私の中で山Pの株がグーンと上がった一作。
最終回ラストのサクちゃんのはにかんだような笑顔に気持ちがほっこりあったかくなってうるっときたよ。
たいとうのともだち、とまたいっしょに働けて良かったよね、サクちゃん。

原作、そして以前のユースケサンタマリア版のアルジャーノンのイメージがあったので、とにかくいろいろと心配だった山Pアルジャーノン。
演技力で言ったら仲間の窪田正孝くんのほうがサクちゃん役だろ?と思ってた。山Pどうなの?って。

でも良かった!
おりこうになりたいです!と言ってたサクちゃんも超天才の白鳥咲人もどっちも良かった。
サクちゃんはとってかわいくて見ていて微笑ましく、咲人はクールでカッコよくて美しかった。

そしてこのお話で一番重要なおりこうになりつつある咲人の描写。
知能だけ高まって人間性が追いつかない場面、エゴや葛藤、憎しみや孤独などなどの人間のエグい部分がむきだしになる場面、はじめはママに対してのようだったハルカへの気持ちがおりこうになるにつれて愛に変わっていく場面。
原作の言葉を借りれば「知性は人との絆にくさびを打ち込む」周囲の人々との葛藤の場面。
そしてアルジャーノンの死と咲人の知能の退行。

毎回毎回、ベットミドラーのテーマ曲「ローズ」や象徴的なバッハの旋律やチェンバロの響きに彩られて、どこまでも切なかった。ううー。


「ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。」
原作のこの最後の一文をどう生かすのか?と思ってたらそう来たか!

アルジャーノンのお墓には、以前咲人がアルジャーノンとともに埋めた人工的に作り出された青い薔薇が咲いていた。
はい。すぐ調べましたよ。青い薔薇の花言葉。それは「奇跡」「神の祝福」。そうなんだね。

「誰かを救うためにこの知能を使わなければ私とアルジャーノンの存在は無意味になってしまう」との咲人の言葉。
原作にはないお金持ちのお嬢さんの病気を救うエピソードを入れることによって、咲人とアルジャーノンはたとえ退行したとしても奇跡を成し遂げ神より祝福を受けたことが印象付けられる。

そしてもうひとつ原作と違って重要な役割を果たす咲人のおとうさん。
幼いサクちゃんに繰り返し「お前はあいきょうがある」と言い笑顔でいることの大切さを教える。
そしてまた後輩(サクたちの花屋の社長さん)を助けるために腎臓をあげて結果自分が死にいたってしまう。
社長さんがワケありの社員たちに「そんなふうに人を助けないではいられない人に出会うと心にタネをまかれちまうんだよ」という場面があった。
サクのおとうさんは「タネまく人」。
ついでにいうとおとうさん役のいしだ壱成は同じく野島脚本「聖者の行進」で知的障害者の役を演じて強く記憶に残っている。

♪愛は花 命の花 君はその種子(たね)

「ローズ」は英語で歌われてるけどこんな訳が書いてあった。
タネは蒔かれ命の花を咲かせる。命の花というのはすなわち愛。

最後に咲人が蜂須賀先生へいう言葉。
「知能が低い人間が乱暴で高い人間が穏やかなわけではない。愛に満たされた人は人を傷つけない。世界が穏やかになるには知能や知性ではなく愛」。
これは以前、学会での薬によって知能を高めることの効能の説明で「世界が知能が高い人々で満たされれば野蛮な行いがなくなり穏やかな世界になる」といったことへ対する言葉。

もうーこうしてお話を振り返るといくつもの伏線が丁寧にはってあるじゃないの!
ほんとうにいいドラマだったよ。もう終わりなんて残念。

以前のユースケサンタマリアと菅野美穂版のドラマ、原作が良かったので全話撮っておいたのがあったはず。
と、早速探して出てきたビデオテープ。
またあの感動を!とワクワクしながら再生しようとしたら。
ない!ビデオデッキ。・・・時代はブルーレイでそういえばずっと前に本体は処分したのだったよ。
がっくり。

備えあっても

2015年6月11日 日常

まさかとは思うけど、こういうときがチャンスと思い備蓄品を確認。
なんと!
3.11の震災後に買った乾パンや缶詰類、期限切れてた(泣)

水は夏になると水道水がまずくなるので消費され新しく買っていたのでセーフ。缶詰類はアウト。
非常時には甘いフルーツ缶や繊維の多い根菜煮物缶がいいというのでケース買いしていたのに期限切れ。サクマドロップやビスコ、キャラメルの災害用缶詰も期限切れ。
期限が今年の3月とか4月。ビミョー。
うちではこれくらい過ぎてもなんてことないんだけど、もっと早く気がつけば主婦友たちにあげたりできたのに。ああもったいない。

というかあっという間にあれから4年が過ぎたんだね。
1000年に一度の大震災だから震災直後はもうしばらく来ないような気がしていたけどそうではなく。
あの震災が刺激になって日本はまた地震や火山の活動期に入った、と考える方が正しいんだろう。
喉元すぎれば、みたいに原発が再稼働されるけど、いざというとき制御できないものや使用後の処理方法が定まっていないものは稼働するべきではないのだ、と強く思う。地震列島の真上に原発並べてどうすんだよ?危険極まりない。

とりあえずホームセンターに備蓄品を買いに行く。
4年前は目立つ場所にあった災害用品売り場は巨大ホームセンターの隅っこにおいやられていた。品揃えも不十分。
あのとき買ったビッグサイズの乾パンの缶詰はなかったので、小さいのを6個ほど購入。災害用お菓子類やフルーツの缶詰もなし。
水は家に3ケースあるので1箱買い足す。
乾電池、ウェットテイッシュ、トイレットペーパーも購入。
4年前からテーブルやベッドにそれぞれ置きっ放しのランタンや懐中電灯をつけてみたら半数が電池切れで点灯せす。水がないときの必需品のウェットテイッシュはカピカピに乾いていた。
非常用ローソク類、ホイルラップガムテープ軍手ゴミ袋はだいじょうぶ。カセットコンロも使える。

