あたりまえだったこと
2009年3月11日 日常娘の受験が終わってすぐ、発表までの一週間の間。
急に思い立って実家に行ってきた。
お正月からずっと毎日母の病状が気にはなったが娘の受験があるから、と自分に言い訳していた。
悪い病状を見るのがこわい、という先延ばしの気持ちも少しあった。
それでも、日曜などに仕事に出て人のお世話をしていると「私は自分の親のめんどうも見ないで何してるんだろう?」とどうしようもない気持ちになり、ひとりで家事も通院もすべてやらなければいけない父を思うと胸がしめつけられる毎日だった。
娘の受験前、父と電話で話していたときのこと。「受験終わったらすぐ行こうと思ってたけど、なんか忙しくて。春休みになってからでもいいかなあ」と私が
言うと、父は「うんうん。だいじょうぶだから。ゆっくり来られるときでいいよ」と言っていた。
でもそんなことはなかった。ぜんぜんだいじょうぶじゃなかった。
実家の奥のカーテンが閉まった薄暗い部屋に寝ていた母は、私が知っている母とは全く別人だった。
「ごめんね。ごめんね。こんなになってしまって」と私の手を握ってずっと泣いていた。髪は白髪でばさばさになりすっかりやせてしまい顔色も悪く、調子が悪いからと風呂にも入っていなかった。
お正月のときは、体調は良くなかったといっても、普通に会話したしいつものしゃっきりとした母だった。
重い米袋も運ぼうとしていたし、みそや野菜を物置から出してきてダンボール箱に詰めてくれた。
正月明けのわずかな間に何がどうなればこんなふうになってしまうんだろう。
私や周りの人たちが知る母は、旧家の長女としての自覚からだろうが、いつだれが来てもいいようにとどんなときでも朝早く起きて身支度をととのえていた。
庭先や玄関をいつもきれいにしていたし、どんなにつらいことがあっても感情を表に出したり、グチや後ろ向きな言葉を吐いたりすることもなかった。
父とも滞在中いろいろな話をしたが、やっぱり三度の食事の支度や食材の買い物、母の通院のつきそいに追われていっぱいいっぱいだった。
地区の役員や家業で出かける機会も多かった父だが、最近はすべて断っているというのも胸が痛んだ。近くにいれば少しでも手助けができるのに。
2泊の短い時間、できるだけのことをした。
正月からやっていなかったという家の掃除。買い物・食事の用意。母の入浴介助・白髪染め。
時間がいくらあってもたりなかったが、どんなに働いても疲れることはなかった。ランナーズ・ハイならぬヘルパーズ・ハイ。
いつもやっているお仕事がとても役にたち「ああ介護の仕事やっていてよかった」としみじみ思った。
「家に人が入るのはいやだ」と母が言うものの「とりあえず申請だけでも」と介護保険も申請してきた。ケアマネージャーさんが決まれば父もいろいろと相談になる人ができて少しはいいだろうし。
父や母の姿を見て・・・不思議と感傷的になることはなく「とにかく父と母の助けになることをしなくちゃ」の思いだけで動いていた。
福祉に携わるものの使命感が優先されていた、というか、感情にストッパーがかかっていたというか。
家に戻れば、娘の受験の発表が控えていた。
落ちたと思ったので私立に手続きするお金を用意し、ああこのお金があれば何回実家に行けるだろう?と思った。
やっぱり電話じゃ様子なんてわからない。父に少しでも手助けが必要だ。もっと何度も行かなければ、と思った。
実家に行く前に「春休みになってからでいいか」と考えていた自分の気楽さにもあきれた。
1月からずっと重苦しい気持ちをかかえたままで、それでもとりあえず行って実際に様子を見て、やれることはやれて本当によかった。行ってよかった。
そして娘の県立合格の知らせ。
ずっと使命感にかられて動いていて気が張っていたから、涙なんか出なかったのに。
あとからあとからあふれてくる涙ってあるんだな。自分の気持ちとか意志と関係なくはらはらと流れ出る涙ってあるんだな。
娘にはちょっと悪くて申し訳ないから言わないけれど、合格したことのうれしさよりも県立に入ってくれてほっとした気持ち、かな。
きょうは、お正月に実家から積んできた玄米を精米しに行った。
精米したばかりの米はさらさらと白くてほんのり温かい。車に運ぶときに腕にかかえたその重みと温かさがせつない。
玄米を実家から持ち帰って精米する・・・そんなことももうなくなる。
お正月に母がタッパーに詰めてくれたみそや梅干もまだいつものように冷蔵庫にあるけど、なくなったら終わり。
「体の調子がよくなったまたお餅ついて送るからね」と言っていたが、それももうないんだろうな。
三月の娘の誕生日にはいつも色とりどりのお菓子やお手紙が送られてきたが、そういうことももうないんだ。
今まではごく普通のあたりまえだとおもっていたことがすべて。
母の娘や孫たちを思う気持ちだったということ。失って初めて気づかされる。
でも、こういう日常になれていくしかない。
急に思い立って実家に行ってきた。
お正月からずっと毎日母の病状が気にはなったが娘の受験があるから、と自分に言い訳していた。
悪い病状を見るのがこわい、という先延ばしの気持ちも少しあった。
それでも、日曜などに仕事に出て人のお世話をしていると「私は自分の親のめんどうも見ないで何してるんだろう?」とどうしようもない気持ちになり、ひとりで家事も通院もすべてやらなければいけない父を思うと胸がしめつけられる毎日だった。
娘の受験前、父と電話で話していたときのこと。「受験終わったらすぐ行こうと思ってたけど、なんか忙しくて。春休みになってからでもいいかなあ」と私が
言うと、父は「うんうん。だいじょうぶだから。ゆっくり来られるときでいいよ」と言っていた。
でもそんなことはなかった。ぜんぜんだいじょうぶじゃなかった。
実家の奥のカーテンが閉まった薄暗い部屋に寝ていた母は、私が知っている母とは全く別人だった。
「ごめんね。ごめんね。こんなになってしまって」と私の手を握ってずっと泣いていた。髪は白髪でばさばさになりすっかりやせてしまい顔色も悪く、調子が悪いからと風呂にも入っていなかった。
お正月のときは、体調は良くなかったといっても、普通に会話したしいつものしゃっきりとした母だった。
重い米袋も運ぼうとしていたし、みそや野菜を物置から出してきてダンボール箱に詰めてくれた。
正月明けのわずかな間に何がどうなればこんなふうになってしまうんだろう。
私や周りの人たちが知る母は、旧家の長女としての自覚からだろうが、いつだれが来てもいいようにとどんなときでも朝早く起きて身支度をととのえていた。
庭先や玄関をいつもきれいにしていたし、どんなにつらいことがあっても感情を表に出したり、グチや後ろ向きな言葉を吐いたりすることもなかった。
父とも滞在中いろいろな話をしたが、やっぱり三度の食事の支度や食材の買い物、母の通院のつきそいに追われていっぱいいっぱいだった。
地区の役員や家業で出かける機会も多かった父だが、最近はすべて断っているというのも胸が痛んだ。近くにいれば少しでも手助けができるのに。
2泊の短い時間、できるだけのことをした。
正月からやっていなかったという家の掃除。買い物・食事の用意。母の入浴介助・白髪染め。
時間がいくらあってもたりなかったが、どんなに働いても疲れることはなかった。ランナーズ・ハイならぬヘルパーズ・ハイ。
いつもやっているお仕事がとても役にたち「ああ介護の仕事やっていてよかった」としみじみ思った。
「家に人が入るのはいやだ」と母が言うものの「とりあえず申請だけでも」と介護保険も申請してきた。ケアマネージャーさんが決まれば父もいろいろと相談になる人ができて少しはいいだろうし。
父や母の姿を見て・・・不思議と感傷的になることはなく「とにかく父と母の助けになることをしなくちゃ」の思いだけで動いていた。
福祉に携わるものの使命感が優先されていた、というか、感情にストッパーがかかっていたというか。
家に戻れば、娘の受験の発表が控えていた。
落ちたと思ったので私立に手続きするお金を用意し、ああこのお金があれば何回実家に行けるだろう?と思った。
やっぱり電話じゃ様子なんてわからない。父に少しでも手助けが必要だ。もっと何度も行かなければ、と思った。
実家に行く前に「春休みになってからでいいか」と考えていた自分の気楽さにもあきれた。
1月からずっと重苦しい気持ちをかかえたままで、それでもとりあえず行って実際に様子を見て、やれることはやれて本当によかった。行ってよかった。
そして娘の県立合格の知らせ。
ずっと使命感にかられて動いていて気が張っていたから、涙なんか出なかったのに。
あとからあとからあふれてくる涙ってあるんだな。自分の気持ちとか意志と関係なくはらはらと流れ出る涙ってあるんだな。
娘にはちょっと悪くて申し訳ないから言わないけれど、合格したことのうれしさよりも県立に入ってくれてほっとした気持ち、かな。
きょうは、お正月に実家から積んできた玄米を精米しに行った。
精米したばかりの米はさらさらと白くてほんのり温かい。車に運ぶときに腕にかかえたその重みと温かさがせつない。
玄米を実家から持ち帰って精米する・・・そんなことももうなくなる。
お正月に母がタッパーに詰めてくれたみそや梅干もまだいつものように冷蔵庫にあるけど、なくなったら終わり。
「体の調子がよくなったまたお餅ついて送るからね」と言っていたが、それももうないんだろうな。
三月の娘の誕生日にはいつも色とりどりのお菓子やお手紙が送られてきたが、そういうことももうないんだ。
今まではごく普通のあたりまえだとおもっていたことがすべて。
母の娘や孫たちを思う気持ちだったということ。失って初めて気づかされる。
でも、こういう日常になれていくしかない。
娘、県立後期合格!
ほっとしたあー・・・今度こそ終わったー・・・。
神様ありがとうございます(泣)。
発表の日は、三月だというのに一日中どしゃぶりの冷たい雨が降る日だった。
「こんな雨なのにただ行って帰ってくるだけなんて。わざわざ行くのめんどい」と不機嫌にぶつぶつ言いながら、娘は発表を見に出かけていった。
傘からはみ出したスクールバックを濡らしながらとぼとぼと出かけていく娘の後姿。
見送りながら「ああー・・」と私は心が痛んだ。
自己採点が低かったので「落ちた」と私も娘も思っていた。
息子のときは前期から後期までの三週間がとても長かったけれど、今回は後期終了から発表までの一週間が途方もなく長く感じられた。
娘とすれば、志望校をひとつ下げたこともあり倍率もそれほどでもなかったので「絶対合格」という気持ちで望んだ試験。
私としても能天気な娘の姿勢に救われて「落ちるわけないよね?」と心の中では思っていた。
が。本番での自己採点結果は今までのどの模試よりも低い。
5教科200点満点、1点2点が明暗を分ける受験システムでの15点差は致命的・・・。
息子に「ダメっぽかったよ。本番点数とれなかったみたい。今まではできてたのに。こんな一発勝負で決まる入試なんて変だよね」と言ってみる。
と、「そんなの言ってる時点でダメじゃね?本番で点数とるために日々訓練してんだから。本番でとれないんじゃそれは訓練が足りなかったってことで実力不足だったんだから」とバッサリ。
ううー・・・返す言葉もありませんな。受験の厳しさを知る特攻隊の息子の言葉は妙に重みがある。
発表までの一週間。
私立高なら当日か次の日には発表なのに、なんで一週間も必要?と思っていたが、これはきっと気持ちの整理をつけるための期間なのだ、と今回あらためて思う。
切り替えの早い娘は次の日には、行くことになる私立高のパンフレットを出してきて「部活どうしようかな?」と春からの生活に思いを馳せていたが。
私としても、すべて自己責任の県立高よりめんどうみのいい私立高のほうが娘のためにはいいのかも?と納得する方向で考えようとした。
修学旅行もオーストラリアだし。制服もかわいいし。
文武両道の県立高よりも進学だけを考えれば私立のほうがいいのかも?でもやっぱり高校は予備校じゃないんだから勉強だけじゃないし、とか。
娘の熱血担任教師は発表前に生徒たちにこう言ったという。
「もし不合格だったとしても落ち込むことはありません。それがあなたの『学校』です。これからの三年間にその学校でさまざまな出会いや出来事があると思います。ここでこうしてこんな人々や出来事にめぐり合うためにあなたはここの学校に来たのだ、とあとで思える日が必ず来ます」。
先生、いい言葉を用意してくれたものだよなあ。
もし私立に行くことになったとしてもそれはそこに縁があるからなんだ。
それでもさまざまな考えが流れ着く先は金銭面。
すぐに息子の大学進学が控えている。もしかして予備校かも。
今回、母がこんなことになって実家にも何度も足を運ぶことになるだろう。
私立に行くなら入学金と制服その他で50万が一気に消える。
県立なら入学金5000円と制服その他で10万ちょっとだ・・・。
月謝も県立なら半分ですむ。ういた分が実家への新幹線代に使える・・・。
もし。
神様がほんとうにいるなら。
娘を県立高校に合格させてください。
・・・毎日毎日この一週間何度となく神様に手を合わせた。
合格発表は朝8時半。
しぶしぶ出かけたので出遅れた娘からのメールは9時半近かった。
「合格」の文字とピンクのニコニコのマークを見て涙が出る。
ああ・・・よかったよかったよかったよかった。
息子のときだって涙なんか出なかったのに。
いろんな思いが交錯して胸にたまっていたんだ。
それが一気に流れていくようで心の底からほっとした・・・。
発表を見て中学校に報告に行って。帰ってきた娘の制服は雨でびしょびしょに濡れていた。
「塾の祝賀会があるから行かなくちゃ」といそいそと着替えてすぐ出かけていったので、残されたのは娘の濡れた制服と志望校の名前が入った薄いブルーの大きな封筒。
入学のしおりに目を通して、これからの書類提出や制服・体育着、教科書販売の日時、説明会や入学式の日程など書き留める。
ああ・・・春が来るなあ。
よどんでいた水が一気に流れ出していくみたいだ。
春から娘も高校生。どんな高校生になるのかな。
ほっとしたあー・・・今度こそ終わったー・・・。
神様ありがとうございます(泣)。
発表の日は、三月だというのに一日中どしゃぶりの冷たい雨が降る日だった。
「こんな雨なのにただ行って帰ってくるだけなんて。わざわざ行くのめんどい」と不機嫌にぶつぶつ言いながら、娘は発表を見に出かけていった。
傘からはみ出したスクールバックを濡らしながらとぼとぼと出かけていく娘の後姿。
見送りながら「ああー・・」と私は心が痛んだ。
自己採点が低かったので「落ちた」と私も娘も思っていた。
息子のときは前期から後期までの三週間がとても長かったけれど、今回は後期終了から発表までの一週間が途方もなく長く感じられた。
娘とすれば、志望校をひとつ下げたこともあり倍率もそれほどでもなかったので「絶対合格」という気持ちで望んだ試験。
私としても能天気な娘の姿勢に救われて「落ちるわけないよね?」と心の中では思っていた。
が。本番での自己採点結果は今までのどの模試よりも低い。
5教科200点満点、1点2点が明暗を分ける受験システムでの15点差は致命的・・・。
息子に「ダメっぽかったよ。本番点数とれなかったみたい。今まではできてたのに。こんな一発勝負で決まる入試なんて変だよね」と言ってみる。
と、「そんなの言ってる時点でダメじゃね?本番で点数とるために日々訓練してんだから。本番でとれないんじゃそれは訓練が足りなかったってことで実力不足だったんだから」とバッサリ。
ううー・・・返す言葉もありませんな。受験の厳しさを知る特攻隊の息子の言葉は妙に重みがある。
発表までの一週間。
私立高なら当日か次の日には発表なのに、なんで一週間も必要?と思っていたが、これはきっと気持ちの整理をつけるための期間なのだ、と今回あらためて思う。
切り替えの早い娘は次の日には、行くことになる私立高のパンフレットを出してきて「部活どうしようかな?」と春からの生活に思いを馳せていたが。
私としても、すべて自己責任の県立高よりめんどうみのいい私立高のほうが娘のためにはいいのかも?と納得する方向で考えようとした。
修学旅行もオーストラリアだし。制服もかわいいし。
文武両道の県立高よりも進学だけを考えれば私立のほうがいいのかも?でもやっぱり高校は予備校じゃないんだから勉強だけじゃないし、とか。
娘の熱血担任教師は発表前に生徒たちにこう言ったという。
「もし不合格だったとしても落ち込むことはありません。それがあなたの『学校』です。これからの三年間にその学校でさまざまな出会いや出来事があると思います。ここでこうしてこんな人々や出来事にめぐり合うためにあなたはここの学校に来たのだ、とあとで思える日が必ず来ます」。
先生、いい言葉を用意してくれたものだよなあ。
もし私立に行くことになったとしてもそれはそこに縁があるからなんだ。
それでもさまざまな考えが流れ着く先は金銭面。
すぐに息子の大学進学が控えている。もしかして予備校かも。
今回、母がこんなことになって実家にも何度も足を運ぶことになるだろう。
私立に行くなら入学金と制服その他で50万が一気に消える。
県立なら入学金5000円と制服その他で10万ちょっとだ・・・。
月謝も県立なら半分ですむ。ういた分が実家への新幹線代に使える・・・。
もし。
神様がほんとうにいるなら。
娘を県立高校に合格させてください。
・・・毎日毎日この一週間何度となく神様に手を合わせた。
合格発表は朝8時半。
しぶしぶ出かけたので出遅れた娘からのメールは9時半近かった。
「合格」の文字とピンクのニコニコのマークを見て涙が出る。
ああ・・・よかったよかったよかったよかった。
息子のときだって涙なんか出なかったのに。
いろんな思いが交錯して胸にたまっていたんだ。
それが一気に流れていくようで心の底からほっとした・・・。
発表を見て中学校に報告に行って。帰ってきた娘の制服は雨でびしょびしょに濡れていた。
「塾の祝賀会があるから行かなくちゃ」といそいそと着替えてすぐ出かけていったので、残されたのは娘の濡れた制服と志望校の名前が入った薄いブルーの大きな封筒。
入学のしおりに目を通して、これからの書類提出や制服・体育着、教科書販売の日時、説明会や入学式の日程など書き留める。
ああ・・・春が来るなあ。
よどんでいた水が一気に流れ出していくみたいだ。
春から娘も高校生。どんな高校生になるのかな。
お仕事で一人暮らしや老夫婦のお宅を訪問すると、娘さんが来ていることがたまにある。
どこのうちでもそうだが「娘の来訪」というのは空気がパッと華やぐもの。
閉め切った部屋に春の風がさあっと吹き込んでくるような。
きのう訪問したYさん宅にもちょうど娘さんが来ていた。
1年ほど前にだんなさんを亡くしたYさんは一人暮らし。2週間に1度くらい娘さんが来る。
テーブルの上には娘さんが買ってきた春色の散らし寿司や桜餅が並べられていた。
持参したタッパー類には手作りのお惣菜が詰まっているのだろう。
