メリークリスマス〜♪
毎年22日の夜にクリスマスのお祝いをする。
サンタさんからのプレゼントが届くのに、「休日(23日)の朝」というのはコドモたちにとって都合がいいからだ。
だいたいはゲーム系のプレゼント。
届いているのにゆっくりと見ることもできずに学校へ行くのはいやだ、という理由はもっともだと思う。
私としてもこのあとお正月が控えているので、早めにやってしまったほうが都合がいいのだ。
きょうも仕事帰りにスーパーに寄り、買い足りない食材を買って来る。
クリスマスのメニューとしては基本のチキン・ケーキ・シャンメリー。
それと買ってあったクリームシチューのパイ包み。
生ハムと卵のサラダ。パエリア。
ケーキはコドモたちに作らせる。
生クリームをなめたりつまみぐいしたりしながらもなんとか飾りつけする。
平日なのであわただしいが、まあやることは早めにやってしまうのがあとでラク。
食べたあとは「ゆず湯」に入っておやすみなさい♪
今夜はツリーの電飾はつけっぱなしで寝る。
サンタさんがこれを頼りにトナカイのソリに乗ってきてくれるから・・・。
私にも「太鼓の達人」の新しいヤツとか届かないかなあ。
さてあしたは年賀状書き。
いよいよ年末。
毎年22日の夜にクリスマスのお祝いをする。
サンタさんからのプレゼントが届くのに、「休日(23日)の朝」というのはコドモたちにとって都合がいいからだ。
だいたいはゲーム系のプレゼント。
届いているのにゆっくりと見ることもできずに学校へ行くのはいやだ、という理由はもっともだと思う。
私としてもこのあとお正月が控えているので、早めにやってしまったほうが都合がいいのだ。
きょうも仕事帰りにスーパーに寄り、買い足りない食材を買って来る。
クリスマスのメニューとしては基本のチキン・ケーキ・シャンメリー。
それと買ってあったクリームシチューのパイ包み。
生ハムと卵のサラダ。パエリア。
ケーキはコドモたちに作らせる。
生クリームをなめたりつまみぐいしたりしながらもなんとか飾りつけする。
平日なのであわただしいが、まあやることは早めにやってしまうのがあとでラク。
食べたあとは「ゆず湯」に入っておやすみなさい♪
今夜はツリーの電飾はつけっぱなしで寝る。
サンタさんがこれを頼りにトナカイのソリに乗ってきてくれるから・・・。
私にも「太鼓の達人」の新しいヤツとか届かないかなあ。
さてあしたは年賀状書き。
いよいよ年末。
用事があって街に出る。
「街に出る」というのは電車に乗って出かけること。
目的地が同じでも車で行くときは服装があまり気にならないのに、電車で行くときはお出かけの服で行かなくちゃと思うのはなぜなんだろう。
われながらフシギである。
ひさびさに出た「街」はクリスマスらしくイルミネーションに彩られ、行き交う人々も冬の装い。
クリスマスのかわいい小物類を見ながら楽しそうに選んでいる親子連れや恋人たちを見るとしあわせそうで、今年もそんな季節だなあと思う。
ふだんの移動はもっぱら車で、そのために季節感がまったくないジャージ出勤などをしてしまっている私は、なんだかひとり季節に取り残されたような気になる。
今年はいつもより特に季節が駆け足で過ぎていくように思う。
街の駅前のデッキではよくティッシュや割引券が配られている。
最近でこそ消費者金融関係のティッシュが2・3個手に入る程度だが、数年前はそこを行き来するだけでポケットティッシュが10個も20個ももらえたものだ。
そして以前はよく私も「もういいかげんにして」と言いたいくらいテレクラのティッシュがもらえたものだが・・・最近はごぶさた。
テレクラ業界が下火なのか景気が悪く消費者金融が幅をきかせているのか、はたまた私がそのターゲットではなくなったのか・・・。
デッキ上では寒風吹きすさぶ中、きょうもティッシュや割引券が配られている。
自分から手を出したりはしないがタダでもらえるものはいただくほうなので、さりげなくその前を通る。
美容院の割引券、消費者金融のティッシュが配られる。ロッテリアの割引券もいただく。
次にもらったティッシュは一瞬薬の広告かなと思ったが良く見ると「エスタック・ラブ」というテレクラのティッシュ。
ロゴも色も「エスタック・イブ」のパクリ。
「さびしいあなたに愛の処方箋」。
ほうー。以前ダンナが借りてきたエロビデオ「ほのぼのレイプ」なみのネーミングのセンスに感心する。
「人妻専用」と「熟女専用」と私はどちらに電話すればいいのかと思いながらデッキの階段をおりていくと・・・
オールバックに黒服というあやしいいでたちのおにいさんがピンクのチラシを配っている。
なんだろう。
さりげにそれををもらえるように歩いていったのだが・・・なんと私はそのおにいさんにシカトされてしまった!
・・・そのチラシのターゲットではないと判断されたのだ。
スカートはいてたのになあ・・・と少しカナシイ思いをして階段をおりる。
と、そこには!
黒山の人だかり。
毛糸の帽子をかぶったりグレーや茶のぼってりした上着をはおったりしたオバの軍団である!
さきほどのピンクのチラシを受け取った人々はそこに流れている。
50代から60代と思われるオバたちはわれさきにと争いながらティッシュの箱の大きさのものをもらったりしている。
「はいはい、あと残り○個!」とあおる低く抑えたダミ声。
「健康にはこれしかない」とか「ゲルマニウム」とかいう言葉も聞こえてくる。
どうやらあやしげな健康器具だか健康食品を買わせるためのデモのようであった。
あー私はこのターゲットではなかったのねえー。ほっ。
なんでもかんでももらえばいいってものでもないな、と反省しつつ、あれを差し出されるようなオバにはならないようにと自戒するのであった・・・。
「街に出る」というのは電車に乗って出かけること。
目的地が同じでも車で行くときは服装があまり気にならないのに、電車で行くときはお出かけの服で行かなくちゃと思うのはなぜなんだろう。
われながらフシギである。
ひさびさに出た「街」はクリスマスらしくイルミネーションに彩られ、行き交う人々も冬の装い。
クリスマスのかわいい小物類を見ながら楽しそうに選んでいる親子連れや恋人たちを見るとしあわせそうで、今年もそんな季節だなあと思う。
ふだんの移動はもっぱら車で、そのために季節感がまったくないジャージ出勤などをしてしまっている私は、なんだかひとり季節に取り残されたような気になる。
今年はいつもより特に季節が駆け足で過ぎていくように思う。
街の駅前のデッキではよくティッシュや割引券が配られている。
最近でこそ消費者金融関係のティッシュが2・3個手に入る程度だが、数年前はそこを行き来するだけでポケットティッシュが10個も20個ももらえたものだ。
そして以前はよく私も「もういいかげんにして」と言いたいくらいテレクラのティッシュがもらえたものだが・・・最近はごぶさた。
テレクラ業界が下火なのか景気が悪く消費者金融が幅をきかせているのか、はたまた私がそのターゲットではなくなったのか・・・。
デッキ上では寒風吹きすさぶ中、きょうもティッシュや割引券が配られている。
自分から手を出したりはしないがタダでもらえるものはいただくほうなので、さりげなくその前を通る。
美容院の割引券、消費者金融のティッシュが配られる。ロッテリアの割引券もいただく。
次にもらったティッシュは一瞬薬の広告かなと思ったが良く見ると「エスタック・ラブ」というテレクラのティッシュ。
ロゴも色も「エスタック・イブ」のパクリ。
「さびしいあなたに愛の処方箋」。
ほうー。以前ダンナが借りてきたエロビデオ「ほのぼのレイプ」なみのネーミングのセンスに感心する。
「人妻専用」と「熟女専用」と私はどちらに電話すればいいのかと思いながらデッキの階段をおりていくと・・・
オールバックに黒服というあやしいいでたちのおにいさんがピンクのチラシを配っている。
なんだろう。
さりげにそれををもらえるように歩いていったのだが・・・なんと私はそのおにいさんにシカトされてしまった!
・・・そのチラシのターゲットではないと判断されたのだ。
スカートはいてたのになあ・・・と少しカナシイ思いをして階段をおりる。
と、そこには!
黒山の人だかり。
毛糸の帽子をかぶったりグレーや茶のぼってりした上着をはおったりしたオバの軍団である!
さきほどのピンクのチラシを受け取った人々はそこに流れている。
50代から60代と思われるオバたちはわれさきにと争いながらティッシュの箱の大きさのものをもらったりしている。
「はいはい、あと残り○個!」とあおる低く抑えたダミ声。
「健康にはこれしかない」とか「ゲルマニウム」とかいう言葉も聞こえてくる。
どうやらあやしげな健康器具だか健康食品を買わせるためのデモのようであった。
あー私はこのターゲットではなかったのねえー。ほっ。
なんでもかんでももらえばいいってものでもないな、と反省しつつ、あれを差し出されるようなオバにはならないようにと自戒するのであった・・・。
鍵盤ハーモニカとヨダレ
2003年12月16日 日常☆ヨダレのハナシなので気持ち悪いと思われる方は読まないほうがいいです・・・。
ps.「ピアニカ」はヤマハ、「メロディオン」はスズキの商品名のようで。
「鍵盤ハーモニカ」が正式名称でありそう呼ぶのが正しいらしいので書きかえました。
職場の学校で2年生の音楽の鍵盤ハーモニカ練習をしていたときのこと。
音楽の補助で入っていたので個別にコドモたちの練習をみてまわっていた。
お題は「こぎつね」。
♪こぎつねこんこん やまのなかー というあの歌である。
「音鳴らないー」と男の子が声をかけてくる。
仮にハジメくんとしておく。
ハジメくんはイマドキめずらしいクリクリの坊主頭の男の子。
「戦後の日本」などという白黒の写真資料集に出てきそうな、ほっぺに赤いクレヨンでグルグルを書いたら似合いそうな子だ。
鍵盤ハーモニカは、本体と口に含む部分の「歌口(うたくち)」、歌口と本体をつなぐビニールホースで構成されている。
見ればハジメくんのビニールホースには穴が開いていてそこから空気がもれ、いくら息を吹き込んでもきれいな音が出なくなっている。
彼なりに一生懸命息を吹き込んでいるのだが、そこは「お子様」。
息といっしょに大量のヨダレもすでに投入されて、音といっしょにズッコズッコとヨダレの音が出ている。
穴を押さえようとするとそこからヨダレももれ出てきて指につく・・・。
ヨダレを切って穴を押さえながら吹かせてみるといい音が出た。
が、ハジメくんは鼻水もたれていて、その鼻水とさらなるヨダレと以前からのホコリなどで歌口が悲惨な状態になっていたのを私は見てしまった。
嫌な予感がしたので「・・なおってよかったね」と言ってそそくさと立ち去ろうとすると・・・
ハジメくん「せんせ、ここやってみて。こぎつねこんこん」。
前歯のない満面の笑顔でにっこりとハジメくんが差し出した手にはさっきのあのヌラヌラと黒光りした「歌口」が光っている・・・。
天使のように邪気のないハジメくんの笑顔と歌口とを一瞬にして見比べ、さらにそのやりとりを見ていた周囲の数人の子供たちの反応を推し量り・・・私は心の中で目を閉じながら歌口を受け取った・・・・。
とりあえずティッシュで歌口の表面のみはきっちりとふき取る。
意を決して歌口を口にくわえ鍵盤ハーモニカを吹く・・。
よし、嫌な顔は見せてないな。
周囲の子たちも成り行きに安心したのか自分の練習に戻っていく。
授業のあと、職員トイレでうがいをしたのは言うまでもない。
低学年の教室に入っているとこういう「体液レベル」のおつきあいは多々ある。
おしっこのおもらしなんてよくあることで、なんてことない。
低学年の子はうんこをおかあさまに拭いていただいている子もまだまだいて、ときどきケツ拭きもにこやかにうけたまわる。
和式トイレだと便器の中にちゃんとできない子もいて便器の外にバナナ状のモノが一本、なんてこともよくある。
ゲロったものの処理もするし、鼻をほじったその手で「せんせー」とだきついてくるのも日常茶飯事。
いちおうオトナだしお仕事なので嫌な顔はできないが・・・やっぱりやっぱりイヤだようっっっ。
自分のコドモ育てのときに経験していて免疫もあり「子供なんだもの。こういうもんだ」と思えるが、若い先生たちは人生観が変わるほどのショックらしい。
あとで担任の先生に言われる。
「せんせ、よくやったね。あの子、ものの管理悪くてきたなくしてるから。
私なら『やだー』って言っちゃうよ」。
うへー。
そう聞くとますます気管支のあたりまでムズムズしてくる・・・。
だってねえ・・「キモいからやだー!」なんて言ってもよかったのかなあ。
私がこれでかぜでもひいたら、間違いなくあのハジメウイルスが体内で増殖したものと思われる・・・。
きょうは早く寝よう。
ps.「ピアニカ」はヤマハ、「メロディオン」はスズキの商品名のようで。
「鍵盤ハーモニカ」が正式名称でありそう呼ぶのが正しいらしいので書きかえました。
