和・洋・中

2004年9月3日 日常
「ノーマナーでフィニッシュ」。
V6のバラエティ番組「学校へ行こう」の中の企画、「マナーの猫」の決まり文句。

「マネーの虎」のパクリっぽい作りで、V6の方々がさまざまな作法(マナー)に対する無知ぶりを発揮しつつも、笑いの中にも教養あふれる(?)企画である。
前回などは「焼香のしかた」で、拍手(かしわで)なんぞやらかしてくれて笑わせてもらった。
オトナとすれば「常識」なのだろうが、けっこう「へえー」と思うこともあるので見ていてなかなか役にも立つ。
マナーの達人である3人の猫たちもやけに重々しくておかしい。

職場の小学生たちとその話になったときに・・・
「『和の猫』『洋の猫』『ビジネスの猫』が出てくるんだよね」と小学生。
私「そうそう。『和・洋』ときたら『中』だよねえ。なんで『ビジネス』なのかなあ。
『和食』『洋食』『中華』なのにね」。
小学生たち「・・・えっ!」。

「『和・洋・中』って、『和食・洋食』と『その中間』だと思ってたー」。
・・・そうかあー。
その場にいた6年生の女の子、3人が3人ともそう思っていたというから笑える!
きゃらきゃら笑い合って気持ちがなごむひととき。

新学期♪

2004年9月1日 日常
二学期が始まる。
私はパートの先生なので学校に行くのは42日ぶり。
お子様たちと同様、心身ともに「夏休みボケ」しているのだった・・・。

朝あせって仕事用バッグにジャージなど詰め込み出かけたためか、財布も携帯も忘れる!ということに途中まで来て気づく。
財布には免許証も入っている。
朝の渋滞や工事に巻き込まれても職場に電話連絡もできない。
事故でもおこしたら「免許不携帯」・・・考えると小心者の私としては新学期、波乱の幕開けであった。

42日間、ほとんど毎日Tシャツにゴムの短パン、といういでたちだったので、始業式用にはいたスカートがキツい・・・。
何日か前まで涼しかったのによりによって新学期の始まる今日、朝10時すぎからは真夏並みの太陽が照り付けてくる・・・。

しかも9月1日は「防災の日」。
恒例の避難訓練である。
今までの経験上、休み時間に避難訓練をする場合は校庭にいたほうがいい。
サイレンが鳴って放送がかかったときに、校庭にいればグランドの真ん中に集合してしゃがむだけですむ。
教室の中にいると、緊急用ヘルメットをわざわざかぶらなければいけないし、上履きのまま外に出なくちゃいけないのであとで上がるとき上履きの裏を拭く手間がかかる。

ということで、避難訓練が行われるという休み時間、早々と外に出る。
真夏のようにじりじり照りつける校庭の向こう側で「せんせー、ドッジボールやろうっ!」と呼ぶ声。
うえー・・・炎天下、ドッジかよー・・・と外に出てしまったことを後悔したが、そこはお仕事。
自分のコドモとならめんどくさくてやらない、体を張った遊びだってなんだってお仕事と思えば、やらねばならぬー。

ドッジボール+避難訓練で、30分ほど日に照り付けられていただろうか。
夏休みボケした体には、過酷な30分・・・。
それでも小学校という場所は強力な磁場が働いているようで、ボケボケしていた心にも体にも、一気に生命のエネルギーが注ぎ込まれたような気分に。

すぐに年間最大の行事、運動会がある。
歌や踊りは好きなので、運動会の歌「ゴーゴーゴー」を歌ったりダンスの振り付けを小学生たちに教えてもらったりしていると、よっしゃーがんばるぞ!なんて気分になってくる。
忙しい二学期が始まった。
諭吉がぽんぽん飛んでいく。
病院通いがたまたま続いたため。
せっかく実家で母が握らせてくれたありがたい諭吉さままでが医療費に消えていくー・・・。

まずはコドモたちの耳鼻科と眼科、娘のぜんそくの薬。
うちの子たちはアレルギー体質なので、すぐ目がかゆくなったり鼻がズコズコしたりして、そのたびに病院で専用の薬をもらうことになる。
娘のぜんそくも夏の終わりは特に気をつけないといけない季節。
まったく不経済な体・・・。

そしてついに行くことになった娘の矯正歯科。
何年か前から上の前歯が並びに注意、と言われていた娘。
ついに矯正歯科のお世話になることになる。
私としてはこの程度の並びならちょっと愛嬌があってかわいい、くらいに思っていた。
「矯正は100万かかる」とウワサで聞いていたこともあり、金持ちの子が行く場所というイメージもあったし。
うちみたいなサラリーマン家庭のコドモなどは無理して行かなくても・・なんて心の中では思っていたのだが。

実家に行ったときそんな話をしたら、私も実は昔、矯正を受けていたと聞く。
そんなことすっかり忘却のかなたであった。
記憶の奥底をたどればなんとなくあの金具の感触がよみがえる。
歯並びだけは芸能人並、なんて自分で思っていたけれど、これにはお金がかかっていたのね・・・。
娘の話を聞いても今の時代は一億総上流家庭時代なのか、けっこう矯正してる子は多いらしい。
時期的にも永久歯をはえそろいかけた今が矯正どき、ということで、ついに決断。

いつもそうだが、まとまったお金のときはどっちにしてもないところからの工面なので、ダンナは「なんとかなるんじゃない」と楽観的。
この言葉の裏には「いざとなったらばーちゃんがなんとかしてくれる」という気持ちがあるんだろうな・・。
ホントいざというときに頼れる実家があるということは心強い。
でもダンナ、そう言ったんだからなんとかしてくれよー。

そして私の整形外科。
去年のマラソン大会のあたりからなんとなく右ヒザの違和感を感じていた。
そのときは小学生たちと毎日のように走ったからかなあなんて思っていたし、昨年度行っていた学校は給食の盛り付けが多すぎたこともあり体重がやや増加もしていた。
体重をもとに戻して無理しなければ、なんて思っていたのにいつまでたってももとに戻らない。
最近ではヒザを曲げるたびにポキポキミシミシ、音がする。
朝起きて階段を下りるときもゴリゴリする。
主婦仲間に話すと「整形行っても、加齢のため、とか言われるだけだよ。太ったため、とかさ」と笑う。

ただでさえ整形外科はいつも混んでいるのでできれば行きたくない場所のひとつ。
それでももしかしてあと何年かしたら歩けなくなるヤバい病気かも、などと心配したらキリがないので思い切って受診。
念のため、ということでMRI検査も受けることになる。

結果は・・「時期はともかく誰にでも起きるヒザ関節の変形」。
ちょっと磨り減ってきているのがMRIでもわかる。
これってやっぱり「トシのせい」ってことか。
がっくり・・・。
病院でもらった「膝痛体操」とかいうパンフレットには、小太りの中年女性がヒザの体操をしている図が。
またまたがっくり・・・。
なんでもないということがわかって良かったが、ヒザのゴリゴリは治るわけでもないし安心料としては高すぎる検査料だった・・・。

8月は私は働いていないので9月は収入がなーい。
毎年のことだがビンボーな9月である。
ここのところなかなかパソちゃんとお友達になれないでいた。

それはダンナやコドモたちの夏休みのためであったり、家をあけていた分の家事だったりするが、撮っておいたテレビの消化にけっこう時間をとられたため。
実家にいたときもテレビは連日オリンピック&高校野球。
ドラマ関係はその分まとめてここ数日にわけて見た。