お掃除をしながら、聞こえてくる母と娘の会話を聞くともなしに聞く。
「おかあさん、ちゃんと野菜食べてる?ほうれん草さっき買ってきたから。ゆでて冷凍しておくからチンして食べてよ。ひじきとか大豆とかこういうのも体にいいんだからね」。
「今、駅から来たんだけどね、いつものたい焼きやさん、すっごい混んでてきょうは買えなかったあ。じいちゃん元気なときよく自転車で買ってきてたよねえ」。
「この前、○○(子供)が友達とディズニーランドに行ってきてばあちゃんに、ってクッキー買ったみたいなんだけど電車に忘れちゃったって。バカよねえ」。
「今度病院いつ行く日?パート休みにして送っていってあげようか?」。
ひとり暮らしの母を案じる娘の気遣いがそこここにあふれていた。
そして、悪く言えばかわりばえのしないYさんの毎日が、娘の来訪によって華やいでいるのもわかる。
何年か先・・・私もこういうふうになるのかなあ、とこの前までぼやっと考えていた。
コドモたちが大学に行くようになったら、今よりひんぱんに実家に行けるだろう。
行ったら一週間くらい泊り込んで、車で病院や買い物に連れて行ってあげたり、物置の片付けや庭の草取りもできるだろう。
食事もまとめて作って冷凍しておいてもいいな。畑仕事をする父の休憩に合わせてお茶を入れて、日のあたる縁側で父と母と三人でお茶を飲もう。
滞在中に温泉に連れていったり、いっしょに紅葉や桜を見にいくのもいいなあ。
20年以上離れていた分の親孝行をしなくちゃな、と勝手に思っていた。
現実は違った。
ついこの間まで私も母とYさん母娘のような会話をしていたはずだった。
出歩く機会が多い父と違って母はたいてい家にいたから、電話すればいつも母とおしゃべりできた。
息子のこと娘のこと。ダンナのこと。次から次へとお金がかかって大変だ、とか、ダンナの借金さえなければこんなことにはなってなかった、とか。
母はドラマもよく見ていたから、今度の大河は、とか朝の連ドラは、とか話していても楽しかった。
息子や娘のことを私が褒めてもけなしても、何でもうんうんと聞いて気の利いたコメントをしてくれた。ダンナは反応がないのでコドモのことだって話す気にもなれないが。
何かと絡みがある主婦友にはウカツなことは言えないから、グチやホンネが言えるのも母だけだった。
正月明けからこっち。電話をしても出るのは父。
「ばあちゃんどう?」と聞くと「うん。まあ」となんとなく言葉を濁す。
家業で忙しいのに加えて母の週に一度の病院通いや食事の支度や家事、さまざまなことが父の肩にかかってきて大変だろう・・・。
「体の調子もそうだけど、心が弱ってて少しでもめんどうだとかイヤな話は聞きたくないみたいだな。薬飲んで寝て起きて、だな」と父。
夏には「そのうち温泉でも連れていってやる」と父が言っていたけれど、温泉どころかスーパーに買い物さえ出かけなくなったという。病院に行くのでせいいっぱいらしい。
父が不在のときは、電話しても呼び出し音が鳴るだけ。
母は横になっているのだろう。
私からの電話はミッキーマウスマーチが鳴るのでわかるはずなのに、もう娘からの電話に出る気力さえなくなったのかな。
今までなら母に話していた会話。今は頭の中で繰り返すしかない。
ばーちゃん、聞いて。
娘、もうすぐ受験なんだよ。いよいよ本番。私立なら近くていいけど県立に入ってくれれば月謝が安くて助かるよね。野球部が強い学校だから入ったら楽しみだよね。でもさ、ホント息子と違って「ここしかない!」って思い込みがなくて助かるよー。
息子は部活がんばってるよ。今、先輩に卒業の色紙書いてるみたいで毎日忙しくて勉強するヒマなんかないって。数学とか物理、赤点だったらしいけどどうなったかな?もう3年生になるんだよ。この前入学したばっかりなのにね。夏まで部活やってそれからガーッと受験勉強かなあ。
・・・・。
こんなに急速に人間が弱ってしまうってこと想像してなかった。
仕事で行くおじいちゃんおばあちゃんは85歳くらいでも元気な人が多いから、75の母はまだまだ、と思っていた。
でも「年じゃない」んだ・・・。
数年前まで、私は娘としてまだ親に「してもらう立場」だったように思う。
ここ2、3年かな。ああ、私が「してあげる」立場にならなくちゃいけないんだ、と思うようになったのは。
何年か前までは、ばあちゃんがいなくなったらどうしよう?と想像すらしたくなかったが、今はとにかくそういうときが来たらしっかりと送ってあげられるよう自分がちゃんとしなくちゃと思う。精神的に強くならなくちゃと思う。
でも、何かを誰かに話したくて、その言葉の行き先がなくて心の中にぐるぐるしているとき・・・広い野原でひとりぼっちで母に置き去りにされた子供のような気持ちになる。
どこのうちでもそうだが「娘の来訪」というのは空気がパッと華やぐもの。
閉め切った部屋に春の風がさあっと吹き込んでくるような。
きのう訪問したYさん宅にもちょうど娘さんが来ていた。
1年ほど前にだんなさんを亡くしたYさんは一人暮らし。2週間に1度くらい娘さんが来る。
テーブルの上には娘さんが買ってきた春色の散らし寿司や桜餅が並べられていた。
持参したタッパー類には手作りのお惣菜が詰まっているのだろう。
お掃除をしながら、聞こえてくる母と娘の会話を聞くともなしに聞く。
「おかあさん、ちゃんと野菜食べてる?ほうれん草さっき買ってきたから。ゆでて冷凍しておくからチンして食べてよ。ひじきとか大豆とかこういうのも体にいいんだからね」。
「今、駅から来たんだけどね、いつものたい焼きやさん、すっごい混んでてきょうは買えなかったあ。じいちゃん元気なときよく自転車で買ってきてたよねえ」。
「この前、○○(子供)が友達とディズニーランドに行ってきてばあちゃんに、ってクッキー買ったみたいなんだけど電車に忘れちゃったって。バカよねえ」。
「今度病院いつ行く日?パート休みにして送っていってあげようか?」。
ひとり暮らしの母を案じる娘の気遣いがそこここにあふれていた。
そして、悪く言えばかわりばえのしないYさんの毎日が、娘の来訪によって華やいでいるのもわかる。
何年か先・・・私もこういうふうになるのかなあ、とこの前までぼやっと考えていた。
コドモたちが大学に行くようになったら、今よりひんぱんに実家に行けるだろう。
行ったら一週間くらい泊り込んで、車で病院や買い物に連れて行ってあげたり、物置の片付けや庭の草取りもできるだろう。
食事もまとめて作って冷凍しておいてもいいな。畑仕事をする父の休憩に合わせてお茶を入れて、日のあたる縁側で父と母と三人でお茶を飲もう。
滞在中に温泉に連れていったり、いっしょに紅葉や桜を見にいくのもいいなあ。
20年以上離れていた分の親孝行をしなくちゃな、と勝手に思っていた。
現実は違った。
ついこの間まで私も母とYさん母娘のような会話をしていたはずだった。
出歩く機会が多い父と違って母はたいてい家にいたから、電話すればいつも母とおしゃべりできた。
息子のこと娘のこと。ダンナのこと。次から次へとお金がかかって大変だ、とか、ダンナの借金さえなければこんなことにはなってなかった、とか。
母はドラマもよく見ていたから、今度の大河は、とか朝の連ドラは、とか話していても楽しかった。
息子や娘のことを私が褒めてもけなしても、何でもうんうんと聞いて気の利いたコメントをしてくれた。ダンナは反応がないのでコドモのことだって話す気にもなれないが。
何かと絡みがある主婦友にはウカツなことは言えないから、グチやホンネが言えるのも母だけだった。
正月明けからこっち。電話をしても出るのは父。
「ばあちゃんどう?」と聞くと「うん。まあ」となんとなく言葉を濁す。
家業で忙しいのに加えて母の週に一度の病院通いや食事の支度や家事、さまざまなことが父の肩にかかってきて大変だろう・・・。
「体の調子もそうだけど、心が弱ってて少しでもめんどうだとかイヤな話は聞きたくないみたいだな。薬飲んで寝て起きて、だな」と父。
夏には「そのうち温泉でも連れていってやる」と父が言っていたけれど、温泉どころかスーパーに買い物さえ出かけなくなったという。病院に行くのでせいいっぱいらしい。
父が不在のときは、電話しても呼び出し音が鳴るだけ。
母は横になっているのだろう。
私からの電話はミッキーマウスマーチが鳴るのでわかるはずなのに、もう娘からの電話に出る気力さえなくなったのかな。
今までなら母に話していた会話。今は頭の中で繰り返すしかない。
ばーちゃん、聞いて。
娘、もうすぐ受験なんだよ。いよいよ本番。私立なら近くていいけど県立に入ってくれれば月謝が安くて助かるよね。野球部が強い学校だから入ったら楽しみだよね。でもさ、ホント息子と違って「ここしかない!」って思い込みがなくて助かるよー。
息子は部活がんばってるよ。今、先輩に卒業の色紙書いてるみたいで毎日忙しくて勉強するヒマなんかないって。数学とか物理、赤点だったらしいけどどうなったかな?もう3年生になるんだよ。この前入学したばっかりなのにね。夏まで部活やってそれからガーッと受験勉強かなあ。
・・・・。
こんなに急速に人間が弱ってしまうってこと想像してなかった。
仕事で行くおじいちゃんおばあちゃんは85歳くらいでも元気な人が多いから、75の母はまだまだ、と思っていた。
でも「年じゃない」んだ・・・。
数年前まで、私は娘としてまだ親に「してもらう立場」だったように思う。
ここ2、3年かな。ああ、私が「してあげる」立場にならなくちゃいけないんだ、と思うようになったのは。
何年か前までは、ばあちゃんがいなくなったらどうしよう?と想像すらしたくなかったが、今はとにかくそういうときが来たらしっかりと送ってあげられるよう自分がちゃんとしなくちゃと思う。精神的に強くならなくちゃと思う。
でも、何かを誰かに話したくて、その言葉の行き先がなくて心の中にぐるぐるしているとき・・・広い野原でひとりぼっちで母に置き去りにされた子供のような気持ちになる。
受験もいよいよ終盤。
娘、県立後期の願書を出しに行ってきた。
少しずつ春めいてきた朝の空の色を見て、2年前の息子の受験のときもそうだった、と思い出す。
私立受験のときはまだ真冬の空。
県立前期受験のときはすこーしだけ春の色が混じる。
県立後期受験のときの朝の空は春の色に染まっているはず。
霞かかった水色に少し紫やピンクが混じるそんな朝の空。
私立は合格し前期は落ちてここまでは予定通り。
あとは後期を残すのみ。ここからが本番!
抱えていたボールをひとつひとつ置いていって、あとは残りのひとつを丁寧に置けばいい。
あとがない後期へ向けてのこの期間は、悲喜こもごも入り混じって凝縮された時間が流れる。
15歳にとっても(娘は14)いい人生経験になる。
迷ってないでもうやるしかない!っていう潔さがある。
この緊張感はけっこう好き。
・・・って言えるのも二度目の余裕だよなあ。
こんな境地に達しているところを見ると、2年前の息子の受験での経験は私にとってもムダではなかったんだな。
前期なんかで受かってしまってこの貴重な経験ができないのはもったいないことだよ、とさえ思えてしまうもんなあ。
それと、娘の淡々とした姿勢かな。
同じきょうだいでも逆境(?)での処し方がこんなに違うもんかと感心する。
偏差値があがらなくてもテストで点数がとれなくてもどこ吹く風の娘。
塾のフォローも良いからだけど、喜んで塾に通い受験校も自分で決めて願書もさっさと自分で書き・・・息子のときとはまるでこちらの負担が少なくて大助かり。
前期終了後、娘はインフルエンザにかかって3日間寝たきりだった。
予防接種もしたし、外に出るときはマスク、うがい手洗いもしていたのにどこでもらってきたんだか。
「受験終わったら目が溶けるまで寝る!って思ってたけど、もういっぱい寝たあ。寝すぎて腰痛い」と病み上がりで遅れをとったはずなのにやけにすっきりした顔をしていた。
しかも私がいないすきに撮り貯めた「メイちゃんの執事」を見たらしく「水嶋ヒロ最高ー。夢に出てくる」ととろけるような笑顔。
息子は「少し危機感持てよ。ありえねー」と言うが、これっくらいでいいです・・・。
前期受験っていうのも罪作りなシステムで。
定員の25パーセントを前期で採る。
生徒会や部活動で活躍した子が合格するので、うちの子みたいなのは最初から後期ねらい。
とはわかっていても、蒔いた種が芽を出すのを期待するのは当然のことで。
仲のいい友達や部活の子たちの前期合格はショックだったらしいが、ほとんどの子が後期に向けてがんばっているのですぐ浮上。
こんなに精神的に安定してるんだー成長したなあとこっちがびっくりするほど。
っていうか、あまり危機感がないのかもね。
ダメならダメで私立は決まってるし、って思ってるのかな。
深く考えない娘の性格に感謝。感謝。
息子が「こっからが重要!こっから勝負!」と言うので、「あんたのときはほんとに大変だったよ。悲壮感の塊でこの世の終わりみたいだったよ。少し妹を見習ったらどう?来年の大学受験、もう巻き込まれるのはイヤだからね」と私。
「だれも巻き込んでねえし。心配しなくても受かるから」と息子。
だからさ、その「受かるから」っていう周囲がまるっきり見えない思い込みが困るんだよ。今から思いやられる・・・。
息子は数学がダメなので私大コース。
ここで娘に県立高に行ってもらわないとあとが苦しい。
でも娘はそれなりに学費のリーズナブルな私立を選んでくれたし、知っている子が何人か私立単願でそこに行くことになっているので、まあ県立ダメでそうなってもそれはそれで、と思う。
「文武両道」の進学高に行ったはいいけど「武担当」になってしまった息子の例(笑)を見ても、大学進学だけを考えれば私立高のほうが適してるのかもしれないし。
それと、高校もやっぱり「縁」ってあるんだろう。
学校訪問に行きたいと思っていても日程が合わなかった高校は「縁」がなかったんだろうし、娘の偏差値が最後まで上がらず目標校に達しなかったのは、最終的な受験校に「縁」があってそこが呼んでくれてるのかもしれない。
リンクのありすさんが2年前に「神様はその子にとって一番良い答えをくださいます」と書いてくれたのはまさに真実だ、と思う。
いやーこの悟りの境地。
私も経験値あがったねえー。
ただし高校受験限定。大学受験は未知数。今からドキドキ。
あと二週間。ガンバレ娘。
娘、県立後期の願書を出しに行ってきた。
少しずつ春めいてきた朝の空の色を見て、2年前の息子の受験のときもそうだった、と思い出す。
私立受験のときはまだ真冬の空。
県立前期受験のときはすこーしだけ春の色が混じる。
県立後期受験のときの朝の空は春の色に染まっているはず。
霞かかった水色に少し紫やピンクが混じるそんな朝の空。
私立は合格し前期は落ちてここまでは予定通り。
あとは後期を残すのみ。ここからが本番!
抱えていたボールをひとつひとつ置いていって、あとは残りのひとつを丁寧に置けばいい。
あとがない後期へ向けてのこの期間は、悲喜こもごも入り混じって凝縮された時間が流れる。
15歳にとっても(娘は14)いい人生経験になる。
迷ってないでもうやるしかない!っていう潔さがある。
この緊張感はけっこう好き。
・・・って言えるのも二度目の余裕だよなあ。
こんな境地に達しているところを見ると、2年前の息子の受験での経験は私にとってもムダではなかったんだな。
前期なんかで受かってしまってこの貴重な経験ができないのはもったいないことだよ、とさえ思えてしまうもんなあ。
それと、娘の淡々とした姿勢かな。
同じきょうだいでも逆境(?)での処し方がこんなに違うもんかと感心する。
偏差値があがらなくてもテストで点数がとれなくてもどこ吹く風の娘。
塾のフォローも良いからだけど、喜んで塾に通い受験校も自分で決めて願書もさっさと自分で書き・・・息子のときとはまるでこちらの負担が少なくて大助かり。
前期終了後、娘はインフルエンザにかかって3日間寝たきりだった。
予防接種もしたし、外に出るときはマスク、うがい手洗いもしていたのにどこでもらってきたんだか。
「受験終わったら目が溶けるまで寝る!って思ってたけど、もういっぱい寝たあ。寝すぎて腰痛い」と病み上がりで遅れをとったはずなのにやけにすっきりした顔をしていた。
しかも私がいないすきに撮り貯めた「メイちゃんの執事」を見たらしく「水嶋ヒロ最高ー。夢に出てくる」ととろけるような笑顔。
息子は「少し危機感持てよ。ありえねー」と言うが、これっくらいでいいです・・・。
前期受験っていうのも罪作りなシステムで。
定員の25パーセントを前期で採る。
生徒会や部活動で活躍した子が合格するので、うちの子みたいなのは最初から後期ねらい。
とはわかっていても、蒔いた種が芽を出すのを期待するのは当然のことで。
仲のいい友達や部活の子たちの前期合格はショックだったらしいが、ほとんどの子が後期に向けてがんばっているのですぐ浮上。
こんなに精神的に安定してるんだー成長したなあとこっちがびっくりするほど。
っていうか、あまり危機感がないのかもね。
ダメならダメで私立は決まってるし、って思ってるのかな。
深く考えない娘の性格に感謝。感謝。
息子が「こっからが重要!こっから勝負!」と言うので、「あんたのときはほんとに大変だったよ。悲壮感の塊でこの世の終わりみたいだったよ。少し妹を見習ったらどう?来年の大学受験、もう巻き込まれるのはイヤだからね」と私。
「だれも巻き込んでねえし。心配しなくても受かるから」と息子。
だからさ、その「受かるから」っていう周囲がまるっきり見えない思い込みが困るんだよ。今から思いやられる・・・。
息子は数学がダメなので私大コース。
ここで娘に県立高に行ってもらわないとあとが苦しい。
でも娘はそれなりに学費のリーズナブルな私立を選んでくれたし、知っている子が何人か私立単願でそこに行くことになっているので、まあ県立ダメでそうなってもそれはそれで、と思う。
「文武両道」の進学高に行ったはいいけど「武担当」になってしまった息子の例(笑)を見ても、大学進学だけを考えれば私立高のほうが適してるのかもしれないし。
それと、高校もやっぱり「縁」ってあるんだろう。
学校訪問に行きたいと思っていても日程が合わなかった高校は「縁」がなかったんだろうし、娘の偏差値が最後まで上がらず目標校に達しなかったのは、最終的な受験校に「縁」があってそこが呼んでくれてるのかもしれない。
リンクのありすさんが2年前に「神様はその子にとって一番良い答えをくださいます」と書いてくれたのはまさに真実だ、と思う。
いやーこの悟りの境地。
私も経験値あがったねえー。
ただし高校受験限定。大学受験は未知数。今からドキドキ。
あと二週間。ガンバレ娘。
冬ドラマ。もう2週目くらいかな。
大河「天地人」。
また戦国。ついこのあいだ「風林火山」やったばっかりじゃん。
ガクトの上杉謙信とか記憶に新しすぎるって。
戦国は確かにおもしろいんだけど、もっと時代を変えてほしいもんです。
ツマブキくんは時代劇にはサワヤカでカワイすぎると思うものの、まだまだこれからとして・・・第一回・二回の子役がすばらしかったー!