職場の学校で2年生の音楽の鍵盤ハーモニカ練習をしていたときのこと。
音楽の補助で入っていたので個別にコドモたちの練習をみてまわっていた。
お題は「こぎつね」。
♪こぎつねこんこん やまのなかー というあの歌である。
「音鳴らないー」と男の子が声をかけてくる。
仮にハジメくんとしておく。
ハジメくんはイマドキめずらしいクリクリの坊主頭の男の子。
「戦後の日本」などという白黒の写真資料集に出てきそうな、ほっぺに赤いクレヨンでグルグルを書いたら似合いそうな子だ。
鍵盤ハーモニカは、本体と口に含む部分の「歌口(うたくち)」、歌口と本体をつなぐビニールホースで構成されている。
見ればハジメくんのビニールホースには穴が開いていてそこから空気がもれ、いくら息を吹き込んでもきれいな音が出なくなっている。
彼なりに一生懸命息を吹き込んでいるのだが、そこは「お子様」。
息といっしょに大量のヨダレもすでに投入されて、音といっしょにズッコズッコとヨダレの音が出ている。
穴を押さえようとするとそこからヨダレももれ出てきて指につく・・・。
ヨダレを切って穴を押さえながら吹かせてみるといい音が出た。
が、ハジメくんは鼻水もたれていて、その鼻水とさらなるヨダレと以前からのホコリなどで歌口が悲惨な状態になっていたのを私は見てしまった。
嫌な予感がしたので「・・なおってよかったね」と言ってそそくさと立ち去ろうとすると・・・
ハジメくん「せんせ、ここやってみて。こぎつねこんこん」。
前歯のない満面の笑顔でにっこりとハジメくんが差し出した手にはさっきのあのヌラヌラと黒光りした「歌口」が光っている・・・。
天使のように邪気のないハジメくんの笑顔と歌口とを一瞬にして見比べ、さらにそのやりとりを見ていた周囲の数人の子供たちの反応を推し量り・・・私は心の中で目を閉じながら歌口を受け取った・・・・。
とりあえずティッシュで歌口の表面のみはきっちりとふき取る。
意を決して歌口を口にくわえ鍵盤ハーモニカを吹く・・。
よし、嫌な顔は見せてないな。
周囲の子たちも成り行きに安心したのか自分の練習に戻っていく。
授業のあと、職員トイレでうがいをしたのは言うまでもない。
低学年の教室に入っているとこういう「体液レベル」のおつきあいは多々ある。
おしっこのおもらしなんてよくあることで、なんてことない。
低学年の子はうんこをおかあさまに拭いていただいている子もまだまだいて、ときどきケツ拭きもにこやかにうけたまわる。
和式トイレだと便器の中にちゃんとできない子もいて便器の外にバナナ状のモノが一本、なんてこともよくある。
ゲロったものの処理もするし、鼻をほじったその手で「せんせー」とだきついてくるのも日常茶飯事。
いちおうオトナだしお仕事なので嫌な顔はできないが・・・やっぱりやっぱりイヤだようっっっ。
自分のコドモ育てのときに経験していて免疫もあり「子供なんだもの。こういうもんだ」と思えるが、若い先生たちは人生観が変わるほどのショックらしい。
あとで担任の先生に言われる。
「せんせ、よくやったね。あの子、ものの管理悪くてきたなくしてるから。
私なら『やだー』って言っちゃうよ」。
うへー。
そう聞くとますます気管支のあたりまでムズムズしてくる・・・。
だってねえ・・「キモいからやだー!」なんて言ってもよかったのかなあ。
私がこれでかぜでもひいたら、間違いなくあのハジメウイルスが体内で増殖したものと思われる・・・。
きょうは早く寝よう。
現在サンフランシスコ♪
2003年12月15日 日常7月から始めた「世界一周すると10万円貯まる本」の貯金額が7万円になる。
貯金本→http://diary.note.ne.jp/34236/20030705
うほほ。
けっこう貯まるもんだなあとわれながらオドロキ。
ただ買い物のおつりなどで手に入ってきた500円玉を貯めただけなのにこんなになるなんて。
地球を西回りでまわって現在サンフランシスコ♪
このあと南アメリカを回りオーストラリアを通って日本へ戻ってくる。
戻ったときには10万円!
貯金本もずっしりと重くなり、ずっしりしたその重みがまたうれしい。
7万円かあー・・と思いながら新聞を眺めていると目に入ったのは旅行の広告。
なになにっ?
「きらめく北海道。100万ドルの函館夜景と空中露天風呂の湯の川温泉・19800円」。
ええー。函館がイチキュッパ!?
しかも「北の味覚食べ放題!」とある。
いいねえー。なんだかわからないけど空中露天風呂というのも興味を引く。
そしてこちらには・・・
「冬の一押し韓国大キャンペーン2泊3日・24800円」。
カルビ食べ放題と南山夜景見学。次の日はキムチ店などソウル市内観光付き。
うわー。韓国旅行だって行ける。
あれこれワクワクしながら見ていると
娘「旅行っっ?どこどこっ?またスパリゾート?あそこはほらバイキングでゲリピーだからだめだめ」とかなんとか、いっしょに広告を見始める。
そうなんだな。
私だけが旅行行くわけにはいかないもんなあ。
かといってどこ行ってもムスムスしてるダンナや息子といっしょってのもやだし・・・。
どうせ行くなら女友達といっしょがいいけど、私を含めてまだまだ自由に旅行行ける境遇じゃないしね。
こういうときは、早くコドモたちが大きくなればいいなあなんて思う。
とりあえず10万円までもう少し。
旅行に行けるとかモノを買えるとか貯めてる間に「夢」も見られるしなかなか楽しい貯金本です。
貯金本→http://diary.note.ne.jp/34236/20030705
うほほ。
けっこう貯まるもんだなあとわれながらオドロキ。
ただ買い物のおつりなどで手に入ってきた500円玉を貯めただけなのにこんなになるなんて。
地球を西回りでまわって現在サンフランシスコ♪
このあと南アメリカを回りオーストラリアを通って日本へ戻ってくる。
戻ったときには10万円!
貯金本もずっしりと重くなり、ずっしりしたその重みがまたうれしい。
7万円かあー・・と思いながら新聞を眺めていると目に入ったのは旅行の広告。
なになにっ?
「きらめく北海道。100万ドルの函館夜景と空中露天風呂の湯の川温泉・19800円」。
ええー。函館がイチキュッパ!?
しかも「北の味覚食べ放題!」とある。
いいねえー。なんだかわからないけど空中露天風呂というのも興味を引く。
そしてこちらには・・・
「冬の一押し韓国大キャンペーン2泊3日・24800円」。
カルビ食べ放題と南山夜景見学。次の日はキムチ店などソウル市内観光付き。
うわー。韓国旅行だって行ける。
あれこれワクワクしながら見ていると
娘「旅行っっ?どこどこっ?またスパリゾート?あそこはほらバイキングでゲリピーだからだめだめ」とかなんとか、いっしょに広告を見始める。
そうなんだな。
私だけが旅行行くわけにはいかないもんなあ。
かといってどこ行ってもムスムスしてるダンナや息子といっしょってのもやだし・・・。
どうせ行くなら女友達といっしょがいいけど、私を含めてまだまだ自由に旅行行ける境遇じゃないしね。
こういうときは、早くコドモたちが大きくなればいいなあなんて思う。
とりあえず10万円までもう少し。
旅行に行けるとかモノを買えるとか貯めてる間に「夢」も見られるしなかなか楽しい貯金本です。
テレビで「小学生30人31脚全国大会2003」を見る。
優勝チームの力強い走りはすばらしいし、30人をまとめるリーダーの責任感などはいつ見ても立派だなあと思う。
うちの子と同じ年齢なんて思えない。
早く走るためのちょっとしたアイディアや工夫なども見ていてためになる。
でもね・・・。
「仮装大賞」や「ドミノ倒し」など小学生がチームで参加する番組はいろいろあるが、この「30人31脚」はどうも悲壮感が漂い、あまりストレートに感動できない。
本来なら子供たちが一生懸命やって涙する、なんてものにはからきし弱いのだけど・・。
この競技のルールとして「原則としてクラス単位」というのがある。
子供には得意不得意があり、スポーツで一致団結ということに関して燃える子もいれば燃えない子もいるはず。
それに、ひとつのクラスはたいてい35人から38人くらい、というのが平均だろう。
当然メンバーに選ばれない子が出てくる。
30人の中にだって得意じゃない子も入っているだろう。
その子たちをすべて巻き込んで30人31脚することになんとなく抵抗を感じる。
自分が体育会系ではないからかなあ。
子供の世界は弱肉強食だ。
クラスの中でさまざまな思いが交錯し、きっと悲しい思いや嫌な思いをしている子供がいるんだろう・・・。
なんて思うから素直に感動できないんだろうな。
といいつつきょうも見ちゃったけどさ。
優勝チームの力強い走りはすばらしいし、30人をまとめるリーダーの責任感などはいつ見ても立派だなあと思う。
うちの子と同じ年齢なんて思えない。
早く走るためのちょっとしたアイディアや工夫なども見ていてためになる。
でもね・・・。
「仮装大賞」や「ドミノ倒し」など小学生がチームで参加する番組はいろいろあるが、この「30人31脚」はどうも悲壮感が漂い、あまりストレートに感動できない。
本来なら子供たちが一生懸命やって涙する、なんてものにはからきし弱いのだけど・・。
この競技のルールとして「原則としてクラス単位」というのがある。
子供には得意不得意があり、スポーツで一致団結ということに関して燃える子もいれば燃えない子もいるはず。
それに、ひとつのクラスはたいてい35人から38人くらい、というのが平均だろう。
当然メンバーに選ばれない子が出てくる。
30人の中にだって得意じゃない子も入っているだろう。
その子たちをすべて巻き込んで30人31脚することになんとなく抵抗を感じる。
自分が体育会系ではないからかなあ。
子供の世界は弱肉強食だ。
クラスの中でさまざまな思いが交錯し、きっと悲しい思いや嫌な思いをしている子供がいるんだろう・・・。
なんて思うから素直に感動できないんだろうな。
といいつつきょうも見ちゃったけどさ。
今年もサンタさんにお手紙を書く時期になる。
12月の12日までにほしいものをお手紙に書いて枕元に置いて寝る。
サンタさんはツリーの電飾をたよりに夜中に巡回しコドモたちのお手紙を集めていくというわけである。
息子が幼稚園のときから仲間内でなんとなくそういう「物語」ができあがり(というか母達が作り)ここ何年もそうしてきた。
なかなかロマンのあるストーリーだしなにより「お手紙」というのが都合がいい。
品物を確約できる。
勝手に「やっぱりあれのほうがよかったなー」とギリギリになって変えられても困るからだ。
それに人気のある商品はクリスマス間近になると早々と売り切れてしまう。
ゲームなどは発売日前に予約しないと買えないし、そういう事態を避けるためにも早めの日にちを区切るというのはなかなかいいアイディアだと思う。
お子様達のご希望に確実にそうためには早めの準備がモノをいうのだ。
幼稚園や小学校低学年のうちは「サンタさんへ。○○をください。おねがいします」なんてかわいいお手紙を書いていたが・・・・
さすがに友達との交流が広がる小学校中学年あたりから「手紙書くのうちだけみたいだよ」「よそんちではおかあさんに言えばいいって」などと息子が言うようになった。
さて今年。
私のほうがいまさらお手紙でもないだろう・・とは思ったが、とりあえずリサーチの必要もあることだしということで「サンタさんにお手紙書くよ」と例年のようにお手紙用のかわいいカードを出す。
しっかりものだが夢見る夢子ちゃんの娘は「もう決まってるんだあー」とにこにこしながらカラーペンなど使ってかわいいお手紙を書く。
息子、「・・・口で何ほしいか言えばいいんじゃん?」。
一応娘を気遣って「サンタさんはいない」とは言わないがそのからくりはわかっている様子。
そりゃそうだ。
来年は中学生なんだから。
娘がいないところで息子の言い分を聞いてやる。
「3年のころは信じてて毎日毎日サンタさんにあれくださいくださいおねがいしますっていっしょうけんめいお願いした。でも4年くらいになるとなんだか友達がいろいろ言ったりするからどうかなと思った。去年はあんまり信じてなかったけどでも一応と思った」。
「だって友達んとこはサンタさんのプレゼントなのにヨーカドーの値札シールだったっていうし」。
「ほんとにほしいものがあってもおかあさんに秘密にしてると届かないってのは変だし」。
ふんふん。そうか。
サンタさんがいないことに対して否定も肯定もしなかった。
そして大きくなったしね、という気持ちをこめて「そっかあ。そう思ったときがサンタさんからの卒業だって言うけどそうだねえ。じゃああんたもサンタさんには頼まないでおうちの人からのプレゼントってことでお店に直で買いに行く?サンタさんはプレゼントを待っているちっちゃい子たちのために忙しいし」と言ってみる。
