどこわいことも説明されて、ここで初めて聞いたら「え?」と思ったかもしれないけど心構えはできていた。
元気だったのに手術のあと亡くなったわんちゃんの体験談も読んでいたので「そうなるかもしれない」こともわかっていた。
手術のビックリ価格もここで初めて知ったら「えーー!?」と思ったかも。
こちらからの質問は3つ。
「わんちゃんが苦手でこわがりなのでホテルに預けたこともない。入院や手術はどうなのか?」
「10歳までの子なら回復ははやいと聞くが年が明けるともう13歳。どうなのか?」
「急変した場合すぐこちらにかけつけられない。遠方の人は泊まっているのか?」。
先生のお話。
「今はみんな大切にお世話されてるのでわんちゃんが苦手な子は多い。
ポメ子ちゃんは怖くて攻撃的になる子ではないのでこちらで工夫してお世話できるのでだいじょうぶ」
「16歳で手術して19歳まで生きた子もいるので年齢でひとくくりにはできない。
犬の平均寿命と手術年齢だけを考えれば迷うのは当然だけど、高齢になってほかの病気が出た場合に心臓が元気であれば対処方法の選択肢が広がる」
「遠方の場合は急変リスクの高い3日ほどホテル滞在していったん帰宅して週末また来るという方もいる」。
遠方というか。
車ならすいてれば1時間ちょっとだけど私は首都高は運転できず。
電車なら片道2時間だな。電車代往復考えたら安いホテルもありかも。
手術日を予約した。
前に「全国から海外からも来るので3ヶ月待ち」と聞いてたので「冬かな」と思ってたらもっと早かった。
コロナで海外からは来れてないのか。
これは「ええ?そんなに早く!」とびっくりしたけどステージCとなってしまったからには早い方がいいのか。
キャンセルが出たら早まるかもしれないので、いよいよかと背筋が伸びる思い。
さしあたっては台風14号。
心臓の悪いわんこには気圧の変化が大敵。
気圧が低くなると酸素が薄くなる。内臓系が内側から圧がかかる。
最悪また肺水腫に。あー・・・。
気圧はどうしようもないもんな。台風はさっさと過ぎて無事で週明けを迎えられますように。
写真は病院待合室。
検査は血液型とか他の固まりやすさとか血液検査とか。
わんこの血液型は+と−。プラスが多いのでプラスなら輸血しやすいとのこと。ポメ子はプラス。
さんざん調べたり闘病記を読んだりしていたので説明は大体こんな感じ、と。
リスクなどこわいことも説明されて、ここで初めて聞いたら「え?」と思ったかもしれないけど心構えはできていた。
元気だったのに手術のあと亡くなったわんちゃんの体験談も読んでいたので「そうなるかもしれない」こともわかっていた。
手術のビックリ価格もここで初めて知ったら「えーー!?」と思ったかも。
こちらからの質問は3つ。
「わんちゃんが苦手でこわがりなのでホテルに預けたこともない。入院や手術はどうなのか?」
「10歳までの子なら回復ははやいと聞くが年が明けるともう13歳。どうなのか?」
「急変した場合すぐこちらにかけつけられない。遠方の人は泊まっているのか?」。
先生のお話。
「今はみんな大切にお世話されてるのでわんちゃんが苦手な子は多い。
ポメ子ちゃんは怖くて攻撃的になる子ではないのでこちらで工夫してお世話できるのでだいじょうぶ」
「16歳で手術して19歳まで生きた子もいるので年齢でひとくくりにはできない。
犬の平均寿命と手術年齢だけを考えれば迷うのは当然だけど、高齢になってほかの病気が出た場合に心臓が元気であれば対処方法の選択肢が広がる」
「遠方の場合は急変リスクの高い3日ほどホテル滞在していったん帰宅して週末また来るという方もいる」。
遠方というか。
車ならすいてれば1時間ちょっとだけど私は首都高は運転できず。
電車なら片道2時間だな。電車代往復考えたら安いホテルもありかも。
手術日を予約した。
前に「全国から海外からも来るので3ヶ月待ち」と聞いてたので「冬かな」と思ってたらもっと早かった。
コロナで海外からは来れてないのか。
これは「ええ?そんなに早く!」とびっくりしたけどステージCとなってしまったからには早い方がいいのか。
キャンセルが出たら早まるかもしれないので、いよいよかと背筋が伸びる思い。
さしあたっては台風14号。
心臓の悪いわんこには気圧の変化が大敵。
気圧が低くなると酸素が薄くなる。内臓系が内側から圧がかかる。
最悪また肺水腫に。あー・・・。
気圧はどうしようもないもんな。台風はさっさと過ぎて無事で週明けを迎えられますように。
「おかえりモネ」と気仙沼
2021年9月12日 日常
朝は時間がないので録モネまとめて見てる。
東京編になってからはあまりにモネに都合が良くコトが運ばれすぎて「んん?」とは思ったけど。
こういう展開に?