ツマブキの子役、泣き虫与六がちっちゃいのに一生懸命でかわいくていじらしくて。そして北村一樹の子役がまた瞳がキラキラ光るいい顔立ちの子で。(あの濃い顔立ちの北村一樹の子役としてはちょっといい子すぎ)
雪の中をおんぶされて帰ってゆく雪ん子ぼうしの二人の場面は、記憶に残るワンシーンになるなあー。
阿部寛はやっぱりタダモノではない。織田信長がオーラがない・・・。
秀吉の若い頃くらい役者さんなんとかならなかったのか・・・。
この後ツマブキくんがどう重みを出していくのか楽しみです。
月9「ヴォイス」。
瑛太、トウマ、そしてちょっと注目の遠藤雄弥くん。
ちょっと前に海堂尊(「チームバチスタの栄光」の人ね)の「死因不明社会」「螺鈿迷宮」で、日本の検死率はありえないほど低くほとんどが「心不全」で処理されているという問題を読んだばかりで、法医学ドラマは私にとってタイムリー。
おもしろいと思った。
でもなあ・・・この種のドラマってリアリティを追求してほしいのに、ちょっとした設定にギモンを感じるとそこで覚めちゃうことがあって・・・。
たとえば、族上がりで家が居酒屋で医学部に入れるのか?とか、小学校低学年の男の子が飛び降り自殺するのか?とか。
一話完結なので「ガリレオ」と同じカンジ。おもしろいけど続けて見なくてもいいかな。
火10「トライアングル」。
なんだか乗りきれないままにお話がどんどんすすんでいくんですけど。
乗れないのは広末涼子か?設定がイマイチわかりづらいからなのか?
謎が謎のまますすんでいるのできっと最後まで見ると思うけど、「いまひとつハマれなかったー」なんてことになりそうな感アリ。
火10「神の雫」。
・・・これってこんな話だったの???
モーニング、毎週見てるんだけど「神の雫」はあまりよく読んでなかったんだよねえ。でも、ごく普通のまともな話だと思ってた。
ところが。「ハチワンダイバー」とか「スシ王子」とかの夜中のドラマみたいないかがわしいカンジが漂ってるんだなあ。
亀梨くんは悪くないと思う。遠峯一青の語りとか竹中直人の何人だかわかんなさ加減とかアキバの受け師さんのオーバーアクションとかいるだけでアヤシイ内田有紀とか・・・B級の雰囲気が漂ってます。
もう見ないかも。
木10「ありふれた奇跡」。
うーん。二人のメールのやりとりとか会話とか、見ててイライラするしおもしろくないって思ったんだよね。
二人とも自殺を考えたことがあって人に心を開けないタイプの人物なのに、こんなふうにあまりよく知らない人に自分のこと話すかな?とかこんなにひんぱんに会うかな?とか。
それでも、二人の過去が少しずつ話されていくと、屈折した心情がだんだん理解できるようになって・・・。
他人に傷つけられるくらいなら一人のほうがいい。でもやっぱり人は人とつながっていたいよね、と私自身も思うこともあるから、なんかちょっとわかる気がした第3回放送。
もう少し見てみます。
土9「銭ゲバ!」。
若手ではナンバーワンの演技力!と思う松山ケンイチ。
今度はどんな演技を見せてくれるの?とわくわく期待してスイッチオン。
いやー・・・暗くて重くて救いようがない・・・。限りなく昭和テイストだー。
一回目終わったあと、何も土曜の夜にこんなどうしようもないドラマを見なくてもいいだろう思ったが、妙に心に残ってあとでジワジワ効いてくるドラマだった。
松山ケンイチは鬼気迫る演技がやっぱりすごい。今後、銭のために何をやるズラ?
そして、子役があの斉藤くん(流星の絆とか光とともにとか博士の愛した公式とか、の)でこれまた名演技。
今後の展開に期待!
金10「ラブ・シャッフル」、金11「歌のおにいさん」。一回目で脱落。
火9「メイちゃんの執事」、娘が見てるので見たけど、またこんな「イケパラ」とか「花男」みたいな設定?こういうドラマが中高生にはおもしろいのか。
とかいいつつ「ありえねー!」「何これー?」とバカバカしくてつい見てしまった。自分からは見ないな。
大河「天地人」。
また戦国。ついこのあいだ「風林火山」やったばっかりじゃん。
ガクトの上杉謙信とか記憶に新しすぎるって。
戦国は確かにおもしろいんだけど、もっと時代を変えてほしいもんです。
ツマブキくんは時代劇にはサワヤカでカワイすぎると思うものの、まだまだこれからとして・・・第一回・二回の子役がすばらしかったー!
ツマブキの子役、泣き虫与六がちっちゃいのに一生懸命でかわいくていじらしくて。そして北村一樹の子役がまた瞳がキラキラ光るいい顔立ちの子で。(あの濃い顔立ちの北村一樹の子役としてはちょっといい子すぎ)
雪の中をおんぶされて帰ってゆく雪ん子ぼうしの二人の場面は、記憶に残るワンシーンになるなあー。
阿部寛はやっぱりタダモノではない。織田信長がオーラがない・・・。
秀吉の若い頃くらい役者さんなんとかならなかったのか・・・。
この後ツマブキくんがどう重みを出していくのか楽しみです。
月9「ヴォイス」。
瑛太、トウマ、そしてちょっと注目の遠藤雄弥くん。
ちょっと前に海堂尊(「チームバチスタの栄光」の人ね)の「死因不明社会」「螺鈿迷宮」で、日本の検死率はありえないほど低くほとんどが「心不全」で処理されているという問題を読んだばかりで、法医学ドラマは私にとってタイムリー。
おもしろいと思った。
でもなあ・・・この種のドラマってリアリティを追求してほしいのに、ちょっとした設定にギモンを感じるとそこで覚めちゃうことがあって・・・。
たとえば、族上がりで家が居酒屋で医学部に入れるのか?とか、小学校低学年の男の子が飛び降り自殺するのか?とか。
一話完結なので「ガリレオ」と同じカンジ。おもしろいけど続けて見なくてもいいかな。
火10「トライアングル」。
なんだか乗りきれないままにお話がどんどんすすんでいくんですけど。
乗れないのは広末涼子か?設定がイマイチわかりづらいからなのか?
謎が謎のまますすんでいるのできっと最後まで見ると思うけど、「いまひとつハマれなかったー」なんてことになりそうな感アリ。
火10「神の雫」。
・・・これってこんな話だったの???
モーニング、毎週見てるんだけど「神の雫」はあまりよく読んでなかったんだよねえ。でも、ごく普通のまともな話だと思ってた。
ところが。「ハチワンダイバー」とか「スシ王子」とかの夜中のドラマみたいないかがわしいカンジが漂ってるんだなあ。
亀梨くんは悪くないと思う。遠峯一青の語りとか竹中直人の何人だかわかんなさ加減とかアキバの受け師さんのオーバーアクションとかいるだけでアヤシイ内田有紀とか・・・B級の雰囲気が漂ってます。
もう見ないかも。
木10「ありふれた奇跡」。
うーん。二人のメールのやりとりとか会話とか、見ててイライラするしおもしろくないって思ったんだよね。
二人とも自殺を考えたことがあって人に心を開けないタイプの人物なのに、こんなふうにあまりよく知らない人に自分のこと話すかな?とかこんなにひんぱんに会うかな?とか。
それでも、二人の過去が少しずつ話されていくと、屈折した心情がだんだん理解できるようになって・・・。
他人に傷つけられるくらいなら一人のほうがいい。でもやっぱり人は人とつながっていたいよね、と私自身も思うこともあるから、なんかちょっとわかる気がした第3回放送。
もう少し見てみます。
土9「銭ゲバ!」。
若手ではナンバーワンの演技力!と思う松山ケンイチ。
今度はどんな演技を見せてくれるの?とわくわく期待してスイッチオン。
いやー・・・暗くて重くて救いようがない・・・。限りなく昭和テイストだー。
一回目終わったあと、何も土曜の夜にこんなどうしようもないドラマを見なくてもいいだろう思ったが、妙に心に残ってあとでジワジワ効いてくるドラマだった。
松山ケンイチは鬼気迫る演技がやっぱりすごい。今後、銭のために何をやるズラ?
そして、子役があの斉藤くん(流星の絆とか光とともにとか博士の愛した公式とか、の)でこれまた名演技。
今後の展開に期待!
金10「ラブ・シャッフル」、金11「歌のおにいさん」。一回目で脱落。
火9「メイちゃんの執事」、娘が見てるので見たけど、またこんな「イケパラ」とか「花男」みたいな設定?こういうドラマが中高生にはおもしろいのか。
とかいいつつ「ありえねー!」「何これー?」とバカバカしくてつい見てしまった。自分からは見ないな。
田舎で暮らすということ
2009年1月10日 日常風が強くて冷たくて。
北国育ちなので寒いのはつらくないけど、頭の芯まで冷えるようなこのからっ風がねえー・・・。
きのうは娘の受験する私立高校の願書を提出に。
息子のときは郵送だったが、娘の学校は持参。
娘、出しにいって帰ってきて「うわー。もう燃え尽きたってカンジ?」と昼寝。
・・・燃え尽きるほどやってないみたいなんですが。
実家に電話して父と話す。
「おれも今まであまり本気で病院にもついていってなかったし。薬も何飲んでるかもわかんなかったから、今一覧表にしているところだ」と。
・・・私もそうだった。
母が「だいじょうぶ。だいじょうぶ」と言うから安心して、正月に行ったときでさえ薬もちゃんと見てこなかった。
母は高血圧・糖尿病で心臓にカテーテルも入れている。
その上、ここのところ夜眠れなくて睡眠導入剤も飲むようになった。
総合病院に通っているからだいじょうぶなんだろう、と私は思っていた。
が、きのうの父の電話ではそうではなさそうで。
父もこうなって初めてよく話を聞いてから気づいたことであきれていたが、総合的に病状を診てもらっているわけではなさそうなのだ。
総合病院・・と言っても田舎のことなので、先生方はみんな週に何回、と違う病院から来る人ばかり。
しかも、糖尿病を診てくれていた先生は2年ほど前にこなくなり、それからは検査もしていないという。
月に一度の診察も「お変わりないですか?」「はい。じゃあいつもの薬を出しておきましょうね」で終わり。
「薬を飲むと肩がしびれる」と訴えると、整形外科に回されて血行の薬を出されて飲む。
「目の底が痛い」と言うと眼科に回されて目の検査をし、薬を出される。
そんなこんなで薬は増えていったらしく、飲むと調子が悪くなってしまう薬もあるとのこと。
私が「肩とか目が痛かったのは糖尿からくるものだったんじゃないの?」と父に聞くと、「そうだったかもしれないが、糖尿の先生がいないっていうんだから」と。
総合病院なのに、スタッフの数が足りないからだろうが入院患者も受け入れられないらしい。
母も心臓の手術をしたときは紹介状を書いてもらって、別の病院に入院した。
その後はまた戻されて今の病院に通院しているけれど、月イチで診てくれる先生もころころ変わり今までの母の病歴を知らずに診察したり・・・らしい。
大きい病院に行きたくても紹介状がなければ行けず、しかも遠くて簡単には通えない事情があり・・・。
今は父が車で病院に連れていっているけれど、父の運転があやしくなったら一体どうやって通えばいいのか。
・・・地域医療がどうのこうの騒がれているが、地方の医療事情のお寒い現実にあらためてため息が出る。
元気なうちは田舎暮らしもいい。
ついこの前までは父母もそうだった。
四季おりおりに変化する大自然に囲まれ、家の敷地内にはたけのこが採れる竹林や柿・栗・くるみ・タラの芽・ふき・みょうがなどの木の実や山菜がとれる林もある。畑にはとれたての野菜。
池には鯉が放たれ、初夏にはつつじ・秋には菊が咲き乱れる。
近所の人たちとの交流も盛んで、畑でとれた野菜や手作りの漬物などを持って集まり茶飲み話によく花を咲かせていた。
近くにはコンビ二もあるし、車で少し行けば巨大なスーパーマーケットもあり生活に困ることはなかった。
私も妹もそして母も、泊まりに行くたびに「男の子のきょうだいがいなくてよかったね。お嫁さんがいたらこんなに気楽には泊まりにこれなかったものね」といつも言っていた。
それが・・・父母も年をとると敷地内の草取りや落ち葉はきからしてどうにも手が回らない。
近所の茶飲み友達もそれぞれ足腰を悪くし、アップダウンのある田舎道は歩けなくなる。
近くのコンビニに行くにもちょっとした坂道があるので行けなくなる。
スーパーでまとめ買いするのはいいが、買ったものを忘れて冷蔵庫で悪くしてしまう。たくさんのものも運べない。
今は母の調子が悪いので、父がすべて買い物や家の周りの掃除などしているらしいが、父も具合が悪くなったらどうにも二人暮らしは難しい。
そう考えると・・・ふと実家の近所を見るとやっぱりそういう家が何軒かある。
うちと同じく娘を嫁に出してしまった家はそうだ。
逆に「あそこは嫁さんもらったはいいけど、台所仕事全部おばあちゃんケチつけられて大変みたい。うちは気楽でいいわ」と母が言っていた近所の同居家族のほうが、今の私からすると「息子やお嫁さんや孫たちがいっしょで安心だ」と思えてしまう。
人間って勝手なものだ・・・。
私がもし長男だったらどうだったろうか?とかいろいろと考えては見るものの、そんな「もし」とか「たら」とか「れば」とかいう状況を考えたってしょうがないんだよね。
ただ言えるのは、今の自分たちの生活を「堤防を決壊」させることなく守ること、が今の私にできることなんだろうか。
娘が自分の人生を後悔してくよくよしている、とか、父母のことをいつも心配している、とか、そんなのは親にとってうれしいことではないだろうな。
母が飲んでいる薬も調べてみなくちゃ。
私もコドモの手が離れたら実家に戻ろうか・・なんて思ったこともあったが、リコンすることだって老後の田舎暮らしだってそんなに甘いものではないんだ。
北国育ちなので寒いのはつらくないけど、頭の芯まで冷えるようなこのからっ風がねえー・・・。
きのうは娘の受験する私立高校の願書を提出に。
息子のときは郵送だったが、娘の学校は持参。
娘、出しにいって帰ってきて「うわー。もう燃え尽きたってカンジ?」と昼寝。
・・・燃え尽きるほどやってないみたいなんですが。
実家に電話して父と話す。
「おれも今まであまり本気で病院にもついていってなかったし。薬も何飲んでるかもわかんなかったから、今一覧表にしているところだ」と。
・・・私もそうだった。
母が「だいじょうぶ。だいじょうぶ」と言うから安心して、正月に行ったときでさえ薬もちゃんと見てこなかった。
母は高血圧・糖尿病で心臓にカテーテルも入れている。
その上、ここのところ夜眠れなくて睡眠導入剤も飲むようになった。
総合病院に通っているからだいじょうぶなんだろう、と私は思っていた。
が、きのうの父の電話ではそうではなさそうで。
父もこうなって初めてよく話を聞いてから気づいたことであきれていたが、総合的に病状を診てもらっているわけではなさそうなのだ。
総合病院・・と言っても田舎のことなので、先生方はみんな週に何回、と違う病院から来る人ばかり。
しかも、糖尿病を診てくれていた先生は2年ほど前にこなくなり、それからは検査もしていないという。
月に一度の診察も「お変わりないですか?」「はい。じゃあいつもの薬を出しておきましょうね」で終わり。
「薬を飲むと肩がしびれる」と訴えると、整形外科に回されて血行の薬を出されて飲む。
「目の底が痛い」と言うと眼科に回されて目の検査をし、薬を出される。
そんなこんなで薬は増えていったらしく、飲むと調子が悪くなってしまう薬もあるとのこと。
私が「肩とか目が痛かったのは糖尿からくるものだったんじゃないの?」と父に聞くと、「そうだったかもしれないが、糖尿の先生がいないっていうんだから」と。
総合病院なのに、スタッフの数が足りないからだろうが入院患者も受け入れられないらしい。
母も心臓の手術をしたときは紹介状を書いてもらって、別の病院に入院した。
その後はまた戻されて今の病院に通院しているけれど、月イチで診てくれる先生もころころ変わり今までの母の病歴を知らずに診察したり・・・らしい。
大きい病院に行きたくても紹介状がなければ行けず、しかも遠くて簡単には通えない事情があり・・・。
今は父が車で病院に連れていっているけれど、父の運転があやしくなったら一体どうやって通えばいいのか。
・・・地域医療がどうのこうの騒がれているが、地方の医療事情のお寒い現実にあらためてため息が出る。
元気なうちは田舎暮らしもいい。
ついこの前までは父母もそうだった。
四季おりおりに変化する大自然に囲まれ、家の敷地内にはたけのこが採れる竹林や柿・栗・くるみ・タラの芽・ふき・みょうがなどの木の実や山菜がとれる林もある。畑にはとれたての野菜。
池には鯉が放たれ、初夏にはつつじ・秋には菊が咲き乱れる。
近所の人たちとの交流も盛んで、畑でとれた野菜や手作りの漬物などを持って集まり茶飲み話によく花を咲かせていた。
近くにはコンビ二もあるし、車で少し行けば巨大なスーパーマーケットもあり生活に困ることはなかった。
私も妹もそして母も、泊まりに行くたびに「男の子のきょうだいがいなくてよかったね。お嫁さんがいたらこんなに気楽には泊まりにこれなかったものね」といつも言っていた。
それが・・・父母も年をとると敷地内の草取りや落ち葉はきからしてどうにも手が回らない。
近所の茶飲み友達もそれぞれ足腰を悪くし、アップダウンのある田舎道は歩けなくなる。
近くのコンビニに行くにもちょっとした坂道があるので行けなくなる。
スーパーでまとめ買いするのはいいが、買ったものを忘れて冷蔵庫で悪くしてしまう。たくさんのものも運べない。
今は母の調子が悪いので、父がすべて買い物や家の周りの掃除などしているらしいが、父も具合が悪くなったらどうにも二人暮らしは難しい。
そう考えると・・・ふと実家の近所を見るとやっぱりそういう家が何軒かある。
うちと同じく娘を嫁に出してしまった家はそうだ。
逆に「あそこは嫁さんもらったはいいけど、台所仕事全部おばあちゃんケチつけられて大変みたい。うちは気楽でいいわ」と母が言っていた近所の同居家族のほうが、今の私からすると「息子やお嫁さんや孫たちがいっしょで安心だ」と思えてしまう。
人間って勝手なものだ・・・。
私がもし長男だったらどうだったろうか?とかいろいろと考えては見るものの、そんな「もし」とか「たら」とか「れば」とかいう状況を考えたってしょうがないんだよね。
ただ言えるのは、今の自分たちの生活を「堤防を決壊」させることなく守ること、が今の私にできることなんだろうか。
娘が自分の人生を後悔してくよくよしている、とか、父母のことをいつも心配している、とか、そんなのは親にとってうれしいことではないだろうな。
母が飲んでいる薬も調べてみなくちゃ。
私もコドモの手が離れたら実家に戻ろうか・・なんて思ったこともあったが、リコンすることだって老後の田舎暮らしだってそんなに甘いものではないんだ。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
ボチボチ書いていこうと思います。
きのうからお仕事始め。
ダンナも仕事に行き、息子は部活、娘は塾、とあわただしい日常が戻ってきた。
年末年始は実家に。
雪もなくて日差しが暖かく、穏やかなお正月だった。
おみくじは今年は「小吉」。
去年のおみくじが良かったことを思うと、ちょっとがっかり。
でも「調子に乗らずに地道にしっかりと努力しなさい」ということが書いてあり、まあそのとおりだなあ、と。
それよりも母の体調が良くないのが気にかかる。
数年前から手術をしたり入院したりで、やっぱりずいぶんと気力も体力も衰えたなあとあらためて思う。
ここ2年ほど調子がいまひとつなのはわかっていた。
それでも、電話では元気だし月イチの野菜など詰めた宅急便も欠かさず送ってくれていた。
この前の夏休みに行ったときも、しょっちゅう横になってはいたがまあ元気だった。
でも今回はちょっと違った。
ちょっと前までなら、新聞やドラマ・ワイドショーなども母はよく見ていたので話題にはこと欠かなかったのに・・・。
目が疲れるから何も見る気になれないという。
買い物に行くのも疲れるから父に全部頼んでいるらしいし、人と会うのがおっくうになったと。
あまり外に出ないで一日家で寝たり起きたりしている様子。
近所のいつも行き来していた知人がおととし亡くなり、去年は親戚の不幸が相次ぎ、実の妹も他界した。
気丈にふるまってはいたもののがっくりきていたんだな・・・。
離れているからせめて電話で、と週に一度は電話していたが、元気そうで今までと変わりなさそうだったのに・・・わからないもんだな。
心配かけないようせいいっぱい元気にしていたんだろうな。
正月明けて私たちが帰る朝。
いつものように父と母は私たちを乗せた車が見えなくなるまで庭先で手を振る。
うっすらと霜が降りて庭も畑も植木も真っ白くなっているその景色の真ん中にぽつんと父と母。
すっかり白髪になってしまった父とやせて一回り小さくなった母の姿を見て心が痛む。
どうして私は家と故郷を捨てるようにして家を出てしまったんだろう?