帰りにはガソリン満タンに。
震災時、ガソリンが買えなくて心細い思いしたもんね。
こんなふうに一年に一度くらい備えを確認すればいいんだ。いや、わかっちゃいるけどなかなか。
そういう意味では「大地震が来るかも?どうしよう」は自分の中では意味があった。

実際、こんな備蓄品が必要になるほどの災害なんて起きたら大変。
備えあっても憂いあり?あの大自然のものすごいエネルギーを目の当たりにしてはペットボトルの水をそろえたところで安心できるわけがない。

1人の空間で自由に過ごしてるから避難所生活なんてムリ。家族助け合ってってのもムリ。
絆の再確認とかまずなくて、あーやっぱり人はひとりで生まれてひとりで死んでいくんだ、だれにも頼らず生きるしかないんだ、って思い知ることになる気がするね。

さて大量の期限切れ食糧をどうするか。
乾パンレシピはいろいろあるみたいだから試してみよう。

最近ネットで大地震が来る!と騒がれている。
何人もの予知能力のある人たちが今週末あたり静岡近辺・首都圏が大きな揺れに襲われると言う。
地震雲も電磁波もいろんな数値も普通ではないデータを示しているらしい。
2015年夏前に、というのはずいぶん前から聞いていたし最近の地震や噴火の様子を見るとやっぱり何か地中で起きてるんだろうと思う。

今年のあじさいシーズンには主婦友たちと箱根のあじさい電車に乗って大涌谷に行くはずだった。ロープウェイも黒たまごも未経験だったので楽しみにしてたのに。
山のホテルのツツジも見に行きたかったのに。
箱根があんなことになってしまってお流れ。なんかあって電車止まって帰ってこられなくなっても困るしね。

地震予知とは言ってもネットの世界のことだから見なければ知らなくてすむ。
でも5月の末くらいからかなあ。いくつかのサイト見始めたら予知が的中してる!
茨城も小笠原も釧路も。
月曜の青森も。

先週末は私は実家に帰っていた。
帰る前に予知を見て「うわーちょうど行ってるあたりに東北でM5クラスの地震か。でもM5なら震度4くらいでたいしたことないな」と思ったのだった。
週末土日は何事もなく月曜。帰りの新幹線の中で青森の地震の速報。
震源近くは震度4。新幹線は仙台より南まで行っていたので止まりもせず何事もなく。でもこれも的中。
こうも当たるとなんだかつい予知サイトを見てしまう。

テレビや週刊誌で最近話題になってる東大の村井教授や電通大の早川教授はデータ解析による地震予知。データだけでなく世の中には感受性の強い人がいるらしく、天変地異を体感する人たちの予知サイトも数多くある。
そこで「今週末あたり」と書かれているとどうも穏やかではない。
見たからってどうこうするわけでもないんだけどね。
やだなーやだなー。地震は時と場所を選ばず来るからなあ。
何事もありませんように。

満喫ディズニーシー
ビッグバンドビートのミッキー →→→
(撮影禁のため画像)
男前すぎて泣けるううー!


6月の小雨降る日、たぶん「家族サービス」と思ってるだろう娘とディズニーシーへ。
6月の水曜木曜が狙い目と聞いてたし、主婦友たちと行くと大物アトラクションには乗れないので(みんなダメ)、前々から娘を予約してあったのだった。
つきあってくれた娘に感謝。

雨のおかげもあってホントすいてたわー。
前回クリスマスシーズンに突撃したときと比べるとガラガラ。レストランもワゴンもトイレもノンストレス。シーの作り込まれた街並みも堪能。

ハイ。乗りました!
ファストパス取りつつほぼ待ちなしで。
センターオブジアース×2、インディジョーンズアドベンチャー。
シンドバッドストーリーブック、マジックランプシアター、タートルトーク、フランダーのコースター、キングトリトンのコンサート。

いやー大物もイケたわ!
ランドで10年ぶりに乗ったビッグサンダーマウンテンが最高に楽しくて、シーの大物もぜひ乗りたいと思ってた。念願かないました。
うれしいー!まだまだジェットコースターも楽しめる自分にバンザイ!
タワーオブテラーが娘の時間の都合で挑戦できず残念。
4月から始まったキングトリトンコンサートもとっても楽しい。空飛ぶアリエルがすぐ頭の上まで来て手を振ってくれる。

そしてシーに来たらやっぱりビッグバンドビート!
シーズンには抽選ありのこの本格的レビューショーもすいてる6月は抽選なし。これぞ大人ディズニーって感じ?お子様にはわかるまーい。

ビッグバンドジャズの演奏に合わせて歌ありダンスあり。
白のタキシード姿のミッキーがセクシーダンサーと踊るのも一興だけど、なんといってもドラムをたたきながら舞台中央にせり上がってくるミッキーにきゅんきゅん。とにかくこの神ミッキーに会うためにシーに来たと言っていい。

ミッキーがリズムにのってパワフルにドラムたたくんだよ。そしてそのあと舞台に降りてダンサーさんたちとキレキレのダンスするんだよ。同じミッキーが、だよ。
カッコ良すぎるっ!
シーではもふもふのクマや絵描きのネコが人気者だけどやっぱりスーパースターはミッキー!と思わせる男前っぷり。

さて。夕方には雨もすっかり上がって娘も飲み会のため帰り、念願のひとりディズニー。
うれしいっ。やってみたかったあー。
ショップをゆっくり見てかわいいディスプレイを写メったり、カフェのテラス席でプロメテウス火山の火を見ながらコーヒー飲んだり。
ここはアルコールだよなあと思うものの残念ながら強くないの。
そのあともう一度ビッグバンドビートを見て、夜のハーバーでのショー鑑賞のためシートしいて待つ。

ファンタズミック!コレすごい。
レーザー光線、花火、光、ウォータースクリーンの映像などなどすばらしい幻想的な世界が目の前に出現。
ランドのパレードと違ってキャラクターは遠いけど一大エンターテイメントだなあーと。満喫!

