「進撃の巨人」

2021年4月8日 日常
「進撃の巨人」
「進撃の巨人」の連載がいよいよ最終回だそう。
私はアニメで見ているしストーリーはそっちでしか見ないようにしている。アニメはまだ終わらない。ファイナルシーズンが半分終わって残りはこの冬らしい。

息子がいたときはコミックスが出るたびに買ってくるのを楽しみに待って読んだもんだが、そのうちにヤツは電子書籍になって見られなくなり。
忙しさに紛れてアニメも途中で離脱してしまっていた。

アニメの「ファイナルシーズン」が冬に始まったので自分なりの10年の進撃歴史をシメなければ。と見始めたのだが。

ええー???何コレ全くついていけない!!
これだれ?何?どうなったの?エレンは?ミカサは?アルミンは?
時系列は?ほんとに「進撃の巨人」?あの続きなの??
とまったくもっておいてけぼり。
オープニングのテーマ曲も今までみたいなカッコよくて鳥肌が立つ感じでもないし。

それで離脱しかけたが・・・。

YouTubeの解説サイトが充実しているのでかなり助けられました。ほう!なるほど!そういうことか!!の連続。
そしてやっぱりもととなるアニメをちゃんと続けて見ていないのでは全くお話にならないので見ました。アニメシーズン1からシーズン3、放送中のファイナルまで。アマゾンプライムさんありがとう!!
すばらしい時代になったよね(涙)。

シーズン3のところはまるまる知らないストーリーだった。
そしてシーズン3こそがめっちゃおもしろかった!!
鎧の巨人×超大型巨人×獣の巨人バトル、からのエルヴィンの死とアルミンの巨人継承そして地下室へ、あたりなんぞは超胸熱で「to be continued」が出るたびに「うああーーっ!!」となった。
夜もふけてから見始めて寝たのは2時3時となったのも何度もあり。あれー?ゲームにハマってたころの自分みたい。
そして初めから全部見直したことでの気づきもいっぱい!

そうやってストーリーやら数々の疑問やらを知ったうえで「ファイナル」に戻ると
そりゃーわかるわけないよ、と。
いやずっと続けて見ててもわからなかったかも?ファイナルは突然の4年後でしかもパラディ島の壁の中の話じゃないもんな。
おいてけぼりもあたりまえ。
あれで「ついていけないや」とあきらめなくて良かった。こーんなに深い興味深い世界が広がっていたとはね。

それにしても作者の諫山先生は初めからここまでのストーリーを考えていたのだろうか。連載始まったころはまだ新人で絵も下手だったはず。

思い出すのは、自分の中では神ドラマに位置付けられている「重版出来!」。
新人編集者黒木華の漫画編集部のお話。泣けるエピソードが毎回あって漫画業界のお話も興味深かった。
その中での永山えいと演じる新人漫画家。絵は下手だがあふれ出るその才能を世に出せるよう新人編集者黒木華が励ましアドバイスをして面倒をみる。

そのドラマを見たとき「あ。これは進撃の巨人!」と。
「進撃の巨人」の諫山先生も絵が下手すぎて持ち込みしても軒並み断られたそう。
それでもマガジン編集部に配属されて1ヶ月目の新人編集者さんが他とは格段に違う熱量を見抜いてタッグを組んだのは有名な話。

YouTubeの検証動画などさまざま見るとどうやら「進撃の巨人」は初めからここまでのストーリーは考えられていたらしい。
第一回のタイトルが「二千年後の君へ」で最終回のタイトルは「二千年前の君から」だそう。十年越しの伏線回収らしい!
はあーーーすごすぎる!
とにかく知れば知るほど「へえー!」とか「はあー!」とか。
アニメの立体起動はめっちゃカッコいいし、アニメのオープニングテーマもカッコよすぎる。
ファイナルをあきらめなかったことで見えてくるものもたくさんあり、同じ出来事でも視点が違えばこんなに違う世界になると感心。

原作の漫画ではストーリーが進んでここからがまた胸熱展開らしい。
ネットでうっかりネタバレ情報を拾ってしまうことも毎度のこと。それにしても調べれば調べるほど興味深い情報が出てから出てくる。
関連動画もたくさんあって声優さんたちのイベントとか見るものが尽きることはなくほんっと楽しい。

ついでに当時酷評された映画「進撃の巨人」前後編もアマプラで見た。
これは・・。
たしかに「進撃の巨人の実写化」と期待すると「ちがーう!!」とテーブルをたたくところ。でも全くの別物としてみれば悪くはない。三浦春馬と長谷川博己が超かっこいい。
私の中では実写化エレンはやっぱり三浦春馬のほかにはいないな。アルミンはジャニーズ伊野尾くんでやってほしかった。

アニメではエレンのめっちゃシブい「来いよ・・・ライナー」で「to be continued」。うあああああーーどうなる?どうなるっっ!!
この先最終回に向けて数々の謎の解明や伏線回収がある。
ネタバレ情報を拾わないように。←あしたの最終回で怒涛のネタバレがつぶやかれると思うが。
そしてせっかくおさらいしたシーズン1〜3+ファイナル半分までの展開と興奮を忘れないように冬のアニメ再開まで待つ!!!
ポメ子とお花見散歩
ポメ子とお花見散歩
ポメ子とお花見散歩
令和3年の桜も終わり。
きょうあたりはハラハラと舞う桜吹雪が美しい。落ちた桜の花びらでピンクのじゅうたんを敷いたよう。
濃いピンクの八重桜やハナミズキも咲き始めて日々緑が濃くなる。

ポメ子といっぱい桜を見に行けた。
というかポメ子は桜なんかどうでもいいんだけどね。
いつもの散歩コースと違って桜と陽気に誘われてたくさんのわんちゃんたちや小さい子たちがいる。ポメ子は警戒して耳が寄ってお散歩どころではなくなる。
でもいいんだ。ポメ子がいなければこんなに何度も桜を見ることもないと思うから。

娘夫婦が来ていた日はいっしょにお花見散歩へ。
ポメ子もおかあさんとだけ行くよりテンション上がってめっちゃうれしそう。
息をはずませて満面の笑み。
私ひとりでは「ポメ子と桜」もなかなかうまく撮れなくて毎年ブレブレ写真に。今回はいいカメラで撮ってもらってポメ子の毛並みもふわふわキラキラ。
春爛漫の上着もいらないポカポカ陽気にポメ子とお花見散歩。ほんとにいい季節になった。

最強開運日

2021年3月31日 日常
きょうは2021年でいちばん縁起の良い最強開運日だそう。
一粒万倍日と天赦日と寅の日が重なっている。
「一粒万倍」とは一粒の籾が万倍に実る稲穂になる。何事を始めるのにも良い日。
「天赦日」とは天が全てを許すという最上の吉日。なにをやってもうまくいく。
「寅の日」は金運と旅行運をもたらしてくれる日。
しかも友引。

都内の桜は終わりかけではらはらと花吹雪。
ぽかぽかと暖かくさわやかな風が吹いてまだ3月なことを忘れそう。
つづきはひみつで↓

心のよりどころ

2021年3月24日 日常
「3月末に実家を売ることにした」と妹から電話があった。

という夢を見た。
夢の中で私は「なんでよ!一言の相談もなく!!」「いくらそっちにまかせてるって言ってもどうして勝手に!!」と妹に対して声を荒げていた。

今まで妹に対してどんなにムカムカすることを言われてもぐっとこらえて言い返したことはない。
ケンカしたら私が勝つ自信はあるけど、妹は感情にまかせて言い返してきてめんどうなことになる。妹ともめることは実家とも故郷とも縁を切ること。
おおげさではなくてその覚悟がないと言い返せない。

実際のところ。
田舎なので売りたくても買い手がつかないのが現実だろう。今後負の遺産になるのは目に見えている。だからニ束三文でも「売れた」となればよく考えれば喜ばしいことなのかも。

それでも夢のように突然勝手に売却されたとなれば「なんでよ!」ともなるよね。
地元にいる妹にとってはどうでもいいことと思うが、私にとっては「実家がなくなる=故郷がなくなる」ってこと。心のよりどころがなくなること。

コロナがこんなことになって次回いつ実家に行けるかわからない。
行けば環境整備とかやることはあるけどだれもいない実家に行く気にもならない。
それでもこの空の向こうに「帰れる故郷と実家がある」のは何もなくなったのとは違う。実家が売却されてなくなったら根無草のように心もとない気持ちになると思う。

去年最後に行ったときに「次に行くときは年末年始かな。真冬で寒いだろう」とファンヒーターの灯油も満タンにして電気毛布も敷いてきたのに、季節は進んでゆく。

ワクチン打てるまでもう少しの我慢と思ってたけど、変異株など広がって先が見えない。
変異株が広がって気候も良くなり人も多く出てこれからますます感染拡大が?これじゃいつになっても実家に行けないなと思っていたからこんな夢を見たのかも。

そしてもうひとつこのダイアリーノートがなくなる?と思ったのもある。
「今まで書いた10何年分の記録が消えるのは困る」とだけ思ってた。でも書くこともできなくなるってこと。
ふだんから熱心に書いてなかったからすぐには思いがいかなかったけど。
いざ「書く場所がなくなる」と考えたら、実家がなくなるのと同じく、気持ちの持って行き場がなくなるということだな、と。

ここは「日記」だからこうしてただダラダラと自分のことを書いていい場所。
アメブロもツィッターもインスタもあるけど(書いてないけど)SNSは短く有用な情報を書くところかな?と思う。
今までここで書いてきたような実家のことや個人的な気持ちの動きを書く感じでもないかなあ。
だいたいSNSの長文なんて読んでられないしね。

書くことで気持ちが吐き出せる。整理される。客観的に見ることができる。
文字化することで感情が整う。
ここ何年かここで書くことで救われたことは多い。母が亡くなったとき。娘が独立したとき。大人になった子供たちとの気持ちのすれ違い。実家への思い。妹とのあつれき。ポメ子の病気。などなど。

今後、父やポメ子とのお別れがあるだろう。
そのとき心の中で渦巻いている思いを文字化することでどれだけ救われるだろうか。故郷や実家と同じくここも心のよりどころ。なくなってほしくない。

「キンキーブーツ」
「キンキーブーツ」
期間限定上映のブロードウェイミュージカル「キンキーブーツ」見ました。
もーーう最高!!!歌と踊りに圧倒!
ワクワク!楽しい!笑える!ハッピー!!