息子、それもいやだなあという表情をするもののお手紙なんて・・という気持ちもあり、少し迷ってとりあえずお手紙を書き始める。
そんな息子のフクザツな気持ちがなんとなくわかってとてもかわいく思える。
「サンタさんがクリスマスの夜に枕元にプレゼントを届けてくれる」。
それを信じられる気持ちは「夢を信じる気持ち」につながるものだろうと思う。
夢を夢としてそのまま素直に大切にする気持ち。
サンタさんにいっしょうけんめいお願いしてクリスマスの朝にはほしいと思っていたものが届く・・・。
子供のころに経験したそのいっしょうけんめいな気持ちやわくわくどきどきした気持ち、「夢を信じる」その気持ちはきっと大きくなっても忘れないだろう。
だから・・・息子が「今年からは店に買いに行く」というならそれでもいいと思ったが、「サンタさんはいなかったんだよ。おとうさんやおかあさんがサンタさんなんだよ」とはこれからも言わないつもりだ。
うちにサンタさんがプレゼントを届けてくれるのも今年か来年くらいまでかな。
コドモたちに楽しいしあわせなクリスマスを演出してあげられる親としての役割もあと少しだろう。
さて息子のリクエストは「ボボボーボ・ボーボーボー(ジャンプ連載)全11巻」。
これは「でんぢゃらすじーさん(コロコロコミック連載)」とともに、かなりハジケてるまんが。
テレビアニメでもやってるけどそのぶっとびっぷりはとにかくすごい。
私も読むの楽しみー♪
クリスマスのあとはコミックス争奪戦かな。
12月の12日までにほしいものをお手紙に書いて枕元に置いて寝る。
サンタさんはツリーの電飾をたよりに夜中に巡回しコドモたちのお手紙を集めていくというわけである。
息子が幼稚園のときから仲間内でなんとなくそういう「物語」ができあがり(というか母達が作り)ここ何年もそうしてきた。
なかなかロマンのあるストーリーだしなにより「お手紙」というのが都合がいい。
品物を確約できる。
勝手に「やっぱりあれのほうがよかったなー」とギリギリになって変えられても困るからだ。
それに人気のある商品はクリスマス間近になると早々と売り切れてしまう。
ゲームなどは発売日前に予約しないと買えないし、そういう事態を避けるためにも早めの日にちを区切るというのはなかなかいいアイディアだと思う。
お子様達のご希望に確実にそうためには早めの準備がモノをいうのだ。
幼稚園や小学校低学年のうちは「サンタさんへ。○○をください。おねがいします」なんてかわいいお手紙を書いていたが・・・・
さすがに友達との交流が広がる小学校中学年あたりから「手紙書くのうちだけみたいだよ」「よそんちではおかあさんに言えばいいって」などと息子が言うようになった。
さて今年。
私のほうがいまさらお手紙でもないだろう・・とは思ったが、とりあえずリサーチの必要もあることだしということで「サンタさんにお手紙書くよ」と例年のようにお手紙用のかわいいカードを出す。
しっかりものだが夢見る夢子ちゃんの娘は「もう決まってるんだあー」とにこにこしながらカラーペンなど使ってかわいいお手紙を書く。
息子、「・・・口で何ほしいか言えばいいんじゃん?」。
一応娘を気遣って「サンタさんはいない」とは言わないがそのからくりはわかっている様子。
そりゃそうだ。
来年は中学生なんだから。
娘がいないところで息子の言い分を聞いてやる。
「3年のころは信じてて毎日毎日サンタさんにあれくださいくださいおねがいしますっていっしょうけんめいお願いした。でも4年くらいになるとなんだか友達がいろいろ言ったりするからどうかなと思った。去年はあんまり信じてなかったけどでも一応と思った」。
「だって友達んとこはサンタさんのプレゼントなのにヨーカドーの値札シールだったっていうし」。
「ほんとにほしいものがあってもおかあさんに秘密にしてると届かないってのは変だし」。
ふんふん。そうか。
サンタさんがいないことに対して否定も肯定もしなかった。
そして大きくなったしね、という気持ちをこめて「そっかあ。そう思ったときがサンタさんからの卒業だって言うけどそうだねえ。じゃああんたもサンタさんには頼まないでおうちの人からのプレゼントってことでお店に直で買いに行く?サンタさんはプレゼントを待っているちっちゃい子たちのために忙しいし」と言ってみる。
息子、それもいやだなあという表情をするもののお手紙なんて・・という気持ちもあり、少し迷ってとりあえずお手紙を書き始める。
そんな息子のフクザツな気持ちがなんとなくわかってとてもかわいく思える。
「サンタさんがクリスマスの夜に枕元にプレゼントを届けてくれる」。
それを信じられる気持ちは「夢を信じる気持ち」につながるものだろうと思う。
夢を夢としてそのまま素直に大切にする気持ち。
サンタさんにいっしょうけんめいお願いしてクリスマスの朝にはほしいと思っていたものが届く・・・。
子供のころに経験したそのいっしょうけんめいな気持ちやわくわくどきどきした気持ち、「夢を信じる」その気持ちはきっと大きくなっても忘れないだろう。
だから・・・息子が「今年からは店に買いに行く」というならそれでもいいと思ったが、「サンタさんはいなかったんだよ。おとうさんやおかあさんがサンタさんなんだよ」とはこれからも言わないつもりだ。
うちにサンタさんがプレゼントを届けてくれるのも今年か来年くらいまでかな。
コドモたちに楽しいしあわせなクリスマスを演出してあげられる親としての役割もあと少しだろう。
さて息子のリクエストは「ボボボーボ・ボーボーボー(ジャンプ連載)全11巻」。
これは「でんぢゃらすじーさん(コロコロコミック連載)」とともに、かなりハジケてるまんが。
テレビアニメでもやってるけどそのぶっとびっぷりはとにかくすごい。
私も読むの楽しみー♪
クリスマスのあとはコミックス争奪戦かな。
♪かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
大人ならたいていの人が知っている唱歌「たきび」である。
音楽の時間。
一年生たちが大きな口をあけかわいい声でいっしょうけんめい歌う。
ひととおり歌ったあと・・・「せんせー『あたろうかあたろうよ』ってなにー?」と聞く子供あり。
聞けばその子は「くじに当たる」の意味を考えていたらしい。
「『たきびにあたる』とか『火にあたる』とか言わない?」と聞くと、もちろん知っている子も多いが「知らないー」とフシギそうにする子もけっこういた。
そうか。
「火にあたる」という文化は平成8年生まれの1年生たちにはないのか。
・・・私たちが子供のころは秋の落ち葉を集めてたきびをしその中で焼き芋を作ったりした。
10年ほど前までも、ここらでは秋になると落ち葉を燃やす煙があちこちで上がり、あの煙のいぶされたような匂いに冬の訪れを感じたものである。
でもここ数年ダイオキシンがなんとかかんとか・・でたきびなんてやっているとすぐに通報され消防署が来て指導されてしまうご時世だ。
「たきび」そのものを実際に見たことがない子が大半。
彼らには「火にあたる」どころか「ストーブにあたる」文化もないらしい。
寒いときには部屋全体があたためられるエアコンやヒーターの時代。
石油ストーブにかじかんだ手をかざして部屋が暖まるのを待つ、そんなことも知らない時代の子供たちだ。
そう思ってこの「たきび」の歌詞を子供たちと意味を考えながら見ていくと・・・
「かきね」も知らないし2番にで出てくる「しもやけおててがもうかゆい」も意味不明な歌詞のよう。
「手のここんところがね、冬になるとガサガサになって赤くなってかゆくてひどいときは血がでたりするんだよ」と「しもやけ」を説明するが・・・
だいたい「しもやけ」ができる環境に彼らはいない。
私だって「しもやけがかゆい」は実感としてないもんなあ。
そして「おちばたき」。
私もその部分は子供のころは意味不明で「落ち葉焚き(落ち葉を焚くこと)」と気づいたのはわりとあとだった。
「葉っぱがね滝のようになっていっぱいおちてくること」「落ち葉の滝だよー」「落ち葉をたたくことだよ」とかいろいろかわいい答えが返ってくる。
「落ち葉炊き」を説明するには日本にはかつて落ち葉を集めて焚くという文化が存在した・・なんてことから説明しなければいけなくなる。
ふうー。
そういえば、私も子供のころ「ふるさと」の歌詞、「♪うさぎおいしかのやま」は「うさぎがおいしい」だと思っていた。
(だって、うさぎは食用だったもん→http://diary.note.ne.jp/34236/20030915)
「あおげは尊し」の「♪今こそわかれめ」だって「こそ+已然形」で強調の意味なのだが、「分かれ目」だと思っていた。
ついでにいうと「巨人の星」だって「♪重いコンダラ」だと思っていた。
重い「コンダラ」というものを星飛雄馬が力の限り引いてトレーニングするのである・・・。
まあそんなこんなで、失われつつある日本の文化「たきび」を考える音楽のお勉強の時間だった。
たきびだ たきびだ おちばたき
大人ならたいていの人が知っている唱歌「たきび」である。
音楽の時間。
一年生たちが大きな口をあけかわいい声でいっしょうけんめい歌う。
ひととおり歌ったあと・・・「せんせー『あたろうかあたろうよ』ってなにー?」と聞く子供あり。
聞けばその子は「くじに当たる」の意味を考えていたらしい。
「『たきびにあたる』とか『火にあたる』とか言わない?」と聞くと、もちろん知っている子も多いが「知らないー」とフシギそうにする子もけっこういた。
そうか。
「火にあたる」という文化は平成8年生まれの1年生たちにはないのか。
・・・私たちが子供のころは秋の落ち葉を集めてたきびをしその中で焼き芋を作ったりした。
10年ほど前までも、ここらでは秋になると落ち葉を燃やす煙があちこちで上がり、あの煙のいぶされたような匂いに冬の訪れを感じたものである。
でもここ数年ダイオキシンがなんとかかんとか・・でたきびなんてやっているとすぐに通報され消防署が来て指導されてしまうご時世だ。
「たきび」そのものを実際に見たことがない子が大半。
彼らには「火にあたる」どころか「ストーブにあたる」文化もないらしい。
寒いときには部屋全体があたためられるエアコンやヒーターの時代。
石油ストーブにかじかんだ手をかざして部屋が暖まるのを待つ、そんなことも知らない時代の子供たちだ。
そう思ってこの「たきび」の歌詞を子供たちと意味を考えながら見ていくと・・・
「かきね」も知らないし2番にで出てくる「しもやけおててがもうかゆい」も意味不明な歌詞のよう。
「手のここんところがね、冬になるとガサガサになって赤くなってかゆくてひどいときは血がでたりするんだよ」と「しもやけ」を説明するが・・・
だいたい「しもやけ」ができる環境に彼らはいない。
私だって「しもやけがかゆい」は実感としてないもんなあ。
そして「おちばたき」。
私もその部分は子供のころは意味不明で「落ち葉焚き(落ち葉を焚くこと)」と気づいたのはわりとあとだった。
「葉っぱがね滝のようになっていっぱいおちてくること」「落ち葉の滝だよー」「落ち葉をたたくことだよ」とかいろいろかわいい答えが返ってくる。
「落ち葉炊き」を説明するには日本にはかつて落ち葉を集めて焚くという文化が存在した・・なんてことから説明しなければいけなくなる。
ふうー。
そういえば、私も子供のころ「ふるさと」の歌詞、「♪うさぎおいしかのやま」は「うさぎがおいしい」だと思っていた。
(だって、うさぎは食用だったもん→http://diary.note.ne.jp/34236/20030915)
「あおげは尊し」の「♪今こそわかれめ」だって「こそ+已然形」で強調の意味なのだが、「分かれ目」だと思っていた。
ついでにいうと「巨人の星」だって「♪重いコンダラ」だと思っていた。
重い「コンダラ」というものを星飛雄馬が力の限り引いてトレーニングするのである・・・。
まあそんなこんなで、失われつつある日本の文化「たきび」を考える音楽のお勉強の時間だった。
朝見たらハム太が死んでいた。
きのうの朝もあぶなかった。
巣の中ではなくおがくずのすみっこにうずくまって動かない。
死にかけていたハム太は妙に力がなくふにゃっとしていて、私と娘とでストーブやこたつであっためたり好きなひまわりの種をむいて食べさせたりして蘇生させた。
きのうの夜には回し車をまわしたりハム子とチュッチュッと鳴き合ったりしていたのに。
けさ見たときはもうだめだった。
いつもはおしゃべりな娘が何もしゃべらず、ティッシュにくるんだハム太をひざに乗せなでている。
レースのカーテン越しの明るい日差しで逆光になり娘の表情はわからないが、輪郭だけが淡い黄金色に見える。
娘の手のぬくもりが移ったハム太の体は温かく毛もフワフワのままで、思わずまだ生きているのかと思うほど。
私と娘はしばらく何も言わずにハム太を指先でなでる。
ビーズのような真っ黒なつぶらな瞳は固く閉じられもう開くことはない。