夢の国は以前と変わりなくすぐそこにあったんだ。それなのにどうしてここ10年ほど行かなかったんだろう。
開園したときから何度も行っていたのに。
その気さえになればこうしてひとりだって楽しめる場所なのに。ま、忙しかったからね。お金もなかったしね。
今こうしてまた30年前に初めて行ったときと変わらない気持ちで行けることに感謝。
だいたい2万歩、15キロは歩いたけど普段からの運動のおかげで疲れもなし。10年前より歩けてるんじゃないかな。楽しめる元気な身体にも感謝。
ずーっと待っててくれてありがとう夢の国。また行くからね!

あこがれラベンダー
庭のラベンダーも咲き、北の大地へ飛びたくて飛びたくてしょうがないきょうこの頃。

2年続けてよさこいソーランの6月に行き、去年は念願の富良野のラベンダーの時期に行けた!
今年も行きたいよぅー北海道。
根室はなまる寿司食べたいよー。ガラクのスープカレー食べたいよー。ルタオのパフェドフロマージュ、かまえいパンロール、よつばパフェ、雪印アイスクリーム、大通り公園の焼きとうきび食べたいよぅー。

まあ諸般の事情を鑑みるに今すぐ飛ぶわけにはいかず。でも毎年この時期は札幌行きの計画を立ててワクワクするってのが年中行事になってしまった感がある。

それにしてもラベンダー。濃紺の紫とスパイシーでエキゾチックな香り。Lから始まりerで終わる完璧な音の響き。
ミモザと同じく夢見る少女だったころからの憧れの花なんだよね。

小学生のころNHKで「タイムトラベラー」(「時をかける少女」のもとになる話)という少年少女向けのドラマがあった。
ドラマのなかで未来から来たケン・ソゴルが謎とともに残すのがラベンダーの香り。
トイレの芳香剤でさえラベンダーの香りはなかった時代。だいたい芳香剤すらなかったよ。うちはボットン便所だったもん。
当時の田舎の小学生としてはラベンダーの花も香りも想像もできず、何かとんでもなく素敵なもののように思えた。その頃の私の文化の中で初夏の花といえば、ツツジやキキョウやドクダミ。
ラベンダーなんてものはそれこそ黒船襲来に匹敵するほどのカルチャーショックなのだった。

庭先にラベンダー。
憧れるけど毎度植えてみるがうまくいかない。
宿根草のはずなのになかなか根がつかない。だいたいは花が咲いて終わりで枯れてしまう。
蒸し暑い関東の気候にあわないのかなーとは思うが、それもまた簡単には自分のものにはできない感じでそそられる。

今年は「北海道富良野のラベンダー」と書いてあった苗を購入した。あのファーム富田の花の粒ひとつひとつが大きいラベンダーみたいになるか?と期待して。
まあちょっと小粒ではあるけど今まで育てたラベンダーの中では一番それっぽく咲いている。
無事夏を越して、毎年初夏の富良野の風を運んでほしいものである。

「シンデレラ」を見る。
良かった!
ディズニーランドのパレード見たときみたいなワクワク感うっとり感そして非日常感と満たされ感。
シンデレラがとってもかわいくキュートで笑顔見てるだけで幸せな気持ちに。
でもやっぱりちょっと前までのお姫様映画と違って意思の強さもあってイマ風なんだよね。

リンクのもりのいずみさんが書いてたように映像がとてもキレイで森やお城が絵本の世界のよう。
舞踏会の場面も素敵すぎる!
12時の鐘に間に合うようにお城から脱出する場面はハラハラドキドキ、動物さんたちの変化に笑わされる。

ちょっと前に「イントゥザウッズ」(昔話の主人公たちのその後?みたいな)を見て微妙だったので同じディズニー映画の「シンデレラ」もどうかなーと思ってた。
今さら「お姫様は白馬に乗った王子様がいつか現れて幸せにしてくれると待ち続けました」とか「王子様とお姫様はめでたく結ばれて幸せに暮らしましたとさ」とか、ないなと思うし。
だって実際のところ大変なのは「その後」だもんね。

半世紀以上生きて人生の経験値も上がり結婚にも家族にも幻想を求めなくなると、ドラマも映画もどこかでそんな覚めた視点がある。
えー?おめーらこれでこのあとどーすんだよ?みたいな。

でもこの「シンデレラ」はそれをピョンと飛び越える良さがあった。
やっぱりシンデレラの笑顔がキュートだからかな?
そして継母姉たちに理不尽なしうちを受けてもやられっぱなしじゃなく自力で立ち向かおうという強さも感じたからかな。
満たされた気持ちになれる素敵な映画でした。

帝国劇場「レ・ミゼラブル」観た!良かった!!
もーう頭の中を「民衆の歌」が駆け巡るぅー。
♩戦う者の歌が聞こえるか 鼓動があのドラムと響き合えば
新たに熱い命が始まる 明日が来たとき そうさ明日が

いいっ!
上原アンジョルラス最高!
今回も彼のバリトンの伸びやかな歌声、革命のリーダーたるスッとした立ち姿にやられたー。
陽光きらめく5月のいい季節にまたまたレミゼが観られて最高にうれしい!

2年前にも自分への誕生日プレゼントで観た。
そのとき妹が行きたがっていたので、今回の東京公演チケットを2月のうちにとっておいたのだった。
チケットとる前「どう?ばあさんズだいじょうぶかな?」「うーんまあそうは言ってもチケット押さえないことには観られないからね」と心配はしたけど、まさか本当に2人も続けて見送ることになるとは。
50日までは(実家は神社なので葬儀も神道。仏教の49日にあたる)行動を慎むという声もあるけれどもそこはまあ、ね。

妹、新幹線に乗ってすぐラインよこす。「乗った!ものすごい解放感!!」。
そうだよなあ。
母を6年、義母さんを3年妹はずっと見てきたんだもの。
施設や病院から何かあったら妹のケータイに電話がいき、早朝だろうが深夜だろうが駆けつけて付き添いやさまざまな手続きを全部やってたんだもの。