「キンキー」は「風変わりな」とか「変態な」という意味なんだと。エロい意味らしい。
ドラァグクイーンたちが履いている15センチピンヒールひざ上までのキラキラブーツ。
倒産寸前の靴工場がドラァグクイーンたちのためのブーツを作って起死回生という実話をベースにしたミュージカル。

ローラ役のマット・ヘンリー。
初見の俳優さんだけどばっちり決まったドラァグクイーンぶりがすごい!メイクとドレス姿のオーラが違う。あんなピンヒールブーツで踊るっていうんだから。普通のサイモンに戻ったときの落差ね。だれ?別人?ってくらい。
ローラを囲むエンジェルスたち。このおねえさまたちもオトコのコだよね?スタイル良くてセクシーでステキ!
もうとにかく楽しい楽しい。「ロッキー」みたいなボクシングシーンも良かった。

日本版ミュージカルは三浦春馬と小池徹平で2016年と2019年に上演。歌ウマのソニンも出演。
どちらもうっかりしているうちにチケットを取り逃がし「次こそ絶対見る!」と思っていた。
ゲネプロやら何やら細切れの映像を何度もYouTubeで見ていたし去年の秋に発表された特別映像も見た。
つながったストーリーをもう見ることはないのだな・・・と思っていた。

そこへ「2021年3月ブロードウェイミュージカルキンキーブーツ」上映の情報!
コロナで映画館から遠ざかっていたけどこれは絶対見る!と楽しみにしていた。
いや結局時間の都合で「シン・エヴァ」を先に見ちゃったけどね。

こんなストーリーだったんだあー!とやっとつながりました。
ここでも父と息子の葛藤が。これって永遠のテーマなんだな。
頭の中ではときどき春馬と徹平に脳内変換。
どうしてドラァグクイーンのローラがムキムキなのか、どうして徹平がスーツに下着姿で真っ赤なキンキーブーツだったのか、YouTubeの細切れ映像ではわからなかったところが補完されました。

上演されたミュージカルを映像化したものなので、最後の場面はスタンディングオベーションで楽しそうに声援を送ったり踊ったりする観客たちの姿も。
きっと日本での舞台のときも客席も一体で踊って楽しかっただろうなあ。
コロナ禍の映画館、静かに見てるしかないんだけどワクワク楽しくてついつい足先はリズム。せめて拍手したかったよ。

こんなに楽しいミュージカル映画、期間限定なんて残念すぎる。もっとみんなに見てもらいたいと思う。家ですぐ見られるアマゾンプライムもいいけれど大画面大音量はやっぱりいいね。
春馬ローラの日本版も映画やDVDは無理でもせめて配信とかしてもらえればいいのになあ。



「シン・エヴァンゲリオン劇場版」
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」
ほぼ1年ぶりの映画。映画館。
いやっほーい!
写真2枚目みんなに配られるアスカのパンフ。んー私はカヲルくんなら良かったな。
平日朝イチ回だけど最前ブロックのぞいてほぼ満席。みんなお仕事は??

去年の秋くらいからアマゾンプライムでアニメをけっこう見るようになり「鬼滅の刃」「進撃の巨人」「約束のネバーランド」などなど見た。
次は「呪術廻戦」だなと思っているところで「シンエヴァ」公開の情報。金ローでも「エヴァンゲリオン劇場版」序・破・Qとやったので見た。
この3作は前も見たが専門用語が難しくて世界観も難解すぎる。ちょいちょいはさまれるオタク好みの裸シーンが「うーん?」「14歳でこのボディラインってありえないんだけど」でいい感じもしなくて以前はそれっきり。

今回「序・破・Q」3作、ネットで数々の疑問を調べYouTubeの考察動画で検証し、「シンエヴァ」に臨みました。
「にわか」なのでエヴァとの歴史は全くなくて申しわけないです。

以下ネタバレありです。



終劇後。よくキレイに完結させたなあとしみじみ。でもやっぱりエヴァはエヴァだから難しい。そういうの含めてエヴァなんだろう。
シンジによるレイ、アスカ、カヲルの救済。ゲンドウの独白。母としてのミサトさんのくだり。胸にせまるものがあり泣けた。
平たく言えば私もオタクでありゲンドウやアスカと同じだった。
子どものころから空想の世界に入るのが好きで、大人になっても傷付くことを恐れて他者との深いコミュニケーションが苦手。

「エヴァ」というのは「閉じた内的世界」の象徴なのかな。
ストーリー内で語られる言葉「私はエヴァに乗るしかないの」「エヴァに乗れば認めてもらえる」「エヴァにさえ乗れれば他の人と関わる必要性はない」「エヴァに乗らなくていい人生もある」だったかなんだったか、うろ覚えですみませんが、「エヴァ」とは「自分の中の閉じた世界」と考えると腑に落ちる部分がある。
「エヴァの呪縛」が歳をとらないということも。

「エヴァに乗らなくていい人生」を表しているのはストーリー前半の第3村の描写なのだろう。
土や水に触れて太陽の光を浴び汗水たらして助け合って労働する。その中で人々は老若男女ふれあい人として精神的に成長していく。クローン綾波がひとつずつ人としての気持ちを覚えていったように。
他者との関わりを拒否して自分の世界に閉じこもるだけではいくらその内的世界を充実させたとしても精神的には成長することはない、と。
自分と照らし合わせてああーーー・・・と思った。

「シン・エヴァ」は「さらばすべてのエヴァンゲリオン」。
庵野監督からの「もうエヴァは終わらせたよ。みんなもエヴァから卒業して地に足つけて外の世界を見て生きていってね」というメッセージと読めるよね。

エヴァは25年の歴史で「これで青春が終わった」と思うファンが多いそうだが、私の場合は「スター・ウォーズ」。
16歳で出会ったスターウォーズと人生のほぼ半分を並走してスターウォーズが終わってしまうと思ったときは喪失感があった。
「伝説は完結する」え?うそ!って。40年間も「フォースとともに」あったのに。

とはいえ。
魂をディズニーに売り渡した「スターウォーズ」側が私の思う「スターウォーズ」ではないものにシフトチェンジしたおかげで「こんなの私のスターウォーズじゃない!」「でも世の中の流れはこういうことなんだな」とあきらめて受け入れるしかなかった。
エピソード8のような「思うスターウォーズ」ではない「スターウォーズ」や数々のスピンオフを見せられてなんか違う感を抱いたりした。
最終的に最後のエピソード9の監督のおかげでスターウォーズもまあまあなところに着地できて良かったけれど。

「エヴァ」は庵野監督の手でキレイに完結したし、庵野くんはもう「エヴァ」はやらないから「コレジャナイ感漂うエヴァ」は見なくてすむ、となれば良いのかなあとも思う。

そして、ストーリー中のこの言葉。
「息子が父親にできることは肩を叩くことか殺すことしかない」。
「肩を叩く」はとうさんお肩をたたきましょ♪のねぎらいではなく引退勧告の意味と受け止めたけどあってるのかな。
この言葉は「ああ」と刺さると同時に「男って不器用だな。そうしないと成長できないってことか。いつまでも庇護される息子のままでは人間としては進めないんだ」と。(あくまでも息子対父親の場合)

「父親殺し」はスターウォーズでもそうだった。こちらは精神的父親殺しではなく実際に殺したんだけどね。ルークはアナキンを殺しカイロ・レンはハン・ソロを殺した。
シンジはそうはしなかった。妻ユイの愛情が息子シンジにいってしまったことを嫉妬して息子を遠ざけ、ユイを取り戻すためならシンジも全人類も犠牲にする考えのゲンドウ。
そんないつまでも大人になれないゲンドウの不完全さを受け止めるシンジ。←ここどう描かれてたか機会があればもう一度よく見たい。
シンジはエヴァの呪縛から解放されて大人になった。落ち着くところに落ち着いてハッピーエンド?と言えるのかな。

ラストシーン。
大人になったシンジとマリが宇部新川駅(庵野くんの故郷なんだって)のホームにいる場面。
電車を降りて2人手をつないで歩いていく。成長したシンジもいっぱしの口聞いたりして笑。
え?シンジ、マリとカップリング?と意外に思ったけど、レイやアスカはクローンなので、オタク卒業のためのカップリングとしてはマリが正解か。

マリはエヴァの呪縛によって見た目は若いけどゲンドウとユイくらいの年のはずだよね?
マリの歌う歌も「世界は2人のために」とか「ひとりじゃないの」とかだしちょいちょい出てくる言葉のセンスが昭和40年代。ゲンドウというよりむしろ私や庵野くん世代(アラカン)。
呪縛からとけてポン!とおばちゃんの姿にはならないんだろうか笑

記録消える?