しばらくして意を決したように娘は立ち上がり、そこらにあるおがくずやハムのおふとん、ひまわりの種やペレットなどを手早く手に取り玄関を開けて外に出た。
ハムを見送るのはこれで10回目にもなろうか。
たいていはきょうみたいに寒い冬の朝だ。
北風が冷たく雲ひとつないスカーンと晴れた青空がどこまでも澄みわたっている。
スコップでざくざくと穴を掘る。
ハムのおふとん綿をしいた上にハム太をそっと寝かせる。
おがくずと綿をまた丁寧にかけてやる。
手向けのひまわりの種や星型のペレットをハム太のまわりに入れてやる。
土をかけ手ごろな平べったい石を探して墓石代わりに乗せて手を合わせる・・・。
それがいいことなのか悪いことなのかわからないが、一連の作業は今までに何度もやっている通りで手慣れたものだ。
ハムを飼って数年になるので庭には何匹もハムが埋まっている。
「死んだらまたペットショップで買ってくればいい」くらいにコドモたちは思ってしまっていないか。
「ハムは消耗品」みたいに思ってしまっていないか。
かわいがっていたハム太の死に涙ひとつ見せない娘に私はちょっとそう思った・・・そのとき。
娘がボソボソと自分に言い聞かせるように言う。
「おかあさん、ハム太はうちに来てしあわせだったよね。
私もおかあさんもにーちゃんもハム太と遊んだりかわいがったりしたよね。
エサだっていっぱいいろんな種類あげたよね。
ハム子とだって仲良くしたし、子ハムもうまれたし、ハム太はうちに来てしあわせだったよね。
できることはちゃんとやってあげたよね・・・?」。
何をもってハムスターのしあわせというのかはわからないが・・・娘は娘なりに気持ちを納得させていたのだ。
「死んだら次」と軽く考えていただけじゃなかった。
「やるだけのことはちゃんとやってあげられた。だから私もハム太もしあわせ」。
そう思ったのだろう。
人間、「あのときああしていれば・・・」という後悔の念があるとあとあとまで気持ちを引きずるものだ。
娘は「せいいっぱいやることはやってあげられた」と・・・ハム太との最後のお別れのときに自分に言い聞かせ、そのお別れを自分の中で消化できたのだろう。
私も・・こんな短命な生き物をいくら飼ったところでかわいそうなだけと思いながらも、そのときそのとき十分にかわいがっているつもりなので、次の新しいハムスターとの出会いはまた新鮮な気持ちになれる。
ハム太、うちに来てくれてありがとう。
ハム子といっしょの写真をテレビの上に飾ってずっと忘れないからね。
天国でもしあわせにね。
合掌。
きのうの朝もあぶなかった。
巣の中ではなくおがくずのすみっこにうずくまって動かない。
死にかけていたハム太は妙に力がなくふにゃっとしていて、私と娘とでストーブやこたつであっためたり好きなひまわりの種をむいて食べさせたりして蘇生させた。
きのうの夜には回し車をまわしたりハム子とチュッチュッと鳴き合ったりしていたのに。
けさ見たときはもうだめだった。
いつもはおしゃべりな娘が何もしゃべらず、ティッシュにくるんだハム太をひざに乗せなでている。
レースのカーテン越しの明るい日差しで逆光になり娘の表情はわからないが、輪郭だけが淡い黄金色に見える。
娘の手のぬくもりが移ったハム太の体は温かく毛もフワフワのままで、思わずまだ生きているのかと思うほど。
私と娘はしばらく何も言わずにハム太を指先でなでる。
ビーズのような真っ黒なつぶらな瞳は固く閉じられもう開くことはない。
しばらくして意を決したように娘は立ち上がり、そこらにあるおがくずやハムのおふとん、ひまわりの種やペレットなどを手早く手に取り玄関を開けて外に出た。
ハムを見送るのはこれで10回目にもなろうか。
たいていはきょうみたいに寒い冬の朝だ。
北風が冷たく雲ひとつないスカーンと晴れた青空がどこまでも澄みわたっている。
スコップでざくざくと穴を掘る。
ハムのおふとん綿をしいた上にハム太をそっと寝かせる。
おがくずと綿をまた丁寧にかけてやる。
手向けのひまわりの種や星型のペレットをハム太のまわりに入れてやる。
土をかけ手ごろな平べったい石を探して墓石代わりに乗せて手を合わせる・・・。
それがいいことなのか悪いことなのかわからないが、一連の作業は今までに何度もやっている通りで手慣れたものだ。
ハムを飼って数年になるので庭には何匹もハムが埋まっている。
「死んだらまたペットショップで買ってくればいい」くらいにコドモたちは思ってしまっていないか。
「ハムは消耗品」みたいに思ってしまっていないか。
かわいがっていたハム太の死に涙ひとつ見せない娘に私はちょっとそう思った・・・そのとき。
娘がボソボソと自分に言い聞かせるように言う。
「おかあさん、ハム太はうちに来てしあわせだったよね。
私もおかあさんもにーちゃんもハム太と遊んだりかわいがったりしたよね。
エサだっていっぱいいろんな種類あげたよね。
ハム子とだって仲良くしたし、子ハムもうまれたし、ハム太はうちに来てしあわせだったよね。
できることはちゃんとやってあげたよね・・・?」。
何をもってハムスターのしあわせというのかはわからないが・・・娘は娘なりに気持ちを納得させていたのだ。
「死んだら次」と軽く考えていただけじゃなかった。
「やるだけのことはちゃんとやってあげられた。だから私もハム太もしあわせ」。
そう思ったのだろう。
人間、「あのときああしていれば・・・」という後悔の念があるとあとあとまで気持ちを引きずるものだ。
娘は「せいいっぱいやることはやってあげられた」と・・・ハム太との最後のお別れのときに自分に言い聞かせ、そのお別れを自分の中で消化できたのだろう。
私も・・こんな短命な生き物をいくら飼ったところでかわいそうなだけと思いながらも、そのときそのとき十分にかわいがっているつもりなので、次の新しいハムスターとの出会いはまた新鮮な気持ちになれる。
ハム太、うちに来てくれてありがとう。
ハム子といっしょの写真をテレビの上に飾ってずっと忘れないからね。
天国でもしあわせにね。
合掌。
ほんだしのコマーシャル。
樹木希林扮するおかあさんが具沢山のみそ汁を娘の田中麗奈にすすめる。
娘は外でなにかあったらしいのだがその味噌汁で心も体もあったまる・・・そんな一場面。
野菜たっぷりのみそ汁の湯気もほっかほかであったかそうで、「もう一晩泊まってく?あたしはカラオケ行くけど」のおかあさんの娘との距離感も適当で、見ているだけで心も体もあったまるようなコマーシャルだ。
・・・朝は断然コーヒー、と思っていた。
ここのところ朝がつらい。
ぬくぬくとしたふとんのぬくもりから抜け出して朝イチで居間におりる。
ファンヒーターとホットカーペットをつける。コーヒーをいれる。
コーヒーをいれるコポコポという音が朝の静かな時間に流れ、白い湯気がたちのぼりコーヒーの香りで部屋中が満たされる。
ファンヒーターのほこりの匂いをふくんだような独特の匂いも「冬だなあ」って気がする。
コーヒーは眠い体を起こしてくれる。
朝食は体が重くて動きたくなくなるのであまり食べないけど、コーヒーは欠かせない。
が、ほんだしのコマーシャルを見るたびに「やっぱり朝はみそ汁かなあ」とも思う。
私も高校生のころそうだった。
中学生まではしっかり朝食も食べていたはずだが、高校生の頃は一分でも長く寝ていたかったし、ダイエットもかねてせっかく母が作ってくれた朝食も食べないことが多かった。
それでも母は私の分の朝食は毎日並べてくれていた。
食べない私を心配する母の思いまでもがウザイ(今風に言えば)と思う時期だった。
でもなんだかつらいことがあった次の日の朝に、食卓にならんだあったかいみそ汁をすすって心の底から「・・・おいしい」と思ったことがあったのを思い出す。
その日以来、高校生の私は朝はみそ汁だけは食べて(具沢山だったので)学校に出かけていった。
そんなこんな思い出し、最近朝はみそ汁を出している。
朝なんて時間がなくてみそ汁なんて作っていられないので前日の残りをあっためる。
豆腐やワカメやネギなどカンタンにできる食材で作ったりもする。
私としては熱いみそ汁をフーフーしながら朝イチで体に入れて、寝ている体も気持ちも起こしてほしいと思っているのだが、コドモはネコ舌。
さめてから出かけに飲んでいる。
違うんだけどなーと思っいながらも、まあ食べていくからよしとするか。
樹木希林扮するおかあさんが具沢山のみそ汁を娘の田中麗奈にすすめる。
娘は外でなにかあったらしいのだがその味噌汁で心も体もあったまる・・・そんな一場面。
野菜たっぷりのみそ汁の湯気もほっかほかであったかそうで、「もう一晩泊まってく?あたしはカラオケ行くけど」のおかあさんの娘との距離感も適当で、見ているだけで心も体もあったまるようなコマーシャルだ。
・・・朝は断然コーヒー、と思っていた。
ここのところ朝がつらい。
ぬくぬくとしたふとんのぬくもりから抜け出して朝イチで居間におりる。
ファンヒーターとホットカーペットをつける。コーヒーをいれる。
コーヒーをいれるコポコポという音が朝の静かな時間に流れ、白い湯気がたちのぼりコーヒーの香りで部屋中が満たされる。
ファンヒーターのほこりの匂いをふくんだような独特の匂いも「冬だなあ」って気がする。
コーヒーは眠い体を起こしてくれる。
朝食は体が重くて動きたくなくなるのであまり食べないけど、コーヒーは欠かせない。
が、ほんだしのコマーシャルを見るたびに「やっぱり朝はみそ汁かなあ」とも思う。
私も高校生のころそうだった。
中学生まではしっかり朝食も食べていたはずだが、高校生の頃は一分でも長く寝ていたかったし、ダイエットもかねてせっかく母が作ってくれた朝食も食べないことが多かった。
それでも母は私の分の朝食は毎日並べてくれていた。
食べない私を心配する母の思いまでもがウザイ(今風に言えば)と思う時期だった。
でもなんだかつらいことがあった次の日の朝に、食卓にならんだあったかいみそ汁をすすって心の底から「・・・おいしい」と思ったことがあったのを思い出す。
その日以来、高校生の私は朝はみそ汁だけは食べて(具沢山だったので)学校に出かけていった。
そんなこんな思い出し、最近朝はみそ汁を出している。
朝なんて時間がなくてみそ汁なんて作っていられないので前日の残りをあっためる。
豆腐やワカメやネギなどカンタンにできる食材で作ったりもする。
私としては熱いみそ汁をフーフーしながら朝イチで体に入れて、寝ている体も気持ちも起こしてほしいと思っているのだが、コドモはネコ舌。
さめてから出かけに飲んでいる。
違うんだけどなーと思っいながらも、まあ食べていくからよしとするか。
職場でもうちの子たちの学校でも今週はマラソン大会。
息子も自主トレに余念がない。
・・・とはいって高学年にもなると得意不得意がはっきりし、一週間やそこら走ったところで順位に変動はないと思われる。
早い子は天性の「黄金の脚」を持っているんだろうし、最近知ったのだが10位以内に入るような子は、親子ともに順位を守るために涙ぐましい「努力」をしているのだ。
秋にある駅伝大会の選手に選ばれるため、そして12月にあるマラソン大会のために、年間通して走るのはもちろんのこと当日に合わせた体調管理もばっちり。
靴だってうちの子たちのように山積みになっている1000円程度の安売りのものではない。
ニューバランスやナイキ、アディダス、プーマなどスポーツブランドの重さ100グラムの軽い靴。
娘が言うには「○ちゃんの靴持ってみたらメッシュになっていて軽くてびっくり!」だったそうだ。
普段履きと同じ厚底スニーカーをはいてぼてぼてとマラソンを走るうちの娘とは違うのであった。
当日の朝はやはり「餅」だそうで、そのために実家に行って餅をついてもらったりもするらしいし、早い順位の子がかぜでもひいていると聞けばうれしそうにする親達もいる・・・。
やたら気合が入っている。
何をやらせても「その他大勢」に入ってしまう子を持つ母としては、そんなことなど別世界のことで知らなかったとはいえ・・・まあ努力は認めるが、今さら息子が一週間朝トレしたところで何か変動があるとは思えない。
靴だってそのために買う気にもならないしなあ。
さて。
実は私も最近は職場でマラソン練習をしている。
低学年の子たちとグランド3週(一周200メートル)程度だが。
そうはいっても初めはグランド一周だってキツくて「・・・もう転んだふりでもしちゃおうかな」と思ったほどだ。
子供のころは私も速かった。
体育は好きではないけどわりと得意なほうだった。
マラソンは普通だったけど短距離ならクラスで2番か3番くらいだったのでリレーの選手になったこともある。
が。
自分が「生徒」でなくなるとダッシュすることも長く走ることも実生活ではほとんどない。
電車やバスに間に合うよう走るくらいか。
この年になって走ってみると・・・長距離も短距離も低学年の子には勝てる。
が、高学年の子には負ける!