東京駅で待ち合わせ。
妹、開口一番「ああー。都会の人たちはみーんな洗練されてキラキラしてる。こんなに明るくてきらびやかな場所に来て、暗くて寒い長い冬眠生活から目覚めたみたい」と。
私は安否確認に通っただけだけど、妹はホントに良くやった。
おつかれさまでおかげさまだった。

観劇後、表参道へ。
前に「今度東京に行ったらブルーボトルコーヒー青山に行きたい」と妹が言っていたので、これも入念に下調べしておいたもの。

だって青山だよ?表参道だよ?
30年以上前の学生の頃以来足を踏み入れておりません。
当時はハマトラブームで聖子ちゃんカットだった私は流行りのボートハウスとかシップスのトレーナーを調達に表参道行ったもんだった。大きな安全ピンのついた巻き巻きスカートにポンポンのついた紺のハイソックスはいて。
せっかくのボートハウストレーナーを裏返して着るのが流行り、って今思うとフシギ。

で。何十年ぶりの表参道、最先端のブルーボトルコーヒー!
なのでアクセスやメニューやオーダー方法などとりあえずググって。
調べたおかげですんなり行けて行列も特になく、コーヒーとサイドメニューをオーダー。
なんかアレきっと何も知らないで行ったらコーヒー頼むのさえオタオタしたわ。普通にコーヒーとか書いてないもの。

それでもなんというか、やっぱり最近は「オバサンだもの。わかんないなら聞けばいいや」と開き直れるのが強み?
数年前なら「え!ブルーボトルコーヒー青山?そんなところには足を踏み入れちゃいけないでしょ」とか思ったと思う。自意識過剰だったね。

まあブルーボトルコーヒーのお店の方々は皆さんにこやかで、オーダーしてから一杯ずつ丁寧に手作業でドリップされるコーヒーは大変美味しく。
表参道の緑を見ながらオシャレな若者たちや金髪碧眼の外国の方々とのカフェタイムはとてもステキなひとときでした。
何よりも妹が喜んでくれてホントに良かった!





連休はまたまたの葬儀と実家の片付けと畑仕事・草刈りで終了。
結局ずっと実家滞在。お天気が良くてなにより。

「ばあさんのものはおれ片付けるのいやだから適当にどうにかしていいから。片付けてていろいろ思い出すのもなんだし、何か書いたものでも出てきたら悲しくなるから」と父。
それもそうだよね。
なんだかストレートに母の服とか持ち物の片付けには行けなくて、とりあえずまず洗面所と脱衣所の片付け。

開けてみると洗面所の引き出しや棚にはあふれかえるほどのタオルが!
銀行とか農協とかからもらったのとか旅館のとか。最近では銀行でもタオルなんてくれないし黄ばんでたり布が劣化してるからいつのものなのか。
それと引き出物などもらった箱入りのタオルやバスタオルも大量に。
ポケットティッシュや石けんも山ほどあるし、旅館からもらった歯ブラシセットやくしもこんなにどうする?と思うほどあった。

使えるタオルなんかは父がお世話になってるヘルパーステーションに引き取ってもらうとして、さまざまな処分するしかないものがゴミ袋6個分もあった。
それほどモノがないと思った洗面所脱衣所だけでコレ!
しかも1日がかり。

母が使っていた化粧品類は使いかけのまま置いてあった。下着やハンカチなどの小物類も洗面所にあった。
料理本や編み物の本も洗面所に重ねてあった。私が以前買ってあげたヨン様の写真集もなぜかそこにあった。
母の字で書かれた料理メモも見つかった。

母の時間は6年前で止まっていて、そして私と母の時間も6年前で止まっていた。
私からすればほんとに突然、母はうつ病の向こう側に行ってしまい、そのまま認知症がすすんで意思の疎通ができなくなった。
だからあのとき以来ぷっつりと母とは会話できなくなっていた。

でも不思議なことに元気だった頃の母の写真を見たりその頃使っていたものに触れたりすることで、まだどこかで元気な母が生きているような。
半ばあっちの世界に行ってしまった母との6年間がぽっかり抜けて、6年前と今とが継続しているような。

私は18で実家を出たから母とずっといっしょにいたわけではない。
遠く離れた同じ空の下で母は元気に生きて生活している。ずっとそんな感じだったからなんだか今もそんな感じ。

今回の片付けは志半ばで終了。
父の足元があやしいので畑の草刈りをした。人生初の草刈機での草刈りはコツがつかめるとなかなか達成感のある楽しい作業で、経験値が上がりました。
免許の更新に行く。
ゴールドドライバーなもんで5年ぶりですの。

ところが私は2年前に2度も続けて一時停止違反をしている。
続けてもう一回すると免停ですよ!とイケメン白バイ隊員にご注意を受けたのだった。
違反なしなら近場の警察署でいいのだが、届いた免許更新お知らせハガキには「違反講習者」とあり、なんと県の運転免許センターまで出向くことに。
電車とバスを乗り継がないと行けないんだよ。しかも講習120分。

運転免許センターのある地名は鴻巣(こうのす)。
県南部の政令指定都市のここらからわざわざ鴻巣くんだりまで行くってことは何かワケありだってことで。違反したか失効したか。
で、私が「鴻巣行くんだー」などと言おうものなら、たいていみなさん「あら鴻巣?おつかれさま(笑)」みたいな反応。なんかやったんだなー、って。

さて。
免許センター講習室のせまーい机とイスにぎゅうぎゅうに詰められた我々違反者。
男女比は7:3くらい?わりとラフな服装多し。
身分証明にもなる免許写真も撮るわけなのに、え?こんな格好で?と思う人々もけっこういる。
黄色いベストを着たハンチング帽のお父さん、講習中も着帽のままだったけど写真のときは帽子とったのかなあ?
社交ダンスの衣装風のピラピラを身にまとった飲み屋のママ風のオバハン、そんな露出で?
などと人を観察しつつ、みんななんか違反したんだなー何やったんだろうなー、と。自分もだけどね。