2021年3月10日 日常
え?
ここなくなるの?
リンクの方々の日記を読むとそんなことが書いてある。
新規受付はしないけど急に閉じたりはしないよね?
なんだかんだ長く書いてるので書いたものが消えるのは困るよ。

ここは写真が思ったように載らないのがストレスで別のところに書いた時期がある。
でも私の目的は「記録」なので「いいね」とか「コメント」とか毎日となるとめんどくさいと思う。
現在は「めんどくさい」の前に「目が疲れてそんなに読めない」し。

人とのつながりがゆるいここに戻ってきていた。
今でこそここもコメント欄があるけど前は「秘密日記」の交流のみ。それで良かったのに。
自分が書きたいことを書いて読みたいものを読んで。コメントは書きたければ書けばいいし毎度書かなくていい。それがここのいいところだった。
だからまた別のところにいっていいねとかに追われるのもイヤだと思う。

子育てのころからずっとつながっている人たちの日記は更新されれば読みたい。同じ時代を過ごしてきた人たちの生き方は参考にしたい。

ここに書けるうちは書くけどほかに書くとしたらこちらなので貼っておきますね。
2年放置してたけど無事だったらしい。
https://ameblo.jp/calendula29/

ポメ子通院

2021年3月6日 日常
ポメ子通院
ポメ子通院
2日連続でポメ子通院。
カード払いなので実感は薄いけど、この2日で諭吉が7人も飛んでいった。わずかなパート代なんぞあっという間だよ(泣)

1日目は心臓専門病院の定期検診。
心臓のエコーやレントゲン、心電図などとる。毎回諭吉4人が羽ばたいてゆく。
ここのところ数値が良くなかったので1か月半に一度の間隔になっていた。行くたびに「数値的にはいつどうなってもおかしくない。外科的治療(手術)も視野に入れて」など言われて毎度帰るときに沈んだ気持ちになる。
あきらかに調子悪そうならともかく普通に元気なのに?と聞くと、先生困ったように「うーん。心臓悪いワンちゃんは突然なんですよ」と。そうなんだよね。ネットで闘病記など読むとそんな感じ。

ポメ子の心臓が悪いのがわかって2年になる。僧帽弁閉鎖不全症。
心臓薬2種類飲んでいる。強心剤と降圧剤。そのおかげで元気でいられるのかどうなのか。それだって「効き目があるのは飲み始めてから500日」らしく、この3月で500日になる。

今回もまた帰るとき悲しい気持ちになるんだろうなーと病院でポメ子を預ける。
なんと!数値がちょっとだけ良くなってる!!
心臓の僧帽弁がきちんと閉まらなくて逆流することで心臓が肥大する病気なので進む一方で良くなることはない。それでも今回は心臓の肥大がミリの単位で少なかったので「次回は3か月後で」と。
治ったわけではない。でも懐具合含めてものすごーくうれしい!
ポメ子は北方の犬だから今年みたいな寒い冬は過ごしやすかったのかも。

心臓の悪い子には気温と湿度の高い夏がダメ。ハアハアするとよけい負担がかかる。連休あたりにはもうかなり気温も上がるから、次回の専門医予約の5月末まで「え?ほんとにそれまでだいじょうぶなの?」とも思うけど。
どうせダメだよね。いよいよ手術?と思ってたので、とにかく良かった!安心した!その夜はぐっすり眠れた。こんなに気持ちが軽くなるとは。

で。2日目はかかりつけ医に。2月で12歳になったポメ子。毎年春先に健康診断をしてもらっている。
血液検査と目と耳と歯のチェック。血液の結果は後日だけどその他は特に異常なし。耳も目も歯もそれなりの老化だけどだいじょうぶ、と。私にはきゅっと口を結んで歯なんて見せてくれないのにあれれ?塩顔のイケメン先生の前ではパカっと口開けてる!なんということ。

定期検診などやらなければ病気も見つからないんだろうけどな。
真面目に検診などやって病気が見つかって、見つかったら放っておくことはできないので治療する流れになる。
客観的にみれば「12歳でしょ?長生きしたよね?もういいんじゃない?」と思うだろう。

コロナ生活になって1年。以前と大きな違いは出かけなくなったこと、人に会わなくなったことかな。
私が入院でもすることになったらポメ子はどうなる?と思えばコロナなど絶対うつるわけにはいかない。
家にいるのでポメ子との時間は増える。
いっしょに寝て起きて食べて。ポメ子がいるから1日が人間らしく正しくまわっている。
逆にいえばポメ子がいなくなったら何のために生きてるのか?って思うだろう。ポメ子の病院代のためと思って働いているから勤労意欲も持てるし。

寝ても起きてもいつもそばにいるフワフワのあたたかいぬくもり。家の中ではどこにでもついてくる。ごはんもおやつも犬の監視のもとで(笑)
犬と暮らす幸せは何にも変えられず、世の中にこんな幸せがあったのかとしみじみ思う。かわいくていとしい存在。

自分の年齢と犬の余命を比べると「次」はない。
お世話できるかという体力的にもだし金銭的にも。今ならポメ子の心臓手術の費用(いい軽自動車買うくらい)もなんとかするけど、自分がもっと歳をとってからのもう1匹分の医療費はムリ。
金銭的に何もしてあげられないという思いを持つくらいならやっぱり「次」はないよね。

私が小学生〜高校生のころ実家には犬がいた。
そのころはそれで当たり前だけど寒い北国で外飼い。ポメ子みたいにシャンプーもブラッシングもなし。狂犬病の注射はしたがワクチンなどしなかったと思う。
亡くなったのは8歳くらいだった。見た目はすっかり老犬だった。
小学生のときはともかく中高生の私は自分のことで忙しく犬のことまで手が回らなかった。
今になってポメ子をかわいがるたびに「チビに悪いことした」とキューっと胸が締めつけられる。チビもおねえちゃん(私)と遊びたかっただろう。なでられたかっただろう。かわいがられたかっただろう。
考えれば強い後悔の思いで胸が苦しくなる。

ポメ子の心臓が悪いとわかってからは「最後の桜か」「最後のお誕生日か」などなど「ポメ子との来年はないかも?」と常に思う。
「あのときああしておけば」と後悔することのないように過ごしたい。
今年の桜は開花が早いらしい。ポメ子といっしょに今年も満開の桜を見よう。何回も見に行こう。

3月になりました

2021年2月28日 日常
3月になりました
コロナ1年が過ぎた。
1年前はこんな不便な生活は2〜3ヶ月のガマンかと思ったがこれが日常になってしまった。
ありがたいことに仕事は変わらずあるので、散歩行って仕事行って散歩行って家事やって毎日が淡々と過ぎる。

今年の冬はいつもより寒い。
築30年超で日当たりが悪くなったうちのリビングは足元からしんしんと冷える。
岩手で買った裏起毛の靴下カバーが大活躍。ここらでは売ってないんだよね。

空き家になった実家はどうなったもんだか。
いつもなら雪が積もっても5センチ程度の実家あたりも今年は特別。妹から「一晩で30センチ!」などと大雪写真が何度か送られてきた。
大雪のニュースを見るたびに「じいちゃんは施設にいてよかった」とほっとした。そのときはええー?と思ったことでも何が幸いになるかはわからないもんだ。
大雪、凍結、コロナで一人暮らしだったらこの冬は越せてないだろう。

実家は古い大きい昔の家なので暖房しても寒い。
エアコンは天井の高い大きい部屋を温めきれないしファンヒーターは毎日灯油補充しないといけない。
夜中にトイレに起きて転んでそのままとか、普段の冬ならそれほど必要ない雪かきを毎日して足腰痛めてとか、考えれば心配でキリがなかったと思う。

そのうえ雪の重みで断線で停電。
1月の末に妹から連絡。
「(実家に)行ってみたら停電してたんだよ!電線に雪が積もって断線して!」。ええっ!!
「水道管も破裂」えええっ!!
水道管には電気が流れるようになってて凍らないはずだったのに雪の重みで断線。
「雨どいも屋根の凍った雪が落ちて壊れた。トイレの換気の煙突みたいなのも」。
ええーこんな被害の出る大雪は初めてなのでは。

停電して電気もなくてお湯も水も出なくて父ひとりならどうなっていたか。停電に気づいてもどうしたらいいかわからなくてどうにもできなかったかも。最悪ダメだったかも。
本格的な冬の前の11月末に入所できてほんとに良かった。