去年あたりから50メートル走なんて息子には勝てなくなっていた・・・。
でもここんとこ毎日のようにマラソン練習を(低学年の子とだけど)していたので、よし!と思って息子の朝の自主トレにつきあう。
息子、速っっっ!!
150メートルもいかないうちに私は戦線離脱。
ありゃー・・・。
ためしに娘と短距離も走ってみる。
勝てないっっっ!
息子も娘も全然速いほうでなく真ん中くらいのはずなのに。
ついこの間までは娘に負けることなんてなかったのに。
「あんたに負けるようじゃ終わってるなー・・」と言ったら「そーだよ。もうおかあさんは終わってるんだよ」と得意そうに言う娘。
考えてみれば昔できたことが全然できなくなっている。
逆上がりは今でもできるけど、小学生のころは片足かけて鉄棒をぐるんぐるん回ったはずだし、跳び箱だってマットだってひととおりできたはず。
でも今では鉄棒もマットも跳び箱もだめ。
せいぜい低学年レベルである。
フラフープもできなかったしうんていもできなくなっていた・・・。
たしかにアタシはもう「終わってる」のか。
ううー。
息子も自主トレに余念がない。
・・・とはいって高学年にもなると得意不得意がはっきりし、一週間やそこら走ったところで順位に変動はないと思われる。
早い子は天性の「黄金の脚」を持っているんだろうし、最近知ったのだが10位以内に入るような子は、親子ともに順位を守るために涙ぐましい「努力」をしているのだ。
秋にある駅伝大会の選手に選ばれるため、そして12月にあるマラソン大会のために、年間通して走るのはもちろんのこと当日に合わせた体調管理もばっちり。
靴だってうちの子たちのように山積みになっている1000円程度の安売りのものではない。
ニューバランスやナイキ、アディダス、プーマなどスポーツブランドの重さ100グラムの軽い靴。
娘が言うには「○ちゃんの靴持ってみたらメッシュになっていて軽くてびっくり!」だったそうだ。
普段履きと同じ厚底スニーカーをはいてぼてぼてとマラソンを走るうちの娘とは違うのであった。
当日の朝はやはり「餅」だそうで、そのために実家に行って餅をついてもらったりもするらしいし、早い順位の子がかぜでもひいていると聞けばうれしそうにする親達もいる・・・。
やたら気合が入っている。
何をやらせても「その他大勢」に入ってしまう子を持つ母としては、そんなことなど別世界のことで知らなかったとはいえ・・・まあ努力は認めるが、今さら息子が一週間朝トレしたところで何か変動があるとは思えない。
靴だってそのために買う気にもならないしなあ。
さて。
実は私も最近は職場でマラソン練習をしている。
低学年の子たちとグランド3週(一周200メートル)程度だが。
そうはいっても初めはグランド一周だってキツくて「・・・もう転んだふりでもしちゃおうかな」と思ったほどだ。
子供のころは私も速かった。
体育は好きではないけどわりと得意なほうだった。
マラソンは普通だったけど短距離ならクラスで2番か3番くらいだったのでリレーの選手になったこともある。
が。
自分が「生徒」でなくなるとダッシュすることも長く走ることも実生活ではほとんどない。
電車やバスに間に合うよう走るくらいか。
この年になって走ってみると・・・長距離も短距離も低学年の子には勝てる。
が、高学年の子には負ける!
去年あたりから50メートル走なんて息子には勝てなくなっていた・・・。
でもここんとこ毎日のようにマラソン練習を(低学年の子とだけど)していたので、よし!と思って息子の朝の自主トレにつきあう。
息子、速っっっ!!
150メートルもいかないうちに私は戦線離脱。
ありゃー・・・。
ためしに娘と短距離も走ってみる。
勝てないっっっ!
息子も娘も全然速いほうでなく真ん中くらいのはずなのに。
ついこの間までは娘に負けることなんてなかったのに。
「あんたに負けるようじゃ終わってるなー・・」と言ったら「そーだよ。もうおかあさんは終わってるんだよ」と得意そうに言う娘。
考えてみれば昔できたことが全然できなくなっている。
逆上がりは今でもできるけど、小学生のころは片足かけて鉄棒をぐるんぐるん回ったはずだし、跳び箱だってマットだってひととおりできたはず。
でも今では鉄棒もマットも跳び箱もだめ。
せいぜい低学年レベルである。
フラフープもできなかったしうんていもできなくなっていた・・・。
たしかにアタシはもう「終わってる」のか。
ううー。
「消えた日記」その後
2003年12月1日 日常「だいありー」も消えたかと思ってしまった土日でした(笑)
ネット日記がパート仲間に知られたという友人はパートを辞めた。
パソメールをしても返事がなく心配だったので携帯メールしたところ、
「パソはもう開く気にもなれません。仕事も辞めました。全部知ってしまった○ちゃんが荒れているようで、私はなんてことをしたんだろうと思います。ネットはこわいですね。しばらく自粛します」という返事。
「○ちゃん」というのは彼女の日記にもよく書かれていた、彼女のパート仲間の高校生の娘。
日記を見つけた本人。
日記を見つけたのは本当にたまたま、なんだろうけれど、感受性の高い高校生が自分の母親の不倫のことをはじめとして大人の社会の複雑な人間関係を目の当たりにし、さらに自分自身のことまでおもしろおかしく書かれていたとしたらかなりショックだろうと想像できる。
くわしい事情もその後の展開も聞くのをはばかられるのでよくわからないが・・・。
たしかに「配慮に欠けていた」とはいえ、知り合いの日記がパート仲間の娘に読まれてしまったのは「交通事故」のようなものだろう。
「たまたま」とか「偶然」とか「運が悪かった」という言葉で置き換えられるんだろう。
パレちゃ困る日記を書いている人はまだまだたくさんいるんだし。
実は私は「だいありー」はこれで二度目。
以前は「知っている人に読まれてもいい日記」をこころがけそれこそ私の生活そのままを書いていた。
少し離れた友人やメールで知り合った友人たちにもアドを教えていた。
「はじめて」だったので自分の思いが公開されていることがうれしくて、みんなに読んでほしかったので主婦仲間にも教えた(残念なことに周囲のネット率は低かったが)。
読んだ本や映画のこと、自分やダンナ・コドモのことをさりげなく書いているうちはいい。
でもそれだけじゃネタもつきるしつまらない。
もっと書きたい、周囲の人の言動に対しての自分の考えも書きたいし、自分の負の感情だって書きたい・・・。
そう思うようになっても私は書けなかった。
遠く離れた人たちはともかく、日記を読んでいると思われる日々リアルで関わっている人たちの「顔」が浮かんで、この人はこう思うかな、あの人は・・と他人がどう感じるかに気持ちがいってしまい「書けなく」なっていった。
リアルの私はあまり人に気持ちをさらけ出すほうではない。
人とつるんでグループで行動するほうでもないから、他人の毎日の出来事なんて知らないし特に知りたいわけでもない。
なのに自分の毎日の出来事や気持ちを一方的に発信し、そのことに関して周囲の人たちがどう思っているかはわからない・・・
そんな一方的な日記もなんだかなーと思ったし、書きたいことも書けなくてなんのための日記かと思い削除した。
新しく「だいありー」を始めたとき実生活で関りのある人には知られないようにしようと思った。
個人を特定できる地域の話題やコドモの年齢、仕事に関しては書かないように、と。
でも実際はソレ抜きにして「私自身」は語れないということにも気づいたから書いてるけど。
ホントは仕事関係のことなんて人物にしても出来事にしてもネタはたくさんあるのに残念。
個人的なはずの「日記」だけど、やっぱりネットに公開されている以上、書いている内容には責任を持たなくちゃな、と思うので。
そして・・・私が掲示板付きだのなんだののネット日記が多々ある中で二度目も「だいありー」を選んだのは、ここの「他者との関わりの程度」が適当だと思ったからだ。
「だいありー」に求めているものは、まずは「自分の心が動いたことを書きとめておくこと」。
だから掲示板はいらない。
レスつける時間もそうそうないだろうし放置しておいたら相手にも失礼だろう。
でも、「一方的に情報を発信」するだけを求めているわけでもない。
自分の書いたことに対して反応があればうれしいから返事もしたいし、だれかが書いたことに心が動けば感想も書きたい。
秘密日記という機能は時間がない私にとっての「適度な交流」にはなかなか良いツールだと思う。
そして、書いている人が毎日の出来事を通して何を考えるか、大げさな言葉で言えばどう生きているかに触れたりしながら、自分も日記を長く続けていければいいなと思っている。
だから・・・リアルの世界で私を知っている人がここを読んでいたら・・・誰にも言わないでヒミツにこっそり読んでちょうだいね。
書けなくなっちゃ困るからさ。
ネット日記がパート仲間に知られたという友人はパートを辞めた。
パソメールをしても返事がなく心配だったので携帯メールしたところ、
「パソはもう開く気にもなれません。仕事も辞めました。全部知ってしまった○ちゃんが荒れているようで、私はなんてことをしたんだろうと思います。ネットはこわいですね。しばらく自粛します」という返事。
「○ちゃん」というのは彼女の日記にもよく書かれていた、彼女のパート仲間の高校生の娘。
日記を見つけた本人。
日記を見つけたのは本当にたまたま、なんだろうけれど、感受性の高い高校生が自分の母親の不倫のことをはじめとして大人の社会の複雑な人間関係を目の当たりにし、さらに自分自身のことまでおもしろおかしく書かれていたとしたらかなりショックだろうと想像できる。
くわしい事情もその後の展開も聞くのをはばかられるのでよくわからないが・・・。
たしかに「配慮に欠けていた」とはいえ、知り合いの日記がパート仲間の娘に読まれてしまったのは「交通事故」のようなものだろう。
「たまたま」とか「偶然」とか「運が悪かった」という言葉で置き換えられるんだろう。
パレちゃ困る日記を書いている人はまだまだたくさんいるんだし。
実は私は「だいありー」はこれで二度目。
以前は「知っている人に読まれてもいい日記」をこころがけそれこそ私の生活そのままを書いていた。
少し離れた友人やメールで知り合った友人たちにもアドを教えていた。
「はじめて」だったので自分の思いが公開されていることがうれしくて、みんなに読んでほしかったので主婦仲間にも教えた(残念なことに周囲のネット率は低かったが)。
読んだ本や映画のこと、自分やダンナ・コドモのことをさりげなく書いているうちはいい。
でもそれだけじゃネタもつきるしつまらない。
もっと書きたい、周囲の人の言動に対しての自分の考えも書きたいし、自分の負の感情だって書きたい・・・。
そう思うようになっても私は書けなかった。
遠く離れた人たちはともかく、日記を読んでいると思われる日々リアルで関わっている人たちの「顔」が浮かんで、この人はこう思うかな、あの人は・・と他人がどう感じるかに気持ちがいってしまい「書けなく」なっていった。
リアルの私はあまり人に気持ちをさらけ出すほうではない。
人とつるんでグループで行動するほうでもないから、他人の毎日の出来事なんて知らないし特に知りたいわけでもない。
なのに自分の毎日の出来事や気持ちを一方的に発信し、そのことに関して周囲の人たちがどう思っているかはわからない・・・
そんな一方的な日記もなんだかなーと思ったし、書きたいことも書けなくてなんのための日記かと思い削除した。
新しく「だいありー」を始めたとき実生活で関りのある人には知られないようにしようと思った。
個人を特定できる地域の話題やコドモの年齢、仕事に関しては書かないように、と。