初めに教官?から学生並みの脅しを受ける。
「講習を受けていない者には免許の交付はできません。講習を受けていない者とはまずこの場に来ていない者。そして、この場に来ていても居眠りをしていたりスマートフォンをいじっていたり音楽を聴いていたり小説を読んでいたりする者のことです」。
うわー。
心に響くビデオでも上映されるならともかく起きてる自信ないー。と思ったら・・やっぱり途中の記憶が飛ぶ。教官の説明が一本調子すぎて。すみません。

無事免許更新。
せっかくゴールドドライバーだったのに今度は青のラインになってしまった。
でもひところより写真の出来も良くなっていて、今回の免許写真は目に光が入っている。最近はカメラアプリなみに多少美肌修正もありなのかな。
20年ほど前の免許写真なんぞは誰も彼も指名手配犯だったことを思うと、プリクラ文化の時代の流れですな。

次回は3年後。3年なんてすぐだよ。
もう鴻巣に行かなくて近所で更新できるようより一層の安全運転を心がけます。
10日ほど実家滞在してやっと家に戻る。
ほっとするー。ひとりの空間。ひとりの時間。

実家では葬儀中も葬儀後も、早朝から深夜まで人が入れ代わり立ち代わり出入り。
田舎の昔ながらの葬式で送りたいという父の希望もあって、ご近所さんたちの全面協力のもと盛大に執り行われたので、私としてはひたすら疲れた。故人を悼むどころの話ではない。

元教師らしくおしゃべりで教えたがりで仕切りたがりの父との生活は普段から3泊4日が限度。
今回は葬儀後のさまざまなことがまだ終了していかなったので、帰るわけにもいかなかったけどやっぱりムリだわ。
うちのダンナはしゃべらなくてつまんない人だけど、こうなるとずーっとしゃべってる父よりまだマシか、と思えるほど。

北国ではまだまだ満開の桜だったのに、こちらに戻ったら満開のハナミズキがお出迎えしてくれた。
ツツジもクレマチスも咲き始めスズランもつぼみをつけて初夏の準備。

実家に行ったらしばらく戻れないかも?と思いながらあれこれキャリーバッグにつめこんだ花冷えの日がついきのうのことのよう。
散らかったままの部屋はそのままで、季節だけがすすんでるって不思議な感覚。

スーパーに買い物に行く。
母の日ギフトのコーナーができていて赤やピンクのカーネーションではなやか。
子供たちが一生懸命描いたありがとうおかあさんの絵も飾られていてほほえましい。

去年の連休に帰るとき、今年は母の日プレゼントどうしようかなーと迷ったことを思い出す。
施設に入って2年目の春を迎えた母へプレゼントするものは何も思い浮かばなかった。母がほしいだろうと思う物も必要だと思う物も何もなかった。
去年の今頃の母はひっそりと息をして最小限のものだけ体に取り入れて生きていた。

前の年に買った母の日のプリザーブドフラワーが母の部屋にはあるので、もうひとつ買ってもなあ・・と手にとっては置いたり売り場から1度離れてはまた戻ってきたりしばらくそこを立ち去れないでいた。
でもふと来年はないかもしれない、今年が最後の母の日になるかもしれないと思い購入。

母の部屋の飾り棚に同じような母の日のプリザーブドフラワーがふたつ並んで置かれたのはバランスがいいものではなかったけれど、今思うと買っていってよかった。
もし買わないでいたら。
どうしてあのときあんなに迷って迷って買わなかったのか、と今とても胸が痛んだと思う。

さて。
きょうはお天気も良く洗濯日和。
ふわふわフリースのふとんカバーでは夜暑くなったので全部洗濯して取り替えよう。庭の伸びた草やネギ坊主ができたネギも刈り取らなくちゃ。


いくつかの偶然が重なるとそれは必然だと言うけれど、きっと母の最期を父と私と妹が看取れるよう母が導いてくれたのだと思う。

あのとき。
妹に「6時半のバスで帰れば?」と言われなかったら、私は予定通り午後4時のバスで帰っていた。
そうなると5時過ぎに来た看護師さんに会って「きょうはあぶないから泊まったら?」と言われることもなく。
妹に電話して「あやしいみたいだから来て」と言うこともなく。
泊まり当番の父も早々といびきをかいて寝てしまって母の異変に気付かず。
母はひとりで旅立っていったかもしれない。

早いもので母が逝ってから一週間が経とうとしている。
あの晩咲き始めたばかりだった桜は葬儀の日には満開になった。
桜だけでなく梅も水仙もモクレンもレンギョウも雪柳も満開。チューリップや芝桜、タンポポが彩りを添える。遅い北国の春を喜ぶようにウグイスやヒバリがさえずる。山々が色とりどりで本当にいい季節になった。

遺影の母は穏やかに微笑んでいて、私たちが知っていた母らしい母の顔をしている。
ああ。ばあちゃん。やっと戻ってきたんだね。

元気だったころの母は、穏やかできちんとしていて愚痴ひとつ言わず静かにみんなを見守っているような人だった。
6年前の正月明け体調を崩してからはぷっつりと話も成り立たなくなり、以前の母とは別人の母がそこにいた。
父のことは最後のほうまでわかっていたようだったが、あんなに可愛がっていた孫たちのことは早々と忘れてしまい、私のことも2年くらい前からはわからなくなる。
どうしてあんなに立派だった母が晩年こんなふうになってしまったのか、と娘とすればくやしい思いと情けない思いとでいっぱいだった。

母の最期は本当に安らかで静かで立派だった。
葬儀の日も春らしく暖かく、雨の予報にもかかわらず天気も1日もった。
寒い冬の季節に見送るのでは大変すぎる。夏あたりから年末までは父は神社の家業で忙しい。
企業戦士のうちのダンナと息子、妹のダンナもなぜか4月のその3日間ほどはぽっかりと休んでもなんとかなる日程だった。
こちらのご近所さんたちも農家の作業が忙しくなる少し前の時期。
気配り満点だった母らしく、みんなが集まるのに最高の日を選んでくれたとしか思えない。