高校野球の決勝戦もライブでは見られなかったのできのうやっと見た。
「真紅の優勝旗、北の大地へ」。
甲子園となるとやっぱり私は自分が生まれ育った地方の代表校を応援してしまう。
以前は北国のチームはなかなか勝ち進むことができなくて見る張り合いがなかったが、去年も今年も東北高校のダルちゃんにずいぶん楽しませてもらった。
今年は「白河の関越え」どころか「津軽海峡越え」で悲願達成!
駒大苫小牧高校おめでとうっ!
北国だろうがなんだろうがやればできる。
手に汗握る最高の決勝戦だった。

さてドラマ。「人間の証明」「逃亡者」「ラストプレゼント」「新撰組」「冬のソナタ」などなどぶっ続けで見る。
「ラストプレゼント」は気持ちのすれ違いが泣かされる・・・。
流れる槙原くんの歌も切なさを盛り上げる。
こういう母子モノにはまるっきり弱くて涙腺がゆるみっぱなし。
「人間の証明」もいよいよ点が線で結ばれおもしろくなってきたところ。

・・・悲しいことに「冬のソナタ」の最終回が録画されていなかった!
特にヨン様ファンでもないのだけどずーっと見続けてきて最後をシメられないとはー・・。
ストーリーは知っていてもやっぱり自分で確認したかったのでガックリ。
よく雑誌などに「さんざんひっぱっておいてあのラストとは」と評してあったので見たかったあー。

そしてもうひとつ。
春からずっとやりたかった「ドラゴンクエスト5」。
やっと夏休みになり、せっせと冒険の旅に出ている。
すでにクリアしているオタクの息子に聞きながらもやっと中盤。
・・とはいっても以前スーファミの時代に一度やっているんだけどね。
これは主人公が結婚相手を選べて男女の双子の子供がうまれるのがポイント。
以前自分でやったときも今回息子がやったときも、結婚相手に金髪の女の子を選んだので子供たちも金髪。
今回は青い髪の女の子を選んでみた。
あと一歩で成長した子供たちが出てくるので、髪が青いかどうか楽しみ♪
もし金髪のコドモが生まれたらそれは女の子の結婚前の恋人の子供だってことだな・・・。(主人公は黒髪)

オリンピック関係も私の中ではだいたい落ち着いた。
メダルの数とか色にこだわるのはどうかとも思うが、やっぱりライブで見るとドキドキする。
それにしても卓球の愛ちゃんのかわいいこと。
小さいときの映像もとってもかわいくて何度見ても飽きない。
暑い&熱い夏だったなあ。

うらしまたろう

2004年8月23日 日常
先週のうちに実家からは戻ってきたけれど・・・

日常からすっかり離れていたので今やらなきゃいけないことが山積み!
落ち着いてパソの前に座る時間はなかなかとれないなあ・・・。

留守にしていた間に近くのスーパーがすっかり改装していたり、あったはずのアパートがなくなっていたり、浦島太郎の気分。
それでも毎日が回り始めると、自然に囲まれたのんびりした実家での日々は夢のことのよう・・・。

早くコドモたちの夏休み終わってくれー。

ハム子の贈り物

2004年8月7日 日常
暦の上では立秋。
とはいえ、ツクツクボウシの鳴き声が聴かれるようになりまさに夏真っ盛り。

「ハム子のかぼちゃ」を収穫する。
ハムスターは冬の間、エサを貯めこむ習慣がある。
うちのハム子も春まではせっせと巣の中にヒマワリのタネやペレットを貯めていた。
野生のハムじゃないんだから冬の間もエサはちゃんと与えられるので、結局それらの貯めこんだエサはお掃除のたびにカビているのを発見される運命。

5月の頃だったか、お掃除のときに巣の中から小さい芽が出たカボチャのタネが見つかる。
ハム子はカボチャの実もタネも大好物。
いっしょうけんめいほお袋に詰める姿はとってもかわいい。
その貯めこんだタネが巣の中で芽を出したなんて。
それだけでもうれしかったのに・・・
貯めたエサを捨てた庭に、いつのまにかカボチャがつるを伸ばしていたのを見たときの驚き!

ハム子のカボチャはあれあれと思う間にぐんぐんとつるを伸ばし、庭の一角を占領するまでになる。
そのうちに黄色い花をぽっぽっと咲かせ、うれしいことに3個も実をつける。

実がなる植物の「収穫の時期」というのはけっこうタイミングが難しい。
もう少しもう少し・・と思っているうちに、キュウリやさやえんどうが育ちすぎてしまうことはよくある。
なかなか赤くならないので数日間ほおっておいたら、熟しすぎてトマトにひびが入ってしまうこともある。
カボチャの「とり時」というのはいつなのか・・・。
毎日毎日、ハム子のかぼちゃを見ていたが、おとといあたりから葉に元気がなくなってきた。
そこでいよいよ収穫!

3個できていたかと思っていたが、一個は小さいまま茶色くなってしまい無事育ったのは2個。
さっそく砂糖としょうゆで甘辛く煮て食べる。
カボチャ本体にはそれほど甘みはなかったけれど、ちゃんとそれらしい味付けになる。
思いがけないハム子からの贈り物でうれしい。
ハム子にもカボチャの実とタネを分けてやると、とてもおいしそうにはぐはぐ食べていた。
ハム子、ありがとうね。

☆写真館、カボチャの写真その他追加しました。
☆あしたから盆明けまでカナダステイしてきます♪

成長期

2004年8月6日 日常
「おかあさん、見てっ」学校のプールから戻ってきた娘がプールの検定カードを出してきた。

「特級!特級!」。
へえー、娘が特級!?
特級をもらうには「100メートル以上を2泳法で」泳がなければならない。
「泳げたの?」と聞くと「泳げたからもらえたんだよ!だめかなーと思ったけど挑戦した」と興奮気味に話す娘。
自分でもその快挙が信じられないといった様子。

・・・すごいなあー。
スイミングの赤帽子(水慣れの段階)でいつまでも上にあがれなかった娘が特級!
平はともかくクロールで100泳げたんだあー。

娘は幼稚園から小学校1年生まではちっちゃくて、記念写真を撮ると必ず一番前の列で体育すわりをして写っていた。
ぜんそくで体が弱かったことや昭和20年代の農村の子供のような郷愁をそそるシンプルな顔立ちなどからして、私の中ではいつまでも赤ちゃん扱いの娘。
女の子はゴツゴツとした男の子と違ってやわらかくてあたたかくてすべすべとさわり心地もよく、いつまでも小さいまま手元にとどめておきたい・・・母としてそんな気持ちになる娘である。

が、いつまでもちっちゃいままじゃ困るのもまた事実で・・・
どこの家でもそうらしいがうちも「つかえない兄」に対して「しっかりした妹」の組み合わせ。
中学生になっても生活力がさっぱりない息子と違って娘は自分のことはほとんど自分で考えて判断し行動するし、いちいち言わなくても気がきくので役にも立つ。

そして娘は成長期。
毎年、夏休みの初めに柱に成長の記録を書くのだが・・・はかってみてびっくり。
息子は去年から6センチしか伸びてないのに、娘は12センチも伸びていた!
今の娘は息子が5年どころか、6年のときの柱の傷を越えている。
去年の夏からやけにスラスラと背が伸びたと思ったら・・・。

足の大きさでは息子が去年私を越えたが娘も追いつく。
夏のサンダルも私と同じ大人物のLサイズ。
玄関にはちょうど同じくらいのサイズのスニーカーやサンダルがゴロゴロと並ぶ。
洗濯物も同じサイズのものが風になびく。
・・・ついこの間まで「コドモとの暮らし」だったはずなのだが・・・・あれあれと思う間もなくなんだか彼らは体だけは大きくなっているのだった。

最近の娘は「おとなの人でも私より小さい人がいる」ということに不思議な気持ちを抱いているらしい。
きょうも娘はおひるをちゃんと食べたのに4時ごろには「おなかすいたー」とメロンパン1個と食パン2枚を食べ・・夕ご飯も普通に食べていた。
夕方は底なしに食べられる時間らしい。
食べても太らない・・そんな時期が私にもあったっけなあー。