でも実際はソレ抜きにして「私自身」は語れないということにも気づいたから書いてるけど。
ホントは仕事関係のことなんて人物にしても出来事にしてもネタはたくさんあるのに残念。
個人的なはずの「日記」だけど、やっぱりネットに公開されている以上、書いている内容には責任を持たなくちゃな、と思うので。
そして・・・私が掲示板付きだのなんだののネット日記が多々ある中で二度目も「だいありー」を選んだのは、ここの「他者との関わりの程度」が適当だと思ったからだ。
「だいありー」に求めているものは、まずは「自分の心が動いたことを書きとめておくこと」。
だから掲示板はいらない。
レスつける時間もそうそうないだろうし放置しておいたら相手にも失礼だろう。
でも、「一方的に情報を発信」するだけを求めているわけでもない。
自分の書いたことに対して反応があればうれしいから返事もしたいし、だれかが書いたことに心が動けば感想も書きたい。
秘密日記という機能は時間がない私にとっての「適度な交流」にはなかなか良いツールだと思う。
そして、書いている人が毎日の出来事を通して何を考えるか、大げさな言葉で言えばどう生きているかに触れたりしながら、自分も日記を長く続けていければいいなと思っている。
だから・・・リアルの世界で私を知っている人がここを読んでいたら・・・誰にも言わないでヒミツにこっそり読んでちょうだいね。
書けなくなっちゃ困るからさ。
コドモたちの学校の参観日。
「行けると思うけどわかんないなー」。
朝、コドモたちにはそう言って出かけた。
仕事の状況を見てもしかして少し早く職場を出られるかも、でなくてもすぐに出れば間に合う・・・という時間設定だったため。
仕事終了と同時に私はカバンその他をつかんで、玄関に走る。
車のキーはすぐさしこめるよう手に持って。
が・・・職員玄関のところに数人の子供たち。
「せんせー、マラソンいっしょに走ろー。まってたよー」。
・・・・ア・ウ・ト。
来週あるマラソン大会のため、自主トレしている2年生が私を待っていた。
きのうもその前も放課後いっしょに走っていたので、きょうも待っていてくれたのだ。
待っていてくれるのはうれしい。
子供たちとガンバレファイトなんて声かけながら走る放課後のマラソンも楽しい。
うちの子の参観日に行くとも言えず、グランドをいっしょに走り、子供たちを帰して時計を見るともう授業参観どころか懇談会にも間に合わない時間だった・・・。
学校から帰ってきた娘はさびしそうに言った。
「みんなのおかあさん来てたのにな。
私の絵だって習字だってはってあったのにな」。
・・・うー。ごめんよ。息子&娘。
よその子の面倒を見ていてうちの子は見られない。
何度こんなことがあったか・・・。
私はしょせんパート労働者なので、時間外の手当てなんて出ないんだから割りきってさっさと帰ればいいんだけど。
自分を必要としてくれてる人にはこたえてあげたい。
でも一番私を必要としてるのはうちの子たちなのに。
わかってるんだけどな。
はあー・・・とため息が出た。
「行けると思うけどわかんないなー」。
朝、コドモたちにはそう言って出かけた。
仕事の状況を見てもしかして少し早く職場を出られるかも、でなくてもすぐに出れば間に合う・・・という時間設定だったため。
仕事終了と同時に私はカバンその他をつかんで、玄関に走る。
車のキーはすぐさしこめるよう手に持って。
が・・・職員玄関のところに数人の子供たち。
「せんせー、マラソンいっしょに走ろー。まってたよー」。
・・・・ア・ウ・ト。
来週あるマラソン大会のため、自主トレしている2年生が私を待っていた。
きのうもその前も放課後いっしょに走っていたので、きょうも待っていてくれたのだ。
待っていてくれるのはうれしい。
子供たちとガンバレファイトなんて声かけながら走る放課後のマラソンも楽しい。
うちの子の参観日に行くとも言えず、グランドをいっしょに走り、子供たちを帰して時計を見るともう授業参観どころか懇談会にも間に合わない時間だった・・・。
学校から帰ってきた娘はさびしそうに言った。
「みんなのおかあさん来てたのにな。
私の絵だって習字だってはってあったのにな」。
・・・うー。ごめんよ。息子&娘。
よその子の面倒を見ていてうちの子は見られない。
何度こんなことがあったか・・・。
私はしょせんパート労働者なので、時間外の手当てなんて出ないんだから割りきってさっさと帰ればいいんだけど。
自分を必要としてくれてる人にはこたえてあげたい。
でも一番私を必要としてるのはうちの子たちなのに。
わかってるんだけどな。
はあー・・・とため息が出た。
出勤前。
けさは息子がマラソンの自主トレ(付け焼刃もいいとこだけど)のため5時半起き。
私も朝早く起きたので、今ちょいと時間があってここへ。
みなさんのだいありーを読み、「あーっ書きたいっっ」と思うこと多々ありますっ。
超忙しかった11月もあと2日仕事行けば、やっと落ち着く・・・はず。
もう少しだ。ガンバレ。
けさは息子がマラソンの自主トレ(付け焼刃もいいとこだけど)のため5時半起き。
私も朝早く起きたので、今ちょいと時間があってここへ。
みなさんのだいありーを読み、「あーっ書きたいっっ」と思うこと多々ありますっ。
超忙しかった11月もあと2日仕事行けば、やっと落ち着く・・・はず。
もう少しだ。ガンバレ。
知り合いのネット日記が全部削除されていた。
心配になってメールする。
「書いているのが自分だと家族や周囲の人たちにばれてしまって大変だ。どうしていいかわからない」という返事がかえってくる。
自分のことにおきかえてその大変さを思う。
知り合いとは高校のときの友人で、年賀状をやりとりしてメールを半期に一度する程度。
「だいありー」ではないけどネット日記のアドを教えてもらって彼女の日記を読むことで、以前より彼女が身近に感じていたところだった。
今年の冬には会おうか、なんてメールもしていた。
彼女のネット日記には「住んでいる地域・家族構成・パートの内容」がずいぶんくわしく書いてあり、彼女を知る周囲の人が読めば人物を特定するのはカンタンだったかもしれない。
パート仲間の高校生の娘がそのネット日記を見つけておかあさんに読ませ、「ネット日記書いてる?」と聞かれたとのこと。
日記にはパート先の人間関係が仮名だがくわしく書いてあり、もちろんグチや批判、不倫関係なども書いていたので、それがバレた、となると・・・これは大変なことだなと想像できる。
人物を特定できるのは客観的なデータだろう。
どこに住んでいるのか・家族構成はどうなのか・仕事は何か。
そう考えるとこわい。
私のこのだいありーだって、私という人物を知る周囲の人が読めばすぐわかるだろう。
日記は個人的なものなんだから何を書いてもいいだろう。
私はだいありーを「備忘録」であり「心のお掃除箱」だと思って書いている。
でもネット上の日記は公に開かれた場でもある。
個人的なことを書いているうちはいいが、他人のことを書くとこういうことになる可能性もあるんだな。
たしかにもし私がだれかの公開されている日記のネタになっていて、「磯野さん、書かれてるよ」なんて、職場の人や周囲の人に読まれたら、と思うとやっぱり嫌だ。
その書いている本人を悪く思うだろう。
文句のひとつも言うだろう。
・・・・・そう思うとパート仲間の娘から日記を見つけられた、という彼女の「どうしたらいいかわからない」気持ちはものすごくよくわかる。
彼女のメールには「パートはもういられないからやめるしかない。自分の信用をすっかり失くしてしまった」と書かれてあった。
私だって他人事じゃない・・・とだいありーに書く内容についてここ何日かずっと考えている。
でも考えすぎると何も書けなくなってしまうのも事実。他人の目を意識することを忘れないで書いていくしかないか、と思っている。
心配になってメールする。
「書いているのが自分だと家族や周囲の人たちにばれてしまって大変だ。どうしていいかわからない」という返事がかえってくる。
自分のことにおきかえてその大変さを思う。
知り合いとは高校のときの友人で、年賀状をやりとりしてメールを半期に一度する程度。
「だいありー」ではないけどネット日記のアドを教えてもらって彼女の日記を読むことで、以前より彼女が身近に感じていたところだった。
今年の冬には会おうか、なんてメールもしていた。
彼女のネット日記には「住んでいる地域・家族構成・パートの内容」がずいぶんくわしく書いてあり、彼女を知る周囲の人が読めば人物を特定するのはカンタンだったかもしれない。
パート仲間の高校生の娘がそのネット日記を見つけておかあさんに読ませ、「ネット日記書いてる?」と聞かれたとのこと。
日記にはパート先の人間関係が仮名だがくわしく書いてあり、もちろんグチや批判、不倫関係なども書いていたので、それがバレた、となると・・・これは大変なことだなと想像できる。
人物を特定できるのは客観的なデータだろう。
どこに住んでいるのか・家族構成はどうなのか・仕事は何か。
そう考えるとこわい。
私のこのだいありーだって、私という人物を知る周囲の人が読めばすぐわかるだろう。
日記は個人的なものなんだから何を書いてもいいだろう。
私はだいありーを「備忘録」であり「心のお掃除箱」だと思って書いている。
でもネット上の日記は公に開かれた場でもある。
個人的なことを書いているうちはいいが、他人のことを書くとこういうことになる可能性もあるんだな。
たしかにもし私がだれかの公開されている日記のネタになっていて、「磯野さん、書かれてるよ」なんて、職場の人や周囲の人に読まれたら、と思うとやっぱり嫌だ。
その書いている本人を悪く思うだろう。
文句のひとつも言うだろう。
・・・・・そう思うとパート仲間の娘から日記を見つけられた、という彼女の「どうしたらいいかわからない」気持ちはものすごくよくわかる。
彼女のメールには「パートはもういられないからやめるしかない。自分の信用をすっかり失くしてしまった」と書かれてあった。
私だって他人事じゃない・・・とだいありーに書く内容についてここ何日かずっと考えている。
でも考えすぎると何も書けなくなってしまうのも事実。他人の目を意識することを忘れないで書いていくしかないか、と思っている。
市役所に行く。
用事をすませて帰ろうとしたとき、ふとカウンターの上のある物体に気づく。
それは「老眼鏡」。
見れば老眼鏡は「強・中・弱」と3種類。
ご丁寧にその下に「60代・50代・40代」とまで書いてある。
人間、自分に関係ないものはそこに存在していても気づかない。
今までも老眼鏡はずっとカウンターの上にあったのだろうが、こんなものの存在には気づかないでいた。
今回初めて私のアンテナにひっかかったのだ。
・・・老眼鏡という単語が私の生活圏にも入ってくるようになったのか!?
私は目が悪い。
裸眼なら0.04で普段はコンタクト着用。
昔から書くことや読むことが好きなので目は人より酷使している。
なんとなく目が変だなーと気づいたのは夏過ぎのこと。
ピントスピードがにぶっている。
国語辞典などの小さい字がぼやける。
新聞も読みにくいことがある。
左目は以前のままなのに右目だけが近場に焦点があわないので、なんとなく違和感がある。
ポルノグラフィティのファンクラブ会報の字(これがまた小さいのだ〜)が読みにくいなと思ったときは、「・・ファンクラブ引退しろってことか?」と少しかなしかった・・・。
矯正した視力だとこうだが、コンタクトをはずすと近場にも焦点が合う。
でもはずしていると今度は遠くが見えない。
よく「近視の人は老眼にならない」というけれど、これって・・・?
近視でメガネをかけている人は、老眼になったらそのメガネをはずせば近場は見やすくなるってことか。
じゃあ私のようなコンタクトの人は?