どうして私は父母のそばにいてあげられなかったんだろう?
どうして私は大切に育てられたのに恩を仇で返すようなこんな親不孝をしてしまったんだろう?
ついこの前まで、父も母も元気で悠々自適の田舎暮らしだった。
でもふたりとも75を過ぎ、お互いに補い合うような生活になってきた。
病院に行くのも買い物もちょっとした電化製品の取り扱いも困るときがあるらしい。
近くにいたら、日常のこまごましたことを助けてあげられるのに。
息子も娘もそれぞれ忙しくなり、「孫の顔を見せてあげたい」という私の親孝行につきあわさせるのもここらで限界かも。
正月オフの日を全部じいちゃんばあちゃんちに行くのに使わせ、コドモたちにも申し訳ないと思う。
でもやっぱり孫の元気な姿を見せることがせめてもの罪ほろぼしのような気がして・・・。
近くにいたら日帰りで行けるからこんなことも悩まなくてよかったのに。
こちらに戻ってから電話すると、電話の向こうには元気そうな明るい声の母がいた。
元気じゃないのはわかってるのに。娘に心配かけないように、と。
私は・・・「近くにいればよかったねえ。ほんと失敗したねえ。なんでこっちに来ちゃったかね」と冗談めかして自分で言って、その言葉に涙がにじんで自分でもびっくりした。
泣いているのを母にさとられないよう笑って電話を切った。
身を切られるような思いも・・・私に与えられた罰なのかもしれない。
ボチボチ書いていこうと思います。
きのうからお仕事始め。
ダンナも仕事に行き、息子は部活、娘は塾、とあわただしい日常が戻ってきた。
年末年始は実家に。
雪もなくて日差しが暖かく、穏やかなお正月だった。
おみくじは今年は「小吉」。
去年のおみくじが良かったことを思うと、ちょっとがっかり。
でも「調子に乗らずに地道にしっかりと努力しなさい」ということが書いてあり、まあそのとおりだなあ、と。
それよりも母の体調が良くないのが気にかかる。
数年前から手術をしたり入院したりで、やっぱりずいぶんと気力も体力も衰えたなあとあらためて思う。
ここ2年ほど調子がいまひとつなのはわかっていた。
それでも、電話では元気だし月イチの野菜など詰めた宅急便も欠かさず送ってくれていた。
この前の夏休みに行ったときも、しょっちゅう横になってはいたがまあ元気だった。
でも今回はちょっと違った。
ちょっと前までなら、新聞やドラマ・ワイドショーなども母はよく見ていたので話題にはこと欠かなかったのに・・・。
目が疲れるから何も見る気になれないという。
買い物に行くのも疲れるから父に全部頼んでいるらしいし、人と会うのがおっくうになったと。
あまり外に出ないで一日家で寝たり起きたりしている様子。
近所のいつも行き来していた知人がおととし亡くなり、去年は親戚の不幸が相次ぎ、実の妹も他界した。
気丈にふるまってはいたもののがっくりきていたんだな・・・。
離れているからせめて電話で、と週に一度は電話していたが、元気そうで今までと変わりなさそうだったのに・・・わからないもんだな。
心配かけないようせいいっぱい元気にしていたんだろうな。
正月明けて私たちが帰る朝。
いつものように父と母は私たちを乗せた車が見えなくなるまで庭先で手を振る。
うっすらと霜が降りて庭も畑も植木も真っ白くなっているその景色の真ん中にぽつんと父と母。
すっかり白髪になってしまった父とやせて一回り小さくなった母の姿を見て心が痛む。
どうして私は家と故郷を捨てるようにして家を出てしまったんだろう?
どうして私は父母のそばにいてあげられなかったんだろう?
どうして私は大切に育てられたのに恩を仇で返すようなこんな親不孝をしてしまったんだろう?
ついこの前まで、父も母も元気で悠々自適の田舎暮らしだった。
でもふたりとも75を過ぎ、お互いに補い合うような生活になってきた。
病院に行くのも買い物もちょっとした電化製品の取り扱いも困るときがあるらしい。
近くにいたら、日常のこまごましたことを助けてあげられるのに。
息子も娘もそれぞれ忙しくなり、「孫の顔を見せてあげたい」という私の親孝行につきあわさせるのもここらで限界かも。
正月オフの日を全部じいちゃんばあちゃんちに行くのに使わせ、コドモたちにも申し訳ないと思う。
でもやっぱり孫の元気な姿を見せることがせめてもの罪ほろぼしのような気がして・・・。
近くにいたら日帰りで行けるからこんなことも悩まなくてよかったのに。
こちらに戻ってから電話すると、電話の向こうには元気そうな明るい声の母がいた。
元気じゃないのはわかってるのに。娘に心配かけないように、と。
私は・・・「近くにいればよかったねえ。ほんと失敗したねえ。なんでこっちに来ちゃったかね」と冗談めかして自分で言って、その言葉に涙がにじんで自分でもびっくりした。
泣いているのを母にさとられないよう笑って電話を切った。
身を切られるような思いも・・・私に与えられた罰なのかもしれない。
きょうでお仕事も終了。
年末の帰省にそなえて午後は美容院に行ってカットしてくるかと思ったが。
予約でいっぱいだった。
そうかー。年末だもん。
ふらっと寄ってカットできるほど美容院もヒマじゃないんすね。
帰省にそなえて・・・ってのはアレですよ。
あまりに髪振り乱してビンボーくさく、ってのは親に心配をかけてしまう、ってことで。
いろいろとあるけれどとりあえずちゃんとやってますよ、という姿を見せるのも親孝行かな、と。
実家行きだって、今回はダンナの運転で行くけどホントはダンナが行かないほうが私も実家でもラクなんだ。だってやっぱりダンナはお客様だもの。
ダンナ抜きでコドモと新幹線で行きたいよ。そのほうが気分も盛り上がりのんびりできる。
美容院は4ヶ月ぶりくらいかな。と思ったら8月に行ったきり。
あのときはいつもより短くしたから今回はずいぶんもったわー。
カットしたばかりのころは「堀北?」のはずがもうボサボサで、このままいくと乱れた狩野英考になっちまうよ。
仕事が終わってスーパーで買い物して・・・ふっと自動販売機でコーヒーを買った。ひさしぶりだ。
出かけるときはムダに飲み物なんかを買わなくていいようにペットボトルに麦茶を入れていくのが、ここしばらくのビンボー対策だった。
お昼は車の中で食べられるようおにぎり持参。
スーパーの駐車場に車を止めて買った缶コーヒーを飲む。
年末の買い物で大きなレジ袋をさげた人々がせわしなくいきかう。
塩キャラメルコーヒーが甘くておいしい。スタバのキャラメルマキアートっぽい味。
缶の温かさで手もほかほか。甘さと温かさが体中に広がる。
ああー・・・缶コーヒー買えるようになったな。よかったー・・・としみじみ思う。
思い出すのは2年前の夏のこと。
あの年は春先にダンナの借金が発覚して、しかも息子の受験の年でもありとにかくお金がなくて大変だった。
菓子パンどころか食パンすらぜいたく品のように思えて買えなかった。
仕事の移動中、持参したぬるくなった麦茶を飲みつつ、「あー冷たいアイスコーヒーが飲みたいな」と自動販売機を何度うらめしく見たことか。
そんなある日、ふと車の後部座席で見つけた100円玉。
私の車に落ちてたんだから、自分で落としたものだろうが・・・。
キラっと光る100円玉を拾い上げ、これは・・・真夏に額に汗して働いている私に神様がくれたプレゼントだ、と思った。
ほんとうにその100円がありがたかった。
さっそく20円を足して販売機でアイスコーヒーを買った。
冷たくて甘くて・・・・あの夏のあのコーヒーの味と真夏の白っぽい光景は今でも目に浮かぶ。
たかが100円のぜいたくも許されなかった・・・今思うとすごいな。
でもあのときがあるから、今の自分があるんだよ。
そのときと同じ販売機できょう買った温かいコーヒー。
ここ2年で生活を見直し節約生活が身についたおかげで、たまの缶コーヒーくらいなら抵抗なく買えるようになった。
この前も暗くなってから車の中で小銭を落としてしまって・・・
100円の重みがわかっているからこそ、少し前だったら目の色変えて探しただろう。
でも、まあいいか、またビンボー期になったときの自分へのプレゼントだ、と思ってそのままにした。
冬休みだというのにコドモたちは朝から晩までご出勤。
連日5時半起きだよ・・・。
暗いよ。寒いよ。新聞取りに外に行くと星がまたたいてるよ・・・。
息子はやっと部活がオフになったと思ったら冬季集中学習会。8時から19時まで。
娘もこれまたついていけてんだか知らないが冬期講習。いよいよ受験間近ってことで9時半から19時半まで。30日までこんな。
ヒマなのはダンナだけだ。
今年はこれで最後になります。
おつきあいくださいましてありがとうございます。
みなさま、よいお年をお迎えください。
年末の帰省にそなえて午後は美容院に行ってカットしてくるかと思ったが。
予約でいっぱいだった。
そうかー。年末だもん。
ふらっと寄ってカットできるほど美容院もヒマじゃないんすね。
帰省にそなえて・・・ってのはアレですよ。
あまりに髪振り乱してビンボーくさく、ってのは親に心配をかけてしまう、ってことで。
いろいろとあるけれどとりあえずちゃんとやってますよ、という姿を見せるのも親孝行かな、と。
実家行きだって、今回はダンナの運転で行くけどホントはダンナが行かないほうが私も実家でもラクなんだ。だってやっぱりダンナはお客様だもの。
ダンナ抜きでコドモと新幹線で行きたいよ。そのほうが気分も盛り上がりのんびりできる。
美容院は4ヶ月ぶりくらいかな。と思ったら8月に行ったきり。
あのときはいつもより短くしたから今回はずいぶんもったわー。
カットしたばかりのころは「堀北?」のはずがもうボサボサで、このままいくと乱れた狩野英考になっちまうよ。
仕事が終わってスーパーで買い物して・・・ふっと自動販売機でコーヒーを買った。ひさしぶりだ。
出かけるときはムダに飲み物なんかを買わなくていいようにペットボトルに麦茶を入れていくのが、ここしばらくのビンボー対策だった。
お昼は車の中で食べられるようおにぎり持参。
スーパーの駐車場に車を止めて買った缶コーヒーを飲む。
年末の買い物で大きなレジ袋をさげた人々がせわしなくいきかう。
塩キャラメルコーヒーが甘くておいしい。スタバのキャラメルマキアートっぽい味。
缶の温かさで手もほかほか。甘さと温かさが体中に広がる。
ああー・・・缶コーヒー買えるようになったな。よかったー・・・としみじみ思う。
思い出すのは2年前の夏のこと。
あの年は春先にダンナの借金が発覚して、しかも息子の受験の年でもありとにかくお金がなくて大変だった。
菓子パンどころか食パンすらぜいたく品のように思えて買えなかった。
仕事の移動中、持参したぬるくなった麦茶を飲みつつ、「あー冷たいアイスコーヒーが飲みたいな」と自動販売機を何度うらめしく見たことか。
そんなある日、ふと車の後部座席で見つけた100円玉。
私の車に落ちてたんだから、自分で落としたものだろうが・・・。
キラっと光る100円玉を拾い上げ、これは・・・真夏に額に汗して働いている私に神様がくれたプレゼントだ、と思った。
ほんとうにその100円がありがたかった。
さっそく20円を足して販売機でアイスコーヒーを買った。
冷たくて甘くて・・・・あの夏のあのコーヒーの味と真夏の白っぽい光景は今でも目に浮かぶ。
たかが100円のぜいたくも許されなかった・・・今思うとすごいな。
でもあのときがあるから、今の自分があるんだよ。
そのときと同じ販売機できょう買った温かいコーヒー。
ここ2年で生活を見直し節約生活が身についたおかげで、たまの缶コーヒーくらいなら抵抗なく買えるようになった。
この前も暗くなってから車の中で小銭を落としてしまって・・・
100円の重みがわかっているからこそ、少し前だったら目の色変えて探しただろう。
でも、まあいいか、またビンボー期になったときの自分へのプレゼントだ、と思ってそのままにした。
冬休みだというのにコドモたちは朝から晩までご出勤。
連日5時半起きだよ・・・。
暗いよ。寒いよ。新聞取りに外に行くと星がまたたいてるよ・・・。
息子はやっと部活がオフになったと思ったら冬季集中学習会。8時から19時まで。
娘もこれまたついていけてんだか知らないが冬期講習。いよいよ受験間近ってことで9時半から19時半まで。30日までこんな。
ヒマなのはダンナだけだ。
今年はこれで最後になります。
おつきあいくださいましてありがとうございます。
みなさま、よいお年をお迎えください。
残すところあと6日となりました。
・・・書こうと思ったら、部活帰りの息子がパソを使うという。
音楽入れるらしい。
こうして私の細切れな自由な時間は奪われていくのだった。
きのうのクリスマスメニューは
チキン→生協の冷凍モノ
パエリア→同上
パイ包みホワイトシチュー→同上
サーモンとエビのマリネサラダ→レタスを入れて混ぜるだけのモノ
ケーキ→スポンジにデコレーション
シャンメリー→この時期しか飲めない季節の風物詩
とまあこんなぐあいでした。
いやークリスマスメニューは便利だわあ。
出来合いのものがいろいろ売ってるんだもん。
ひさしぶりにケーキのデコを自分でやってみた。
ここ何年か、コドモたちが好きなようにやってくれてた。
といっても、こういうのって性格が出るんだろうな。
A型のウチの子たちは生クリームをきっちり塗りつけイチゴを等間隔で飾り・・・特に冒険もなくフツーにちゃんとしたクリスマスケーキを仕上げてきた。
それを見て、O型の私は「もっと冒険しなよ」と毎年言ってたもんだが。
いざ自分がデコるとやっぱり取り分けやすいように、食べやすいように、とフツーのケーキが完成してしまった。
娘に「あらーマジメに仕上げたね」と言われ、ツマンナイっす。
秋ドラマも終了しちゃったな。
今回はおもしろいドラマが多くて、しかもどれもこれも最終回まで引っ張ってくれて楽しみだったー。
「流星の絆」が一番良かったかな。
今回は原作のラストを読まないで見たので、犯人が最後までわからず・・・きっと原作通りのツクリだったら救いようもない暗くて重い東野ドラマになっちゃったんだろうね。
二宮くんの熱演と人間の哀しさに思わず涙が・・・。そしてラストは明るい希望を持った終わり方。クドカンすばらしい。おみそれ致しました。
もう高山係長ともお別れかと思うとさびしい。
「チームバチスタの栄光」も、原作での犯人が途中で死んでしまい、最後まで犯人がわからず。
伊藤敦史の演技は何に出てもこんなもんだろうと思いつつ、仲村トオルがよかったあー。ああいうヤクザっぽいのあってるよね。
「ブラッディマンデイ」もよかった。
音楽とか映像が「SP」風?こういうの好きだわ。ハルマは大根役者だと思ってたけど、そうじゃなかった。これまたKの正体が・・・で驚愕のラストへ。おもしろかった。
「風のガーデン」もここのところあまりなかった(私が見てなかったタイプ)ドラマだったのでついつい引き込まれた。
中井さんはやっぱり役者さんだわー。表情がすばらしいね。神木くんもすごい。
それと、自らの死期を悟っていただろう緒方拳さんのセリフが重みがあって深く心に届いた。
ラストの緒方さんの床屋さんのシーンは2008年クリスマスの場面で・・・。おそらくはクリスマスまでは生きられないとわかって撮影していただろうと思うと胸が痛む。
あまりにもヘンなので最後まで見てしまったのが「イノセント・ラブ」。
これって何?・・・書き始めたらきりがないほど、奇怪でヘンなドラマなんですよ。
なにコレ?とつっこみながら見てしまった。
・・・息子がうしろで「早く終われ」とプレッシャーをかけているのでこれで終わり。
うー書き足りない。
・・・書こうと思ったら、部活帰りの息子がパソを使うという。
音楽入れるらしい。
こうして私の細切れな自由な時間は奪われていくのだった。
きのうのクリスマスメニューは
チキン→生協の冷凍モノ
パエリア→同上
パイ包みホワイトシチュー→同上
サーモンとエビのマリネサラダ→レタスを入れて混ぜるだけのモノ
ケーキ→スポンジにデコレーション
シャンメリー→この時期しか飲めない季節の風物詩
とまあこんなぐあいでした。
いやークリスマスメニューは便利だわあ。
出来合いのものがいろいろ売ってるんだもん。
ひさしぶりにケーキのデコを自分でやってみた。
ここ何年か、コドモたちが好きなようにやってくれてた。
といっても、こういうのって性格が出るんだろうな。
A型のウチの子たちは生クリームをきっちり塗りつけイチゴを等間隔で飾り・・・特に冒険もなくフツーにちゃんとしたクリスマスケーキを仕上げてきた。
それを見て、O型の私は「もっと冒険しなよ」と毎年言ってたもんだが。
いざ自分がデコるとやっぱり取り分けやすいように、食べやすいように、とフツーのケーキが完成してしまった。
娘に「あらーマジメに仕上げたね」と言われ、ツマンナイっす。
秋ドラマも終了しちゃったな。
今回はおもしろいドラマが多くて、しかもどれもこれも最終回まで引っ張ってくれて楽しみだったー。
「流星の絆」が一番良かったかな。
今回は原作のラストを読まないで見たので、犯人が最後までわからず・・・きっと原作通りのツクリだったら救いようもない暗くて重い東野ドラマになっちゃったんだろうね。
二宮くんの熱演と人間の哀しさに思わず涙が・・・。そしてラストは明るい希望を持った終わり方。クドカンすばらしい。おみそれ致しました。
もう高山係長ともお別れかと思うとさびしい。
「チームバチスタの栄光」も、原作での犯人が途中で死んでしまい、最後まで犯人がわからず。
伊藤敦史の演技は何に出てもこんなもんだろうと思いつつ、仲村トオルがよかったあー。ああいうヤクザっぽいのあってるよね。
「ブラッディマンデイ」もよかった。
音楽とか映像が「SP」風?こういうの好きだわ。ハルマは大根役者だと思ってたけど、そうじゃなかった。これまたKの正体が・・・で驚愕のラストへ。おもしろかった。
「風のガーデン」もここのところあまりなかった(私が見てなかったタイプ)ドラマだったのでついつい引き込まれた。
中井さんはやっぱり役者さんだわー。表情がすばらしいね。神木くんもすごい。
それと、自らの死期を悟っていただろう緒方拳さんのセリフが重みがあって深く心に届いた。
ラストの緒方さんの床屋さんのシーンは2008年クリスマスの場面で・・・。おそらくはクリスマスまでは生きられないとわかって撮影していただろうと思うと胸が痛む。
あまりにもヘンなので最後まで見てしまったのが「イノセント・ラブ」。
これって何?・・・書き始めたらきりがないほど、奇怪でヘンなドラマなんですよ。
なにコレ?とつっこみながら見てしまった。
・・・息子がうしろで「早く終われ」とプレッシャーをかけているのでこれで終わり。
うー書き足りない。
ユーザーID忘れるほど放置してたわー。
みなさまお元気ですか?