モネと菅波先生のあまりの不器用さにおばちゃんキュンキュンしましたよ。
写真1枚め コレにはちょっとやられた。
このアングルがまた。←ねらったよね?
モネに話してるけど画面のこちらの私に菅波砲。
坂口健太郎は好きだけど数々の役の中でも私はそれほどタイプでもない菅波先生。
透明感と不器用さ全開で「#俺たちの菅波」など見るにかなりの方々がハートをわしづかみされてるっぽい。というか「そういうとこだよな笑」と愛でてる?
「先生のお部屋チェック」とか「先生のチェックシャツコレクション」とか細かく見てる方々いて感心。
2人はもうすぐ離れ離れ。
忙しくすれ違いのまま菅波先生は登米に行ってしまう。
このあとモネはどうする?2人はどうなる?
先生に関していえば離れてても別になんでもなさそうだけどね。新幹線なら日帰り圏内だしね。
昨今あまり見ない不器用すぎる恋愛模様がとっても新鮮。
今週のモネの舞台は2019年の3月。
50年の悲願の気仙沼大島(モネの中では亀島)に橋がかかったのは3月29日。
開通したのは4月7日。
気仙沼は実家からいちばん近い海水浴場があったので子どもの頃からよく行っていた。震災後は道も良くなり実家からは国道で1本40分ほど。
現実世界のわれわれも大島に橋が架かるのは心待ちにしていて、その年のGWにはさっそく車を飛ばして大島に渡り海鮮丼を食べてきた。
あんなによく行ってた実家も気仙沼もコロナで行けなくなり、おいしい海の幸からも縁遠くなり。
2021年今年の7月はじめ。
米とみそを実家にとりにいくついでにこっそり行きました。
朝ドラ「おかえりモネ」が始まったら絶対行こうと思ってた。
「あまちゃん」の時は同じ県内なのに県北と県南と離れてて1泊しないと行けないため断念。「モネ」は県は違っても近い。
コロナ禍で感染拡大地域ナンバーは肩身がせまかったけどね。
写真2枚めは大島の港。
震災ですっかりやられて、2019年に橋が開通したばかりのころはあっちもこっちも工事中だったけどこんなにきれいな港に。
写真3枚め しゃれたカフェやお土産屋さん観光案内所ができてた。モネのパネルなども展示。
コロナがなければ朝ドラ効果でもっとたくさんの人が来ていたはず。
「おかえりモネ」の最終回は10月29日。まだ続くね。
モネはじめみーちゃんやりょーちん、若い役者さんたちの繊細な演技に感心。
そして「んーちょっと違うんだけど」とネイティブには多少ムズムズする宮城弁もまあ良き。登米のカフェのはっと汁作りが上手なおばちゃんが唯一まんま地元の言葉。ほんっとなつかしい言葉のひびき。
コロナがおさまってまたおいしい海鮮丼やお寿司を食べに気仙沼に行きたい。
東京編になってからはあまりにモネに都合が良くコトが運ばれすぎて「んん?」とは思ったけど。
こういう展開に?
モネと菅波先生のあまりの不器用さにおばちゃんキュンキュンしましたよ。
写真1枚め コレにはちょっとやられた。
このアングルがまた。←ねらったよね?
モネに話してるけど画面のこちらの私に菅波砲。
坂口健太郎は好きだけど数々の役の中でも私はそれほどタイプでもない菅波先生。
透明感と不器用さ全開で「#俺たちの菅波」など見るにかなりの方々がハートをわしづかみされてるっぽい。というか「そういうとこだよな笑」と愛でてる?