青の世界

2004年8月4日 日常
ここのところけっこう続けて市民プールに泳ぎとウォーキングに行っている。

あやしい営業マンがいた近所の公園プールではなくて、室内のプール。
コドモたちが小さいうちは「コドモをプールに連れて行くため」としぶしぶ水着になったりしていたが・・・今年なんかは別にいっしょに入らなくてもいいのになんだかんだで水着の出番が多い。
仕事でも何度もプールに入ったし、ひとりで室内プールに泳ぎやウォーキングにも行く。

私は水が好きなんだなあーとあらためて思う。
人間、一度そこから離れてみることで「本当にこれは好きかきらいか」「本当に必要か必要でないか」がわかるときってある。
水のひんやりとした心地よさ、水の中のコポコポという音だけが聞こえるあの静けさ。
目の前に広がる青の世界。
水はいいなあーと思う瞬間。

市民プールは午後はコドモが多いが、午前中はけっこう年配の方々も多い。
いろんな人たちがそれぞれに泳いだりウォーキングしたりしている。
続けて泳ぐのは息が苦しいが、ウォーキングの30分はけっこうあっという間。
水の中は気持ちいいし、いろんなことを考えながら単純作業をするのはけっこう好きなので、1時間なんてすぐ過ぎてしまう。

60を超えたと思うようなオバたちが、ゴーグル姿もりりしく水をきって泳いでいるのを見ると「よし私もああなるぞ」と思う。
そのために一度ちゃんとした水泳レッスン受けたいなあ。
スイミング教室なんて私が育った場所にはなかったのですべてクロールも平泳ぎも背泳ぎも自己流。
コドモたちに言わせると「おかあさんの平泳ぎ、手と足のタイミングが違うよ」とのこと。
クロールの息つぎだって格好よくできてるか不明。

かっこよくクロールを泳げるようになりたいな。
「きょうはプールで3000メートル泳いできたの」・・・なんてちょっといいかも。
よしよし、また新しい「なりたい自分」が見つかった。
3日ほど前からハエが一匹、へやの中にいる。

ゴキや蚊なら扱いも慣れているし即成仏していただくのだが、相手はハエ。
蚊のようにパチンとたたいてどうにかできるものでもなく、蚊取りノーマットはもちろんハエには効かない。
殺虫剤は体に良くない気がして使わないのでうちにはない。
コドモたちは新聞紙をまるめてたたこうとするが、そんなことでやられるはずもない。

夜は天井にはりついていて朝になると網戸のところにいる。
無駄な殺生はしたくないので何度か逃がしてやろうとしたが、なんと私の仏心を無きものにしてハエはまた室内に逆戻り。
いなくなったかなと思うとまた出てきたり、食事どきになるとどこからともなく現れたり・・・。
「五月蝿い」と書いてウルサイと読むがまさにそのとおり。
コドモたちは「ウザい」「ウザい」と言い、その言葉はあまりいい響きじゃないなあと私は思っているが、このときばかりは「ウザーい!」がハマる。

ゴキや蚊のほうがなんぼかマシで、ハエを前にしてなすすべもなく・・・。
薬局へ殺虫剤を買いに行く。
たかがハエ一匹のためにナニガシかの買い物をしなければならない、というのもなんだかくやしい。
私の慈悲の心を無駄にしたにっくきハエめー!

殺虫剤売り場は季節柄、かゆみ止めなどと並んでメインの売り場に。
蚊やゴキに対応したものが売り場の主を占めているが、「アースバポナ殺虫プレート」がハエにも効くとみた。
「殺虫プレート」とはなんと無機質なひびきのストレートなネーミング・・・。
そして下のほうにひっそりと置いてある「ハエ取りリボン」!
なつかしーい・・・!

昭和40年代の夏はコレなしには語れない、というほど私にとっては夏の風物詩のひとつである。
当時、実家はボットン便所だったし、近所に牛や豚を飼っていた農家もあったのでへやの中にハエが入り込むことはわりとよくあった。
子供がいる家庭なのでシュッと一噴きして毒をまき散らす・・というわけではないハエ取りリボンが重宝した。

くるくると回しながらひっぱると粘着力の強い長いリボン(?)が出てくる。
それをつるしておくと、かかったハエは身動きができなくなりやがて絶命する・・というしかけ。
実家ではちょうど居間の真ん中の蛍光灯のヒモの先にこれがつるしてあった。
ぬらぬらとしたいかにもくっつきそうな茶色いリボン・・・。
今思うと気持ち悪いのだが、ハエがたくさんつくほど「とれたなあ」とうれしくなったものだった。

そして何かの拍子に髪の毛につくと超悲惨である。
ちょうど子供の背の高さのところにあったということもあって、私や妹、いとこたち、みな実家のハエ取りリボンの餌食になっている。
動けば動くほど髪の毛にべっとりと張り付き脱出するためには「髪の毛を切る」という方法しかなかった・・・。
今では実家のあたりも下水道が完備しハエもめっきり見なくなり、それとともにハエ取りリボンも見ることはなくなった。

そのなつかしのハエ取りリボン。
ゴキブリホイホイやらなんやらと比べるといかにもつつましやかなその色合いやパッケージ。
まだ売っているんだなあーとしみじみと手にとって見入ってしまった。
横のほうには「ハエ取り棒」というのもある。
やはり粘着力のある20センチほどの棒を何本か立てるようになっていて、しかけはいっしょ。
思わず買いそうになったが・・・たかがハエ一匹。
ノスタルジアにひたっていたがやっぱりここは現実的に考えてアースレッドを購入したのであった。

これで一撃でしょう。
なむなむ。成仏してくださいまし。

皿洗い奉行

2004年7月29日 日常
台風のおかげでひさびさに涼しい朝。
さわさわと吹く風と雨の音でしっとり落ち着くー♪

「夏休みには『手伝い』ではなく『仕事』をさせましょう」。
学校からそんなお手紙がきていたので、コドモたちにも働いてもらっている。
「手伝い」と「仕事」の違いは・・・責任の違いだろうか。
「仕事」となれば「きょうはやりたくないなあ」とか「きょうは時間がないからやめよう」というのは許されないということだ。
ふだんは私の怠慢で家の仕事などさせてない(かえってめんどう)ので、最初はブツブツ文句を言いながらやっていた「お仕事」だが、一週間過ぎてなんとか形になってきた。

娘の仕事は「洗濯」。
一日の終わりに洗濯物を回す。
朝はあわただしいのでうちでは洗濯はたいてい夜。
寝る前に干す。今の季節なら薄いものなら朝までには乾いているし、そのまま室内に干したままで乾くので外に出す手間がいらない。
寝る前の30分ほど、私たちが本を読んだり軽く片付けをしたりしているとき、娘は洗濯物を干して仕分けをしてたたむ。
みんながくつろいでいるときにお仕事をするのはイヤだろうなあと思ったが、ていねいにきっちりとたたまれた洗濯物を見ると私と違ってしっかり者だなあと感心する。
ダンナと同じA型の血か。
でもそれなら普段から身の回りも片付けていただきたいものだけど。

さて生活力全般が低い息子のお仕事は「皿洗い」。
中学生にもなって、好き嫌いが多くて残したりテレビを見ながらの犬食いだったりで食べこぼしたりする息子。
めんどくさがりだし人のことまでやりたくないのがふだんの生活からありあり。
が、皿洗いには思わぬ才覚があった様子。

夏で水が気持ちいいからか皿がきれいになるのが達成感があるのか、文句言わずやり終わると「・・・よし」とつぶやいたりする。
つい洗剤や水がもったいないと思う私と違って、泡はぶくぶく水もジャージャーなのだが・・・力を入れて洗っているようなので台所にふせられた食器を見るとやけにきれいになっている。
手触りがそれこそ「キュキュット」なのだった。