そうはいってもすぐ近所にいる妹も施設は面会禁止。
妹には父からしょっちゅうグチの電話が行くらしく「閉じ込められててやることがない」「家が心配だから行きたい」「いつまでこんなところにいなきゃいけないんだ」など同じことの繰り返しらしい。
そりゃそうだろう。父の気持ちはわかる。
妹も「こんなのは本来は自分の役割じゃない。おねえちゃんがやること」と思うところがあるから現在の状況や父の言動にイラついている。これもわかる。

でもコロナ禍において「感染拡大地域の人」である私はまったくもって実家県では歓迎されない。警戒されていて「行かないほうがいいんだな」という空気をビシビシ感じる。
いつも気軽に行けてた故郷はずっと遠いところになってしまった。

先日初めて「オンライン面会」をしてみた。入所説明のときも特に言われなかったし妹もできるって知らなかった、と。
半年ぶりに見た父は頭が真っ白になっていたけどやせてもいなくて元気そう。
職員さんがそばについていたこともあるだろうけどずっとにこにこしていて、身振り手振りでおどけたり部屋の中を見せてくれたり、「歩けるの?」と聞いたときには杖をついて歩いてみせたり。

画面の中の父は軽装。下着にネルシャツ(死語?フランネルのシャツ)1枚。下はジャージ。お部屋はあったかいんだなあー良かったと思う。
こっちの私はフリースとトレーナーの上に家の中でもウィンブレいつも着てるんだけど。

その後の電話で目も悪くなった父がちゃんと画面の私が見えたのか聞いたら「予定が書き込めるカレンダーくらい大きい画面だった」と。
せいぜいiPadくらいの大きさかと思ったらそんなに大きく?
父だけならともかく職員さんにも「お顔見せてもらえますか?」なんつってご挨拶したよ。
大きい画面に映る自分。・・想像したくないです。

「春になればワクチンの注射も始まるしもう少しのガマンだよ」と父には言ったものの、大本営の発表は当てにならずワクチンもいつになることやら。いつになれば父に会えるようになるものか。もしかしたらこのまま会えないままなのか。実家にもこのまま行けないのかもと思ったりもする。


梅の写真をあげてみたけどぼやけてるしいまひとつ。と思い削除しようと思ったけど削除もできない。靴下カバーとつるし雛の写真も反映されない。しょうがない。いつものこと。
写真くらい載せたいのがちゃんと載せられるようにしてもらいたいもの。

2月もなかばに

2021年2月13日 日常
日々は流れるように過ぎていきなんともう2月も半分終了。
何度もここらで書いておかないと、と思ったけれど目がダメ。
昼間は忙しい。朝起きて散歩行って仕事行って戻ったらまた散歩行って1日が暮れる。日が短いからあっという間。
だいたいは文章書くとか読むとかは寝る前のお楽しみ的な感じだったけれどもう無理。夜の読書も目が疲れてダメだしスマホはもっとダメ。特に縦スクロールは疲れる。
緑内障で眼圧高いと思うと無理しちゃダメかなーと。

去年あたりからみなさんの日記をあまり読みにいけなくなったのも、コメント欄をやめたのも目が疲れて読めないから。スマホのびっしり書かれた文字は小さくて。
自分の記録だけ残すのでせいいっぱいな感じ。
好きな読み書きが思ったようにできない日が来るとはなあーーー。

今年になって何をしていたかというと?
コロナで出かけられない、人にも会えないのは変わらず。陽性者数は減ってきたけどどうやら変異種が蔓延してそうだし。
粛々と仕事に行きあとは「ポケ森」ゲームと「進撃の巨人」アニメ。
「進撃の巨人」はいよいよ今年5月に連載が完結しそう。アニメのファイナルシーズンを今やっていてアマゾンプライムで全話配信中なので1話から見直してる。
途中シーズン3あたりで離脱してたけどそこらからこそ秘密が明かされてすごいストーリーになっててびっくり。
まあこんなところで。

2020終わり

2020年12月31日 日常
2020年も暮れる。
紅白をなんとなく見つつ片付けなどする大晦日の夜。
今年の紅白イチの興奮はGreeeeN!
ええっ!!!顔出し?
こんな人たちなんだ!!すごい!!からのええ?CG???
めっちゃ感動・興奮からの混乱。
そもそも本物の顔がわからないんだから顔出ししてもほんものかどうかわからないじゃん。

人生初めて実家に行かない年末年始。
例年なら実家でお正月の集まりに向けて休む時間もないほどだったけれど、今年は特にやることもなく年末まで仕事を入れた。
大晦日は年越しそばだけでいいし正月の餅だって餅つきしなくても買ってくればいいし。
集まりがなくてダンナと2人分なら大変でもないけどはりあいもない。
めんどうだ大変だと思いながらも終われば達成感があった去年までのお盆や年末年始がなつかしい。あれはもうすでに思い出のことになってしまったんだと思う。

2020年があけたとき、キリのいい2020という数字に明るいものを感じて楽しいワクワクした年になる!と思った。オリンピックもあるし。って。

年明け早々、私は東京駅近くの結婚式場にいた。娘の結婚式場に着る留袖の試着のため。
ほんとうは年末に娘たちと行くはずだったけど都合が合わなくて私ひとり。
東京駅にはまだ正月気分の人々があふれかえっていた。
留袖なんてどれも同じ、と思っていたけど松竹梅出されるとやっぱりキラキラ度の高いのがステキに見えて、そうそう何度も着るわけでもないし、といちばんいいものを予約した。

そのあと結婚式場の見学を勧められて行ってみた。
銀座の歩行者天国を見下ろす全面ガラスからは新春の陽光が差し込んで、壁も床も真っ白い空間がまぶしくて幸せすぎて。
ここでたくさんの人たちの祝福を受けて娘は式をあげるんだなあと思ったら自然と笑顔になった。明るい年になることに少しの疑いもなかった。

そしてコロナである。
式は緊急事態宣言中のGW中だったので延期。娘たちは式をあげられないまま遠い転勤先に行ってしまいそのまま娘とは会えていない。
年があけたときには想像もできなかった未来がくるとは。
今年2020年の漢字は「密」だけど私は「忍」だよ。「耐」かな。自粛自粛自粛。

いつもなら実家の神社から買うお札を武蔵一宮氷川神社から買った。
年末年始に密にならないよう11月末から売られていたので12月初めのうちに。
天照皇大神宮のお札を買ってついでにおみくじも引いてみる。これって令和3年を占うおみくじってことだよね?
なんだ「吉」か。と思ったもののよーく読むとなかなかいいことが書かれていた。

「木種蒔兆(こだねまきのうらかた)」の吉。
近い将来に芽が出て花が咲く、今まさにその準備段階。
何事も広く世のため人のためと心がければ思い立つことは遂げられないということはない。

東京コロナ1337人の年末。一歩先のことがわからない世の中。
でも忘れてはいけないのはやはり「世のため人のための心がけ」。そして花を咲かせる準備としての「種蒔き」。

緑内障もわかって目の衰えも感じた今年。
スマホの字はたくさんは読めなくなったのでこまめに読みにも行けないしあまり書けなくなりました。
でも自分の記録としては残しておきたいので来年もよろしくお願いします。

銀ちゃん

2020年12月29日 日常
実家から持ってきた父の車の名義変更も済み、17年乗った私の車を車屋さんに持って行く日。
洗車して車内も掃除して汚れを落として。「車とのお別れ」とネットで調べて、お酒と塩をボンネットにのせて「今までありがとう」とお礼をする。

車にはなんのこだわりもない。動けば良かった。
ボンネットを開けたこともないし掃除をしたこともあまりない。窓とか拭いた程度。車を丁寧に扱いしょっちゅう磨いているダンナのおかげで私の車もついでにキレイになっていた。

私の車としては3台目。
実用第一で走ればいいからすべて税金の安い軽自動車。
1台目は独身のときの出勤用。
節約のため夏場のクーラーはなし(北国だったし)。とにかく安いやつ、と。結婚して関東圏に持ってきたはいいけどこの暑さで乗れず。
しかも調子に乗って「街」に出てタクシーにぶつけてしまいアウト。それからしばらくは怖くて乗らなかった。

2台目は子供移動用。
子供が2人になって幼稚園やプールの送迎やらの必要に迫られて。
そのときもとにかく走ればいい、とたまたま車屋さんで見かけた中古20万くらい?だったかな。買い物や子供の移動は楽になったけどこれはカーブで曲がるとアルミホイールがよく外れた。カラカラカラカラーン!と勢いよくはずれたのを何度とりに引き返したことか。走る前にアルミホイールを蹴ってはめるという作業必須だった。
それにやはり夏場はエアコンがほとんど効かずめちゃ暑かった。
そんな車に乗っているのを上京した亡き母が見て「あんなのに乗ってたんじゃ心配。新しいちゃんとしたのを買いなさい」とお金を出してくれて買ったのが17年乗ってた車。
買ったときも車屋さんに行ってたまたまあったのでまあこれでいいか、と決めたのだった。
ホイールがはずれる中古のが紺色で汚れが目立って大変だったからとにかく汚れが目立たない色で車高が高めのやつで、と。