「先生のお部屋チェック」とか「先生のチェックシャツコレクション」とか細かく見てる方々いて感心。
2人はもうすぐ離れ離れ。
忙しくすれ違いのまま菅波先生は登米に行ってしまう。
このあとモネはどうする?2人はどうなる?
先生に関していえば離れてても別になんでもなさそうだけどね。新幹線なら日帰り圏内だしね。
昨今あまり見ない不器用すぎる恋愛模様がとっても新鮮。
今週のモネの舞台は2019年の3月。
50年の悲願の気仙沼大島(モネの中では亀島)に橋がかかったのは3月29日。
開通したのは4月7日。
気仙沼は実家からいちばん近い海水浴場があったので子どもの頃からよく行っていた。震災後は道も良くなり実家からは国道で1本40分ほど。
現実世界のわれわれも大島に橋が架かるのは心待ちにしていて、その年のGWにはさっそく車を飛ばして大島に渡り海鮮丼を食べてきた。
あんなによく行ってた実家も気仙沼もコロナで行けなくなり、おいしい海の幸からも縁遠くなり。
2021年今年の7月はじめ。
米とみそを実家にとりにいくついでにこっそり行きました。
朝ドラ「おかえりモネ」が始まったら絶対行こうと思ってた。
「あまちゃん」の時は同じ県内なのに県北と県南と離れてて1泊しないと行けないため断念。「モネ」は県は違っても近い。
コロナ禍で感染拡大地域ナンバーは肩身がせまかったけどね。
写真2枚めは大島の港。
震災ですっかりやられて、2019年に橋が開通したばかりのころはあっちもこっちも工事中だったけどこんなにきれいな港に。
写真3枚め しゃれたカフェやお土産屋さん観光案内所ができてた。モネのパネルなども展示。
コロナがなければ朝ドラ効果でもっとたくさんの人が来ていたはず。
「おかえりモネ」の最終回は10月29日。まだ続くね。
モネはじめみーちゃんやりょーちん、若い役者さんたちの繊細な演技に感心。
そして「んーちょっと違うんだけど」とネイティブには多少ムズムズする宮城弁もまあ良き。登米のカフェのはっと汁作りが上手なおばちゃんが唯一まんま地元の言葉。ほんっとなつかしい言葉のひびき。
コロナがおさまってまたおいしい海鮮丼やお寿司を食べに気仙沼に行きたい。
ポメ子 心臓専門定期検診
2021年9月9日 日常
心臓専門医へ定期検査に行きました。
写真は待合室でのポメ子。
前回来たとき思った。
「次は9月か。無事に夏を越せるのかな?オリンピックは無事終わってるのかな?」。
夏の暑さはあとちょっとというところで乗り切れず肺水腫を起こしたポメ子。
心臓薬は2.5倍になり利尿剤も追加したおかげでひどいせきもおさまりとりあえず元気に。
レントゲン、エコー、心電図。
今までの経過を見て前回との比較。
あれー?肺水腫起こしたのに前回と数値はそれほど変わってない。
増えた心臓薬と利尿剤でいったん上がった数値も落ち着いたってことなのかな?
とはいえ数値からいえば今回も前回もいつ肺水腫を起こしてもおかしくないレベルだけど。
先生「そんなに数値は変わってませんね」。
「でもよく早く見つけて病院行きましたね。肺水腫は時間との勝負だから早く処置できてほんとに良かったですよ。そのまま入院して酸素室入る子も多いですよ」。
ああーーー良かった。
毎日気をつけて見てたつもりでもダメだった。
前から先生が言っていたように「肺水腫は突然」だった。
夜の間の室温をもっと下げなきゃいけなかった。と反省してたけど先生の言葉で少し救われた。
「早く見つける」も何も、息ができなくてグエーグエーするあんな状態ならみんなヤバいと思うよ。
レントゲンでは肺は水が抜けてすっかりキレイに。
でも「レントゲンではわからないけれど水が入った肺は細胞が傷んでるから」と。
水が抜けなくなるから3回目くらいの肺水腫でアウトってことか。
それとレントゲンで見るとポメ子の心臓は上に大きくなっていたので、気管や動脈を圧迫してあんな苦しい吐くようなせきになってしまったのか。
肺水腫でもせきが出ない子もいるらしいからそれぞれなんだ。
さまざまな闘病記を読んで「肺水腫ってこんな」と頭で少しわかってそなえたつもりでいてもその子によって違う。
「・・肺水腫じゃないよね?違うよね?」という思い込みで病院に行くのを遅らせてしまうところだった。
夏の終わりの肺水腫→病院ですぐみてもらえる→ちょうど涼しくなる→ちょうど心臓専門医の検査の予約日
となかなかにタイミングが良い流れ。ありがたや。
次回は手術の説明を聞きに行くことになった。
写真は待合室でのポメ子。
前回来たとき思った。
「次は9月か。無事に夏を越せるのかな?オリンピックは無事終わってるのかな?」。
夏の暑さはあとちょっとというところで乗り切れず肺水腫を起こしたポメ子。
心臓薬は2.5倍になり利尿剤も追加したおかげでひどいせきもおさまりとりあえず元気に。
レントゲン、エコー、心電図。
今までの経過を見て前回との比較。
あれー?肺水腫起こしたのに前回と数値はそれほど変わってない。
増えた心臓薬と利尿剤でいったん上がった数値も落ち着いたってことなのかな?