それまではお残しが多かった自分の食生活も見直したようで、やけにきれいに食べるようになる。
テーブルを拭く手間がかかってめんどうだと気がつき、食べこぼしもなくなる。
洗う側からの立場で物事を見るって大切でしょ?と言うと素直にうなづく。
よしよし・・と思っていると・・・。

「食べ物が残ってるとよけいな仕事が増えるから残さないで」。
「こぼしたものはちゃんと拾って」。
「口をふいたティッシュとか皿にのせないで。ゴミは自分でゴミ箱に入れて」。
「いつまでも食べてる人は便に乗り遅れてるから自分で洗って」。
人にも厳しく要求し、それがまたいちいち細かい。
思わぬ「皿洗い奉行」ぶりを発揮する息子。

とにかく洗いがラクなようにラクなように、と考えているらしい。
そして・・・・洗いながら娘にとどめの一言。
「ちゃんと皿もなめとけよなー!洗うの大変だから」。
・・・・これぞ究極の美皿術(?)か。

夏休みの風景

2004年7月28日 日常
学校が夏休みに入ってはや一週間。
あまりにも忙しい一学期だったのでのんびりできるーとほっとしたはずだったが。

コドモがいる生活に「のんびり」という言葉はない、ということを忘れていた・・・。
夏休みの三重苦。
アツイ・ウルサイ・カタヅカナイ。

ただでさえ暑い夏。今年は毎日30度を越す猛暑。
朝っぱらからエアコンつけたいところだが、そこをがまん。
つければ快適なのはわかってるけど、そうなると一日つけっぱなしになってしまうし・・。
掃除・洗濯、ちょっと体を動かすだけでも汗が出る。

コドモたちが家にいると片付かない。
食べたものや飲んだものは片付けない、読んだ漫画や本も出しっぱなし。→あちこちにお菓子のゴミやジュースの空き缶やコップがおかれている。
自分の机でやればいいのに居間のテーブルで宿題その他をやる。→教科書やノート・文房具類がテーブルの上にたまる。
脱いだ靴下、汗を拭いたタオルなどそのへんに置きっぱなし。→だらしなくちらかる。

「自分のものは自分で」、ちょっと気をつければいいことなんだけどなあ。
いちいち言うのもお互いいい気分ではない。
繰り返し注意するが、さすがに何度も同じことを言わせられるとキレそうになる。
というか、すでにキレました・・・。

同じ空間にずーっといっしょにいると、息子・娘ともお互い牽制しあって一触即発。
私をふくめてうちの人々は自分のテリトリーを大切にするタイプ。
私はこれでも十分ゆずってるつもりだが、「じゃまされたくない」3人が同じ空間にいると、何かとトラブルのもと。
娘・息子は、すれ違いざま足がぶつかったとかガンとばしたとか、「なにもそんなことで・・」と思うことでケンカを売ったりしている。
ヤクザさんじゃないんだから・・・。

部活とかプールとか病院とか友達の家に行くとか、いろんなことで息子も娘も出かけたりするのだが、なぜか出かける時間がズレる。
同じ時間にいなくなってくれよー・・・(泣)

不幸中の幸いはダンナの夏休みがまだ、ということ。
しかもここのところ土日出勤も続いていて夜も遅いしほとんど顔をあわせていない。
これにダンナが加わったら・・と思うと、アタマが痛い。
家でのんびりなんかできないんだから私も用事作ってせっせと出かける、と方針を転換するか・・。

太陽のトマト

2004年7月26日 日常
この季節になると「おいしいトマト」が食べたくなる。

太陽と土と雨、大自然の恵みを受けて赤く大きく熟した旬のトマト。
お盆になって実家に帰れば、それこそ大きなザルでいっぱいのトマトが毎日とれるのでトマトざんまい。
朝、畑でとれたてのトマトをざくざくと切って大皿いっぱいにのせ食卓に出す。
ドレッシングも何もかけないシンプルな食べ方が一番おいしい旬のトマト。
じりじりと照りつける夏の太陽を見ると、実家で食べるその甘味と酸味がほどよくマッチした夏のトマトを思い出す。

「トマトが熟すと医者が青くなる」。
毎年、食卓のトマトを前に父が言う言葉。
体を冷やす性質があり、のどのかわきを止め体液を補充し消化を助けるはたらもあるというので、まさに夏の食べ物だそう。
トマトに含まれるリコピンがガンを予防し細胞の老化を防ぐと何かに書いてあったっけ。

一年中トマトはどこでも食べられる。
でもスーパーで売られているトマトは形はいいが味がいまいち。
太陽の恵みがぎゅっと詰まったような甘みはあまりない。
一個150円もするようなトマトならそれなりにおいしいのだろうが、私の中では昔から「畑でたくさんとれる野菜」なのでそんなに出してまで買う気にはならない。

子供のころには、夏にはいつも切って砂糖がかかったトマトが冷蔵庫で冷やされていた。
砂糖はトマトの水分を吸って溶けるのでほどよくなじみ、ひんやりしておいしい夏のおやつだった。
熟したトマトだからこその味であり、母としてもあまったトマトをなんとか消費するための策だったのだろう。
今、同じようにしてみてもここらのスーパーで買ったまだ硬いトマトではあの風味は出ない。

以前日記にも書いたがうちのコドモたちは「トマトの砂糖がけ」が好き。
幼いころにためしにトマトに砂糖をかけてみたらよく食べたのでそれ以来ずっとそうしている。
トマト、といえば砂糖をかけて食べるもの、と思っているかもしれない。
野菜だって果物だってその季節にとれたものをシンプルに食べるのが一番おいしいのだけど、「すっぱいだけ」のスーパーの安いトマトにはなかなか合ってる食べ方かも。
きのうのこと。主婦仲間たちと誘い合わせて娘たちを連れて公園プールに行く。

近くにわりと手ごろな公園プールがあり、7月初めにオープンしたその日から娘も息子も友達と連れだって出かけていたのだが・・・。
夏休みを前にして、「子供だけで行くな」と小学校からはおふれ書きが出されていた。
自転車で行けるすぐそこのプール、娘たちだけで行ってくれれば助かるのに。

藤棚の下に場所を確保するとさっそく娘たちはプールに走って行ってしまったので、私たちは木陰で涼みながらおしゃべりに花を咲かせる。
青空に浮かんだ白い雲がいかにも夏らしく、木々の葉は白っぽい裏側を見せながら風にそよぐ。
いつもは暑苦しく感じるせみの声もこんな場所で聞くと心地よい。
ああ夏休みだなあーーと思うひととき。

・・・が、私には気になる人物が。
おそらく昼過ぎからそこにいたのだろう、数メートル先の藤棚の下に陣どっている林家こぶ平か三谷幸喜テイストの男性。
ここは波や流れるプールなどもあるが公営のプールなので子供や家族連れが多い。
それなのに彼はお一人さま。
しかも大きくて黒くて四角い営業用のカバンをかたわらに置いている。
これだけでもじゅうぶんアヤシいのに、彼の水着は黒とショッキングピンクの競泳用。
三角パンツは焼けて引き締まった肉体にこそ似合うが、ぽってりしたハラの上の肉とはいかにも不つりあい。
マトリックス風のサングラスがこれまたイタい・・・。

太陽にじりじりと照りつけられる中で彼は表を焼き裏を焼き・・・寝っ転がった股間のモッコリがいやでも目に入る・・・。
「なにあれー?」「キモーい」「なんだろ、オトコひとりでこんなとこにくるなんて」「オタクの人・・・?」・・。
私たちの視界のはしっこに入ってくるので気になるのだった。
平日の昼下がりの2時間ほど彼はそうしてプールサイドで過ごし、最後にはプールで流れてきたらしい。
濡れた髪をぺったりと額に貼り付けて水からあがってきた。

われわれの推理では・・・おそらく露出を最大にしてなまっちろい肌を焼きに来たのだろう。
彼女と海にでも行く、そんな約束でもあるのだろうか。
とにかく、緊急に「焼き」が必要だったと思われる。
それなら日サロにでも行けばー?とも思うが・・・ここなら420円ですむからか。
それにしても、なにゆえ営業カバン?