そして17年。私の足代わりによく走ってくれた。車は必需品。この秋に車検を通したばかりだったのでこんなことにならなければあと2年は乗るつもりだった。

車の運転そのものが好きなわけではないのでここらのちょい乗りばかり。
それでも車は走る専用個室でひとりの心地よい空間。
夏場は暑くてダメだけど、秋から春にかけては仕事帰りに日当たりのいい公園やスーパーの駐車場に止めてスマホでゲームしたり本や雑誌を読んだり歌の練習をしたり。家に帰ると待ったなしでポメ子の相手をしなきゃいけないし、家は日当たり悪くて寒いけれど車の中はポカポカ明るい。
朝ポットに入れて持って出たコーヒーやちょっとしたおやつなどあれば最高。
家に帰る前に良さそうなところで車を止めてほっとひと息つくのは大好きな時間。

車に思い入れはないはずだったのに。
それなのにいざお別れとなると悲しかった。
17年間のいろいろなことが思い出された。
お別れの前の日も当日も何度もありがとうを言いハンドルやボンネットをなでた。

約束の時間になってダンナの運転で車庫から出て行く私の車を見送る。
ハザードをチカチカさせながらゆっくり発進して右に曲がって見えなくなったら涙が出そうになった。

これからはこっちの車。よろしく頼むよ、と車庫に残されたシルバーの父の軽自動車を見る。

父が使っていた車は3年目。小型犬とすれば3歳は人間の28歳。めっちゃイキのいいお年頃。
それまでの歴代の車に今ひとつ愛着がわかないでいたのは名前をつけなかったから?とふと思い、父の車に「銀ちゃん」と呼びかけてみる。商用車みたいなシルバーだから。
28歳の若い男の子銀ちゃん。うん悪くない。
それまで乗ってたのは17年なので人間とすれば89歳。え89歳!あと2年乗ろうと思ったんだけど。
ちょい乗りしかしてないのでそんなばあさんには見えなくてシャンパンゴールドの彼女はシュッとしてた。

銀ちゃんと名付けてから思う。名前なんかつけてしまったらそれこそ乗り換えられなくなるのでは。
いやいや、最後くらいは気に入ったかわいいのに乗りたい。今までだって次はパールピンクのコレかな?まあるいおめめのコレかな?なんて考えてたんだから。
そう思って自分の年齢と車の年数を考え合わせると。あれあれ?
私も先がそんなにないんだからこれは銀ちゃんと添い遂げることになってしまうかもしれないね。

ゴールのないクリスマス
ゴールのないクリスマス
メリークリスマスってな気分にはならず。
いつものクリスマスにはゴールがあった。ゴールまでの盛り上がりふくめてのクリスマスだよね?

子供たちが小さかったころのクリスマス。ケーキやチキンをみんなで食べて満足げな子供たちが寝たあと、ないしょで用意していたプレゼントを枕元に置く。それがゴール。
プレゼントは何がほしいのかな?どんなケーキがいいのかな?食べたいものはなにかな?そんなことを考えながらいっしょにツリーを飾りつけをしたりクリスマスソングを歌ったり。子供たちとクリスマスを待つ期間は楽しかった。

子供たちが独立して家族を卒業してからのクリスマス。
ここ数年はクリスマスコンサートのために夏からクリスマスソングの練習。ステージで歌ってそれがゴール。
主婦友たちと集まってテイクアウトのピザやチキン、サラダ、ケーキを食べてめちゃ忙しい年末年始に向けて英気を養うクリスマス会。これもゴール。
あちこちのクリスマスマーケットに出かけてクリスマス雑貨を買ったりイルミネーションを見に行ったりもしてクリスマス気分になった。

ところがこのコロナ。
春から歌はよろしくないとのことでコーラスもゴスペルも活動休止。
主婦友たちとのクリスマス会もコロナにより自粛。感染拡大で街にクリスマス雑貨を見に行く気にもならず。
このあとの年末年始もコロナのため実家行きはないのでここにいるしかないし。
クリスマスの飾りつけは例年通りやったのだけどイベントがないので気持ちの盛り上がりもなし。ツリーは飾ってあってもゴールがないのでなんだかのっぺりした日々の連続。
とりあえずケーキは食べた。シャンメリーも飲んだ。もうクリスマスの飾りも片付けてもいいんだけど?って気分。

こんなに感染が増えてしまっては外に出て人と関わるのもなんだか怖い。ポメ子と家にいるのがいちばん安全。
犬との暮らしは良くも悪くもそれだけで完結してしまう。ひきこもりしてても犬のおかげで生活は整うし外にも出られる。
ポメ子と寝て起きて散歩して仕事行って帰って。
日没が早いのでひと息ついたらまた散歩して。戻ったら暗くなってる。1日が早い。ごはん作って食べてまたポメ子とおやすみ。

今年はコロナコロナで季節感もメリハリもなく人にも会えずあっという間に過ぎてしまった。
去年は家の周りの工事で大変だったので「令和2年は何事もなく穏やかに暮らせますように」と願ったのがついこの前のことのよう。

われわれはあっという間にコロナの大波に飲み込まれ翻弄されて個人の努力の限界を超えているというのにマスク一丁で闘えと???
「竹槍だけでアメリカさんと闘えって言われたようなもんだよ。あれで勝てると思ってたんだからねえ」と訪問先のお年寄りが言うが全くその通り。
どんな年末になるのか、どんな新年を迎えるのか先のことを思うと不安でいっぱい。こんな世の中になるとはね。

「オペラ座の怪人 25周年記念公演inロンドン」
「オペラ座の怪人 25周年記念公演inロンドン」
写真1枚目 けっきょく買ったブルーレイ
写真2枚目 2004年映画版のジェラルドファントムさま

劇団四季「オペラ座の怪人」を観に行ってからはや2週間。
ずっと頭の中はオペラ座で満たされている。
観劇などは贅沢品でコロナ禍においてはまったくもって不要不急とは思うが、そのおかげでこんなにも自分時間が豊かになるなんて。
リンクのもりのいずみさんも書いていたけど「続くようになくなってしまわないように自分も何かできれば」と私も思った。
劇団四季が春のころクラウドファンディングしたときに3日で1億達成できたそう。すごいな。
私のような下々が四季特製マスク1500円を買ったり「オペラ座」パンフレット1800円を買ったところで微々たるものとはいえ。気持ちだから。ロングランなのでまた観に行く!

さてさて。
「オペラ座の怪人」についてネットで調べると今までもときどきアンテナにかかってきていた「オペラ座の怪人25周年記念公演inロンドン」。
あちこちで大絶賛されてるのでいつか見てみたい、でも私のファントムさまはジェラルドしかいないよな。と思ってたらアマゾンプライムで299円で48時間レンタルできることがわかった。

観ました。
3時間近いのを3回観た。
画面から伝わるあまりの熱量にやられて3回とも泣けた。とにかくすばらしかった!!!
ブルーレイ買っても1000円だから初めから買えばよかった。
どれだけ観客が入るの?っていう大きな舞台に驚き、演者さんたちの歌と演技のすばらしさに酔いしれた。

映画版のジェラルドファントムから入った人はハードルが高くてほかのファントムは受け入れられない、そうオペラ座沼かいわいでは言われてる。
それをもってしてもラミンファントム良き!
歌が抜群に上手い。緩急自在。仮面に隠れたお顔も「あれ?ちょっとつぶらな瞳と口角上がった口元カワイイ?」。
シエラクリスティーヌも演技と歌がすばらしい。
ファントムを父として音楽の先生として尊敬して慕っていた完全な上下関係だったのが、最後には逆転して愛とは何かわからないファントムを包み込む慈母のようなクリスティーヌ。ということが伝わってくる。
そしてハドリーラウルが力強く熱いことによって3人のバランスが対等。
このラウルは好き。この役者さんがそのうちファントムやっても魅力的かと。

このバランスによって単なる三角関係のハナシではないと伝わる。
粘着質のアブナイおっさんの恩を忘れて、若くてイケメンで金持ちのラウルにふらっと行くアタマの弱いクリスティーヌと言う構図ではないとわかる。

このロンドン版の演者さんたちの熱い歌と演技、そして字幕によって今まで私が映画版を何度観てもわからなかったことがストンと心に落ちた。
「あ!こういうこと?」と思えた。

それほど素晴らしかったし、逆に言うと繰り返し何回映画版を見てもわからないはずだよ、と思う。
戸田奈津子御大の字幕の問題らしい。
これはネット調べていくうちに引っかかってくるんだけど、映画版戸田奈津子訳が英語のニュアンスと違う日本語訳になっていてあまりにひどすぎる、と。
字幕改善向上委員会?まで立ち上げられてDVDでは多少の修正はされているとか。
私は繰り返し映画版を見て細かい表情や日本語字幕にたよってクリスティーヌの気持ちを理解しようとしていたけど、映画の日本語訳が違うんじゃいつまでたってもわからないよね。

クリスティーヌの気持ちとしてはファントムは音楽の師だし、ファントムの気持ちは愛だとしても表現としては支配であり依存だろうと思うのだが、戸田さんの訳では2人のあいだに「男女の愛」がある感じ。
だから何度観てもわからなくて疑問のままだった。