とはいえ数値からいえば今回も前回もいつ肺水腫を起こしてもおかしくないレベルだけど。
先生「そんなに数値は変わってませんね」。
「でもよく早く見つけて病院行きましたね。肺水腫は時間との勝負だから早く処置できてほんとに良かったですよ。そのまま入院して酸素室入る子も多いですよ」。
ああーーー良かった。
毎日気をつけて見てたつもりでもダメだった。
前から先生が言っていたように「肺水腫は突然」だった。
夜の間の室温をもっと下げなきゃいけなかった。と反省してたけど先生の言葉で少し救われた。
「早く見つける」も何も、息ができなくてグエーグエーするあんな状態ならみんなヤバいと思うよ。
レントゲンでは肺は水が抜けてすっかりキレイに。
でも「レントゲンではわからないけれど水が入った肺は細胞が傷んでるから」と。
水が抜けなくなるから3回目くらいの肺水腫でアウトってことか。
それとレントゲンで見るとポメ子の心臓は上に大きくなっていたので、気管や動脈を圧迫してあんな苦しい吐くようなせきになってしまったのか。
肺水腫でもせきが出ない子もいるらしいからそれぞれなんだ。
さまざまな闘病記を読んで「肺水腫ってこんな」と頭で少しわかってそなえたつもりでいてもその子によって違う。
「・・肺水腫じゃないよね?違うよね?」という思い込みで病院に行くのを遅らせてしまうところだった。
夏の終わりの肺水腫→病院ですぐみてもらえる→ちょうど涼しくなる→ちょうど心臓専門医の検査の予約日
となかなかにタイミングが良い流れ。ありがたや。
次回は手術の説明を聞きに行くことになった。
ポメ子肺水腫より1週間。
今回はとりあえず無事復活。
といっても3倍に増えた薬でなんとか保っている。
ちょうど涼しくなって良かった!
気をつけていたつもりでもポメ子にはやっぱり暑かったんだな。
肺水腫のあとはちょうど雨続き。
ひさしぶりに外に出てみると。
なに???草の陰に何かこんもりしたものが!
なーんと!!りっぱなキノコ!!
雨続きのときに芝生に茶色いエノキみたいなのがポツポツ生えたことはあったけど。
こんなにりっぱなキノコは初めて見た!!
焼いて出せばシイタケと思うのでは?
ポメ子とのお散歩で毎日外に出ていたらすぐ気がついてこんなには成長しなかったよね。
キノコにすれば肺水腫のおかげ?
調べました。
シバフタケというらしい。
甘みがあるから海外では焼き菓子に入れたりするらしい。
くいしんぼの私としてはめちゃ気になる。
食べてみる勇気はさすがにありません。
3枚目 ちょっと元気になって外に行きたいポメ子
今回はとりあえず無事復活。
といっても3倍に増えた薬でなんとか保っている。
ちょうど涼しくなって良かった!
気をつけていたつもりでもポメ子にはやっぱり暑かったんだな。
肺水腫のあとはちょうど雨続き。
ひさしぶりに外に出てみると。
なに???草の陰に何かこんもりしたものが!
なーんと!!りっぱなキノコ!!
雨続きのときに芝生に茶色いエノキみたいなのがポツポツ生えたことはあったけど。
こんなにりっぱなキノコは初めて見た!!
焼いて出せばシイタケと思うのでは?