・・・おもむろに帰り支度をし始めた彼がカバンからごそごそと引っ張り出したものはなんと「まきまきタオル」。
小学生がプールで使うアレである。
しかもハイビスカス柄!
マイタオル・・・なんだろうか。
手馴れた様子でまきまきタオルを腰に巻きその場で着替え始めるこぶ平。
そして私は見逃さなかった!
まきまきタオルの間から白いパンツが見えたのを。

ひえー・・・イマドキ小学生だってはかない白ブリーフ。
成人男子の間でもとっくに絶滅したかと思われるソレを、彼はなんと私たちの目の前で装着し始めた。
ことわっておくが、私たちは決してじっくり見ていたわけではないし、彼は単に更衣室に行く手間をはぶき、藤棚の陰で着替えをし始めたものと思われるが。

そしてもっと驚いたことに・・・黒い営業カバンから出てきたものはなんと丁寧にたたまれたサラリーマンのワイシャツとズボン!
・・・営業サボッてこんなファミリープールに一人で来てたのかー!
しかも持ち物からして計画的な犯行。

彼は小学生がばちゃばちゃと水をはねとばして遊ぶプールサイドで営業マンの服装に変身し、黒い営業カバンをさげて人ごみの中に消えていった・・・。
こんなところでこんなことしたらものすごく目立つってことに気がついてないんだろうなあ。
数々の「!」と「?」を残してこぶ平は立ち去っていったのであった・・・。

一学期終了♪

2004年7月20日 日常
職場の小学校もコドモたちの小中学校もきょうで一学期が終わる。

私と息子は朝、家を出る時間が同じなので、娘を送り出してから歯磨きや支度などしながらテレビをながめる。
新聞ダイジェストでニュースを知り、天気予報で天気を知る。
六本木ヒルズの庭園に住みついた「カルガモ日記」の終了とともに出発の時間。

息子「きょうでカルガモも見れなくなるなあ。あんなにちっちゃかったのに」。
その言葉で、ああそうだなあと気づく。
あしたからは夏休み。
時計代わりに見ていた朝のテレビ番組を見ることもないだろう。

4月に息子が中学生になってからこの時間のテレビを見るようになった。
4月にはまるまるとしてちっちゃくておかあさんのあとを一生懸命ついて泳いでいたかわいいカルガモのコドモたち。
テレビがついているので毎日その成長を見てきたが、今はおかあさんカルガモと見た目は同じになり、すいすいと泳いでいる。
「そうだよね。中学校行き始めたころカルガモ日記、見始めたよね」と息子のこの3ヶ月と重ねる。
まだまだかわいい息子だが、中身はずいぶんと成長したのだろうなあと思う。

初めはワイシャツのボタンも自分で止められず、慣れない制服を着るだけで大変そうだった。
今ではひとセット、テレビの前に持ってきてカルガモ日記の間に手早く着替えをすます。
夏服はポロシャツなので支度が楽になったということもあるが。
竹刀を肩にかけて「見送りしなくていいから」とささっと出て行く後姿はまさに中学生。
この間までのランドセルを背負っていた後姿とはやっぱり違う。

職場ではそれこそサウナのような体育館で終業式。
実習で行った施設のエアコンがなつかしい・・・。
クラスに戻って「うたえバンバン」「ビンゴ」などを小学生たちとリズムにのり体を動かしながら歌う。
やっぱりアップテンポの曲を元気に歌うと気持ちがわくわくして楽しくなる。
・・・「ズンドコ節」や「365歩のマーチ」では元気になれないのであった。
お年寄りの施設でも元気な曲を流したらいいと思うが・・・。

県内では39.7度の所も、という記録的な猛暑のきょう。
植木は強い日差しを浴びてくったりとし、空の青さはまさに自分が子供の頃見た「夏休みの空」のよう。
小学生たちは通知表と連絡帳と筆記用具だけを入れた色とりどりのレッスンバックを下げてそれぞれの家に帰っていく。
42日もある夏休み。私はパートの先生なのでオールお休み。
コドモたちといっしょの長期休みがあるのがこの仕事を選んだ理由のひとつだが、その間無給になるのはイタい。

最近は学校も諸事情があって夏休みとはいっても一週間程度しか休みがとれないらしい。
私の頃はばばーんと2週間ほど休みがとれたのでそれこそ毎年のボーナスをつぎこんで海外旅行に行くのが年間最大の楽しみだった。
国内外を問わず先生方は旅行が好き。
近場でいると「日常」の延長で「先生である自分」を引きずるからだろう。
先生方は海外旅行に行くハナシで盛り上がっている。
「象に乗りにタイへ行くんですよ」「ケアンズにね、ちょっと」「バリはいいですよ」・・・。
いいなあー。
まっ、私も夏休み恒例のカナダステイ(笑)が待ってるか。
新聞に「また平均寿命がのびる」という記事がのっている。
男性は78.36歳、女性は85.33歳。
日本は、女性は1985年から連続世界1、男性はアイスランド・香港に次ぐ世界3の長寿国である。
人口に占める高齢者の割合は、200年には17.2%だが、2015年には26.0%となり2050年には35.7%になると予想される。
人口の三分の一が高齢者になる・・・そんな超高齢化社会がくるのだ。

以前読んだ久坂部羊の「廃用身」(読書のテーマ2003年7月、参照してください)。
30年後高齢化社会を迎えたこの国では、介護を簡略化するために、お年寄りの廃用(マヒで使えなくなること)となった手足を切り落とし、カプセルのような洗浄器で洗う・・・そのあまりのリアルさに小説であることを忘れて震撼としたことを思い出す。
が、自分どころか息子や娘が老人になるころにはその「廃用身」にあったように、そんな時代が現実にくるのかもしれない。

施設での実習は、ふだんほとんどお年寄りに接することがない私にはショックだった。
この人たちは本当はどうして過ごしたいのか、そして自分なら年老いたこの時期にどうやって過ごしたいのか・・・。
とても考えさせられた。

一般棟に入所している方でまだ57歳の男性がいた。
89歳になるおかあさんが毎日、この猛暑の中田んぼのなかを歩いて面会にくるそうだ。
排泄誘導をしたときに「10歩歩ければ家に帰れます。がんばります」とリハビリもがんばってやっているという話を職員の方に聞いた。
母一人息子一人の生活で息子が職場で倒れて半身マヒになったのだという。
職員の方の話では「かわいそうだけどね。おかあさん、お年のわりにはお元気だけど、半身麻痺の息子さんにお家に帰ってこられても介護できないと思うのね。ヘルパーさんが入っても・・・それでも難しいよね」・・・。
何も年の順番とは限らないのだ。私より先に息子や娘が半身麻痺になったりする場合だってある・・・。

昔先生をやっていたという100歳過ぎた白髪も美しい男性の利用者さんは、職員の方に「先生」と呼ばれたときだけ反応するという。
話し方は理屈っぽくて「あたくしは医者でしたの。主人は警察官。名前はオオタケンイチ(仮名です)。あなた、ご存知?ご存じないの?あたくしも早く事務所にいかないと。こんなところにいたらしかられちゃう」といそいそとバッグを持って帰ろうとする痴呆の利用者さんもいる。
それぞれに人生の重みを感じる。