劇中劇オペラ「ドンファンの勝利」の「ポイントオブノーリターン」の演出も映画版と舞台では全く違う。
映画版ではオペラの役の2人ではなくファントムとクリスティーヌが「戻れないポイント」に来ていると解釈してしまう。映画版のほうがエロくて私は好きだけどね。

ロンドン版ではファントムがクリスティーヌに「この暗い孤独から導き救ってほしい」「君が行くところすべて行かせてくれ」と字幕がつき切実さが伝わる。
もうファントムが幼い子供が母を慕う必死な気持ちのようで泣ける。だって幼い子は親に捨てられたら死ぬしかないのだから。

そこをふまえての最大の疑問、クリスティーヌのキス。
これはやはりラウルを助けるためにファントムを選んだということではない。
クリスティーヌは歌っている。「神様私に勇気をください 伝えさせて あなたはひとりではないと」。

ロンドン版字幕ではクリスティーヌは最後までファントムに「愛」を伝えていないし恋愛感情を伝えるキスではない。
人に愛されたり人に触れられたりしたことのないファントムの孤独と人生を思い「決してあなたはひとりじゃない」と伝えるためのキスだったのだ。
そう思うとラスト泣きながら「オールアイアスクオブユー」を歌いながら去ってゆくクリスティーヌの気持ちも「ひとつの愛一度きりの人生をわかちあって」いく相手はラウルでもありファントムでもあると思える。
人生をラウルと生きていったとしても心はファントムともいたのだろうな、と。
ロンドン版ラストは涙なしでは観られない。
ああーファントム・・・もっとはやく愛をうまく伝えられていたらもっと違った結末になったかもしれないね。
でもどう伝えたらいいのかわからなかったしそもそもクリスティーヌへの思いが愛だともわからなかったのだろうな。哀しい。

「オペラ座の怪人」は演者さんによってもその組み合わせによってもきっとそのたび違う印象を受けるのだと思う。
今回の検証?踏まえた上でジェラルドファントムさまのDVDを見直してみた。
やっぱり最高にイケメンでセクシーなファントムがそこにいた。歌声を聞くだけでドキドキほわほわ。
ロンドン版によって泣きのスイッチがしっかり作られてしまったので、やっぱりラストの場面はファントムを思って泣けてしょうがない。
そして映画版のラストでもファントムは救済されていたのだなということがわかって、つくづくロンドン版をみて良かったと思った。
それにオペラ座のシャンデリアが崩落して火事になる場面などは映画ならでは。見ごたえあってやっぱりすばらしい!

劇団四季の「オペラ座の怪人」もまたぜひ観に行きたい。こちらも日本語訳なってないらしいけど。
とにかくはやくコロナが落ち着いてほしいもの。


父の車

2020年12月16日 日常
ニュースによると北国はこの時期にしてはめずらしい大雪らしい。
寒波が来る前の先週末。
ダンナが新幹線で私の実家に行って父の車を運転して戻ってきた。

父の車はまだ3年目。
「新車買った」と聞いたときに「85すぎたじいさんに新車??車屋さんにだまされたんじゃないの?」と私も妹も思った。
車屋さんにも父にも確認の電話をしたが「年も年だしぶつからない車がいい」と父の方から車の買い替えを話したということ、「すぐ乗らなくなるかもしれないけど娘たちや孫たちにやってもいいと思って」の買い替えだったとあとで知る。
じいちゃんありがとう。
妹も孫たちも軽はいらないというから私がもらうよ。

私としては父の車は実家に置いておきたかった。
田舎なので買い物には車が必要。実家に車がなくなったらスーパーにおいしいものも買いに行けない。

冬になれば寒くなるしバッテリーも心配だ、どうせなら雪が降る前に持って来たほうがいい、ついでにネズミの餌食になる前に新米も積んでくればいいし、とダンナが言った。
えー・・・車が実家にあれば今後春になって草刈りとかしに行くついでに海の方や牧場にも行けるのに。
「春になれば、ってその前にバッテリー上がるよ。それにコロナがこんなで次いつ行くつもり?」とダンナ。
私「正月は世の中的に行っちゃいけない空気だから2月か3月か」。・・・。それではバッテリーだめか。

たまに妹が実家に行ってエンジンかけてくれれば置いておけるのに、と私は思うが妹とすれば車まで手が回らない、と。
実際私が10月に行ったとき乗ったきりでそのあとエンジンもかけてないということ。
・・人に期待してはダメだよね。
これはもうしょうがない。ダンナの言う通り車を持ってきたほうがいいか。

ということでこっちに来た父の車。
「最近の軽はすごいね。米袋4つ積んできたのに高速道路もラクラク」だったらしい。
父の車の後ろのドアを開けると、前に私が実家で灯油を買いに行ったときのまま新聞紙が敷いてあり古いタオルが無造作に置かれていた。実家の家の中も時が止まったようだったけれど、車の中も時が止まっていた。
敷いてあった新聞は2020年1月の日付け。コロナ前。
まさか世の中がこんなふうになるなんて思ってもみなかったころ。

コロナがなかったらこの1年はこうじゃなかった。
父が9月に脳梗塞で入院してそのまま家に戻れないということは同じだとしても、コロナがなければ自由に行き来できていた。
私は父に面会に行けてたし、遠くにいる息子や娘もじいちゃんに会いに行けてただろう。
今父は施設に入ったが面会禁止で近くにいる娘(妹)にさえ会えてない。遠くにいる娘(私)にはもちろん、孫たちにも会えない。
コロナがなければ前のように私は1〜2ヶ月に一度は実家に行って人に頼らなくても父の車を動かせるので実家に置いておけた。

来週には私が長く乗っていた軽自動車を廃車にして父の車に乗り換える手続きをする。
なんだかいろんなことがさびしい。
仕事に買い物に足代わりによく走ってくれた私の車。子供たちの送迎に、そして今はポメ子がいつも助手席に。これだって母が買ってくれた車だ。
でもしょうがないんだ。
父の車は実家県ナンバーじゃなくなってしまうけれどせめて4けたの父の誕生日ナンバーはそのまま引き継ごうと思う。
車がなくなった実家の車庫がぽっかりと空洞になっていることを思うと心がきゅっとする。

劇団四季「オペラ座の怪人」
劇団四季「オペラ座の怪人」
劇団四季「オペラ座の怪人」
東京でコロナ449人が記録された日「オペラ座の怪人」行きました。
新しい劇団四季劇場「秋」!

5月に「マンマ・ミーア!」が上演中止で行けなかったのでそれの振りかえ?分で。
会員先行でチケットとったときには「東京500人とかなら行けないな」と思ったものの気持ちはすっかりオペラ座モード。日が近づくにつれ「オペラ座の怪人」劇中歌が頭の中を駆けめぐる。
FNS歌謡祭でやったこともあり気持ちMAX。
近くの街に出るのさえびくびくしていたのにひさびさの観劇、それも「オペラ座の怪人!」となれば免疫力ゲージも上昇した感じに。

四季版「オペラ座の怪人」を初めて見たのは2013年。
そこから7年間は東京公演がなかったので行く機会なし。
そしてこの7年の間に何度も何度も2004年映画版DVDを見た。
「オペラ座の怪人」は印象的な音楽や怪人ファントムはもちろん魅力的なんだけどとにかく奥が深い!!
何度見てもそのたびに発見があって疑問があって飽きることがない。
何回見てもいまだにクリスティーヌのファントムへの気持ちは私にはよくわからなかったりする。特に2度目に仮面をはいだ場面。そしてファントムにキスした場面。

見るたびに天才ファントムのたどった人生と狂気の愛と哀しみに心打たれる。
ファントムにとってはどういう結末なら幸せになれたのだろうか、いやこういう結末だから良かったのか、クリスティーヌもラウルと過ごした人生ずっとファントムのことを男女の愛を超えた気持ちで思い続けていたのだろうな、などと。

7年ぶりの劇団四季「オペラ座の怪人」。
まずはコロナ禍でオープンが延期になっていた新劇場が無事オープンできてホントよかった。
コロナがなければこの春に2つの劇場がオープンして「アナ雪」「オペラ座の怪人」と今ごろはにぎわっていたはず。
ミュージカルは飛沫が飛ぶしどうしても演者さんたち濃厚接触してしまう。コロナでしばらく劇団四季もお休みになっていてあんなに立派な劇場建てたけど経営だいじょうぶなの?再開できるの?など心配だった。
とにかく良かった!

今回は2階席最前列。
大きいシャンデリアがゆらゆらと上がっていったりファントムが舞台上の方に現れたりするので2階が見やすいだろうと前に見たとき思ったので。正解でした。
オペラグラスがあれば細かい衣装や表情もわかる。
最近四季は生オケじゃないなあと思っていたけど今回は生オーケストラ。
劇場に入ったときにオケピから音出しの音楽が流れてると「ああ、やっと来たなあ」って思えてなんとも言えないわくわくした気持ちに。

海沼クリスティーヌは小柄でかわいくて高音がすばらしく伸びて。ファントムの歌にとりこまれてしまってるときの恍惚の表情たまらない。
光田ラウルは背が高くカッコいい。クリスティーヌと頭ひとつ分違うから、頼れるラウルな感じ。岩城ファントム、イケオジで力強い歌からせつない歌まで聴かせてくれる。
歌もダンスも圧巻。劇中劇の3つのオペラもこの7年繰り返しDVD見た成果でばっちり。

舞台もパリオペラ座のステージになったり華やかな「マスカレード」の大階段になったり怪人の潜む冷たく暗い地底湖になったりすばらしい。すべてが良かった!