前は平日の夕方とか平日休みの日に書いてたんだけど、ここのところその時間がなかったもんで。
平日の夕方は娘を塾に出すため早い夕食の準備。
土日休みにするため平日休みはあまりとらず、たまの平日休みは家事に追われて。
いやーそれにしても週イチしか行けないのに、ジムのマシントレーニングは効くねえ。10月から行ってます。
「やせる」とかそんなことより、今回は「3月のメタボ健診に向けてコレステロール減」と「ひざのリハビリのため足腰を鍛える」というのが目標。
美容より健康ってのがちょっとカナシイ。
でも私にはコレ合ってるわ。
もくもくとトレーニングに励み、着実にごほうびは数値となって表れる、ってのが。
それと、場所と時間が決まってるってのもいい。何度も家でお金をかけないでやろうと思ったけど挫折してるし。
貧乏性なもんで、お金払ったらやんなきゃもったいないからやる。多少の先行投資は必要だってことだね。
民間スポーツジムじゃないのでマシンとシャワーのみ、なんだけどその分リーズナブル。
何回いっても料金は変わらないので、本当は週に2回くらい行きたいところだけど・・・週イチがせいぜい。
それでも効果抜群!腹回りと二の腕のプルプルが劇的に引き締まってびっくり。
さて娘の受験。
「マラソンでいったらさー、今スタジアム入ってきたってカンジ?こう歓声がワーっと・・・」とお気楽な娘。
最終局面を迎えつつあるのに、さっぱりスイッチが入らないんですけど。
・・・このままなんとなく終了してしまう可能性もあり。
息子のときは北風が吹くころにはずいぶんとせっぱつまった感があったものだった。
本当の受験の大変さは県立前期(二月)終了後だとは思うものの、こんなんでいいのかなあ。
うちの県の受験は、まず私立校をおさえることが第一。
これは月イチで行われる9月以降の統一模試の偏差値の平均で決まる。
10月より始まる個別相談会で、それぞれの高校に結果を持って出向いて合格可能性を聞いてくる。
「もうさっさといっちゃおうよ」と娘が言うので、第一回の個別から2校回り、ふたつとも下のクラスで確約をいただいてくる。
帰りにはふらふらとウインドーショッピングしてランチして。
息子のときは現地集合現地解散だったことを思うと、女の子はいっしょに出かけて楽しいからいいわ。
相談会に行って娘がチェックするのは、最寄りにたまれるスポットがあるかどうか。マックは?サイゼは?・・・まあそれも大事だけどね。
それと、ジミーズは嫌ってるくせにあんまりハジケてる子が多いのもウザイという娘なりの価値観があるのにはへえーと思う。先輩の様子とか見てないようでよく観察してて感心。
これでさらに模試の結果がよければ上のクラスの確約になるはずだったけど・・・。
11月も12月も模試の結果はふるわず。
ここでひとつ死ぬ気でがんばってランクを上げよう!と思わなかったんかな?
「まあいいやー。下のクラスだって確約だし」ととりあえず私立は早い時期におさえたと安心したってことか。
二学期の期末テストもなんとなーく終了し、最後の学校の三者面談で提示される最終的な内申点も「あれれ?」なカンジで、受験生の母としてはまったく手ごたえがないまま今に至る。
県立校も「あっちは遠いし」といいつつ目標校を一つ下げ、それにもかかわらず「塾でねえー先生に『ま、妥当な選択だな。でもそれでも五分五分っつーか六分四分?』って言われたあー」と緊迫感がまったくない。
まあ確かに県立受験は本番重視のバクチなんだけどね。
なんにしろ、息子の高校受験のときと大違い。
本人の性格と塾のサポート体制によってここまで親の負担が違うとは・・・とやれやれ。
というより、息子の「思いつめたら一直線」ってほうがどうにかなってくれないと来年に迫る大学受験が思いやられます。
みなさまお元気ですか?
前は平日の夕方とか平日休みの日に書いてたんだけど、ここのところその時間がなかったもんで。
平日の夕方は娘を塾に出すため早い夕食の準備。
土日休みにするため平日休みはあまりとらず、たまの平日休みは家事に追われて。
いやーそれにしても週イチしか行けないのに、ジムのマシントレーニングは効くねえ。10月から行ってます。
「やせる」とかそんなことより、今回は「3月のメタボ健診に向けてコレステロール減」と「ひざのリハビリのため足腰を鍛える」というのが目標。
美容より健康ってのがちょっとカナシイ。
でも私にはコレ合ってるわ。
もくもくとトレーニングに励み、着実にごほうびは数値となって表れる、ってのが。
それと、場所と時間が決まってるってのもいい。何度も家でお金をかけないでやろうと思ったけど挫折してるし。
貧乏性なもんで、お金払ったらやんなきゃもったいないからやる。多少の先行投資は必要だってことだね。
民間スポーツジムじゃないのでマシンとシャワーのみ、なんだけどその分リーズナブル。
何回いっても料金は変わらないので、本当は週に2回くらい行きたいところだけど・・・週イチがせいぜい。
それでも効果抜群!腹回りと二の腕のプルプルが劇的に引き締まってびっくり。
さて娘の受験。
「マラソンでいったらさー、今スタジアム入ってきたってカンジ?こう歓声がワーっと・・・」とお気楽な娘。
最終局面を迎えつつあるのに、さっぱりスイッチが入らないんですけど。
・・・このままなんとなく終了してしまう可能性もあり。
息子のときは北風が吹くころにはずいぶんとせっぱつまった感があったものだった。
本当の受験の大変さは県立前期(二月)終了後だとは思うものの、こんなんでいいのかなあ。
うちの県の受験は、まず私立校をおさえることが第一。
これは月イチで行われる9月以降の統一模試の偏差値の平均で決まる。
10月より始まる個別相談会で、それぞれの高校に結果を持って出向いて合格可能性を聞いてくる。
「もうさっさといっちゃおうよ」と娘が言うので、第一回の個別から2校回り、ふたつとも下のクラスで確約をいただいてくる。
帰りにはふらふらとウインドーショッピングしてランチして。
息子のときは現地集合現地解散だったことを思うと、女の子はいっしょに出かけて楽しいからいいわ。
相談会に行って娘がチェックするのは、最寄りにたまれるスポットがあるかどうか。マックは?サイゼは?・・・まあそれも大事だけどね。
それと、ジミーズは嫌ってるくせにあんまりハジケてる子が多いのもウザイという娘なりの価値観があるのにはへえーと思う。先輩の様子とか見てないようでよく観察してて感心。
これでさらに模試の結果がよければ上のクラスの確約になるはずだったけど・・・。
11月も12月も模試の結果はふるわず。
ここでひとつ死ぬ気でがんばってランクを上げよう!と思わなかったんかな?
「まあいいやー。下のクラスだって確約だし」ととりあえず私立は早い時期におさえたと安心したってことか。
二学期の期末テストもなんとなーく終了し、最後の学校の三者面談で提示される最終的な内申点も「あれれ?」なカンジで、受験生の母としてはまったく手ごたえがないまま今に至る。
県立校も「あっちは遠いし」といいつつ目標校を一つ下げ、それにもかかわらず「塾でねえー先生に『ま、妥当な選択だな。でもそれでも五分五分っつーか六分四分?』って言われたあー」と緊迫感がまったくない。
まあ確かに県立受験は本番重視のバクチなんだけどね。
なんにしろ、息子の高校受験のときと大違い。
本人の性格と塾のサポート体制によってここまで親の負担が違うとは・・・とやれやれ。
というより、息子の「思いつめたら一直線」ってほうがどうにかなってくれないと来年に迫る大学受験が思いやられます。
忙しいよねえー・・・。
といいつつ、秋ドラマ始まりました。
NHK大河「篤姫」もいよいよ佳境に入り目が放せませんな。
ちょい前の「新撰組!」と時代が同じ幕末なので、違う角度から見ているみたいでおもしろい。
宮崎あおいちゃんはこれで間違いなく株を上げたわー。ただかわいいだけじゃない楽しみな女優さんです。
掘北の皇女和宮もほわんとしてかわいくてかわいくて・・・。
いやー、それにしても。
人生にはふと自分の年を思い知らされることがあるけれど。
「高校球児が自分より年下!?」と思ったとき、「相撲取りがみんな年下!?」と思ったときも「えっ!」と驚いたが、「大河ドラマの出演者がほとんど年下!」と今あらためて驚いてますよ・・・。
日9「スキャンダル」。
似たような前クール「四つの嘘」はまるっきり見る気がしなかったが、これは見てみた。
この手のドラマは感情移入できる人物がいないとなあ・・・。
まあそれぞれあるけど、みんな弁護士や医者や一流証券マンの奥様だし、ちょっと違うなあ。もう一回くらい見て「まあいいや」ってなる予感。
月9「イノセント・ラヴ」。
掘北がカワイイ。ゆずの北川くんはどうか?と思ったが、ピアノを弾けることと笑顔がいいってことがポイントなんだろう。
兄の疑惑や寝たきりの婚約者(?)の存在など、展開がまだ見えないのでもうちょっと見るつもり。
火10「チーム・バチスタの栄光」。
「伊藤敦史・初主演」とあって・・・あれ?「電車男」は主演じゃなかったっけ?
こっちだって中村トオルか伊原剛志が主役かと思ったよ。
原作はおもしろかった!映画は田口先生が竹内結子なので見る気にならなかった。
グチ外来のぐっちーが伊藤敦史ってのはアリだろうけど。
結末が原作と違うらしいのでちょっと楽しみ。
だって原作どおりならアノ人が犯人・・・。
木10「風のガーデン」。
倉本ドラマは静かで落ち着いているので、忙しい中、時短で見る私には刺激不足かなあと思ってた。
緒方拳さんの遺作じゃなかったから見てなかったかも。
うん。でも見てよかったしこの先も気になる。
おじいちゃんとしての緒方拳さんのたちふるまいや言葉は心にしみる。中井貴一の自然な感じの医者もいい。
神木くんの演技もすばらしい。やっぱり天才子役と言われるだけある。
丁寧に作ってあるいいドラマだと思う。
金9「ギラギラ」。
クラちゃん主演じゃなかったら見てないな。
ホストモノってやっぱりどれも同じ?まあいいや。次回からはパス。
金10「流星の絆」。
私的には許せません。こんな原作を無視した作りのドラマ。
製作発表で原作者東野圭吾さんが「原作とは別物」と言ってたけどこれほど違うってのもなあー。
原作からのイメージではシリアスで重い「白夜行」みたいなドラマになるはずだよね。でも、クドカンの脚本じゃ絶対違うだろうというのは想定内。
だからこそ「東野圭吾×宮藤官九郎」ってあえて書いてるんだろうし。
原作を知らなければあれはあれでおもしろいドラマだろう。
でもさ・・・クドカンでやりたいなら何も「流星の絆」じゃなくてもいいのにな。
どれほど違う作品になるのか見たいので最後まで見ます。
土8「ブラッディ・マンデイ」。
こういうの好きだわあー。ハラハラドキドキの展開。音楽も緊迫感をあおるし、なんたって三浦春馬がかっこいい。
「14才の母」とか「ボンビーメン」とか見た限りでは「ハルマって大根?」って思ってたけど、見直したっ。
「魔王」のマリさん、今回はマヤ先生。出たころの水野真紀みたいな魔性の女ってカンジがハマリ役。あれじゃあ男子高校生はコロっといっちゃうよ。
展開が楽しみです。
といいつつ、秋ドラマ始まりました。
NHK大河「篤姫」もいよいよ佳境に入り目が放せませんな。
ちょい前の「新撰組!」と時代が同じ幕末なので、違う角度から見ているみたいでおもしろい。
宮崎あおいちゃんはこれで間違いなく株を上げたわー。ただかわいいだけじゃない楽しみな女優さんです。
掘北の皇女和宮もほわんとしてかわいくてかわいくて・・・。
いやー、それにしても。
人生にはふと自分の年を思い知らされることがあるけれど。
「高校球児が自分より年下!?」と思ったとき、「相撲取りがみんな年下!?」と思ったときも「えっ!」と驚いたが、「大河ドラマの出演者がほとんど年下!」と今あらためて驚いてますよ・・・。
日9「スキャンダル」。
似たような前クール「四つの嘘」はまるっきり見る気がしなかったが、これは見てみた。
この手のドラマは感情移入できる人物がいないとなあ・・・。
まあそれぞれあるけど、みんな弁護士や医者や一流証券マンの奥様だし、ちょっと違うなあ。もう一回くらい見て「まあいいや」ってなる予感。
月9「イノセント・ラヴ」。
掘北がカワイイ。ゆずの北川くんはどうか?と思ったが、ピアノを弾けることと笑顔がいいってことがポイントなんだろう。
兄の疑惑や寝たきりの婚約者(?)の存在など、展開がまだ見えないのでもうちょっと見るつもり。
火10「チーム・バチスタの栄光」。
「伊藤敦史・初主演」とあって・・・あれ?「電車男」は主演じゃなかったっけ?
こっちだって中村トオルか伊原剛志が主役かと思ったよ。
原作はおもしろかった!映画は田口先生が竹内結子なので見る気にならなかった。
グチ外来のぐっちーが伊藤敦史ってのはアリだろうけど。
結末が原作と違うらしいのでちょっと楽しみ。
だって原作どおりならアノ人が犯人・・・。
木10「風のガーデン」。
倉本ドラマは静かで落ち着いているので、忙しい中、時短で見る私には刺激不足かなあと思ってた。
緒方拳さんの遺作じゃなかったから見てなかったかも。
うん。でも見てよかったしこの先も気になる。
おじいちゃんとしての緒方拳さんのたちふるまいや言葉は心にしみる。中井貴一の自然な感じの医者もいい。
神木くんの演技もすばらしい。やっぱり天才子役と言われるだけある。
丁寧に作ってあるいいドラマだと思う。
金9「ギラギラ」。
クラちゃん主演じゃなかったら見てないな。
ホストモノってやっぱりどれも同じ?まあいいや。次回からはパス。
金10「流星の絆」。
私的には許せません。こんな原作を無視した作りのドラマ。
製作発表で原作者東野圭吾さんが「原作とは別物」と言ってたけどこれほど違うってのもなあー。
原作からのイメージではシリアスで重い「白夜行」みたいなドラマになるはずだよね。でも、クドカンの脚本じゃ絶対違うだろうというのは想定内。
だからこそ「東野圭吾×宮藤官九郎」ってあえて書いてるんだろうし。
原作を知らなければあれはあれでおもしろいドラマだろう。
でもさ・・・クドカンでやりたいなら何も「流星の絆」じゃなくてもいいのにな。
どれほど違う作品になるのか見たいので最後まで見ます。
土8「ブラッディ・マンデイ」。
こういうの好きだわあー。ハラハラドキドキの展開。音楽も緊迫感をあおるし、なんたって三浦春馬がかっこいい。
「14才の母」とか「ボンビーメン」とか見た限りでは「ハルマって大根?」って思ってたけど、見直したっ。
「魔王」のマリさん、今回はマヤ先生。出たころの水野真紀みたいな魔性の女ってカンジがハマリ役。あれじゃあ男子高校生はコロっといっちゃうよ。
展開が楽しみです。
先週あたりからキンモクセイがいい香りです。
天高い空と澄んだ空気とキンモクセイの香り・・・深まりゆく秋、だなあ。
先月末のことになるが息子が17歳の誕生日を迎えた。
いやー・・・17歳の息子?
客観的にその言葉を聞くと立派に成長した青年のようだけどなあ。
いやいや、外ではきっとちゃんとやってるんだろう(笑)。
誕生日と言えばホールケーキ。
クリスマスや娘の誕生日のころなどいちごが出回っている季節には手作りもするが、息子のケーキは注文することが多い(いちごがない)。
今回も予約の電話をしておいた。
さて、お誕生日のケーキを頼むと種類やサイズのほかに必ず聞かれるふたつのこと。
お店のおねえさん「お誕生日プレートにお名前をお入れすることができますが?」。
ここでかすかな違和感。
17歳の息子の誕生日だ、ということが戸惑いの原因。
このあとにロウソクの数を聞かれて何歳の誕生日のケーキなのかもわかってしまうし。
どうしよう?
去年まではこんなこと思わなかった。
なんだかんだ言って16歳は高校生になりたてでまだまだ幼い。
でも17歳は高校生らしさも板につき、本人はいたって一人前な気分。
中身は変わらないんだけどね。
おウチでお誕生ケーキを囲んでロウソクをふーっ・・・っていう自分の姿は仲間には絶対知られたくない年頃だろう。
しかも『○○くん、お誕生日おめでとう』と書いてあるチョコプレートが載ったケーキ。
ちょっぴりうれしいけど、男子たるものいつまでもそんなほのぼの路線にいてはいかん!と息子は思うんだろうなあ。・・・微妙な年頃だよなあ。
さて、ここの誕生日ケーキはチョコレートのプレートに名前が入ることになっている。
何も入れないとその部分に空白ができてしまって不自然。
名前入れなくちゃ。
じゃあ何て入れる?息子は「まーくん」だとか「あっくん」みたいに愛称で呼ばれる名前ではない。そのままストレートだ。
・・・呼び捨てか?「○○くん」か?去年までは「くん」付けだった気が・・。
うーん。この間、約2秒。
電話の向こうのおねえさんに早く答えなくちゃ!