私の父母や田舎で元気に暮らしている近所の人たちなどは70過ぎているが元気だ。
人間として自分で自分のことができるのはものすごく幸せなことなのだとあらためて感じる。
そして人生は連続しているのだということをあらためて実感する。
誰にでも赤ちゃんだった時代はあり、誰にでも年老いて死を迎える前の時代がある。

今回私が施設で接した方々は、自立している方も多いが、介助なしでは難しい方も何人もいた。
食事においては「ごっくんできたね。がんばったね」とほめられ、排泄においては「トイレでできたね。よかったね」とほめられる。
幼児が自立に向かっていろんなことができるようになっていくのとは逆に、老人はいろんなことができなくなっていく。
そんな当たり前のことなのに普段の生活では忘れている、というか今の自分の人生の延長上に人のお世話にならなければ生きられない幼年期や老年期などないかのように思ってしまっている。

職場で子供たちに接していて感じること。
普段、大人たちが効率とか合理性とかを重んじさまざまなことでどんどん便利になっていく「社会」には、子供とか老人とか障害を持った人々など社会的に弱い立場の人たちは入っていないように思われる。
いや実際、入っていないのだろう。
子供や老人にも接する機会がない大人(=子供や老人の目線で見ることがない大人)が普通だろう。

未来をになう子供たちにとってこんな社会でいいの?と思うこともよくある。
自分が子供だったころのゆったりした時の流れや何かにあたたかく守られているという絶対的な安心感、未来への明るい希望、そういったものを今の子供たちは感じることができるのだろうか。
そして老人にとってもそうなのではないかと今気づく。

老人は今まさに老人になったのではない。
それぞれに波乱万丈の人生があって今がある。
それぞれの環境や周囲の人々の思い、本人の思いがある・・・。人生の重さがある。

「幼な子笑うなみな来た道だ。老人笑うなみな行く道だ」。
・・・・だったか、うろおぼえだがそんな言葉がある。
人生は連続しているということ、子供の目線やお年寄りの目線でも物事を見るということ、そんな考えを忘れないでいけばみんなが今までよりもやさしい気持ちになれるような気がするのだが。
施設実習3日目。
本日は「デイケア」の見学実習。

デイサービスとかデイケアというのは、送迎付きで朝9時くらいから夕方4時くらいまでお年寄りを預かってくれるサービス(これは家族からの見方)。
食事やおやつも出るしお風呂も入れてくれるし、リハビリやレクや体操などもしてくれる、という老人をかかえる家族にとってはありがたいサービス。
ちょうど幼稚園バスが幼児を乗せて走り回っている時間に、「デイサービス」「デイケア」とか書いたワゴン車も老人を乗せて街中を走っている、と最近になって意識する。

この預かりには二種類あって「特別養護老人ホーム」や「老人福祉施設」で行うのが「デイサービス(通所介護)」。
「老人保健施設」や「病院」で行われるのが「デイケア(通所リハビリテーション)」。
私が行った施設は「老健」なので一日預かりは「デイケア」という名前が付き、作業療法や理学療法、リハビリに重点を置いている。

朝の9時を過ぎると送迎のワゴンで続々と利用者さんが到着する。
歩いて入ってくる方、つえをついている方、車イスの方、さまざま。週に1日来る方もいれば月から土まで毎日来る方もいるという。

午前中はお風呂。機械浴に対して「一般浴」という。
ヘルパーさんが介助に入って着脱や洗いなど手伝うが、お風呂は手すり付きでちょっとした温泉旅館程度の広さがあり快適。
私の実習は、風呂上りの利用者さんにポカリを出してドライヤーと櫛で整髪すること。
「右に流してちょうだい」とか「襟足はくるんと内側にね」とかこだわりのある方もいれば、「かわかしてもらうの申し訳ないのでやっぱり短くしてくるわ」という方も。
ちょびちょびと髪が残っている方にもドライヤーを?と迷う場面もあったが、「お住まいはどちらですか?」とか言いながら普通にコミュニケーションはとれる。

食事も一部の方は糖尿病などの制限食だが、ご飯のつぶも普通の常食の方が多い。
午前と午後には体操やリハビリがあり、リハビリフロアで男性スタッフの声にあわせて体を動かす。
私も足首に2キロの重りを巻きつけいっしょにリハビリメニューをやってみたが、続ければなかなかいい筋トレになるだろう。
2チームに分かれてやった玉入れもかなり白熱した戦いになった。
フロアにはピアノやエレクトーン、囲碁将棋なども置いてあり、みんなでやる体操なんて・・・という方はずっとそちらの方にいることもあるという。

職員の方に、我ながらヘンな問いかけだと思ったが、「みなさん、ご自分から来てるんでしょうか」と聞いてみる。
「自分から・・・というより、初めはケアマネさんとかご家族の方に勧められてだと思いますよ。うちにいても体の自由がきかなかったり暑かったり寒かったりでこもりがちになるでしょう。それなら、ここに行けば運動もできるしお食事もお風呂もあるしお友達もできますよ、って言われて。
ご家族の都合で毎日来てる方もいらっしゃいますね。初めはいやいやでも、来てるうちに送迎のバスルートが同じ、とかから始まってご近所だってわかったりね」。

ふんふん・・・たしかにその通りかも。
実家の70の母などはまだ元気で要介護認定も受けていないのだが、「デイサービス?私はいや。だってみんなで手遊びしたり折り紙作ったり子供みたいなことやってらんない。ばかばかしくて」と言う。
そんな母も体が不自由になったらそうも言ってられなくなる日がくるのだろうか。

一日に50人ほど受け入れているということだが、一番若い方で52歳の利用者さんがいるという。
働きすぎて職場で倒れて半身麻痺になったそう。
53歳・・なんて聞くと私もまだまだなんて思ってられなくなる。

まだ髪も黒々としてどう見ても60代前半・・・と見られる車イスの女性の利用者さんがいた。
苗字が同じだったので(利用者さんは首から名札をさげている)よく声かけはしたがあまり反応もなく、レクのときも楽しそうにもしていなかった。
一日過ごし、帰り支度をしているとき私を手招きで呼ぶ。
「どうしました?磯野さん」というと私の手をにぎり泣きそうな顔。
たぶん一日何も言うことはなかったと思うその口をなんとか動かし何か私に言いたそうな様子。

・・・・「かえりたいの。おうちにかえりたい」・・・・。
握る手に力をこめながらせいいっぱいそう言う。
手をさすりながら「だいじょうぶですよ。今バス来ますからね。順番にご案内してますよ」と言うと、首をふってホロホロと涙を流し「・・・かえりたいの」とくり返す。

帰りたいおうちは今これから彼女が帰る家ではないのだろうか・・・。
私もきっと年をとっていろんなことから開放されたら、幼い自分が父や母に守られてしあわせに過ごした昭和40年代のあの日あの時に帰りたい・・と思うのかもしれない。
それが「わたしのおうち」だと。

お迎えの順番が来て、車イスの磯野さんは私を何度も振り返りながらワゴンに乗っていった。
心が痛くなった・・・。
本日で施設実習も無事終了。
施設実習2日目。
午前中は器械浴の見学と実習。
ビニールのエプロンをつけて洗い場に行く。
見るからにハイテクな機械の浴槽が三台。
洗い場担当は20代前半と思われる茶髪の元気そうな職員さん3人。
「きょうのお風呂は痴呆棟の利用者さんなので、コミュニケーションは難しいと思います。耳も遠いので、声かけは耳元で大きな声で」とのこと。

脱衣場にはオムツいっちょにされて申し訳程度にタオルをかけられた利用者さんたちが乗った車イスが順番待ちをしている。
「○○さん元気―?」と職員の方が明るく声かけするも、精気がなく反応なし。
または幼女のようなまるっきり純粋な笑顔でにこーーっと笑うのみ。