が。ファントム様のイメージ。
四季の岩城ファントムはすばらしかったのに「何か違う」と思ってしまったのは私がこの7年間DVDを観すぎたせいか、と。
映画版「オペラ座の怪人」でファントムを演じたのはジェラルドバトラー。長身に甘いマスク、セクシーな声とバリトンの歌声にキュンキュン。肉体派ぽいのに弁護士資格ありってのもギャップ萌え。
クリスティーヌと同じく画面の前の私まで毎度ファントムの歌声にとりこまれとろけそうになる。
中古DVDをアマゾンさんで1円プラス送料で手に入れてからというもの、何度エロすぎるファントムさまを鑑賞したことか。
私にとってはオペラ座の怪人のファントムさまはジェラルドバトラーなのだな、と再認識させられました。

GO TO 神戸

2020年11月29日 日常
GO TO 神戸
GO TO 神戸
写真1枚目 スカイマークから見る富士山
写真2枚目 山の上のハーブ園から見る街並みと海
写真3枚目 かわいいホテルケーニヒスクローネ
・・・って3枚目アップできず(泣)

何から書いていいかわからなくなるほど間が空いてしまった。

神戸行ったこと書いておかないと!
今は感染拡大してGOTOなどはばかられるけど行ったのはこうなる前。予約したのはもっと前で世の中が「GOTOしないと損」くらいの空気のとき。
・・・GOTOじゃなくてその分のお金をもっとうまく使えなかったんだろうかね。国民の気の緩みとか言うけど「行っていいんだ」って空気を作ったGOTOはやっぱりいかがかと。

さてさて。息子が神戸にいるのもいつまでかわからないので行きましたよ3度目の神戸。
スカイマークは片道5990円だしホテルもGOTOで割引。しかも2000円分のクーポン使えてうれしすぎる。

今回はひとり旅。旅の目的は前回前々回に果たせなかった「ホテルケーニヒスクローネ泊」「ユーハイム神戸元町本店特製ショートケーキ」「甲子園球場」。
どれも前からの念願。かないました!

神戸はスイーツパラダイス!
この6月から9月の4ヶ月間に摂取した糖分以上の甘いものを私はこの2日間で摂取した。
なんたって泊まりたかったホテルは神戸のお菓子屋さんが作ったホテル。くまポチや赤っぽいピンクの色合いもかわいらしいホテルケーニヒスクローネ!
到着すると迎えてくれるのはウエルカムスイーツ。
行く前にすでにユーハイムで限定20個?の特製6段ショートケーキと神戸牛ハンバーグランチを食べていたけどなんのなんの。クローネがサクサクでおいしいこと。座り心地のいいしゃれたソファでいただくとああーやっと念願がかなったよぅーとしみじみ。

お部屋の内装もくまポチクッションがあったりしてかわいくてうれしい。
朝食がまたすばらしい。ショーケースにずらりと並んだパンやケーキやゼリーたち。ローストビーフの乗ったサラダ。かわいい陶器に入ったビーフシチュー。焼いてくれるあつあつのチーズや山芋入りのオムレツ。
朝7時からケーキだよ?前の日も甘いものやらおいしいものやらさんざん食べてて、朝からケーキをおいしく食べられる自分に感謝。
ユーハイムのケーキもケーニヒスクローネのケーキも生クリームおいしかったなあ。
モンロワールのチョコもアンリシャルパンティエのフィナンシェも買い込みました。
もちろんユーハイムのバームクーヘンとミートパイも。

1日目の午後はロープウェイでびゅーんと山の上の「布引ハーブ園」へ。
神戸の街から見ると山の上に三角屋根のハーブ園の建物が見える。山の上からは山と海の間にぎゅっと詰まったような神戸の街並み。そしてキラキラ輝く青い海。
いいなあーーーステキすぎるよ。こんなにすぐ景色のいい高いところに来られるなんて。

2日目は念願の甲子園球場へ!
「国技館で大相撲観戦」「箱根で箱根駅伝観戦」「甲子園球場で高校野球観戦」この3つはぜひ!と。
前のふたつはクリアしたけど昨今の猛暑を思うととてもじゃないけど夏はムリ。春の選抜なら行けるか?と思ってた。
最近でこそひところの熱は冷めてしまったけどずーっと行きたいと思っていた甲子園球場。こんな形ででも行けてうれしい。
「甲子園スタジアムツアー」に参加して中に入って説明も聞けて甲子園歴史館も見れてよかった。
室内の練習場やロッカールームを見ていよいよフィールドが見えるバックネット裏へ。視界が開けると甲子園の空が!うわーこれが高校野球中継や熱闘甲子園で見ていたあの甲子園!!ついこの間は朝ドラ「エール」でも見たばかり。
この日は阪神タイガースの選手さんたちが守備練習してました。私はプロ野球はくわしくないのだけど、スタジアムツアーに参加したみなさんはこの阪神の練習が見たくて何度も参加してる方々のようだった。長い望遠レンズのカメラでカシャカシャ写真撮ったりお目当ての選手を名前をつぶやきながら探したり。
ツアーが終わると各自甲子園歴史館見学。熱くなってテレビ観戦したあの試合この試合がなつかしく思い出された。

良かったなー神戸。
スカイマーク羽田→神戸も最高のアトラクションで楽しい。左窓側に乗ると海岸線がずーっと見える。江ノ島と鎌倉の街並み、芦ノ湖と大涌谷。富士山上空を通過するので富士山のお釜も。そして浜名湖、知多半島、紀伊半島。明石海峡大橋のずーっと先をぐるーっと旋回して左手にポートタワーやオリエンタルホテルを見て空港着。
来たよ神戸!って気持ちが高まってこれって最高!と思う。
帰りの飛行機はオレンジ色に染まる日没の地平線ね。琵琶湖もくっきり。

今回果たせなかった「有馬温泉」と「アンリシャルパンティエ芦屋本店クレープシュゼット」はまた今度。
停滞期とパンフェスタ
ここらの街並みもあざやかではないけどそれなりに紅葉して、秋が深まってきたなあと思う。
去年の今頃は家の周りの工事でさんざんだったね・・・。

体重減らなくなったなあー。
減量中には停滞期がある。それまでと同じように運動して食べるものも同じようにがまんしていても減らなくなる。
6月からの減量では2回停滞期があった。
そのときたまたまネット見てて知った情報。「停滞したらガッ!!と食べればいい」。
食べるものがそれまでより少ないと体が「これは大変。またいっぱい食べられるようになるかわからない」と判断して省エネモードになって減らなくなるのだと。うまくできてるねえー。
だから「だいじょうぶ。食べるものあるよ」と体に安心させるために一度いっぱい食べるといいらしい。
ええー??ほんとに?
で、やってみた。
1回目も2回目も効き目があった!
ガッ!と食べることでまた減り始めた!
人体のフシギ。食べるのをがまんしてて減らなくてドカ食いしたら減るなんて。

今回は3回目の停滞期。
というか適正体重まで減ったらあとはそれほど減らないのかも。時期的にも冬に向かって脂肪を蓄える時期。
私の中でも「ここらでいいかな」という気持ちが。血液検査は「9月末」とゴールが決まってたので目標がはっきりしていた。それこそ「あと100グラムを削り出せ」ってな感じでがんばった。
今はまあここらをキープしてコレステロール値と血糖値が上がらないよう気をつけていけばよいかと。

ということでほんっとうに久しぶりに電車乗って街に出てデパート催事「パンフェスタ」と銀行に行った。新幹線乗るとき通過してるくらいで街はコロナ前に行ったきりだったよ。
だいたいパンだって食べてはダメなものとして6月から食べてなかった。
減量中だったらチラシを見ても「行ったら買ってしまうから行かない」となっただろう。
でも今回は「よし!久しぶりに街に出るか」。

食べてなかっただけでパンは大好き。
香ばしい匂い、もふっとした手触り、噛んだときのムキュムキュした歯の感触。デニッシュみたいなのよりシンプルなハイジの白パン?ぽいのが好き。生食パンなど1斤軽くいけそう。
今回のパンフェスタの戦利品は以下。

君とならいつまでも(さいたま) レーズン入り生食パン
高久ベーカリー(平塚) 弦斎カレーパン
前田珈琲(京都) 焼き茹で卵サンド コーヒープリン
オスピターレ(福岡) スフォリアテッラ 
デパ地下で↓
メルカートピッコロ(大阪) フルーツサンド
チェリーサンド(横浜) えのき亭 

ひさしぶりに不要不急のものを購入した!
うれしいーーー。
特にイタリアンドルチェのスフォリアテッラ。前にテレビで見て一度食べてみたいと思ってた(写真手前)。表面の何層にもなるサクサク生地は芸術的。
さーて。ガッ!と食べよう。

この前書き忘れたけど効果のあったものとして煮あずきのほかに煮大根も良かったのでは、と。
「梅流し」みたいに絶食してからでなくても、ちょっと食べすぎたかなと思ったときに食事がわりにこれ。
皮ごと輪切りにした大根を出汁パックとだし昆布で煮て梅干しといっしょに食べる。すると消化がよいのか次の日の朝体重減ってる。
梅味のだしはおいしいしこれからの季節、大根もお安くおいしくなるので出番が増えそう。

血液検査の結果

2020年10月22日 日常
減量作戦継続中。目標よりさらに1キロ減なのでコロナ太りから6キロ減った!