ポメ子とのお散歩で毎日外に出ていたらすぐ気がついてこんなには成長しなかったよね。
キノコにすれば肺水腫のおかげ?
調べました。
シバフタケというらしい。
甘みがあるから海外では焼き菓子に入れたりするらしい。
くいしんぼの私としてはめちゃ気になる。
食べてみる勇気はさすがにありません。
3枚目 ちょっと元気になって外に行きたいポメ子
ポメ子 肺水腫その2
2021年9月3日 日常
肺水腫を起こしたポメ子。
病院で酸素マスクをして強心剤と利尿剤の注射。
帰るころには表情もみるみる良くなる。
家に着くと利尿剤のためにうすーーいおしっこをいっぱいしてごはんも食べてうつぶせになって寝始めた。
起きたときにやっぱりせきこんだもののさっきまでの吐くようなせきではない。
夜も良く寝た。
暑い夏のあいだ夜中に必ず起きてハアハアしていたのに朝4時までぐっすり。
良かった。ほんとに良かった。
目の前の危機は脱したか。
せきは出るけど以前と同じくらいまでは復活。
涼しくなったのも助かった。
肺水腫は繰り返す。今回は肺から水が抜けて戻ってきたけど肺の細胞は確実に傷んでいる。3回やったらアウトと前に見た。
薬も増えた。
心臓薬は2.5倍量に。利尿剤も追加。降圧剤も。
利尿剤は飲み続けると腎臓がダメになる。
ちょうど近々心臓専門医の予約がある。あれから3ヶ月たったんだな。
前回の5月の終わりのときに「3ヶ月後に無事に夏を越してここに来られるか?」と思った。
いよいよ手術が視野に入ってきた。
寝て起きるたびにゲーゲーというせきをしないか??とドキドキする。
夜中もだいじょうぶか?せきしないか?と熟睡できない。
それだけ肺水腫の症状は衝撃的だった。
・・息ができてないんだもの。
毎日気をつけてよく見ていたつもりだったのにな。
これといった前兆らしいものは見つけられなかった。
今年の夏の暑さは38度が続いたわけじゃないからいつもの年よりはまだマシだった。
エアコンはつけっぱなしだったけど築33年で全館冷房じゃない。
廊下の方までは効いてなくて夜中暑かったのか。
毎晩夜中に起きてハアハアしてた。
ポメは北方のわんこだからもっと涼しい環境を作らないとダメだったのか。
はあーーー。
肺水腫前までは毎朝5時起きでお散歩に行っていた。
お散歩コースをひとりで通るたびにポメ子との早朝散歩を思う。
玄関を開けると喜んで走り出していくポメ子。
お庭でバッタを見つけて追いかけるポメ子。
「おかあさんついてきてる?」と笑顔でふりかえりながらぴょんぴょん走るポメ子。
散歩めんどくさいなあーいやだなあー行きたくないなあーと思ってたけどふりかえればポメ子との楽しい時間。
元気になってまた行こうね。
写真は肺水腫4日後のポメ子。
病院で酸素マスクをして強心剤と利尿剤の注射。
帰るころには表情もみるみる良くなる。
家に着くと利尿剤のためにうすーーいおしっこをいっぱいしてごはんも食べてうつぶせになって寝始めた。
起きたときにやっぱりせきこんだもののさっきまでの吐くようなせきではない。
夜も良く寝た。
暑い夏のあいだ夜中に必ず起きてハアハアしていたのに朝4時までぐっすり。
良かった。ほんとに良かった。
目の前の危機は脱したか。
せきは出るけど以前と同じくらいまでは復活。
涼しくなったのも助かった。
肺水腫は繰り返す。今回は肺から水が抜けて戻ってきたけど肺の細胞は確実に傷んでいる。3回やったらアウトと前に見た。
薬も増えた。
心臓薬は2.5倍量に。利尿剤も追加。降圧剤も。
利尿剤は飲み続けると腎臓がダメになる。
ちょうど近々心臓専門医の予約がある。あれから3ヶ月たったんだな。
前回の5月の終わりのときに「3ヶ月後に無事に夏を越してここに来られるか?」と思った。
いよいよ手術が視野に入ってきた。
寝て起きるたびにゲーゲーというせきをしないか??とドキドキする。
夜中もだいじょうぶか?せきしないか?と熟睡できない。
それだけ肺水腫の症状は衝撃的だった。