居室用車イスからお風呂用車イスに移し、オムツをはずす。
真夏の太陽がさんさんとふりそそぐ明るい浴室で素っ裸にされ、まぐろか大根でも洗うようにゴシゴシと洗われる利用者さん。
たいていの方は車イス生活なのでもう歩くことはなく、足は信じられないほど細く弱々しい。
それでも胸や腹の肉をかきわけて洗わなければいけない人もいるし、股間もタオルでゴシゴシ・・・。
「男性はエッチな方がけっこういるので。特に60代の方はマヒのないほうの手で触ってきたり股間を触れさせたり。こちらが気をつけていかないと」。・・・・年をとるということは理性やしがらみなどから開放されることなのか。

ひととおり洗い終わると浴槽へ。
落ちないようベルトで2箇所固定し、車イスをリクライニングしてそのままレールをすべらせ浴槽へ。
スイッチオンでがーっとお湯が出て水位が上がってくる。
泡が出てジェットバスにもなるものすごい浴槽。
あまり表情のない利用者さんたちもお湯がたまってくるときはものすごく不安な表情をしたり、泣き出しそうになる人も。
職員さん「だいじょうぶ!こわくないよっ」と元気に。
お湯の出る音がけっこう大きく、しかもベルトで縛り付けられて水位があがってくるのは・・・・年とったら私だってこわいだろうな。
孫のような茶髪の娘っ子に叱咤激励されながらも、それでもお風呂に入れるだけしあわせなのか。

痴呆棟は一般棟と違ってフロアにまるっきり活気がない。
それでも部屋のベッドに寝かせっきりにすることはなく、車イスに座らせたりまたはベッドごとフロアに連れてきている。
その後、一般棟に戻って、食事介助やシーツ交換。
またまた午後はぬりえのお世話。

職員の方からは私は「学生さん」と呼ばれ、利用者さんからは「おねえちゃん」と呼ばれる。
娘のような職員さんに「学生さん」と呼ばれるのもくすぐったいヘンな感じだが、お年寄りに「おねえちゃん」と呼ばれるのもうれしいようなヘンな感じ。
フロアでお世話したり暇そうにうろうろしていると「おねえちゃん、おねえちゃん」と声がかかる。

たいていは鉛筆をけずってくれとか寒いから日当たりのいいところに移動させてくれとかなのだが・・・
「あの人ね、私のことをきらいなの。車イスでぶつかってくるのよ。何回も。私のこときらいだからいじわるするのよ」とか「テレビの前であの人たちおしゃべりしているから見えやしない」と別の人をあからさまに指差してグチる方もいる。
「あそこは私の席だからあの人どけてちょうだい。あの人があっちにいけばいいの」という人もいる。
・・・「子供に戻っているのよ」。
先日の職員の方の言葉が思い出される。

小学校低学年の教室もそうだ。
「○○ちゃんがナントカって言ったー」「○○ちゃんはずるいー」。
小学生はその「○○ちゃん」に対して私がどう出るか、までちゃんと見ている(担任の先生はめんどうなのでこんなトラブルは引き受けない)が、お年寄りはグチを聞いてあげるだけで解決は求めていないようだった。
「そうですね。それはイヤでしたね」とか「困りましたね」とか共感してあげると「そうなのよ」とそこで終わる。

初日は流れがわからないのでなんだかオロオロするばかり・・・だったが、ひととおりの一日の流れがわかればなんとか自分でもできそうな気はした。
ウンコもゲロもヨダレもふだんの仕事で見慣れているので、オムツ交換だってなんだってお仕事と思えばたいしたことはない。
何より36度の猛暑。
サウナ状態の学校よりもエアコンの効いた施設内は快適の一言。
空調の整った室内でのお仕事、というのはうれしい。

それでも・・・わが身に置き換え、考える。
高齢者はこうして施設で過ごすのがこれからますます一般的になるだろう。
私だって息子や娘に在宅で介護してほしいなんて思わない。
ましてや嫁さんに・・・。
それならお金を出してそれに見合ったサービスを受けたほうがいい。
こうして年間を通して冷房暖房のきいた快適な環境で食事にも困らず生活できるなんて幸せなのだろう・・・と思おう。

それにしてもつくづく「健康」と「金」のありがたさと大切さを思う。
健康でお金があれば長く生きればそれだけいろんなことができるだろう。
が、そうでなければ長生きすることが必ずしもいいことではないなあ、とやはり思うのであった。
(シメがきのうと同じですいません)
老人保健施設に介護実習に行く。
ちょっと前までこういう施設は全部「老人ホーム」というものだと思っていたが、施設にもさまざまあるということを勉強して初めて知る。

「特別養護老人施設」と「老人保健施設」は全く別物。
前者は「特養(とくよう)」と呼ばれ、寝たきりや痴呆で家庭介護ができなくなった方々が入所している。
退所するのは亡くなったときだそう。
後者は「老健(ろうけん)」と呼ばれ、機能回復を主とし一応3ヶ月をめどに家庭への復帰をめざす。
が、現実問題、家庭では受け入れ態勢が整わないため、施設を転々としたり退所しても戻ってきたりするそう。

「特養」「老健」ともに介護保険の施設サービスなので、介護度にもよるが金銭的な負担としては月に数万・・といったところ。
グループホームやケアハウス、民間の有料老人ホームが十万・百万単位の入所金がかかり、月々の負担も10数万、ということから考えると格安だろう。

今回の実習は「老人保健施設」なので、リハビリを主とする施設。
若いリハビリスタッフが多く男性もスタッフも多い。
介護員さんは、利用者さんの生活のお世話をするといった感じ。
建物の一階部分がリハビリホールになっており、居室部分は一般棟と痴呆棟に分かれていて、それぞれのフロアは鍵がかけられている。
室内はきれいで明るく清潔でホテルのよう。

一日目は一般棟に配属。
「排泄誘導」「食事介助」「お風呂場での衣服の着脱」「レクのお世話」「シーツ交換」などをする。
介護実技の講習でやった、講座仲間同士の衣服着脱や食事介助、トランス(移乗)と違って相手はお年寄り。
車イスの方が多いので、排泄も介助が必要で、朝9時にトイレに順番につれていって一巡すると次の回(11時半?)の誘導の時間になってしまう。
「一日フロアにいるとこればっかりのときもあるのよ」といいながらも職員の方々はキビキビと利用者さんに声かけし、一人が抱き上げ一人がおしりを拭く・・・といった感じ。

食事介助にしても、ドロドロのミキサー食でさえ飲み込めない利用者さんがいれば、根気よく「はいもぐもぐごっくんね」と気長につきあっている。
家庭復帰をめざし、少しでも体を動かし自分でできることは自分で、というのが「老健施設」。
職員の方は「だからね、特養のほうがラクかもね。寝たきりで何もしゃべらないお年寄りだし、オムツも時間でかえればいいからね」と。

午後のレクとおやつの時間にはホールで体操。
ホールには季節に合わせた折り紙の飾りつけなどがしてあり、楽しい雰囲気づくりはされている。
季節柄、七夕やあじさいや朝顔の紙細工に囲まれ、コドモたちの幼稚園を思い出す。
「氷川きよしのズンドコ節」や「365歩のマーチ」に合わせて体を動かし、簡単なクイズやゲームなどをする。

本日のおやつはチョコレートムース。
配るときに職員さん「あっスプーンの種類が違う」とあせっている。
聞けば、「あの人は金のスプーンなのにどうして私は銀のスプーンなの?」という利用者さんはけっこういるそうだ。
ようかんの大きさが違うとかいちごの数が違うとかでもクレームがくるそう。
「・・・子供に戻ってるのよね。そう思えばかわいいでしょ」と職員の方。