私「・・・あ。はい。じゃあ『○○(なまえ)』で」。
おねえさん「ロウソクは何本ご用意しますか?」。
さっきの質問より「ど・ど・どうしよう?」とアセる。
きっとこの質問に対する望ましい答えは「5本!」あたりだろうなあ。
「・・・17歳なんで」と語尾をにごすと「じゃあ、大きいのを一本と小さいの7本入れておきますね」と。
以前、ケーキ屋さん店頭でおすもうの高見盛を50代にしたようなオッサンが誕生日ケーキを頼んでいる場面に遭遇した。
「お名前はなんとお入れしますか?」「はい。『まみちゃん』で」。
そう言うオッサンに、横で聞いていた私は「・・・ああー。孫のケーキか」と思った。
「ロウソクは何本ご用意しますか?」「23本お願いします」。
・・・娘かい!?
どひゃー!と一度は引いたものの・・・汗で額をテカらせたさえないオッサンがシアワセものに見えてきた。
まみちゃん、どんな娘かな。お嬢かな?ヤンキーかな?
23歳の娘の誕生日を自宅でお祝いできるなんてこのオッサンもいいおとうさんなんだろうな、と。
あの場面は「父が娘のケーキを買う」だったから、ほほえましい場面だった。
母が「はい。『たっくん』で。ロウソクは23本」とかだったらどうかなあ・・・。
・・・世の中では何歳まで息子のお誕生日をお祝いするんでしょうね?
息子がかわいくてたまらない親バカに思われるのもイヤだし、その反面「大きくなった息子のお誕生日はお祝いしないものなのか?」と思ったりもするし。
心配しなくても時期がくればお祝いしたくてもできなくなるんだから、いるうちはお祝いすればいいとも思うし。
私のちょっとした動揺をよそに、当日は去年までと何も変わらなかった。
「名前なんか入れんなよ」なんて言われるかもなあと思ってたけど。
今年も言われるまま17本のロウソクの火を淡々と吹き消し、名前入りのチョコプレートをさっさと自分の皿にとりわけ、ガツガツとうまそうにケーキを食らっていた。
こんなことなら、去年までのようにオプションでくまさんやうさぎさんの砂糖人形でものっければよかったか?
天高い空と澄んだ空気とキンモクセイの香り・・・深まりゆく秋、だなあ。
先月末のことになるが息子が17歳の誕生日を迎えた。
いやー・・・17歳の息子?
客観的にその言葉を聞くと立派に成長した青年のようだけどなあ。
いやいや、外ではきっとちゃんとやってるんだろう(笑)。
誕生日と言えばホールケーキ。
クリスマスや娘の誕生日のころなどいちごが出回っている季節には手作りもするが、息子のケーキは注文することが多い(いちごがない)。
今回も予約の電話をしておいた。
さて、お誕生日のケーキを頼むと種類やサイズのほかに必ず聞かれるふたつのこと。
お店のおねえさん「お誕生日プレートにお名前をお入れすることができますが?」。
ここでかすかな違和感。
17歳の息子の誕生日だ、ということが戸惑いの原因。
このあとにロウソクの数を聞かれて何歳の誕生日のケーキなのかもわかってしまうし。
どうしよう?
去年まではこんなこと思わなかった。
なんだかんだ言って16歳は高校生になりたてでまだまだ幼い。
でも17歳は高校生らしさも板につき、本人はいたって一人前な気分。
中身は変わらないんだけどね。
おウチでお誕生ケーキを囲んでロウソクをふーっ・・・っていう自分の姿は仲間には絶対知られたくない年頃だろう。
しかも『○○くん、お誕生日おめでとう』と書いてあるチョコプレートが載ったケーキ。
ちょっぴりうれしいけど、男子たるものいつまでもそんなほのぼの路線にいてはいかん!と息子は思うんだろうなあ。・・・微妙な年頃だよなあ。
さて、ここの誕生日ケーキはチョコレートのプレートに名前が入ることになっている。
何も入れないとその部分に空白ができてしまって不自然。
名前入れなくちゃ。
じゃあ何て入れる?息子は「まーくん」だとか「あっくん」みたいに愛称で呼ばれる名前ではない。そのままストレートだ。
・・・呼び捨てか?「○○くん」か?去年までは「くん」付けだった気が・・。
うーん。この間、約2秒。
電話の向こうのおねえさんに早く答えなくちゃ!
私「・・・あ。はい。じゃあ『○○(なまえ)』で」。
おねえさん「ロウソクは何本ご用意しますか?」。
さっきの質問より「ど・ど・どうしよう?」とアセる。
きっとこの質問に対する望ましい答えは「5本!」あたりだろうなあ。
「・・・17歳なんで」と語尾をにごすと「じゃあ、大きいのを一本と小さいの7本入れておきますね」と。
以前、ケーキ屋さん店頭でおすもうの高見盛を50代にしたようなオッサンが誕生日ケーキを頼んでいる場面に遭遇した。
「お名前はなんとお入れしますか?」「はい。『まみちゃん』で」。
そう言うオッサンに、横で聞いていた私は「・・・ああー。孫のケーキか」と思った。
「ロウソクは何本ご用意しますか?」「23本お願いします」。
・・・娘かい!?
どひゃー!と一度は引いたものの・・・汗で額をテカらせたさえないオッサンがシアワセものに見えてきた。
まみちゃん、どんな娘かな。お嬢かな?ヤンキーかな?
23歳の娘の誕生日を自宅でお祝いできるなんてこのオッサンもいいおとうさんなんだろうな、と。
あの場面は「父が娘のケーキを買う」だったから、ほほえましい場面だった。
母が「はい。『たっくん』で。ロウソクは23本」とかだったらどうかなあ・・・。
・・・世の中では何歳まで息子のお誕生日をお祝いするんでしょうね?
息子がかわいくてたまらない親バカに思われるのもイヤだし、その反面「大きくなった息子のお誕生日はお祝いしないものなのか?」と思ったりもするし。
心配しなくても時期がくればお祝いしたくてもできなくなるんだから、いるうちはお祝いすればいいとも思うし。
私のちょっとした動揺をよそに、当日は去年までと何も変わらなかった。
「名前なんか入れんなよ」なんて言われるかもなあと思ってたけど。
今年も言われるまま17本のロウソクの火を淡々と吹き消し、名前入りのチョコプレートをさっさと自分の皿にとりわけ、ガツガツとうまそうにケーキを食らっていた。
こんなことなら、去年までのようにオプションでくまさんやうさぎさんの砂糖人形でものっければよかったか?
娘の中学校から「衣替えについて」というお知らせプリントがきた。
普通はざっと目を通すだけのこの類のプリント、熟読するとけっこう「何これー?」と笑える箇所があるので、最近はきちんと読むようにしている。
今回のプリントの注目箇所はコレ。
衣替え期間とともに、「生活の決まり」が箇条書きされている。
その中に「頭髪は、そりこみ・染色・パーマなど、特異な髪型にしない」とある。
「そりこみ」って・・・いつの時代だよ?
ビーバップハイスクールの時代?昭和60年代?
リーゼントの両ワキをM字型にそりあげる、っていうアレだよねえ?
平成20年の時代にそりこみする中学生なんていないと思うけどなあ。
コドモたちがいたので聞いてみる。
私「ちょっと、このそりこみって何?」。
娘「えー?眉そり?」。
私「だって『頭髪は』って書いてあるんだよ」。
息子「アレだよ。ボウズの人とかの」。
娘「あー!あっちゃん(エグザイルのアツシ)みたいなのかー」。
息子「それしかないんじゃね?」。
・・・平成の中高生の認識としてはそんなもん。
「パーマ禁止」だって、きっと学校側では金八先生のころの三原順子みたいなのを想定しているんだろうけど。
縮毛矯正している子はけっこういる。同じパーマでもそれは想定外なんだろうな。
プリントは「保護者様」となっているけど、これは生徒手帳の決まりからの抜粋。
きっと開校した平成3年に「生活の決まり」ができてから、そのままなんだろう。
私も今回はプリント熟読したけど、いつもは「あ。これか」ってよく読まない。
こんなプリントはここ17年間いつも出されていてそのたび「そりこみは禁止」ってそのままだったんだろうなあ。
夏休み・冬休みの「長期休業中の生活上の注意」みたいなプリントだって、「盛り場への出入りは禁止」「テレクラ禁止」とか書いてあるもん。
去年あたりから「出会い系サイトの利用・プロフへの誹謗中傷の書き込み禁止」というのが付け加えられたのは評価できるけど。
娘から「もりばってなにー?」って聞かれて笑えた。
もりば、じゃないよ。さかりば、だよ。
テレクラだって一昔前じゃないですか。
「コレ、変ですよ?」って一言いってくれるような先生や保護者はいなかったんだろうか。
学校のプリントって「とりあえず出すことが大切」ってカンジで、今回も笑わせていただきました。
普通はざっと目を通すだけのこの類のプリント、熟読するとけっこう「何これー?」と笑える箇所があるので、最近はきちんと読むようにしている。
今回のプリントの注目箇所はコレ。
衣替え期間とともに、「生活の決まり」が箇条書きされている。
その中に「頭髪は、そりこみ・染色・パーマなど、特異な髪型にしない」とある。
「そりこみ」って・・・いつの時代だよ?
ビーバップハイスクールの時代?昭和60年代?
リーゼントの両ワキをM字型にそりあげる、っていうアレだよねえ?
平成20年の時代にそりこみする中学生なんていないと思うけどなあ。
コドモたちがいたので聞いてみる。
私「ちょっと、このそりこみって何?」。
娘「えー?眉そり?」。
私「だって『頭髪は』って書いてあるんだよ」。
息子「アレだよ。ボウズの人とかの」。
娘「あー!あっちゃん(エグザイルのアツシ)みたいなのかー」。
息子「それしかないんじゃね?」。
・・・平成の中高生の認識としてはそんなもん。
「パーマ禁止」だって、きっと学校側では金八先生のころの三原順子みたいなのを想定しているんだろうけど。
縮毛矯正している子はけっこういる。同じパーマでもそれは想定外なんだろうな。
プリントは「保護者様」となっているけど、これは生徒手帳の決まりからの抜粋。
きっと開校した平成3年に「生活の決まり」ができてから、そのままなんだろう。
私も今回はプリント熟読したけど、いつもは「あ。これか」ってよく読まない。
こんなプリントはここ17年間いつも出されていてそのたび「そりこみは禁止」ってそのままだったんだろうなあ。
夏休み・冬休みの「長期休業中の生活上の注意」みたいなプリントだって、「盛り場への出入りは禁止」「テレクラ禁止」とか書いてあるもん。
去年あたりから「出会い系サイトの利用・プロフへの誹謗中傷の書き込み禁止」というのが付け加えられたのは評価できるけど。
娘から「もりばってなにー?」って聞かれて笑えた。
もりば、じゃないよ。さかりば、だよ。
テレクラだって一昔前じゃないですか。
「コレ、変ですよ?」って一言いってくれるような先生や保護者はいなかったんだろうか。
学校のプリントって「とりあえず出すことが大切」ってカンジで、今回も笑わせていただきました。
娘の中学の文化祭終了。
義務教育母としては最後の文化祭だ。それとともに私のPTA合唱も終了。
文化祭は中3最後の行事で、あとはそれぞれの進路に向けてつっ走るだけ・・・なので娘も気が抜けたみたいだが、私も気が抜けた。
息子と娘のおかけで5年間、合唱のステージに立たせてもらったけどこれで終わり・・・と思うと。
さびしーい!
思えば30年以上前。
高校の入学式で聞いた先輩たちの「大地讃頌」が合唱との出会い。
あまりの迫力に鳥肌が立った。
合唱部は全国大会に行き、クラス対抗合唱コンは超燃える!という地方の県立校。
中学でそんな経験はなかったのでそれこそカルチャーショックだった。
あのとき合唱部に入ってればよかったな。
でもそのときの私はあの独特の「歌うときの顔」がいやだったんだよね。
でも合唱コンの時期には毎年いろんな合唱曲に触れ、楽しかった。
そして、合唱というと繰り返し思い出されるのは昭和60年、61年の秋のこと。
中学教師として初めて担任を持ち、臨んだクラス対抗合唱コンクール。
中学生ながら合唱のレベルが高く、合唱コンの時期になると全校が歌声に包まれる。
時期は10月の中旬だったか、北国の街路樹は鮮やかな赤や黄色の紅葉に彩られ、校舎の窓から見える山は初雪を抱いていた。
朝の空気は日ごとに冷気を加え吐く息も白くなるころ。
声をかけあって他のどのクラスよりも先に合唱コンに向けて朝練を始めた。
校庭のサッカーゴールの前が定位置。
朝靄の中、モスグリーンのブレザーの生徒たちが集まるのを待ちかねて外に出て行ったものだった。
・・・私も若くて元気だったなー。なつかしい。
そのときの忘れられない合唱曲が「若い翼は」。
♪流れゆく 雲のかなた まだ知らぬ 未来求め
合唱コン本番の体育館のざわめきや白っぽい秋の日差しも思い出される。
担任クラスが歌う番を待っているときの心臓が口から飛び出しそうな気持ちとか、賞に輝いたときの思わず駆け出したくなるような気持ちも。
2年目の中3担任のときは「祖国の土」。
これは見事最優秀賞に輝き、市民会館でのコンクール出場というオマケつき。
一口に合唱というけれど・・・クラス合唱、というのはいろんな思惑が入り乱れて泣いたり笑ったりというゴタゴタがつきもの。
選曲から始まって指揮は?伴奏は?パートリーダーは?・・・それを乗り越えて一致団結すればものすごい達成感が味わえる。
だから好きだった。みんなで創り上げていくクラス合唱コンの季節。
中学教師を辞めてからはすっかり合唱からは遠ざかっていたけれど。
息子が中学生になったときに、ひさしぶりに中学生の合唱を聞きPTA合唱団があると聞いて即参加した。
合唱曲というより「涙そうそう」とか「どんなときも」「負けないで」などすぐ口ずさめる曲が多いのがちょっと物足りない気もしたが、毎年ステージでライトを浴びて歌うのはなかなかくせになる。
生徒たちからの声援や手拍子もうれしかった。
去年中2だった娘が合唱コンの課題曲として「若い翼は」を歌ったときは、その曲のめぐり合わせに感激。
24歳の私に教えてあげたい気持ちだった。
20何年か後、あなたの娘がその曲を合唱コンクールで歌うんだよ・・・と。
息子の高校には合唱コンはない。
娘に「高校生になったら合唱部に入りなよ」と言っても「あの顔がキモい」と当時の私の同じことを言う。
合唱のサークルにでも入ろうかなとも思うけど、出来上がっているグループの中に入ることを思うとどうも気がすすまない。
心の中でずっと「こうだったらいいな」と願っていると、ふとしたときに何かに引き寄せられるようにそうなること、ってある。
そのうちまたきっと何か縁があれば合唱をする機会に恵まれることもあるだろう。
義務教育母としては最後の文化祭だ。それとともに私のPTA合唱も終了。
文化祭は中3最後の行事で、あとはそれぞれの進路に向けてつっ走るだけ・・・なので娘も気が抜けたみたいだが、私も気が抜けた。
息子と娘のおかけで5年間、合唱のステージに立たせてもらったけどこれで終わり・・・と思うと。
さびしーい!