ねえ、ばあちゃん。
桜が満開だよ。私の小学校入学記念で植えたうちの桜も満開になったよ。
5月の連休で来るときはいつももう終わってるから、こっちの満開の桜を見るのは久しぶりだよ。
私たちにこれを見せてくれるために今までがんばってくれたんだね。それと、人がどうやって亡くなるのか私たちにちゃんと見せてくれたのかなあ。

ばあちゃん、あのね。
いろいろ話したいことがいっぱいあったんだよ。
孫たちも大きくなってあんたもがんばったねってほめてもらいたかったよ。
息子は大学も卒業して就職して2年目だよ。
うちではダメだけど外ではなんとかやってるみたいだよ。朝は5時前に起きて仕事に行って帰りは私が寝てからだよ。ばあちゃんに似てがんばりやさんだよ。
娘も4年生。
成人式のときの着物姿はほわんとしてかわいかったよ。
元気だったらばあちゃんが1番喜んでくれたのにねえ。写真もいっぱいとったからばあちゃんといっしょに見たかったなあ。ばあちゃんに似てしっかり者だよ。
私と妹は静かで穏やかなばあちゃんには似なかったけど、まあまあなんとかやってるよ。
おじいちゃんは寂しがり屋だから見守っていてね。
ほんとにありがとね。
大変だったよね。やっと戻ってきたんだね。
ゆっくり休んでね。
北国に桜がひとつふたつ咲いた小雨の降る夜。
父と私と妹に見送られて母は逝った。

延命はしないことにしていたので点滴などもせず、いつも生活していた施設の母の部屋で静かに安らかに母は最期のときを迎えた。

その日の昼前から血圧が計れなくなる。血中の酸素濃度も低下。
今ふりかえると数値は母の死が近いことを知らせていたのに、まさかその晩に逝くことになるなんて私たちは考えが及ばなかった。というより考えないようにしていたのだと思う。

前の晩は私が泊まったのでその晩は父が泊まることになっていた。
連日の通いで疲れていた妹はその日家に戻って休んでいた。
午後、妹とライン。
妹「ばあちゃんどう?」私「変わりないよ」妹「じゃあ行かなくていいかな?」
私「だいじょうぶ。予定通り4時のバスで帰るよ」妹「えー6時半の最終のバスでいいんじゃん?」
それもそうだなと思い、また母のベッドの横のソファに座る。

施設の看護師さん介護士さんが入れ代わり立ち代わり来ては声をかけてくれたり、体の向きを変えたり口の中を湿らせてくれたり。
ずっと眠ったままで呼びかけにも反応はなかったけれど、手足もぽかぽか温かく呼吸も確か。母の様子を見ながらも私は横でスマホのゲームなんかしていた。

夕方5時ごろのこと。
母の足の指先が紫色になっている!
看護師さんは血圧、酸素濃度を計りに来るとまつ毛の反射も見て帰りがけにいつも足の裏を見る。足のむくみを見てるのかな、それとも足の裏に刺激を与えて反応あるかないか見るのかなとずっと思っていた。
それは違った。こういうことだったんだ。

「あー・・指が紫色。あぶなくなってきたんでしょうか」と私が言うと「んーこれがね足の裏全体に広がってくるんですよね。きょうはお家に帰らないでお泊りになったほうがいいですね」と看護師さん。
え?まさかね、と思いながらも電話で妹も来るように言う。

夜7時過ぎ。
足の裏の紫色は全体に広がっていた。私は足の裏のことは父にも妹にも言えないでいた。
疲れていた父は用意してもらったベッドで早々といびきをかいていた。
妹が頂き物だといちごを持って母の部屋に到着。
「なーんだ。お姉ちゃんがあぶないかもって言うから急いで来たけど、ばあちゃんだいじょうぶそうだね。いちご食べよう」妹がそう言っていちごのパックを開ける。
この2日間コンビニ弁当ばかりだったのでいちごのみずみずしさがとてもおいしくて生き返るよう。

母の部屋にもいちごの香りが広がる。
私たちは寝ている母の鼻先にいちごを持っていって匂いを嗅がせようとしたり2人で奪いあって笑いながら食べたりしていた。
「お姉ちゃんは昔からくいしんぼで人の分までとって食べたよね。おばあちゃん」と妹が言い母を見ると・・・何かそれまでと様子が違う。
いよいよの時は胸と横隔膜の呼吸ではなく下顎呼吸になる。その通りに母は下あごで弱々しく息をしていた。
ベッドでいびきをかいている父を起こし、看護師さん介護士さんを呼び、私たちは母の手をとった。
まだまだ温かく柔らかく死にゆく人の手ではない。それでもマヒがあって握ったままだった左手は力なく開き息も途切れ途切れになる。

こういうときは変に呼び戻さないほうが安らかに逝けると妹が言うので、それが本当かどうかわからなかったが私たちはただ母の手を握ったりさすったりしていた。
「ばあちゃん、がんばったよ。がんばった」「桜が咲いたよ。お花見だよ」「桜が咲くまでがんばったんだね。もうだいじょうぶだからね」・・・。
何度目かの息が止まったかと思うと母はひといき深く吐いて、そしてそのまま逝ってしまった。
昭和のガイドさんと歌う東京桜めぐり
寒の戻りで4月の雪!
ちょっと前まで桜満開初夏の気候で半袖着たのがウソのよう。

さて。
今年のお花見企画は「昭和のバスガイドさんと廻るはとバス東京桜半日コース」。
ちょうど桜満開の日に行ってきました!