おやつのあとは自由な時間で、思い思いにテレビを見たり(・・見ているかどうか。テレビの前にいる)、ぬりえを塗ったり。
ぬりえで使う色鉛筆をけずったり、「おじょうずですね」とほめたりしてみる。
・・・ぬりえは個人ごとに冊子にとじてあるが、まさに幼稚園児がするような簡単なもの。
「もう終わっちゃったの」「もっと難しいのはないの?」と言う利用者さんたち。
ハマればぬりえだって楽しいだろうが、こうして毎日が過ぎていくのか・・・と思うとなんだか長生きするのもあまり結構ではないような気もしてくる。

集団生活なのでそこには「社会」ができている。
ここは幼稚園や小学校の低学年のクラスとよく似ている・・・と思う。

ぬりえの片づけをしていたときに、思わず手が止まる。
ぬりえの冊子すみっこに書いてある文字。
「私はこんなことするためにここにいるんじゃないよ。なめんなよ。自分に合った仕事をしたいよ」・・・。
人生の先輩のはずなのに子供扱いされて、ともすれば何もわからないんじゃないかと思われるお年寄り。
こんな言葉に接すると思わずハッとし心が痛くなる。

私はできれば60歳くらいでポックリと死にたいなあ・・・などと考えたりするのであった。
訪問介護員講座の現場実習が始まる。
これに行かないことには資格がもらえない。
夏休みが始まる前に終了してしまいたかったので、学校でのお仕事を調整してなんとか日程を入れる。
訪問1日・施設3日間の実習。

訪問は先週のうちに終了。
ヘルパーステーションに行き「ホームヘルプサービス」に同行実習する。
介護保険で要介護認定を受けているお年寄りの方々をこの業界では「利用者さん」と呼ぶ。
その利用者さんの家庭を訪問して身体介護や家事援助をするのがこのお仕事。
身体介護とは直接利用者さんの体に触れるもので、着替えやオムツ交換・体を拭くなど。
家事援助とは買い物や調理、掃除洗濯など。
仕事として見ると、前者は時給1400円、後者は1000円程度だとか(確認はとってないので不正確)。
それぞれの利用者さんごとに何をするのか計画はできており、普通は一軒2時間程度の訪問で決められたことをする。

当日は、先輩ヘルパーさんについて5軒のお宅を回る。
1軒目は一人暮らしの利用者さんのところへ行き、デイサービス(施設に行き半日過ごす)の送り出し。
みんなが集まる場所に行くというのできれいにお化粧をしてネックレスなどつける利用者さん。
こちらの仕事としては、お部屋の片付け程度だが、息子さんがバリアフリーに改造してくれたということで、一人暮らしでもとてもきれいで快適な生活をしている様子。

2軒目からそれぞれご夫婦、一人暮らしのお宅に入り家事援助。
掃除・洗濯・買い物・調理などなど自分の家でやっているようなこと。
洗濯機を回してその間にお掃除をする。
何が食べたいかなど確認し、冷蔵庫の中身をすばやくチェックし買い物にいく。
食べたいものがはっきりしている場合はいいが、「適当に作って」などと言われると、今ある食材とあらたに購入する食材で安く短時間で作る、という能力が要求される。

調味料だって完備しているわけではなく、2軒ともしょうゆと砂糖はあったがみりんも味の素も置いてない。
先輩ヘルパーさんは工夫してかつおぶしや昆布でだしをとっていたが、私は料理、特に魚の煮物や野菜の煮物系のものは「めんつゆ」で味付けしたり、「ナントカの素」を使ってしか作れない。家庭料理の能力は必須とみた・・・。

自分の家ではやらないような便器みがきやガス台の魚用グリルのお掃除もやる。
・・・もともと毎日のようにヘルパーさんたちがお掃除に入っているので台所もトイレもきれい。
こういっちゃなんだが、ぼろっちい古いアパートにじいさんが一人で住んでいる、そんな生活からはちょっと想像できないほどに磨きこまれているし片付いている。
うちなんかより断然きれいにしてあった。
うちにもヘルパーさんが来てお掃除などしていただきたいもの・・・。

5軒目はデイサービス現場にお迎えに行くというもの。
息子さん一家と生活しているおばあちゃんなのだが、車の中で「もう行きたくないよ。でもね、嫁さんが行けっていうから・・・」とグチる。
デイサービスではお風呂にも入り体操やゲームもし、もちろん食事やおやつも付いて送迎つきで半日預かってくれるので、老人をかかえた家族にとってはとてもありがたいサービスだろう。

私がコドモたちを3年保育で幼稚園に行かせていたようなものか。
コドモ本人にとってはおうちにいたい、のだろうが、私にとっては半日でも家にいないととても助かる。
しかも給食もあり先生も責任もってめんどう見てくれるから安心だし、お友達もいるからコドモにとっても楽しいだろう、と思っていた。
娘に今、「3歳のとき泣いてたよね。幼稚園、行きたくなかったの?」と聞くと、「行きたくないんじゃなくて、おうちにいたかったの。おかあさんといたかったから泣いてたの」と言う。
・・・・デイサービスも言葉は悪いが家族にとっては、そんな「託老」の意味もあるのかな、と思う。

そして・・・何軒かしか回っていないが、やはり老後にはお金がモノをいう、と感じる。
一軒目に行った利用者さんは明るくて快適な広いマンションの一室でかなり裕福な一人暮らしをしていた。
築30年もたってるようなアパートに住んでいる方もいるし、こじんまりした住宅の方もいる。
すぐ隣に息子夫婦がいてもまるっきり没交渉でヘルパーさんまかせの方もいる。
老後の環境や暮らしぶりはほんとうに人さまざま。

それでもまだ在宅でサービスを受けている方々は、少しは自分のことができるとか家族の援助があるという人が多いと聞く。
仕事としては、家事援助が増えてきているという。
身体介護が必要な方々は家族のほうでできれば施設に入れてしまいたいという傾向があるからだという。
自分が年寄りをかかえたら同じように思うだろうな・・・。
施設のほうが安心だし。
いよいよ本日から施設実習。

☆実習生として見たこと聞いたこと感じたことの記録ですので、関係者の方々、気になること・間違っているところなどありましたら申し訳ありません・・・。

夏の風物詩

2004年7月10日 日常
これを見ると「ああ本格的な夏がきたなあ」と思う。
それは・・・ハムちゃんの「腹丸出し寝姿」。

冬の間はふわふわとした毛皮が暖かそうなハムだが、ここのところいかにも暑っ苦しい。
「あったかいふわふわのものをぎゅっとしたい」、私も娘もとてもそんな気持ちにもなれず、ハム子はほおっておかれている。

でも・・・寝ている姿をそーっとのぞくとこれがまた超ラブリーなのだ。
まわし車の上や砂場の上、えさ箱の中などプラスチックの上にひっくり返ってでれーんと腹を出して寝ている。
おなかの毛は純白でふわふわ。
その四辺にちっこくて短い手や足がついている。

あおむけで寝ているので手足は空中に突き出し、それが外界のちょっとした刺激でふるふるっとふるえたりするともうだめ。
あまりの無防備さに、私も娘もハム子に聞こえないように心の中でかわいさのあまり悲鳴をあげる。
そんなちょっとした空気に反応し、一瞬にしてひっくり返って元通り丸まってしまうので、見るときは息を殺してのぞきこまなければいけない。
普段はなかなか見られない口元が見られるのも夏ならではである。

それにしてもハムちゃんはどうやって体温調節してるのか。
犬みたいにハアハア舌を出すわけでもないし、人間みたいに汗をかくわけでもないし。
もともとは砂漠の生き物だかなんだか知らないが、暑さにはけっこう強いのかも。

ハムにしては長生きしているハム子。
猛暑だけど今年の夏も無事越してほしいもの。

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