思えば30年以上前。
高校の入学式で聞いた先輩たちの「大地讃頌」が合唱との出会い。
あまりの迫力に鳥肌が立った。
合唱部は全国大会に行き、クラス対抗合唱コンは超燃える!という地方の県立校。
中学でそんな経験はなかったのでそれこそカルチャーショックだった。
あのとき合唱部に入ってればよかったな。
でもそのときの私はあの独特の「歌うときの顔」がいやだったんだよね。
でも合唱コンの時期には毎年いろんな合唱曲に触れ、楽しかった。
そして、合唱というと繰り返し思い出されるのは昭和60年、61年の秋のこと。
中学教師として初めて担任を持ち、臨んだクラス対抗合唱コンクール。
中学生ながら合唱のレベルが高く、合唱コンの時期になると全校が歌声に包まれる。
時期は10月の中旬だったか、北国の街路樹は鮮やかな赤や黄色の紅葉に彩られ、校舎の窓から見える山は初雪を抱いていた。
朝の空気は日ごとに冷気を加え吐く息も白くなるころ。
声をかけあって他のどのクラスよりも先に合唱コンに向けて朝練を始めた。
校庭のサッカーゴールの前が定位置。
朝靄の中、モスグリーンのブレザーの生徒たちが集まるのを待ちかねて外に出て行ったものだった。
・・・私も若くて元気だったなー。なつかしい。
そのときの忘れられない合唱曲が「若い翼は」。
♪流れゆく 雲のかなた まだ知らぬ 未来求め
合唱コン本番の体育館のざわめきや白っぽい秋の日差しも思い出される。
担任クラスが歌う番を待っているときの心臓が口から飛び出しそうな気持ちとか、賞に輝いたときの思わず駆け出したくなるような気持ちも。
2年目の中3担任のときは「祖国の土」。
これは見事最優秀賞に輝き、市民会館でのコンクール出場というオマケつき。
一口に合唱というけれど・・・クラス合唱、というのはいろんな思惑が入り乱れて泣いたり笑ったりというゴタゴタがつきもの。
選曲から始まって指揮は?伴奏は?パートリーダーは?・・・それを乗り越えて一致団結すればものすごい達成感が味わえる。
だから好きだった。みんなで創り上げていくクラス合唱コンの季節。
中学教師を辞めてからはすっかり合唱からは遠ざかっていたけれど。
息子が中学生になったときに、ひさしぶりに中学生の合唱を聞きPTA合唱団があると聞いて即参加した。
合唱曲というより「涙そうそう」とか「どんなときも」「負けないで」などすぐ口ずさめる曲が多いのがちょっと物足りない気もしたが、毎年ステージでライトを浴びて歌うのはなかなかくせになる。
生徒たちからの声援や手拍子もうれしかった。
去年中2だった娘が合唱コンの課題曲として「若い翼は」を歌ったときは、その曲のめぐり合わせに感激。
24歳の私に教えてあげたい気持ちだった。
20何年か後、あなたの娘がその曲を合唱コンクールで歌うんだよ・・・と。
息子の高校には合唱コンはない。
娘に「高校生になったら合唱部に入りなよ」と言っても「あの顔がキモい」と当時の私の同じことを言う。
合唱のサークルにでも入ろうかなとも思うけど、出来上がっているグループの中に入ることを思うとどうも気がすすまない。
心の中でずっと「こうだったらいいな」と願っていると、ふとしたときに何かに引き寄せられるようにそうなること、ってある。
そのうちまたきっと何か縁があれば合唱をする機会に恵まれることもあるだろう。
ふっと気がつけば最近休日出勤が多くなっている。
先日の土日月も仕事移動中に「みなさーん三連休楽しんでますかあー?」とラジオから流れてきて初めて「あっ。世の中は三連休なんだ」と気がつく。
私は3日ともお仕事だった。
まあ、いいんですよ。
コドモたちが部活や塾でいなくてダンナだけ休みのときはあえて「出」の日にしてるから。
先日の敬老の日。
月曜だけど祝日。せつない気分になった日だった。
お仕事一件目。
Aさんのデイサービスの送り出し。
デイサービスっていうのはまあ保育園みたいなもの。
行くのが楽しみで心待ちにしているお年寄りももちろんいるのだが、そうでもない人もいることにうすうす気がつく。
「うちにいるとお嫁さんがいやな顔をするからデイは休めない」「家にいたいけどね。こんなところにきたくない」そんな声をたまに耳にする。
ワゴン車の送迎・風呂・食事・レクがついて、一日預かってくれるので、介護に携わる家族にとってみればありがたいサービスだろう。
Aさんは脳梗塞の後遺症があって半身マヒのおばあちゃん。言葉も不明瞭。
訪問すると、いつもは仕事で不在の息子さんがいた。
母と息子の二人暮らし。息子さん、風邪をひいたとかで具合が悪そうだ。
デイの持ち物などAさんと確認して、ワゴンが迎えにくる時間なので「くつはいて玄関で待ってましょうね」と声をかける。
するとAさん、おもむろに向きを変えて、調子の悪い息子が寝ている2階へ行こうとする。
杖をついてやっとの歩行なのでもちろん階段はのぼれないのに・・・。
何かいっしょうけいめい言っている。
たどたどしく口元から出てくる言葉は、どうやら「息子が寝ていて心配でデイは行きたくない」とのこと。
ああー・・・と胸がキュッとする。
いくつになっても息子は息子。
調子悪いんだもの、心配だよね。それにいつも仕事でいない息子が祝日でいるんだもの、出かけたくないよね。きょうは敬老の日だし。
・・・そう思っていたら、何か階下で騒いでいると思ったらしく息子さん起きてくる。
けわしい顔つきで「もうバス来るんだから行ってくれよ。お願いだから。・・いつも世話ばっかりかけさせて!いると俺だって休めないんだよ!」。
・・・。
いつも穏やかでこんなふうに声を荒げる息子さんではないのだけれど、体調悪かったらやっぱりひとりで休みたいよね・・・。
おかあさんがいたら食事のお世話から何から息子さんがやることになるものね・・・。
Aさんの気持ちもわかるが、息子さんの気持ちもわかるからもっともっと胸が締め付けられる思いがした。
Aさんは後ろを振り返り振り返りしながら、ワゴン車に乗せられて出かけていった。
この日は敬老の日なので、二軒目のお宅では娘さんやお孫さんが来ていてにぎやかだったし、三軒目では息子や孫が帰ったばかりだといってテーブルの上に、お寿司やおはぎやサンドイッチなどが所狭しと置いてあったりした。
またまた胸がキュンとする。
・・・敬老の日だってすっかり忘れていたよ。
こうしてじいさんばあさんのお世話をしているのはいいけど、肝心の実家の父母はたずねる人もなく寂しくしているのでは・・・。
近くにいれば私だって心づくしの食料を持参して訪ねていくのに。
花くらい贈ればよかったか。
お仕事終わってから実家に電話する。
年老いた父母に寂しい思いをさせていたら申し訳ないなあ・・と思って。
すると母、「経費削減だから敬老は80歳からだよ。私らはまだまだだよ」と。
ハナシを聞くと、何年か前までは75歳からお祝いもあったのに、今は自治体の経費削減のために80歳にならないと敬老会にも呼ばれないとのこと。
逆に、母は近所の一人暮らしの80すぎのおばあちゃんたちにお赤飯や煮物を作ってお届けして一日あちこち茶飲みしてきたという。
ああ、それじゃあよかった。
考えてみれば私がお仕事で訪問する人たちはみんな80過ぎだもんな。
父母はそれほどまだ老け込んでいるわけではないということか。
それでもやっぱり年を重ねるごとに心配にはなる。
今はまだ「来年は花くらい贈ろう」と思うが、「来年は」という言葉が確実ではなくなる日がそのうち来ると思うとやっぱりせつなくなる。
先日の土日月も仕事移動中に「みなさーん三連休楽しんでますかあー?」とラジオから流れてきて初めて「あっ。世の中は三連休なんだ」と気がつく。
私は3日ともお仕事だった。
まあ、いいんですよ。
コドモたちが部活や塾でいなくてダンナだけ休みのときはあえて「出」の日にしてるから。
先日の敬老の日。
月曜だけど祝日。せつない気分になった日だった。
お仕事一件目。
Aさんのデイサービスの送り出し。
デイサービスっていうのはまあ保育園みたいなもの。
行くのが楽しみで心待ちにしているお年寄りももちろんいるのだが、そうでもない人もいることにうすうす気がつく。
「うちにいるとお嫁さんがいやな顔をするからデイは休めない」「家にいたいけどね。こんなところにきたくない」そんな声をたまに耳にする。
ワゴン車の送迎・風呂・食事・レクがついて、一日預かってくれるので、介護に携わる家族にとってみればありがたいサービスだろう。
Aさんは脳梗塞の後遺症があって半身マヒのおばあちゃん。言葉も不明瞭。
訪問すると、いつもは仕事で不在の息子さんがいた。
母と息子の二人暮らし。息子さん、風邪をひいたとかで具合が悪そうだ。
デイの持ち物などAさんと確認して、ワゴンが迎えにくる時間なので「くつはいて玄関で待ってましょうね」と声をかける。
するとAさん、おもむろに向きを変えて、調子の悪い息子が寝ている2階へ行こうとする。
杖をついてやっとの歩行なのでもちろん階段はのぼれないのに・・・。
何かいっしょうけいめい言っている。
たどたどしく口元から出てくる言葉は、どうやら「息子が寝ていて心配でデイは行きたくない」とのこと。
ああー・・・と胸がキュッとする。
いくつになっても息子は息子。
調子悪いんだもの、心配だよね。それにいつも仕事でいない息子が祝日でいるんだもの、出かけたくないよね。きょうは敬老の日だし。
・・・そう思っていたら、何か階下で騒いでいると思ったらしく息子さん起きてくる。
けわしい顔つきで「もうバス来るんだから行ってくれよ。お願いだから。・・いつも世話ばっかりかけさせて!いると俺だって休めないんだよ!」。
・・・。
いつも穏やかでこんなふうに声を荒げる息子さんではないのだけれど、体調悪かったらやっぱりひとりで休みたいよね・・・。
おかあさんがいたら食事のお世話から何から息子さんがやることになるものね・・・。
Aさんの気持ちもわかるが、息子さんの気持ちもわかるからもっともっと胸が締め付けられる思いがした。
Aさんは後ろを振り返り振り返りしながら、ワゴン車に乗せられて出かけていった。
この日は敬老の日なので、二軒目のお宅では娘さんやお孫さんが来ていてにぎやかだったし、三軒目では息子や孫が帰ったばかりだといってテーブルの上に、お寿司やおはぎやサンドイッチなどが所狭しと置いてあったりした。
またまた胸がキュンとする。
・・・敬老の日だってすっかり忘れていたよ。
こうしてじいさんばあさんのお世話をしているのはいいけど、肝心の実家の父母はたずねる人もなく寂しくしているのでは・・・。
近くにいれば私だって心づくしの食料を持参して訪ねていくのに。
花くらい贈ればよかったか。
お仕事終わってから実家に電話する。
年老いた父母に寂しい思いをさせていたら申し訳ないなあ・・と思って。
すると母、「経費削減だから敬老は80歳からだよ。私らはまだまだだよ」と。
ハナシを聞くと、何年か前までは75歳からお祝いもあったのに、今は自治体の経費削減のために80歳にならないと敬老会にも呼ばれないとのこと。
逆に、母は近所の一人暮らしの80すぎのおばあちゃんたちにお赤飯や煮物を作ってお届けして一日あちこち茶飲みしてきたという。
ああ、それじゃあよかった。
考えてみれば私がお仕事で訪問する人たちはみんな80過ぎだもんな。
父母はそれほどまだ老け込んでいるわけではないということか。
それでもやっぱり年を重ねるごとに心配にはなる。
今はまだ「来年は花くらい贈ろう」と思うが、「来年は」という言葉が確実ではなくなる日がそのうち来ると思うとやっぱりせつなくなる。
ポニーちゃんのレース
2008年9月12日 日常娘、いつまでたっても受験モードにならない。
新聞のテレビ欄が何より楽しみで、バラエティもドラマも欠かさず見る。
学校帰りも1キロちょっとの道のりなのにどこにひっかかってるんだか1時間もかけて帰る。
ちょっと目を離すといつでもどこでもすぐ寝てる。
「なんかさーどうもやる気になんないんだよねー」と娘。
休み明け、夏休みにどれだけがんばったかの成果を問われるテストが立て続けに二回あった。
親とすればどんだけ結果が出てるか、とちょっと楽しみでもあったんだけどね。
夏期講習、投資したもんなー。その分きっちり回収してもらわないと。
・・・それにホラ、身長160センチで体重が40キロの人はがんばってもなかなかやせないけど80キロの人はがんぱればやせられるでしょ。
それと同じく、偏差値70の人はあまりあがらないかもしれないけど、娘みたいに○○な人はがんばりによってはぐーんとあがるかも、と。
ひとつめのテストは学校の実力テスト。ふたつめのテストは県統一模試。(←コレ重要!)
自己採点しながら「あっちゃー」「ん?キタんじゃね?」「あっ。バーカ。ミスったあー」などとつぶやく娘。
フタを開けてみれば結局のところどちらも夏休み前までのテストの点数と変わらず。
あれーあれれー?こんなはずじゃなかったよなあ。
「偏差値5アップ!」なんて言ってたはずなのに。アップどころかダウンだよ。
夏休み中は毎日朝から晩まで夏期講習。
先生たちや友達とのおしゃべりや弁当タイムが楽しくていそいそと通っていた。
まあ、親とすれば弁当持たせて出してやれば丸一日(しかも夏休み中ずっと)預かってくれて、勉強もさせてくれてお昼も食べ適当に気晴らしもしてくるようなのでとても安心。
息子の受験が「塾におまかせ」ではなかったため精神的にキツかったことを思うと、はじめはバカみたいな値段だと思った夏期講習費用もしょうがないかと思える。
・・・いや実際、塾で娘は何をしていたかはアヤシイ。
ノートのはしっこにお絵かきしてたか寝てたか。
ノートをきれいに書くことに命かけてて頭に入ってない場合もアリ。
デキる子が多い塾なのでついていけていたのか。
・・・競馬場で俊足のサラブレットたちに混じってレースに出てしまってトコトコ走っているポニーちゃん・・・そんなイメージ。
受験システムは都府県によって違うだろうが、うちの県の受験は実質9月の県統一模試ですでに始まっている。
9月から12月までの月イチ模試の結果で私立校はほぼ決まってしまう。
9・10・11・12月の模試の偏差値の中でデキが良いもの2回分、または3回分の結果を私立校の個別面談に持参して、入れるかどうかお伺いをたてるのだ。
早く良い結果が出ていれば10月くらいには私立校が決まってしまい、安心して県立校受験にのぞめる。
・・・娘、先日やった9月の模試は結果がイマイチ。
ということはあと残り3回じゃんよ。
もういいかげん本気モードにスイッチオンしてもいい時期では??
夏休み中に、高校説明会もいくつか参加した。
息子とは偏差値が10違うので2年前の高校訪問の経験は役にたたず、女子高にも行ってみたりしたので、まあそれはそれであちこち行けるのでけっこう楽しい。
でも女の子の学校選びは難しく、私立は特にどこもピンとこなかったというのが実感。
選択の基準が明確じゃないと迷っちゃうんだなあー。
女の子は・・・娘は特に流されやすいので、学校全体の雰囲気がユルーいところに入ってしまうとそうなってしまうのがコワい。
女子は生活面で心配するような高校はちょっとどうか、と。
勉強もそんなにそんなにガツガツやらなくてもいいんだけれども、でもいざ進学と考えたときに、最初から私立大にしか行けないカリキュラムを一年から組まれているのも困るなあ。
けっこう多いんだよね。
よーくパンフ見たり説明会でちょっとつっこんで聞くとわかるんだけど、上のクラスじゃないと国公立は対応できません、下のクラスは1年から日東駒専クラス(3科重点指導)です、みたいなコース分け。
そのほうが効率がいいんだろうが、予備校じゃないんだからさ。
なにしろ、娘は特に行きたい高校があるわけでもなく、やりたい部活があるわけでもない。
満員電車で何度も乗り換えするようなのもイヤだし、かといってチャリで10キロも行くのもイヤ。なんて言ってるからさっぱり選べない。
だから本気モードにもなれないんだろう。
二学期からは塾も5教科受講になり、さらに県統一模試対策講座も別料金であるので、今までよりも毎月2.5万出費が多くなる。
娘の今の塾は、前に行っていた個別指導みたいにボッタクリではなく、お金をかけた分だけ丁寧に面倒みてくれてるなあと思うので、転塾して正解だった。
息子の受験のときは手漕ぎボートで荒海に出て大波に翻弄されるってイメージだったけど、娘はエンジンがついた大きな船に乗せてもらっているような安心感がある。
そういうことと結果が出るかどうかってことはまた別モノなんだけどね。
とにかく、この半年は緊縮財政だよ。
日々、モヤシや豆腐やニラやキノコ類の安くていろいろ使える食材で節約生活だ。
2年前にビンボ生活を経験しているので、そのときのことを思えばなんとかなるだろう。
あのときは、次から次へと来る出費に泣きたい思いをし、半透明ゴミ袋も買えずレジ袋ですませたり、町まで行く電車代もなくてチャリで息子の体育着を買いにいったもんだったが、人生に無駄な経験はなかった。
あのときのビンボ生活は人間の幅(?)を広くしてくれたよ・・・。
レースに出るよりのんびり草でも食べているほうが好きなポニーちゃんな娘。
人間は何かに全力で取り組んで乗り越えていくことで成長できるんだから、やるときはやれよ!と思うが、どうしたもんか。
新聞のテレビ欄が何より楽しみで、バラエティもドラマも欠かさず見る。
学校帰りも1キロちょっとの道のりなのにどこにひっかかってるんだか1時間もかけて帰る。
ちょっと目を離すといつでもどこでもすぐ寝てる。
「なんかさーどうもやる気になんないんだよねー」と娘。
休み明け、夏休みにどれだけがんばったかの成果を問われるテストが立て続けに二回あった。
親とすればどんだけ結果が出てるか、とちょっと楽しみでもあったんだけどね。
夏期講習、投資したもんなー。その分きっちり回収してもらわないと。
・・・それにホラ、身長160センチで体重が40キロの人はがんばってもなかなかやせないけど80キロの人はがんぱればやせられるでしょ。
それと同じく、偏差値70の人はあまりあがらないかもしれないけど、娘みたいに○○な人はがんばりによってはぐーんとあがるかも、と。
ひとつめのテストは学校の実力テスト。ふたつめのテストは県統一模試。(←コレ重要!)
自己採点しながら「あっちゃー」「ん?キタんじゃね?」「あっ。バーカ。ミスったあー」などとつぶやく娘。
フタを開けてみれば結局のところどちらも夏休み前までのテストの点数と変わらず。
あれーあれれー?こんなはずじゃなかったよなあ。
「偏差値5アップ!」なんて言ってたはずなのに。アップどころかダウンだよ。
夏休み中は毎日朝から晩まで夏期講習。
先生たちや友達とのおしゃべりや弁当タイムが楽しくていそいそと通っていた。
まあ、親とすれば弁当持たせて出してやれば丸一日(しかも夏休み中ずっと)預かってくれて、勉強もさせてくれてお昼も食べ適当に気晴らしもしてくるようなのでとても安心。
息子の受験が「塾におまかせ」ではなかったため精神的にキツかったことを思うと、はじめはバカみたいな値段だと思った夏期講習費用もしょうがないかと思える。
・・・いや実際、塾で娘は何をしていたかはアヤシイ。
ノートのはしっこにお絵かきしてたか寝てたか。
ノートをきれいに書くことに命かけてて頭に入ってない場合もアリ。
デキる子が多い塾なのでついていけていたのか。
・・・競馬場で俊足のサラブレットたちに混じってレースに出てしまってトコトコ走っているポニーちゃん・・・そんなイメージ。
受験システムは都府県によって違うだろうが、うちの県の受験は実質9月の県統一模試ですでに始まっている。
9月から12月までの月イチ模試の結果で私立校はほぼ決まってしまう。
9・10・11・12月の模試の偏差値の中でデキが良いもの2回分、または3回分の結果を私立校の個別面談に持参して、入れるかどうかお伺いをたてるのだ。
早く良い結果が出ていれば10月くらいには私立校が決まってしまい、安心して県立校受験にのぞめる。
・・・娘、先日やった9月の模試は結果がイマイチ。
ということはあと残り3回じゃんよ。
もういいかげん本気モードにスイッチオンしてもいい時期では??