丸の内はとバス乗り場で私たちを迎えてくれたのは、昔なつかしいレトロな紺の制服に身を包んだおばちゃんバスガイドさん。
宮崎美子を10歳くらい老けさせたような。現役のカワイイガイドさんと2人ペアでのおもてなし。

都内桜名所をまわりながらその場所にちなんだ昭和歌謡をみんなで熱唱しながらの3時間コース。
東京ラプソディーとか青い山脈とか東京だよおっかさんとか東京のバスガール、などなど全15曲。
ターゲットは団塊世代の方々かと思うが母娘とか親子孫3世代とか客層はさまざま。
さすがにこのツアーに参加するだけあってみなさん歌う気満々。後ろのお席の白髪老夫婦はお二人ともすばらしい美声だった。

前方のテレビに映るカラオケでバスガイドさんの美声に合わせて歌います。
この映像がまた、あえての昔映像なので超笑える。
「恋のバカンス」とともに流れるのは「ダブル浅野??」といった風の腰骨丸出しのハイレグ・トサカ前髪の人たちがヨット上で無意味に腰をくねらすダンス。
「ラブユー東京」では肩パット入りボディコントサカ美女とバブリーなダブルのスーツのオールバック男性のツーショット。
自分が小学校低学年のころのヒット曲など「なつかしーい!」と思うものもあり。
藤山一郎とか年代が生まれる前のものでもけっこう歌えて自分でもびっくりだった。
途中、靖国神社と千鳥ヶ淵ではバスを降りての散策時間もあり満開の都内の桜を満喫。

ガイドさんのお話だと、はとバスOGがこのツアーのため声がかかりこの時期だけ招集されるらしい。
猛特訓を受けて最乗車するのだそう。
レトロな白襟の紺の制服は60年前のものだそう。

話の中で「昭和54年入社」という言葉が出てくる。
え?54年?18か20で入社したとして・・繰り下がりがあって計算できない!けどずーっとおばちゃんガイドと思ってたがまさかの同世代??
と頭の中で考えていたらやっぱり気になったらしく、主婦友「娘さんが就職したばかりってお話でしたけどもしかして同じくらいのお年なのかなあ?何年生まれなんですか?」と。
ガイドさん笑い皺がくっきりと刻まれた目元を細めて「うふふふ35年」。
ええー!ホントまさかの同世代でびっくり。
マイク片手にガイド席に立ち、団塊世代をあしらいつつのどっしりとした安定感。お声はさすがに美しい。
「私たちもあそこに立ったらあんなかなあ?」「60代のおばちゃんかと思ったら」「我々も懐かしのOG世代か」と軽く衝撃を受けた私たちであった。

犬笑ふ

2015年3月31日 日常
犬笑ふ
桜満開!
犬が笑う季節になった。

犬は舌で温度調整するので暑いとハアハアする。
ポメ子の原種は犬ぞりを引いていた北方の犬で毛皮がモフモフしているので、ちょっとあったかい時期になると笑うようになる。
まあそんなんで常時わんこが笑うようになるとあー今年もそんな時期になったのね、と。
家の中に笑顔の生き物がいるっていうのもなかなかいいもんで、つられてこちらも笑顔になります。うちのシェアハウスの住人はムスムスしてるからよけいね。

故郷やどちらを見ても山笑ふ
これは子規の句。
春になると山の木々が芽吹いてほゎーっと霞みがかったようになる。そんな様子を山が笑う、としている。
なんか山も春になってうれしそう。

「山笑ふ」は春の季語。
「犬笑ふ」も春の季語として採用してほしいものです。

朝ドラ「マッサン」最終回。
泣けたー!
最後までぶれることのない美しい夫婦の愛情物語だったね。
死んでから読んで、とエリーがマッサンに渡した手紙。
その中の「私が死んだら誰か他の人がマッサンの洗濯をすることになる。マッサンは洗濯物を裏返しにしたままじゃなく表に返してから出してね」みたいなところで涙腺決壊。
そんなに生活感いっぱいの細かいところまでマッサンを思いやるなんてエリーちゃんてば・・ううう。

あの時代のウイスキー作りと国際結婚の大変さは想像以上だろうな。
実直すぎるマッサンにイライラさせられたり一生懸命なエリーちゃんにほっこりさせられたり。
そして毎朝朗々と歌い上げられるみゆき様の「麦の歌」。余市の美しい風景。

半年とか1年見続けたドラマってマラソンの伴走みたいで、最終回に慣れ親しんだ音楽とともに思い出のシーンが流れるとそれだけで泣ける。
ああそうだったよね。こういうシーンあったね。ああいうシーンあったね。って。
良かった良かった。
毎回ドラマ本編終わってから「私たち国際結婚です」と一般の方々の写真が出るんだけど、最終回では余市町の亀山マッサンとエリーちゃんだった。
これも良かった。

「あまちゃん」のあと「ごちそうさん」も「花子とアン」も今ひとつだったが「マッサン」は完全燃焼!
私の中では玉鉄は永遠にマッサンとして記憶されるだろう。

ミモザハウス
ミモザのある家にあこがれた。

子供たちが幼稚園のころ。
通園途中に大きなミモザの木がある家があった。春先になると小さな黄色い花をびっしりとつける。
風が吹くとさわさわと揺れるさまはそれは見事で、庭先にあるカフェテーブルともあいまってどこか異国の風情を漂わせていた。心の中でその家をミモザハウスと呼んでいた。
当時見かけたその家の篠ひろ子風の住人は今はどうしているだろう。

ミモザハウスに憧れて植えたうちのミモザちゃんも3年目。
ちょぼちょぼと花をつけている。春らしい卵色の花はかわいくて目にも鮮やかで良いのだが、背丈ばかりが大きくなって樹形も整わず。
デリケートな貴公子のような木かと思ってたのに、バサバサ剪定してもぐんぐんと好き勝手に枝を伸ばし放題の野生児。思い描いていたミモザとはどうも違うのだった。

子供たちが幼稚園当時思っていた50過ぎた私もまた。今頃は洒落たガーデンエプロンなどつけて庭仕事をしたり庭先でティータイムをしたり。そして足元にはよくしつけられたおりこうな犬。のはず。
んんー?
どこでどう間違ったんだか。
犬はほえて近所迷惑だし私も日々の暮らしに追われて庭までは手が回らず。
気候が良くなって春を喜ぶのは雑草も同じ。ハコベやホトケノザが元気に伸びる。

春場所も千秋楽を迎え選抜も始まった。桜ももうすぐ。
やっぱり春は待ち遠しくうれしい。
大安の佳き日に結婚式に行く。10年ぶり?
ダンナのきょうだいの息子なので私は新郎の叔母としての出席。
二人で行くならご祝儀もはずまなくちゃだし服も買わなくちゃ。出費がかさむしめんどうだからダンナ一人のご招待だったらよかったのに・・と初めは気がすすまなかった。
が。行ってよかったー!
もーうホント感激!!