血液検査の結果を書いてなかったので記録。5キロ減(検査時)のおかげで数値も良い結果が出た。

まずはコレステロール値。悪玉コレステロール減りましたよー。
コレステロールは善玉(HDL)と悪玉(LDL)があって悪玉コレステロール値が高いとよろしくない。
それぞれの数値というよりもLH比が重要。LDL ÷HDLの値が1.5以下なら血液サラサラ。2.0を超えると動脈硬化が進んでいる状態、2.5以上なら血栓ができているかも、と。

コレステロールの薬を飲んで約10年。ここ数年は薬を飲んでいても2.5前後だった。
なのに。なんと今回の結果、HDLは変わらなくてもLDLが減ったおかげでLH比は1.7に!がんばったかいがあったよ。
中性脂肪も半分に減った。
努力が結果に結びつくってうれしいね!
がんばったことが形になる、とかできなかったことができるようになる、とかそういうことはいくつになってもうれしい。

コレステロール値と中性脂肪値はちゃんと効果が出たのだが糖尿病の数値の方はまあまあ?といった感じ。
空腹時血糖値ギリギリ範囲内。ずっと「なんで食べてないのにいつも超えてるのー?」だったのに範囲内にはおさまったんだからそれなりに結果は出た。
そしてそして重要なHbA1c。これは6.0から5.6になった。
血糖値は上下するものだがA1cは過去2ヶ月ほどの平均した血糖値の状態がわかるというもの。
正常値ギリだけどヤバい数値の6.0より下がって良かった。

あんなにがんばったけど母が50代半ばで糖尿病発症だったから糖尿病の素質?がある。コレステロールは良くなっても糖尿の方は甘く見てはいけないのだな、と再認識。

今回の減量作戦でやったことは運動と食生活の見直し。
運動の内容は前に書いた通り。
食事の間隔はきちんとあけて、海藻類きのこ類など食物繊維、豆類、低脂肪のたんぱく質。おやつはナッツやドライフルーツ、小魚。ときどきプロテイン。
もずく納豆を毎朝。朝と夜には食事前に砂糖なしで煮たあずきを食べるようにした。←あずきの効用は前に書いたけどこれ効果あったかも?おなかをお掃除してくれてる感。朝と夕2回排便ありスッキリ。
そしてサプリメント。アマニ油、EPA、DHAが生活習慣病には良いらしいけど食品からはなかなかと思っていたらちょうどいいサプリメントがあったので。
ディアナチュラのオメガ3系脂肪酸が一度にとれるやつ。これも良かったのかな。

5キロも減れば見た目も?と思うがだれにも何も言われない。
腹回りはシュッとして体が軽くなったとは思うけど顔ラインも上半身も別に変わらない感じ。
もともと着痩せするらしく体重言うとびっくりされてたから5キロくらい減っても見た目はなんてことないんだろう。
この年で体重減るとへんにシワシワになったりする人もいるから減ればいいってもんでもないし。

若いころは血液検査も健康診断もそんなにまじめに考えなかったけどやっぱり大事。今回は眼科で緑内障が見つかって治療を始めることになったし、検査のおかげで糖尿病が危ないとわかり良い方向に行けて良かった。
卵巣脳腫はずーっと経過観察だし通院予定が立て込んでると「私のスケジュールも高齢者なみに?」。

今回初めて鼻からの胃カメラも経験。
口からだとおえっとなって涙鼻水よだれのオンパレード。ばあさんになってもやるんだからなあーとみなさんが「まだマシ」という鼻からにトライ。うーん。のどを通るときにせきこんでしまったため結局のところ涙も鼻水もよだれも出たけど・・・まだマシなのかもね。
大腸内視鏡(ハードル高すぎてやってない)とか胃カメラとかもっと楽に受けられるように開発してもらいたいものです。
これで今期の検診は終わり。

実家に行って片付けをしてきた。
お盆もそうだったが、こんなご時世なので近所の方々にもごあいさつにも行けない。
コロナのために昔から親しくしていた近所の方々とも会えず誰もいない実家のカギをひとりであけてひとりで閉めて帰ってくる・・・。

玄関先まで行く通路にはずーっと落ち葉がたまっていた。まるまると太った栗の実がいがからはみ出してあちこちに転がっていた。
住む人がいれば落ち葉は毎朝はくからきれいに道ができているのにだれもいないというのはこういうこと。こうなって初めて今までは人の手によってきれいに掃除されていたと気づく。栗もこの季節は毎年父といっしょにむいてゆでて食べたり栗ご飯や栗シチューを作ったのに。
彼岸花が秋の庭に彩りを添えていたのだろうが、すでに枯れかけてかえってうら寂しい風情になって小雨混じりの曇天とともに私を出迎えてくれた。

裏庭や畑には草が伸びていたが妹夫婦やお隣さんが片付けてくれたとのことで庭や家の中はきれいに片付いていた。
9月のままの壁にかかったカレンダー。入院した9月15日付けの新聞。夏掛けのままの父のベッド。あるじの急な不在を思わせる様子があちこちに見られた。

草が乾いていれば伸び放題の草刈りをする予定だったがあいにくの小雨。ひざの高さより伸びた草や枯れた彼岸花を刈り込み、1年分の新米が届けられ積んであるまわりをねずみ粘着シートで囲ったりネズミ除け超音波装置を設置したり。

冷蔵庫の中の生物や野菜は妹が片付けたのですっからかんだが、瓶詰めのご飯のおとも的なものがいくつも。たいていが蓋を開けたまま賞味期限が切れている。2015年とか。
最近でこそ宅配おかずをとるようになったけどもうすぐ90のじいさんのひとり暮らし。こういうごはんのおともで白飯を食べることも多かっただろう。塩分過多だし栄養は偏るよね。
夏の間は意識して水分とってても9月になって涼しくなれば水分も足りなくなり脳梗塞の原因にもなったのだろう。

いただきものの外箱やダンボールも箱のまま大量に倉庫に重ねたまま。
仕事でもよくダンボールたたみをするけど高齢者は力がないしおっくうになるのでダンボールや外箱をたためない。箱を使うかもと捨てられないってのもある。
冷凍庫の中には私が来たとき小分けして冷凍した肉類や父が好きなベビーホタテ、今度いっしょに食べようと買ったうなぎや水餃子など冷凍してあり捨てるにはしのびず持ち帰ることにする。

母が倒れてからの10年間。母が亡くなってからもこうして私は行ったり来たりしてこの家で父と過ごしてきたんだなとあらためて思う。
もう父はこの家に戻って生活することはないんだろうな。わかってはいる。
神主なので神様に守られている父は今までも何度かひとり暮らしの危機を乗り越えてきた。
今回も思ったよりも軽くすんだのはラッキーだったと思うがさすがに手助けなしの自宅でのひとり暮らしは無理なよう。
でもそれを受け入れられない私がいて、また戻れるんじゃないかと頭のどこかで思ったりもする。

今までのように父が作ったじゃがいもや大根や白菜をいっしょに収穫したり、その季節季節のおいしいものをいっしょに食べたり。お盆や正月には孫たちもみんなで集まって父を囲んでバーベキューや餅会食ができるんじゃないかななんて思ったりもして、いやいやコロナもあるしそんなことはもうないのだと現実を思い、考えが行ったり来たりする。

次回年末年始に来るつもりでそのときは寒いだろうと自分のベッドに電気毛布をしいてボアシーツにかえて、扇風機を洗って片付けてファンヒーターを出して灯油を入れて。
でもとにかく実家県は首都圏からの人には風当たりが強く、コロナがさらに流行ったら年末年始も来れないかもしれない。

あんな大きくて古い田舎の一軒家でひとりでは泊まれないと思ってたけどなんてことはなかった。神社の御堂も母屋につながっているので、怖いとか考えはじめて眠れなくなったら嫌だなと思っていたが何の心配もなし。あっという間に寝てしまった。
夜はスーパーでおいしい刺身を買ってきてひとりごはん。テレビ見たりゲームしたり。違うのは父に「早く寝ろ」「風呂入れ」と言われないこと。自分が60近くなっても父が90近くなっても親はいつまでもそんなこと言うんだなと思ったがもうそんなこともなくなる。
「お刺身おいしいね」「やっぱりこっちのはしいたけも舞茸も都会のと違って香りががあるね。最高だね」そんなことを言いながら食べる相手もこれからはいない。

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