夏休み中に、高校説明会もいくつか参加した。
息子とは偏差値が10違うので2年前の高校訪問の経験は役にたたず、女子高にも行ってみたりしたので、まあそれはそれであちこち行けるのでけっこう楽しい。
でも女の子の学校選びは難しく、私立は特にどこもピンとこなかったというのが実感。
選択の基準が明確じゃないと迷っちゃうんだなあー。
女の子は・・・娘は特に流されやすいので、学校全体の雰囲気がユルーいところに入ってしまうとそうなってしまうのがコワい。
女子は生活面で心配するような高校はちょっとどうか、と。
勉強もそんなにそんなにガツガツやらなくてもいいんだけれども、でもいざ進学と考えたときに、最初から私立大にしか行けないカリキュラムを一年から組まれているのも困るなあ。
けっこう多いんだよね。
よーくパンフ見たり説明会でちょっとつっこんで聞くとわかるんだけど、上のクラスじゃないと国公立は対応できません、下のクラスは1年から日東駒専クラス(3科重点指導)です、みたいなコース分け。
そのほうが効率がいいんだろうが、予備校じゃないんだからさ。
なにしろ、娘は特に行きたい高校があるわけでもなく、やりたい部活があるわけでもない。
満員電車で何度も乗り換えするようなのもイヤだし、かといってチャリで10キロも行くのもイヤ。なんて言ってるからさっぱり選べない。
だから本気モードにもなれないんだろう。
二学期からは塾も5教科受講になり、さらに県統一模試対策講座も別料金であるので、今までよりも毎月2.5万出費が多くなる。
娘の今の塾は、前に行っていた個別指導みたいにボッタクリではなく、お金をかけた分だけ丁寧に面倒みてくれてるなあと思うので、転塾して正解だった。
息子の受験のときは手漕ぎボートで荒海に出て大波に翻弄されるってイメージだったけど、娘はエンジンがついた大きな船に乗せてもらっているような安心感がある。
そういうことと結果が出るかどうかってことはまた別モノなんだけどね。
とにかく、この半年は緊縮財政だよ。
日々、モヤシや豆腐やニラやキノコ類の安くていろいろ使える食材で節約生活だ。
2年前にビンボ生活を経験しているので、そのときのことを思えばなんとかなるだろう。
あのときは、次から次へと来る出費に泣きたい思いをし、半透明ゴミ袋も買えずレジ袋ですませたり、町まで行く電車代もなくてチャリで息子の体育着を買いにいったもんだったが、人生に無駄な経験はなかった。
あのときのビンボ生活は人間の幅(?)を広くしてくれたよ・・・。
レースに出るよりのんびり草でも食べているほうが好きなポニーちゃんな娘。
人間は何かに全力で取り組んで乗り越えていくことで成長できるんだから、やるときはやれよ!と思うが、どうしたもんか。
あけてびっくり!じゃないの。
もうー変えるなら変えるって言ってよ。
・・・というか一週間も開いていない私が悪い?みんな知ってたみたいだね。
とりあえず書いてみる。
画像もないと寂しいので入れてみた。
コレは・・・本来自分のキャラとか入れるんでしょうかね。
もうー変えるなら変えるって言ってよ。
・・・というか一週間も開いていない私が悪い?みんな知ってたみたいだね。
とりあえず書いてみる。
画像もないと寂しいので入れてみた。
コレは・・・本来自分のキャラとか入れるんでしょうかね。
新学期が始まったとたん、またまたこの暑さ。
もうエアコンのフィルター掃除もして電源も抜いてしまったというのに・・・。(コード入れてるだけで待機電力かかります)
夏が戻ってきたみたいだ。
でも季節は確実に移っていく。空の高さとか雲の形とか、さわさわと吹く風にも秋の気配。
せみがひっくり返って動かなくなっている姿は夏の終わりの風物詩。
この季節になるとアタマの中をかけめぐるオフコースの歌。
♪駆け抜けてゆく 夏の終わりは
「夏の終わり」という名曲です。
♪夏は冬にあこがれて 冬は夏に帰りたい
あの頃のこと 今では すてきに見える
そっとそこにこのままで かすかに輝くべきもの
決してもういちど この手で触れてはいけないもの
ホントにねえー夏は「駆け抜けてゆく」だよなあ。
高校野球の開幕とともに夏が始まり、インターハイだオリンピックだといってるうちに駆け足で過ぎていった夏。
現実の生活では息子を起こすため4時起きが続き、娘の塾弁作りに追われ・・・。
あれあれと思っているうちに二学期スタート。
こんなんじゃこのまま濁流に押し流されるように、冬休みになってしまいそう。
いつになったらエンジンがかかるのか娘の受験モード・・・ふうー。
部活に追われる息子の進級を賭けた理系科目との攻防はいったいどうなることやら。
もうエアコンのフィルター掃除もして電源も抜いてしまったというのに・・・。(コード入れてるだけで待機電力かかります)
夏が戻ってきたみたいだ。
でも季節は確実に移っていく。空の高さとか雲の形とか、さわさわと吹く風にも秋の気配。
せみがひっくり返って動かなくなっている姿は夏の終わりの風物詩。
この季節になるとアタマの中をかけめぐるオフコースの歌。
♪駆け抜けてゆく 夏の終わりは
「夏の終わり」という名曲です。
♪夏は冬にあこがれて 冬は夏に帰りたい
あの頃のこと 今では すてきに見える
そっとそこにこのままで かすかに輝くべきもの
決してもういちど この手で触れてはいけないもの
ホントにねえー夏は「駆け抜けてゆく」だよなあ。
高校野球の開幕とともに夏が始まり、インターハイだオリンピックだといってるうちに駆け足で過ぎていった夏。
現実の生活では息子を起こすため4時起きが続き、娘の塾弁作りに追われ・・・。
あれあれと思っているうちに二学期スタート。
こんなんじゃこのまま濁流に押し流されるように、冬休みになってしまいそう。
いつになったらエンジンがかかるのか娘の受験モード・・・ふうー。
部活に追われる息子の進級を賭けた理系科目との攻防はいったいどうなることやら。
お盆前のお仕事終了。
酷暑の中、がんばったよワタシ。
あしたからお休みです♪
娘もやっと連日の夏期講習がお休みに。
私と娘は一足先に実家行き。
やっと日常から解放される・・・ウレシイ。
アイスコーヒーとサンドイッチを買って新幹線に乗り込もう。
車内で読む雑誌は何にしようかな。
みやげは何がいいかな。
実家近くの駅に着くと、都会からの帰省客を歓迎するようにたくさんの風鈴が出迎えてくれる。
ガラスのものだったり南部鉄器のものだったり。
今年は北国も暑いらしいけど、日差しは強くても湿度がないからじっとりとした暑さじゃない。
開け放した畳の上を風がさわさわと通り過ぎ、夕方になると涼しい風が吹き、ひぐらしの大合唱が・・・ああー想像するだけで日本の夏、ってカンジで楽しみだー。
盆暮れの帰省のおかげで日常がリセットされるんだ。
何よりダンナがいなくてノンストレス。ま、すぐあとから息子と来ちゃうんだけどね。
高校野球に加えてオリンピックも始まっちゃったよ!
4年前のアテネのことをあまり覚えてないのは時差がありすぎてあまり見られなかったからか。
今回は開会式から楽しませてもらいました。
すごかったなー開会式。ちょっと長かったけど。
圧倒的な迫力と豪華さ!
「HERO」「LOVERS」(内容はともかく映像はすごい)のチャン・イーモウ監督の演出だそうな。
何年も前から何度も何度も練習に練習を重ねたんだろうなあ。
インターハイの開会式だってけっこうな練習を積むことを考えると、その比じゃないだろう。
コドモたちといっしょに見て「スゴイ!スゴイ!」を連発。
カウントダウンから続く、叩くとLEDで発光する打楽器にはトリハダがたった。一糸乱れず・・・すごすぎる!
それと活版印刷の巨大活字群!
まさかコレ人が入ってるの?だとしたらありえない!と思ってみていたらやっぱり人力によるものだった。
ううーん。すごいっっ!
「中国5000年」って言ってたなあー。この前まで「中国4000年」って言ってたけどいつのまに5000年になったんだろ。
まあ、もりのいずみさんも書いてたけど、メディアはメダルメダル言いすぎだよ。
スポーツなんだから勝ってナンボなのかもしれないが、柔道の谷さんや水泳の北島くんがどんな思いで頂点にい続けるのか考えたら結果を当たり前のように要求することがどんなに残酷なことか・・・と思う。
それにしてもスポーツの選手は並外れた精神力も持っていなければトップに立つことなんてできないんだ、とあらためて気づかされる。
やっぱり神に選ばれた人たちなんだろう。すばらしい。
高校野球やっている、と思えばついついチャンネルを合わせてしまい、オリンピック競技だ、と思えばまたまた見ずにはいられない。
なんか血が騒ぐのよねー。
お仕事の移動中でもラジオで高校野球視聴。
ここ何日かいいところで「続きはFMで」と切られて、オリンピック中継にいっちゃったりしてそりゃないよーーと思わされる。
それにしてもアレだね。ラジオでの野球実況中継のアナウンサーには毎度毎度感心する。
野球の試合の状況を言葉だけですべて解説するんだから、職人技だなあ。
うまく言えなくて詰まったり途切れたり噛んだりってことがないんだもん。
きょうは朝から青森山田VS本庄一の試合の流れが気になりつつ、北島くんの決勝もあるというので、ラジオを聴いたりお客さんのとこでついているテレビをちらちら見たり。
金メダルの瞬間はお客さんとちょうどいっしょに見られてよかったけど、同じ時間にやっていた野球の試合の行方がわからなくなり、あとで結果を知る。
野球はライブで見たかったなあ、ザンネン。
お盆休みが終わると夏休みも終盤。
立秋を過ぎた北国では夜風に秋の気配が混じっていることだろう。
酷暑の中、がんばったよワタシ。
あしたからお休みです♪
娘もやっと連日の夏期講習がお休みに。
私と娘は一足先に実家行き。
やっと日常から解放される・・・ウレシイ。
アイスコーヒーとサンドイッチを買って新幹線に乗り込もう。
車内で読む雑誌は何にしようかな。
みやげは何がいいかな。
実家近くの駅に着くと、都会からの帰省客を歓迎するようにたくさんの風鈴が出迎えてくれる。
ガラスのものだったり南部鉄器のものだったり。
今年は北国も暑いらしいけど、日差しは強くても湿度がないからじっとりとした暑さじゃない。
開け放した畳の上を風がさわさわと通り過ぎ、夕方になると涼しい風が吹き、ひぐらしの大合唱が・・・ああー想像するだけで日本の夏、ってカンジで楽しみだー。
盆暮れの帰省のおかげで日常がリセットされるんだ。
何よりダンナがいなくてノンストレス。ま、すぐあとから息子と来ちゃうんだけどね。
高校野球に加えてオリンピックも始まっちゃったよ!
4年前のアテネのことをあまり覚えてないのは時差がありすぎてあまり見られなかったからか。
今回は開会式から楽しませてもらいました。
すごかったなー開会式。ちょっと長かったけど。
圧倒的な迫力と豪華さ!
「HERO」「LOVERS」(内容はともかく映像はすごい)のチャン・イーモウ監督の演出だそうな。
何年も前から何度も何度も練習に練習を重ねたんだろうなあ。
インターハイの開会式だってけっこうな練習を積むことを考えると、その比じゃないだろう。
コドモたちといっしょに見て「スゴイ!スゴイ!」を連発。
カウントダウンから続く、叩くとLEDで発光する打楽器にはトリハダがたった。一糸乱れず・・・すごすぎる!
それと活版印刷の巨大活字群!
まさかコレ人が入ってるの?だとしたらありえない!と思ってみていたらやっぱり人力によるものだった。
ううーん。すごいっっ!
「中国5000年」って言ってたなあー。この前まで「中国4000年」って言ってたけどいつのまに5000年になったんだろ。
まあ、もりのいずみさんも書いてたけど、メディアはメダルメダル言いすぎだよ。
スポーツなんだから勝ってナンボなのかもしれないが、柔道の谷さんや水泳の北島くんがどんな思いで頂点にい続けるのか考えたら結果を当たり前のように要求することがどんなに残酷なことか・・・と思う。
それにしてもスポーツの選手は並外れた精神力も持っていなければトップに立つことなんてできないんだ、とあらためて気づかされる。
やっぱり神に選ばれた人たちなんだろう。すばらしい。
高校野球やっている、と思えばついついチャンネルを合わせてしまい、オリンピック競技だ、と思えばまたまた見ずにはいられない。
なんか血が騒ぐのよねー。
お仕事の移動中でもラジオで高校野球視聴。
ここ何日かいいところで「続きはFMで」と切られて、オリンピック中継にいっちゃったりしてそりゃないよーーと思わされる。
それにしてもアレだね。ラジオでの野球実況中継のアナウンサーには毎度毎度感心する。
野球の試合の状況を言葉だけですべて解説するんだから、職人技だなあ。
うまく言えなくて詰まったり途切れたり噛んだりってことがないんだもん。
きょうは朝から青森山田VS本庄一の試合の流れが気になりつつ、北島くんの決勝もあるというので、ラジオを聴いたりお客さんのとこでついているテレビをちらちら見たり。
金メダルの瞬間はお客さんとちょうどいっしょに見られてよかったけど、同じ時間にやっていた野球の試合の行方がわからなくなり、あとで結果を知る。
野球はライブで見たかったなあ、ザンネン。
お盆休みが終わると夏休みも終盤。
立秋を過ぎた北国では夜風に秋の気配が混じっていることだろう。
あしたからダンナは長い長い夏休みに突入する。
2週間はまるまるお休み(泣)。
そのあとも業務は9月10日まで休みなので、それまでは行ったり行かなかったり。
ああー・・・。
考えるだけでブルーな気持ち。
考えるだけでストレスがたまる。
長期の休みがあってもカネもなくみんな仲良くもないのでいっしょにどこかに行くわけでもなく、結局ダンナは家でゴロゴロ。
何も話するわけでもないしさ。
ほんとにつまんないったらないよ。
しゃべらないから何考えてるのかもわかんないし。
しょうがないから私は仕事に出るしかないっていうか、そうなると仕事に行ってたほうが楽しいもんね。
でもさすがにこの夏の暑さは・・・。
「機械の風は体に毒」とエアコンのない家も多いし、ヘルパー稼業もキツイっす。
先日訪問した家は冬も寒いけど夏も暑くて、居間の気温が38度。
おじいちゃん、パンツいっちょで首にタオルかけてた。
冷蔵庫や食器棚で囲まれた半畳ほどの台所は積み重ねられたなべ類で窓も開かず、サウナ状態。
煮物をしたのでさらに気温は上がり、汗があとからあとから滝のように流れる。
Tシャツやパンツまでぐっしょり。
流れた汗が目に入るのでタオルでふきながらじゃないと前も見えない。
調理後、居間に行ったら38度が涼しいーーと感じたので、台所は43度くらいか・・・?
ほんとは高校野球見ながら、家でアイスでも食べていたいところ。
あしたは県勢初戦なのでライブで見たかったが、ダンナといっしょに見るくらいなら見なくていい!と仕事を入れる。
ラッキーなことに野球観戦をいつも見ているお宅に入ったのでよかった。
でもほんとにさーゆっくり見たかったなー。
今年の夏、息子は部活とインターハイお手伝い要員で、娘は夏期講習でほとんどいない。
ふたりとも朝出かけて、帰ってくるのは夜。
おかけで私も、家のことを気にせず仕事を入れられるし、お休みのときは一日のんびりできる。
母の役目は金とメシの供給のみか?
ちょっと前までの夏休みの風景とはまるで違ってしまって、全然夏休みらしさがなくてさびしいけれど・・・それもしょうがないんだな。
コドモと遊べる夏休みってのも短い間ですよ、小さい子のおかあさんたち。
息子は黒光りするほど日焼けして床屋に行く時間もないため髪も伸びてどっかのホームレスのよう。
連日インターハイに借り出されているので宿題もまるっきり手をつけられず。
娘は娘で、冷房がガンガン効いた室内で朝9時半より講習午前の部。昼休みをはさんで午後の部4時半まで。
そのあと帰ってきてから宿題しなくていいように自習室で8時まで。
「座りすぎて床ズレができそうー。極寒の地で寒いし。クーラー19度設定だよ」と娘。
息子のときの反省よりあえて大手塾に預けてみた・・けど、ちょっと私もはたして娘にとってこれでいいのか?と。
偏差値68オーバーの子達に混じって娘、ついていけてるのかなあ。しかも一日中。
100メートルを18秒でしか走れない娘に「がんばればできるから」と13秒で走ることを期待してるようなもんではないのか?
あっちに行ってもこっちに行っても悩みはつきないもんですね・・・。
休み中に高校訪問も何校か行くのでその様子も書きたいところだけど、今度はいつパソを開けるか?
それより何より、普段は顔を合わせないでいるからこそトラブルを回避できているダンナがずっと家にいる・・・。
そうなるとお互いストレスがたまるので一触即発リコンの危機に突入するかも。
ストレスの原因→私・いつもダンナがいないのが当たり前なのでいるだけでペースを乱されてイヤ。
ダンナ・いつもいないからいるときくらいチヤホヤされたいらしいが、いないのが普通なんだから居場所なんかなくなってることに気づかない。
・・・あーイヤだイヤだ。
2週間はまるまるお休み(泣)。
そのあとも業務は9月10日まで休みなので、それまでは行ったり行かなかったり。
ああー・・・。
考えるだけでブルーな気持ち。
考えるだけでストレスがたまる。
長期の休みがあってもカネもなくみんな仲良くもないのでいっしょにどこかに行くわけでもなく、結局ダンナは家でゴロゴロ。
何も話するわけでもないしさ。
ほんとにつまんないったらないよ。
しゃべらないから何考えてるのかもわかんないし。
しょうがないから私は仕事に出るしかないっていうか、そうなると仕事に行ってたほうが楽しいもんね。
でもさすがにこの夏の暑さは・・・。
「機械の風は体に毒」とエアコンのない家も多いし、ヘルパー稼業もキツイっす。
先日訪問した家は冬も寒いけど夏も暑くて、居間の気温が38度。
おじいちゃん、パンツいっちょで首にタオルかけてた。
冷蔵庫や食器棚で囲まれた半畳ほどの台所は積み重ねられたなべ類で窓も開かず、サウナ状態。
煮物をしたのでさらに気温は上がり、汗があとからあとから滝のように流れる。
Tシャツやパンツまでぐっしょり。
流れた汗が目に入るのでタオルでふきながらじゃないと前も見えない。
調理後、居間に行ったら38度が涼しいーーと感じたので、台所は43度くらいか・・・?
ほんとは高校野球見ながら、家でアイスでも食べていたいところ。
あしたは県勢初戦なのでライブで見たかったが、ダンナといっしょに見るくらいなら見なくていい!と仕事を入れる。
ラッキーなことに野球観戦をいつも見ているお宅に入ったのでよかった。
でもほんとにさーゆっくり見たかったなー。
今年の夏、息子は部活とインターハイお手伝い要員で、娘は夏期講習でほとんどいない。
ふたりとも朝出かけて、帰ってくるのは夜。
おかけで私も、家のことを気にせず仕事を入れられるし、お休みのときは一日のんびりできる。
母の役目は金とメシの供給のみか?
ちょっと前までの夏休みの風景とはまるで違ってしまって、全然夏休みらしさがなくてさびしいけれど・・・それもしょうがないんだな。
コドモと遊べる夏休みってのも短い間ですよ、小さい子のおかあさんたち。
息子は黒光りするほど日焼けして床屋に行く時間もないため髪も伸びてどっかのホームレスのよう。
連日インターハイに借り出されているので宿題もまるっきり手をつけられず。
娘は娘で、冷房がガンガン効いた室内で朝9時半より講習午前の部。昼休みをはさんで午後の部4時半まで。
そのあと帰ってきてから宿題しなくていいように自習室で8時まで。
「座りすぎて床ズレができそうー。極寒の地で寒いし。クーラー19度設定だよ」と娘。
息子のときの反省よりあえて大手塾に預けてみた・・けど、ちょっと私もはたして娘にとってこれでいいのか?と。
偏差値68オーバーの子達に混じって娘、ついていけてるのかなあ。しかも一日中。
100メートルを18秒でしか走れない娘に「がんばればできるから」と13秒で走ることを期待してるようなもんではないのか?
あっちに行ってもこっちに行っても悩みはつきないもんですね・・・。
休み中に高校訪問も何校か行くのでその様子も書きたいところだけど、今度はいつパソを開けるか?
それより何より、普段は顔を合わせないでいるからこそトラブルを回避できているダンナがずっと家にいる・・・。
そうなるとお互いストレスがたまるので一触即発リコンの危機に突入するかも。
ストレスの原因→私・いつもダンナがいないのが当たり前なのでいるだけでペースを乱されてイヤ。
ダンナ・いつもいないからいるときくらいチヤホヤされたいらしいが、いないのが普通なんだから居場所なんかなくなってることに気づかない。
・・・あーイヤだイヤだ。