最近では遠近両用コンタクトも出ているらしいが実用性はどうなんだろう。
今は左目はだいじょうぶなので日常生活に支障はないけど、ちょっと心配。
トシはとりたくないもんですな。
ブルーベリーのサプリでも買ってこようかと思う今日このごろです。
用事をすませて帰ろうとしたとき、ふとカウンターの上のある物体に気づく。
それは「老眼鏡」。
見れば老眼鏡は「強・中・弱」と3種類。
ご丁寧にその下に「60代・50代・40代」とまで書いてある。
人間、自分に関係ないものはそこに存在していても気づかない。
今までも老眼鏡はずっとカウンターの上にあったのだろうが、こんなものの存在には気づかないでいた。
今回初めて私のアンテナにひっかかったのだ。
・・・老眼鏡という単語が私の生活圏にも入ってくるようになったのか!?
私は目が悪い。
裸眼なら0.04で普段はコンタクト着用。
昔から書くことや読むことが好きなので目は人より酷使している。
なんとなく目が変だなーと気づいたのは夏過ぎのこと。
ピントスピードがにぶっている。
国語辞典などの小さい字がぼやける。
新聞も読みにくいことがある。
左目は以前のままなのに右目だけが近場に焦点があわないので、なんとなく違和感がある。
ポルノグラフィティのファンクラブ会報の字(これがまた小さいのだ〜)が読みにくいなと思ったときは、「・・ファンクラブ引退しろってことか?」と少しかなしかった・・・。
矯正した視力だとこうだが、コンタクトをはずすと近場にも焦点が合う。
でもはずしていると今度は遠くが見えない。
よく「近視の人は老眼にならない」というけれど、これって・・・?
近視でメガネをかけている人は、老眼になったらそのメガネをはずせば近場は見やすくなるってことか。
じゃあ私のようなコンタクトの人は?
最近では遠近両用コンタクトも出ているらしいが実用性はどうなんだろう。
今は左目はだいじょうぶなので日常生活に支障はないけど、ちょっと心配。
トシはとりたくないもんですな。
ブルーベリーのサプリでも買ってこようかと思う今日このごろです。
主婦仲間たちとランチバイキングに行く。
行き先は最近リニューアルオープンした飲茶バイキングのお店。
電車に乗って出かけるのは情けないことだがホントに久しぶりだ。
「お出かけ」なのでたまにはスカートでもと思い、ほぼ10ヶ月ぶりに冬のスカートをはいてみる。
・・・・・きつい。
息を止め、腹をへこませてファスナーをしめる。よし。イケる。
上着はなんだ?靴は?
・・・勘がにぶっている。
ここんとこずーーーっとジャージやトレーナーの生活だったので、いざお出かけのときに何を着ればいいのかわからなくなっていた。
まだ早いとも思ったが、とりあえず季節が季節なので、フェイクムートン(襟元と袖口にニセ毛付き)の上着をはおって出かける。
鏡に映ったひさびさのお出かけ服のはずの私は、にせムートンのおかげで山に熊でも撃ちに行くかのようないでたちだった。
さて「飲茶バイキング」は90分一本勝負!
私は自他ともに認めるバイキング女王である。
顔色ひとつ変えずに淡々と同じペースで平らげていく。
実はふだんからあまり空腹感も満腹感もそれほど感じないので、そこにあるだけ食べられる。
バイキングに行くとたいていは並んでいるすべての種類を制覇するので、「磯野さんってすごいわあ〜」といつも感心されるのだが、こんなことでほめられるのは喜んでいいものかどうか・・・。
が、今回は少し様子が違った。
なんと私は終盤失速してしまったのだ。
・・・数々の飲茶や中華料理・屋台ラーメン・ピータンがゆなどを平らげ、ゴール(桃饅頭)まであと少し!というところで・・・。
ジャスミン風味のお茶を「お風呂のお湯みたいー。飲んだことないけどー」なんて笑いながら3杯も飲んでいるうちに、スカートのキツサが限界に。
目の前を桃饅頭やごまだんごなどの温かいデザート(?)のワゴンが何度も横切る。
が、腹のキツさのためオーダーできない・・・。
東京国際女子マラソンの高橋尚子風に言えば、
「自分らしく果敢に攻めていけましたが、『初歩的なミス』を犯してしまいました。
終盤、体が一本のハムのようになってしまいました。
バイキングは終わるまでわかりません・・・」。
高橋尚子は当日の朝、いつも食べる餅を食べなかったためにエネルギー不足だったという。
エネルギー不足は「初歩的なミス」である。
私は・・・「キツいスカートをはいてバイキングに臨んだ」。
これぞ「初歩的なミス」と言わずしてなんといおう。
いつもの仕事着のジャージ・スーツ(プーマの上下)で行けばこんな結果にはならなかったと思うと、くやしい。
ああ、桃饅頭・・・。
行き先は最近リニューアルオープンした飲茶バイキングのお店。
電車に乗って出かけるのは情けないことだがホントに久しぶりだ。
「お出かけ」なのでたまにはスカートでもと思い、ほぼ10ヶ月ぶりに冬のスカートをはいてみる。
・・・・・きつい。
息を止め、腹をへこませてファスナーをしめる。よし。イケる。
上着はなんだ?靴は?
・・・勘がにぶっている。
ここんとこずーーーっとジャージやトレーナーの生活だったので、いざお出かけのときに何を着ればいいのかわからなくなっていた。
まだ早いとも思ったが、とりあえず季節が季節なので、フェイクムートン(襟元と袖口にニセ毛付き)の上着をはおって出かける。
鏡に映ったひさびさのお出かけ服のはずの私は、にせムートンのおかげで山に熊でも撃ちに行くかのようないでたちだった。
さて「飲茶バイキング」は90分一本勝負!
私は自他ともに認めるバイキング女王である。
顔色ひとつ変えずに淡々と同じペースで平らげていく。
実はふだんからあまり空腹感も満腹感もそれほど感じないので、そこにあるだけ食べられる。
バイキングに行くとたいていは並んでいるすべての種類を制覇するので、「磯野さんってすごいわあ〜」といつも感心されるのだが、こんなことでほめられるのは喜んでいいものかどうか・・・。
が、今回は少し様子が違った。
なんと私は終盤失速してしまったのだ。
・・・数々の飲茶や中華料理・屋台ラーメン・ピータンがゆなどを平らげ、ゴール(桃饅頭)まであと少し!というところで・・・。
ジャスミン風味のお茶を「お風呂のお湯みたいー。飲んだことないけどー」なんて笑いながら3杯も飲んでいるうちに、スカートのキツサが限界に。
目の前を桃饅頭やごまだんごなどの温かいデザート(?)のワゴンが何度も横切る。
が、腹のキツさのためオーダーできない・・・。
東京国際女子マラソンの高橋尚子風に言えば、
「自分らしく果敢に攻めていけましたが、『初歩的なミス』を犯してしまいました。
終盤、体が一本のハムのようになってしまいました。
バイキングは終わるまでわかりません・・・」。
高橋尚子は当日の朝、いつも食べる餅を食べなかったためにエネルギー不足だったという。
エネルギー不足は「初歩的なミス」である。
私は・・・「キツいスカートをはいてバイキングに臨んだ」。
これぞ「初歩的なミス」と言わずしてなんといおう。
いつもの仕事着のジャージ・スーツ(プーマの上下)で行けばこんな結果にはならなかったと思うと、くやしい。
ああ、桃饅頭・・・。
職場の小学校で。
2年生の授業中、子供たちが漢字練習をしている間、教室のうしろの掲示物や飾ってある作品などをなにげに眺めていたときのこと。
教室のうしろにはランドセルをいれておくロッカー(というか棚)があり、その上には作ったばかりの図工の工作が並べられていることが多い。
私たちの頃は「図工」っていったら玄関にでも飾れそうなきちんとした作品を作ったり、風景や植物などを何時間もかけて写生したもんだった。
「ちゃんと作れ」とか「ちゃんと書け」とか先生に言われて、私は「なにが『ちゃんと』なんだよー」と、図工の時間はあまり好きではなかった。
たしかにあれでは「個性」は伸びなかっただろう。
今は、写生などほとんどやらず空想画ばかり描いている。
工作なんて家にある材料(ペットボトル・フィルムケース・お菓子の箱・紐・毛糸などなど)を集めてきてお題に沿って好きに作ればいい。
今は何を作っても何を描いても自由なのだ。
今日見た作品も、缶やペットボトルやプリンカップなどにモールやビー玉などで飾りがついている意味不明な物体・・・。
イマドキの図画工作はさっぱりわけのわからないものが多い。
音が鳴らせる工夫がしてあるものが多いので、どうやら今回のお題は「楽器」だなとわかる。
その中にスーパーで肉などが入っている白いトレイにゴムが3本はってある「ギター」らしきもの発見。
トレイにはマジックで音符らしい絵も描かれてあり工夫のあとをうかがわせる。
・・・・そして・・・そのゴムが普通の輪ゴムではなく、微妙に薄いブルーをしているのだ。
なんとしばってあるゴムの片端は二重になっていて、もう片端には液だまりの部分が。
そこはかとなく漂うイチゴの香り・・・。
こっこれはっっっ!!
そう。
間違いなく「コンドーム」!
・・・やるなあ〜・・と私はひそかにその製作者の子供の顔を思い浮かべる。
その学級の先生に報告しておく。
あとで聞くと、作った本人にさりげに「これ、どうしたの?」と聞いたとのこと。
その子は「家にあったから持ってきた。ふうせんもできる」と答えたそうだ。
・・・そりゃそうだろう。
先生、笑いながらも「あーよかったあ。気がついてもらえて。もうすぐ参観日もあるから気づかなかったら大変だったわあー」とホッした様子。
材料を集めるのは親の協力もあるだろうが、気のきいた子や親が忙しい子は自分で家にあるものを探して集めてくる。
およそ学校現場のしかも低学年の教室に似つかわしくないモノが存在するのはそういうこと。
子供に学校に持ち出されちゃ困るものは正しく保管しておきましょうね。
コンドームつきギターはその後どうなったんだろう。
あした教室で確認しなくちゃっっ。
2年生の授業中、子供たちが漢字練習をしている間、教室のうしろの掲示物や飾ってある作品などをなにげに眺めていたときのこと。
教室のうしろにはランドセルをいれておくロッカー(というか棚)があり、その上には作ったばかりの図工の工作が並べられていることが多い。
私たちの頃は「図工」っていったら玄関にでも飾れそうなきちんとした作品を作ったり、風景や植物などを何時間もかけて写生したもんだった。
「ちゃんと作れ」とか「ちゃんと書け」とか先生に言われて、私は「なにが『ちゃんと』なんだよー」と、図工の時間はあまり好きではなかった。
たしかにあれでは「個性」は伸びなかっただろう。
今は、写生などほとんどやらず空想画ばかり描いている。
工作なんて家にある材料(ペットボトル・フィルムケース・お菓子の箱・紐・毛糸などなど)を集めてきてお題に沿って好きに作ればいい。
今は何を作っても何を描いても自由なのだ。
今日見た作品も、缶やペットボトルやプリンカップなどにモールやビー玉などで飾りがついている意味不明な物体・・・。
イマドキの図画工作はさっぱりわけのわからないものが多い。
音が鳴らせる工夫がしてあるものが多いので、どうやら今回のお題は「楽器」だなとわかる。
その中にスーパーで肉などが入っている白いトレイにゴムが3本はってある「ギター」らしきもの発見。
トレイにはマジックで音符らしい絵も描かれてあり工夫のあとをうかがわせる。
・・・・そして・・・そのゴムが普通の輪ゴムではなく、微妙に薄いブルーをしているのだ。
なんとしばってあるゴムの片端は二重になっていて、もう片端には液だまりの部分が。
そこはかとなく漂うイチゴの香り・・・。
こっこれはっっっ!!
そう。
間違いなく「コンドーム」!