・・息ができてないんだもの。
毎日気をつけてよく見ていたつもりだったのにな。
これといった前兆らしいものは見つけられなかった。
今年の夏の暑さは38度が続いたわけじゃないからいつもの年よりはまだマシだった。
エアコンはつけっぱなしだったけど築33年で全館冷房じゃない。
廊下の方までは効いてなくて夜中暑かったのか。
毎晩夜中に起きてハアハアしてた。
ポメは北方のわんこだからもっと涼しい環境を作らないとダメだったのか。
はあーーー。
肺水腫前までは毎朝5時起きでお散歩に行っていた。
お散歩コースをひとりで通るたびにポメ子との早朝散歩を思う。
玄関を開けると喜んで走り出していくポメ子。
お庭でバッタを見つけて追いかけるポメ子。
「おかあさんついてきてる?」と笑顔でふりかえりながらぴょんぴょん走るポメ子。
散歩めんどくさいなあーいやだなあー行きたくないなあーと思ってたけどふりかえればポメ子との楽しい時間。
元気になってまた行こうね。
写真は肺水腫4日後のポメ子。
ポメ子肺水腫に。
心臓が悪いとわかって2年目の夏。ポメ子12歳半。
僧帽弁閉鎖不全症のわんこは肺水腫を繰り返して亡くなる。
高温多湿な夏を乗り切れるかが勝負、と毎日気温と湿度と呼吸数に気を使っていた。
夏前はのびーっとしたときや寝起きのときにカハッカハッという短いせきが出たくらい。
梅雨明けした7月なかばくらいから湿度も上がって1日に数回せきが出るようになる。
動画を撮ろうとカメラを起動するうちに終わる程度。
8月に入るとせきの回数が多くなる。
でもごはんもよく食べるしお散歩も遊びも変わりなく元気。
「せきだけなんだよなー」と思っていた。疲れやすいということもないし。
今ふりかえると、正常時バイアスが働いて「ううん。そんなことない。こんなに元気だし」と私が信じたかったんだと思う。
安静時の呼吸数は20ならいいけど「30になったら病院に連れてきてください」と言われていた。
ときどき30近いことがあった。でもやっぱり認めたくない自分がいてだいじょうぶと思っていた。
あと2〜3日で暑さがおさまるからもう少し!と思ったその日の夜中。
ポメ子の呼吸がおかしい。
いつものカハッカハッとしたせき、というより吐くようなガーガーグエーグエーという音。
あちこちウロウロしたり床を掘ったり落ち着かない。少しうとうとしたかと思ってもまたグエーグエー。そのうち白い泡状のものを吐くように。
夜中の2時からずっと朝までガーガーが止まらない。
音を聞くだけで私も胸が苦しくなる。
私もポメ子も一睡もせず。夜中の2時から吐くようなせきが続くポメ子。
朝6時ころやっと軽くうとうと。起きたと思ったらまたせきが続く。
それでもチュールで誘うと薬も飲めたしごはんも食べた。
この時点ではこれが肺水腫かどうか私はわからなかった。いろいろな情報によると肺水腫なら呼吸が苦しくて横になることもできずおすわりのまま体全体で息をする、とある。
ごはんも食べられて横になって寝られていたのでちがうのかな?と。
前の日まで元気でなんの予兆もなかったし。
というか今思うと私が肺水腫とは思いたくなかった。
でももし肺水腫なら。
「肺水腫はいったん起きたら時間とともに急速に悪化する。そのまま死ぬことも。待ったなしで病院へ」「かかりつけがお休みならどこでもいいから受けてくれるところへ」といろいろなところで見ていた。
ところがこの日、いつもの病院は予約診療のみの日。予約されている時間しか人がいなくて電話つながらないかも。
朝9時が待ち遠しく、祈るような気持ちで電話する。
電話つながる!
「きょうの予約はいっぱいです。それに午前中は先生は急なオペでいません」と受付のおねえさん。
「せきが止まらなくて肺水腫かも。こういうときはすぐ病院へ、って先生言ってました」とくいさがる。
いったん「先生に聞いてみます」と切ったあと折り返し電話。
「午後4時から予約診療始まるので午後3:20ころ来てください」。
ああー良かった!!助かった!!