新郎である甥っこよりも、まだ若くてあどけなさの残る花嫁さんがかわいくてかわいくて。うちの娘や息子とそう変わらない年齢。
まだ若い娘を嫁がせる親の気持ちはいかばかりか。
スポットライトがあたり入場する場面ですでに感激の涙。
ラストの花束贈呈なんて涙で見えません・・・。
気分はすっかり花嫁の母であった。

幼いころからいつくしみいっしょにいた娘が結婚する。
娘の幸せを願う気持ちとそばにいなくなる寂しさと。
それでも、また別の新しい関係を築いていく未来への一歩だと自分に言い聞かせ、涙を笑顔に変えて娘の旅立ちを祝福する。

うわーなんか何年先のことかわからないけど、花嫁の母、手に取るように気持ちがわかる!
泣けるー。

なんてことを帰ってから娘に話す。
先日先輩の結婚式に人生はじめて参加した娘、にやっと笑って「うーんと泣ける手紙を書こうかな!みんなが号泣するようなやつ!」。
うわ!だめだめ。
年をとると涙もろくなって、結婚式での娘からの手紙なんて想像しただけで泣けてくるじゃないの。

ひさびさの結婚式、しみじみ良かった。
ひな壇も仲人もなくムダに長い新郎新婦のお色直しの中座もなく。ながーい祝辞もなく酔っ払いもなく。
お料理もシャレてておいしくてみんなが笑顔で。新しい若い夫婦はいかにも初々しく幸せにあふれてて。
おめでたいことはやっぱりいいもんだなあと思った早春の佳き日でした。


雛祭り

2015年2月27日 日常
雛祭り
やっとお雛様に桃の花を飾ることができました。
この前の大安のときにお雛様出したはいいけど、あちこちお花屋さんやスーパーを見ても桃の花がない!
やっときょう買えました。

雛のある部屋の一角はぱっとそこだけ華やかでやっぱりいい。
ずーっと前から雛のつるし飾りもいっぱい飾りたいと思っていて。
ちりめんキットがあるらしいのでそれで作ろうと思いつつはや数年。
日々に忙殺されて無理、と断念。
去年買いました。今年ももうひとつ。
そうしているうちにいつか作れるときが来るかもしれない。
つるし飾りは女の子の幸せを願うお花や桃や手毬などで、見ているだけで幸せな気持ちになってくる。

クリスマスもそうだけど雛祭りももはや子供のためではなく自分の楽しみのため!
肝心の娘はバイト飲み会スノボカラオケディズニーで家にいやしない。
でもまあ娘がいたからお雛様も愛でられるのでそれはそれでいいか。
わんこお誕生月
2月ポメ子6歳。

人の子なら「♪さくらさいたらいちねんせい」だなあ。
息子や娘が小学生になるまで、っていったらはてしのない道のりだった気がする。
でも犬の子はあっという間。
というか、自分の人生速度が増してるんだよね。
10歳の子は人生速度時速10キロ。80歳の人は人生速度時速80キロ。
私は時速50キロオーバー。
子育ての時は30キロ代だったからそれよりスピードアップ。

ほんとにこの6年ははやかった。
母の闘病生活が始まった年=娘が高校入学した年=ポメ子がうちに来た年。
犬の子は3歳になるころにはすっかりなじんで「うちの子」になり、7歳になると老犬になってしまう。昔なら8歳くらいが寿命だった。
そう思うと「もうポメ子も6歳になってしまったの?」と。

今はまだまだ子犬のポメ子と変わらない。
元気でノリがよくてやんちゃでカワイイ。
でも来年のポメ子は違うのかも。

犬用ケーキ用意してみました。
でもコレ食べてみたけど甘くてホントに犬用?って感じ。
ケーキを食べて数日後、お誕生月だからってことで血液検査したら「血糖値500」と出た。人と同じく100越えたらヤバい。
再検査では落ち着いた数値だったからよかったけどね。

犬のかわいさはいつでもどんなときでも残された時間ととなりあわせ。だからこそよりいとしい。
シルバー川柳に「来世でもずっといっしょと犬に言い」とかいうのがあったけど、ホントそんな感じ。


冬ドラマ・追加

2015年2月1日 日常
「流星ワゴン」忘れてたよ!
重松清の原作も自分の中ではナンバーワンだし、冬ドラマの中でも一番なのに忘れるとは。

原作読んだのは10年くらい前になるのかなあ。
もう死んでもいいと思っている主人公が、すでに死んでる親子のオデッセイに乗って過去の人生のつまづきポイントにさかのぼる旅をする、といったお話。
過去は変えられないけど見つめ直すことでもうちょっとがんばってみるのも悪くないかな、と思えた希望の見える終わり方だった。
40歳くらいの「もう若くない、でも落ち着くには若すぎる。まだまだやり直せるんじゃないか」といった感じがものすごく身につまされた。
まあそれから10年過ぎた今となっては悟りの境地に達してるので、40歳のころよりはずっとラクになりましたが。

そんな40男の情けなさとかあせりとか今回の西島秀俊はいいしょぼくれ加減で出せてる。若き日のおとうさん役の香川照之もやっばりものすごくいい!
このコンビ、「MOZU」ではタバコの煙にまみれたハードボイルドだったが、今回のもいいね。
日曜の夜のドラマらしくあまり重くならないよう、原作より軽めのテイストでこの先も楽しみです。

それと「限界集落株式会社」
これも思ったよりおもしろかった。
私の実家らへんも限界集落のようなものなので他人事ではなく。
「問題のあるレストラン」第3回で泣かせてくれた松岡まゆちゃんがこちらにも出てる。
この子は「あまちゃん」と「霧島部活やめるってよ」でまるで別人のような演技を見せてくれたけど、これまた違う顔で楽しみな若手です。


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