・・・やるなあ〜・・と私はひそかにその製作者の子供の顔を思い浮かべる。
その学級の先生に報告しておく。
あとで聞くと、作った本人にさりげに「これ、どうしたの?」と聞いたとのこと。
その子は「家にあったから持ってきた。ふうせんもできる」と答えたそうだ。
・・・そりゃそうだろう。
先生、笑いながらも「あーよかったあ。気がついてもらえて。もうすぐ参観日もあるから気づかなかったら大変だったわあー」とホッした様子。
材料を集めるのは親の協力もあるだろうが、気のきいた子や親が忙しい子は自分で家にあるものを探して集めてくる。
およそ学校現場のしかも低学年の教室に似つかわしくないモノが存在するのはそういうこと。
子供に学校に持ち出されちゃ困るものは正しく保管しておきましょうね。
コンドームつきギターはその後どうなったんだろう。
あした教室で確認しなくちゃっっ。
都会に届く故郷のりんご
2003年11月15日 日常実家よりりんごが届く。
さっそく箱を開ける。
ひとつずつ白いネットにくるまれ、箱いっぱいにお行儀よくおすましして並んでいるりんごたち。
りんごの甘酸っぱい香りが部屋いっぱいに広がる。
実家の近くにはりんご園がいくつもあったが、柿のようにとって食べられるものではなかった。
厳重に管理されていて、それは「都会に送るための果物」として作られていたものだった。
りんごのシーズンになると、地元の人たちは規格外の「くずりんご」を安く手に入れられる。
くずりんご・・といっても味には変わりない。ただ形が悪かったり少し小さかったりちょっと色がはげていたりそんなもの。
地元で食べるりんごは最高においしい。
いっぱいの太陽と澄んだ空気ときれいな水。
そしてきりっとした寒さ。
そんな自然がりんごの味を作ってくれる。
私が小中学生のころのマラソン大会ではゴールした子供たちに一個ずつりんごが配られた。
木で編んだ大きなザルに山盛りのりんごの赤は遠くからでもよく見え、そのりんごの山目指してゴールに飛び込む。
のどが渇いているので少しでも早くりんごにかぶりつきたいけれど、ぐっとがまんしてキュッキュッと体操着の端で磨いて光らせる。
光り具合を友達と見せあいっこしながら、静物画のモデルのようになったピカピカのりんごを皮のまま丸かじりする。
・・・最高においしかったのを覚えている。
私が実家にいたころは、りんごのシーズンには食卓にはいつもりんごがあった。
こがらしが吹くころにはりんごのケーキを焼き、落ち葉で焼きイモを作るときは焼きりんごもいっしょに作る。
時期が過ぎて柔らかくなったものは砂糖で煮てりんご煮にする。
でもそれはシーズンの頃の柿や正月あけのみかんのように義務感にかられて食べるものでもなかった。
りんごは私にとっては身近な果物であり、都会のスーパーで見かけると故郷の秋から冬を思い出す果物なのである。
だから、こうして「正装させられている」りんごたちを見ると「おまえたちも大変だなー」なんてついねぎらいの言葉をかけたくなってしまう。
私のところに来るときは普段着のままでいいんだよ、そんな気持ちになる。
そして、都会の親戚たちに送るついでに私にまで箱入りの高級りんごを送ってくれる田舎の父母に感謝すると同時に、普通の一山いくらのくずりんごでいいのになあと申しわけなく思ったりするのだ。
さっそく箱を開ける。
ひとつずつ白いネットにくるまれ、箱いっぱいにお行儀よくおすましして並んでいるりんごたち。
りんごの甘酸っぱい香りが部屋いっぱいに広がる。
実家の近くにはりんご園がいくつもあったが、柿のようにとって食べられるものではなかった。
厳重に管理されていて、それは「都会に送るための果物」として作られていたものだった。
りんごのシーズンになると、地元の人たちは規格外の「くずりんご」を安く手に入れられる。
くずりんご・・といっても味には変わりない。ただ形が悪かったり少し小さかったりちょっと色がはげていたりそんなもの。
地元で食べるりんごは最高においしい。
いっぱいの太陽と澄んだ空気ときれいな水。
そしてきりっとした寒さ。
そんな自然がりんごの味を作ってくれる。
私が小中学生のころのマラソン大会ではゴールした子供たちに一個ずつりんごが配られた。
木で編んだ大きなザルに山盛りのりんごの赤は遠くからでもよく見え、そのりんごの山目指してゴールに飛び込む。
のどが渇いているので少しでも早くりんごにかぶりつきたいけれど、ぐっとがまんしてキュッキュッと体操着の端で磨いて光らせる。
光り具合を友達と見せあいっこしながら、静物画のモデルのようになったピカピカのりんごを皮のまま丸かじりする。
・・・最高においしかったのを覚えている。
私が実家にいたころは、りんごのシーズンには食卓にはいつもりんごがあった。
こがらしが吹くころにはりんごのケーキを焼き、落ち葉で焼きイモを作るときは焼きりんごもいっしょに作る。
時期が過ぎて柔らかくなったものは砂糖で煮てりんご煮にする。
でもそれはシーズンの頃の柿や正月あけのみかんのように義務感にかられて食べるものでもなかった。
りんごは私にとっては身近な果物であり、都会のスーパーで見かけると故郷の秋から冬を思い出す果物なのである。
だから、こうして「正装させられている」りんごたちを見ると「おまえたちも大変だなー」なんてついねぎらいの言葉をかけたくなってしまう。
私のところに来るときは普段着のままでいいんだよ、そんな気持ちになる。
そして、都会の親戚たちに送るついでに私にまで箱入りの高級りんごを送ってくれる田舎の父母に感謝すると同時に、普通の一山いくらのくずりんごでいいのになあと申しわけなく思ったりするのだ。
四字熟語でわかる恋愛観
2003年11月14日 日常高学年の女の子たちはあいかわらず心理テストが好き。
もういいかげんネタもつきた頃なのに、どこから聞いてくるのかキャーキャーやっている。
さてきょうは・・・
「一番に思い浮かぶ四字熟語はなに?」。
私「うーん。以心伝心!」。
女の子たち「へえーーーー!」。
・・・最初に思い浮かぶ言葉は「人生観」だそうだ。
心を以って心を伝える・・・われながらいい言葉を選んだな、よしよし、と思う。
「じゃあ次に浮かぶ四字熟語は?」
・・・私、「一石二鳥!」。
女の子たち大ウケ。
いつまでもキャハキャハ笑っていて、その「二番目の言葉」が何を意味するか教えてくれない。
・・・なんと二番目に思い浮かぶ言葉は「恋愛観」だそう。
心理テスト→http://diary.note.ne.jp/34236/20031028
もういいかげんネタもつきた頃なのに、どこから聞いてくるのかキャーキャーやっている。
さてきょうは・・・
「一番に思い浮かぶ四字熟語はなに?」。
私「うーん。以心伝心!」。
女の子たち「へえーーーー!」。
・・・最初に思い浮かぶ言葉は「人生観」だそうだ。
心を以って心を伝える・・・われながらいい言葉を選んだな、よしよし、と思う。
「じゃあ次に浮かぶ四字熟語は?」
・・・私、「一石二鳥!」。
女の子たち大ウケ。
いつまでもキャハキャハ笑っていて、その「二番目の言葉」が何を意味するか教えてくれない。
・・・なんと二番目に思い浮かぶ言葉は「恋愛観」だそう。
心理テスト→http://diary.note.ne.jp/34236/20031028
今さらながら・・・選挙
2003年11月13日 日常選挙から4日。
職場でも投票率が低かったことについてけっこう話題になる。
職場で人の意見を聞いたりして思ったことを忘れないよう書いておこう。
選挙と宗教のハナシは難しいというけど・・・トシとともに物忘れが激しくなる私にとって「だいありー」は記憶をとどめるための「備忘録」だし。
選挙に行かない人に対して「国民の権利なのにどうして投票に行かないの?」とまでは思わない。
人間、関心があればおのずから行動するものだ。
政治家のみなさんやさまざまなメディアが「国民に政治に関心をもってもらう」ところまでアピールしていない、ということか。
その点、民主党の菅直人さんは今回の選挙からスタイリストをつけて髪型や服装に気をつかい、ポスター撮影前はエステにも通ったそうだ。
これは評価できる、と思う。
やっぱり政治家だって「見てくれ」は大切だろうし、こういう所から関心は高まるものだろうから。
「なんで行かないの?」とまでは思わないけど、「クジとかお祭りと同じで、選挙だって参加したほうが楽しいのに」とは思う。
選挙前後には新聞やテレビでいろいろ解説してくれるし、当日の選挙速報のテレビ番組だってさまざまな手法を使ってわかりやすく解説してくれている。
一票投じているかどうかではお祭りに参加するしないくらいの違いがあるだろう。
こう言っちゃなんだが自分の賭けた馬が入賞したかどうか、自分が買った宝クジが当たったかどうか、私はそれくらいの楽しみ方で選挙速報を見ている。
「投票したってどうせ変わらないし・・・」と投票しないことについて。
まあ基本的に私は個人主義の人間なので、人がどう考えようがそれは人の勝手だとは思う。
が・・・・・総選挙は国会議員を選ぶ。
国会議員は法律を作る。
いったん法律ができれば全員法律には従うことになる。
小泉政権続投が決まった今、自衛隊はイラクに派遣されることになったし、憲法だってそのうち改められ日本も戦争の当事者となる日が来るかもしれないのだ。
そうなったら自分の子供や孫など愛する人々が戦争に派遣され、戦死することだってありうる。
戦争だけでなく年金や経済だってどう変わっていくのかわからないが、決定したら従わざるをえなくなるだろう。
そう考えると、何もしないで政治から距離を置くよりも何かしたほうがいいに決まっている。
「どうせ・・・」と思っても、やらないよりやったほうがずっといい。
「どうせ変わらないし。投票行きません」とテレビのインタビューで答えている若者たちは「決まったことならしょうがない」とわりと素直に戦場にいくのかもしれない。(極論ですいません)
でも私は嫌だ。
知識だけだが、戦争の悲惨さは繰り返しテレビや本や映画などで学んでいる。
日本人は平和憲法を誇りに思いみんなが大切にしていくべきもの、と学校でも学んできた。
これからのコドモたちにも「戦争の悲惨さ」「平和の大切さ」を意識して伝えていくべきことだと思っている。
・・・「この調子では日本国民をどの方向へでも総動員をかけることは容易だろう」と新聞に書いてあった。
たしかにそうかもしれない。
平和なはずの日本よ、どこへ行く・・・?
職場でも投票率が低かったことについてけっこう話題になる。
職場で人の意見を聞いたりして思ったことを忘れないよう書いておこう。
選挙と宗教のハナシは難しいというけど・・・トシとともに物忘れが激しくなる私にとって「だいありー」は記憶をとどめるための「備忘録」だし。
選挙に行かない人に対して「国民の権利なのにどうして投票に行かないの?」とまでは思わない。
人間、関心があればおのずから行動するものだ。
政治家のみなさんやさまざまなメディアが「国民に政治に関心をもってもらう」ところまでアピールしていない、ということか。
その点、民主党の菅直人さんは今回の選挙からスタイリストをつけて髪型や服装に気をつかい、ポスター撮影前はエステにも通ったそうだ。
これは評価できる、と思う。
やっぱり政治家だって「見てくれ」は大切だろうし、こういう所から関心は高まるものだろうから。
「なんで行かないの?」とまでは思わないけど、「クジとかお祭りと同じで、選挙だって参加したほうが楽しいのに」とは思う。
選挙前後には新聞やテレビでいろいろ解説してくれるし、当日の選挙速報のテレビ番組だってさまざまな手法を使ってわかりやすく解説してくれている。
一票投じているかどうかではお祭りに参加するしないくらいの違いがあるだろう。
こう言っちゃなんだが自分の賭けた馬が入賞したかどうか、自分が買った宝クジが当たったかどうか、私はそれくらいの楽しみ方で選挙速報を見ている。
「投票したってどうせ変わらないし・・・」と投票しないことについて。
まあ基本的に私は個人主義の人間なので、人がどう考えようがそれは人の勝手だとは思う。
が・・・・・総選挙は国会議員を選ぶ。
国会議員は法律を作る。
いったん法律ができれば全員法律には従うことになる。
小泉政権続投が決まった今、自衛隊はイラクに派遣されることになったし、憲法だってそのうち改められ日本も戦争の当事者となる日が来るかもしれないのだ。
そうなったら自分の子供や孫など愛する人々が戦争に派遣され、戦死することだってありうる。
戦争だけでなく年金や経済だってどう変わっていくのかわからないが、決定したら従わざるをえなくなるだろう。
そう考えると、何もしないで政治から距離を置くよりも何かしたほうがいいに決まっている。
「どうせ・・・」と思っても、やらないよりやったほうがずっといい。
「どうせ変わらないし。投票行きません」とテレビのインタビューで答えている若者たちは「決まったことならしょうがない」とわりと素直に戦場にいくのかもしれない。(極論ですいません)
でも私は嫌だ。
知識だけだが、戦争の悲惨さは繰り返しテレビや本や映画などで学んでいる。
日本人は平和憲法を誇りに思いみんなが大切にしていくべきもの、と学校でも学んできた。
これからのコドモたちにも「戦争の悲惨さ」「平和の大切さ」を意識して伝えていくべきことだと思っている。
・・・「この調子では日本国民をどの方向へでも総動員をかけることは容易だろう」と新聞に書いてあった。
たしかにそうかもしれない。
平和なはずの日本よ、どこへ行く・・・?