先生ありがとう。時間外にもうしわけない。
今年最後の暑い暑い日。
あと1日2日すれば気温が下がったのに。
あと少しで夏を乗り切れたのに。
レントゲン。酸素マスク。強心剤の注射。利尿剤の注射。
レントゲンに映る肥大した心臓。心臓に圧迫されている気管。肺の白い影。
「肺水腫ですね」。
ああーやっぱりこれが肺水腫か。
ネット情報や数々の体験記、動画などで見ていた「僧帽弁閉鎖不全症が進んだ状態の肺水腫」。
それがついにポメ子にも起きたんだ。
続きます。
ポメ子肺水腫に。
心臓が悪いとわかって2年目の夏。ポメ子12歳半。
僧帽弁閉鎖不全症のわんこは肺水腫を繰り返して亡くなる。
高温多湿な夏を乗り切れるかが勝負、と毎日気温と湿度と呼吸数に気を使っていた。
夏前はのびーっとしたときや寝起きのときにカハッカハッという短いせきが出たくらい。
梅雨明けした7月なかばくらいから湿度も上がって1日に数回せきが出るようになる。
動画を撮ろうとカメラを起動するうちに終わる程度。
8月に入るとせきの回数が多くなる。
でもごはんもよく食べるしお散歩も遊びも変わりなく元気。
「せきだけなんだよなー」と思っていた。疲れやすいということもないし。
今ふりかえると、正常時バイアスが働いて「ううん。そんなことない。こんなに元気だし」と私が信じたかったんだと思う。
安静時の呼吸数は20ならいいけど「30になったら病院に連れてきてください」と言われていた。
ときどき30近いことがあった。でもやっぱり認めたくない自分がいてだいじょうぶと思っていた。
あと2〜3日で暑さがおさまるからもう少し!と思ったその日の夜中。
ポメ子の呼吸がおかしい。
いつものカハッカハッとしたせき、というより吐くようなガーガーグエーグエーという音。
あちこちウロウロしたり床を掘ったり落ち着かない。少しうとうとしたかと思ってもまたグエーグエー。そのうち白い泡状のものを吐くように。
夜中の2時からずっと朝までガーガーが止まらない。
音を聞くだけで私も胸が苦しくなる。
私もポメ子も一睡もせず。夜中の2時から吐くようなせきが続くポメ子。
朝6時ころやっと軽くうとうと。起きたと思ったらまたせきが続く。
それでもチュールで誘うと薬も飲めたしごはんも食べた。
この時点ではこれが肺水腫かどうか私はわからなかった。いろいろな情報によると肺水腫なら呼吸が苦しくて横になることもできずおすわりのまま体全体で息をする、とある。
ごはんも食べられて横になって寝られていたのでちがうのかな?と。
前の日まで元気でなんの予兆もなかったし。
というか今思うと私が肺水腫とは思いたくなかった。
でももし肺水腫なら。
「肺水腫はいったん起きたら時間とともに急速に悪化する。そのまま死ぬことも。待ったなしで病院へ」「かかりつけがお休みならどこでもいいから受けてくれるところへ」といろいろなところで見ていた。
ところがこの日、いつもの病院は予約診療のみの日。予約されている時間しか人がいなくて電話つながらないかも。
朝9時が待ち遠しく、祈るような気持ちで電話する。
電話つながる!
「きょうの予約はいっぱいです。それに午前中は先生は急なオペでいません」と受付のおねえさん。
「せきが止まらなくて肺水腫かも。こういうときはすぐ病院へ、って先生言ってました」とくいさがる。
いったん「先生に聞いてみます」と切ったあと折り返し電話。
「午後4時から予約診療始まるので午後3:20ころ来てください」。
ああー良かった!!助かった!!
先生ありがとう。時間外にもうしわけない。
今年最後の暑い暑い日。
あと1日2日すれば気温が下がったのに。
あと少しで夏を乗り切れたのに。
レントゲン。酸素マスク。強心剤の注射。利尿剤の注射。
レントゲンに映る肥大した心臓。心臓に圧迫されている気管。肺の白い影。
「肺水腫ですね」。
ああーやっぱりこれが肺水腫か。
ネット情報や数々の体験記、動画などで見ていた「僧帽弁閉鎖不全症が進んだ状態の肺水腫」。
それがついにポメ子にも起きたんだ。
続きます。