3月11日より自分の中では時がとまったような気分だった。

津波の被災地は復興のきざしが見えつつあるけれども、福島原発がどうなるかわからず。
原発近くに住む人々や農業や漁業を営む人々、前線で命をかけて働いている人々を思うと胸がつぶれるような気持ちで・・・。
仕事と犬の散歩と買い物には行くけれどもそれ以外には出かける気にもなれず自粛ムード。

こんなに新聞を熟読しニュースを見続けた日々もなかったなあ。
民放も各社見てみたもののやっぱりしっくりくるのはテレ朝のニュース関連。
日テレではご自身も阪神淡路を経験したというミヤネ屋さんに元気づけられ、あまり好きではなかった古舘さんのなかなか心温まる言葉にほっこりした。
なんだかんだ言って「がんばろう、日本!」のムードには勇気づけられる。

が、あらためて認めざるをえないNHKの底力。
なんていうの?安定感?
地味で華やかさはないから見ていておもしろみはないんだけれど知りたい情報が無駄なくもれなく伝えられる。
やっぱりニュースはNHKだよ!と思う。NHK見てれば間違いないだろう、みたいな。
今回の地震、民放や新聞では「東日本大震災」と言い、NHKでは「東北関東大震災」と言う。
はじめはNHKだけ違うなあと思っていたが、よく考えれば東北は「東日本」というより「北日本」。
被害が大きかったのが東北関東の東海岸だということを考えれば、どっちもいいようなよくないような。

3月中はニュースと現実の落差にうまく気持ちがついていかなかった。
特に震災後一週間したころ。
父や妹との電話で被災地の物資の不足や寒さや不便さを聞き、テレビで津波の被害や避難所の様子を見て心を痛める。
が、こちらではスーパーも物不足も3日もすれば解消し一週間もすれば以前と変わらず棚に物があふれるほどで、一部水や納豆などを除けば手に入る状態に。
なんだかとても申し訳ない思いでいっぱいだった。
交通が整わないので行くこともできず、自分にできることは義援金くらいしかない。
何かしたいけれど何もできないことがますます苦しかった。
結局のところ自分に今できることをやることしかないんだよね。

4月に入り少しずつ明るいニュースも多くなる。
特に被災地の市や町の入庁式、入社式で未来ある若者たちが前向きにがんばっていこうとする姿に胸を打たれた。
避難所となっている体育館で、いっしょに避難しているおじいちゃんおばあちゃんに送られる卒業式も心にせまった。

ある避難所で、みんなでこれから食べるおにぎりを握っている場面があった。
幼稚園くらいの小さな女の子もほっぺが真っ赤な中学生くらいの女の子も、陽気に笑うおばちゃんもほっかむりをするおばあちゃんも、みんなでにぎにぎしている。
そのしわしわの手やちっちゃな手から繰り出されたおにぎりはサイズがばらばら。
大きいのも小さいのもある。
でも、ラップに包まれてテーブルの上に並べられたおにぎりは、不恰好ながらもみんながみんなまんまるおにぎり。
あっ・・・と思い胸がつまった。

どの地方からどの地方までがそうなのかわからないが、私が育った北国では家で作るおにぎりはまんまるだった・・・。
首都圏に来てから「おにぎりは三角」と学習し、コドモたちが恥ずかしい思いをしないようにときっちりと角がついたおにぎりを練習して作れるようにはなったが。
そしてそれが当たり前のようになっていたが。
私はまんまるのおにぎりを食べて大きくなったのだ・・・と思い胸が熱くなった。


きょうはひさびさにお出かけ。ショッピングモール。
世の中は季節がめぐり春になっていたことにびっくり。
畑には菜の花が咲き乱れ桜並木が三分咲き。
今年は春の訪れが遅い。
東北新幹線が全線再開することを待ちわびている春。

3.11

2011年3月16日 日常 コメント (3)
被災地の方々に心よりお見舞いを申し上げます。
と同時に福島原発の状況が一刻も早く落ち着きますよう祈ります。
命を削って復興に関わっている皆様にも感謝申し上げます。


東日本大震災。
・・・やっと電話がつながり実家と連絡がついた。

父に逆に励まされた。
「考えたってしょうがないことは考えない。ずいぶん心配して後ろ向きになってるけどだいじょうぶか?こっちはだいじょうぶ。前のチリ地震の津波のがれきからだって復興したんだから。大丈夫!」と。

地震当日は会社の事務所。
ここらも揺れた揺れた。
いつまでも止まずだんだんと強くなる揺れ。立っていてもふらつく。
外に出ると駐車場に並んでいる車が跳ねるように揺れている。
木も電線もたわむ。

震源「宮城県沖」の文字に頭が真っ白に。
つい2日前にも大きな地震があったばかりの実家の父母はだいじょうぶか??

もちろん実家にも家にも電話もケータイもつながらない。
ダンナは職場、娘は学校なのでみんなといっしょでだいじょうぶだろう。
家には息子がいたはずだがちゃんとわんこを守ってくれたか?
胸が高鳴り手がふるえた。

仕事を終えて家に戻ると本棚から落ちた本が散乱していた。
心配していた食器棚もテレビも地震防止対策のおかげでだいじょうぶだった。
2階にいた息子は「さすがにやばい!」と思い下に来たら、揺れるテレビのすぐ横のゲージの中のわんこがひきつった顔をして鳴き声も出せずふるえていた、と。
だきかかえて外に出たということ。
普段は都内に出かけている息子がたまたま当日家にいたのは幸運だった・・・。

留守電のメッセージランプが点滅していた。
実家近くの妹からだった。
「もうーーずいぶん揺れて死ぬかと思ったけどこっちはだいじょうぶ。おじいちゃんもおばあちゃんもみんなだいじょうぶだったからね」と。
・・・ほっとして力が抜けた。

が。
そのあと3日ほど連絡とれず。
内陸なので地震の直接被害はなかったが、高齢者二人きりの生活がどうなっているのか?
ほとんど寝たきりの母。高齢の父。
食料はあるだろうが、水も電気もなし。ガスはプロパンだけど、まだ雪もちらつき寒さもきびしいはず。

そして目を覆うようなテレビニュースの映像。
幼い頃から海水浴や魚市場への買い物で何度も行った気仙沼。
高田松原が美しい陸前高田。
大船渡。釜石。宮古。南三陸。松島・・・・。
ふるさとの美しい海や浜がこんなことになるなんて。
「壊滅状態」「遺体200から300が浜に」という文字とともに恐ろしい津波の映像に胸がつぶれる思いだ。
ニュースを見ても新聞を見ても涙が流れてしょうがない。
マイクを向けられた被災者の方々がぽつぽつと話す方言を聞いても泣ける。
東北新幹線も東北道も早期回復困難で、すぐに現地に行ける手段もない。  

被災地には親戚も知りあいもいる。
父からの電話で親戚が津波に巻き込まれて亡くなったことを知る。
会ったことはなかったが私のいとこにあたるまだ30代半ばの働き盛りの警察官だ。
知り合いのうち2人はメールの返事がない。
きっと岩手にいた時代に関わった何人かは今回の地震の犠牲になっているのだと思う。
私は実家が内陸で連絡もとれたが、海側が実家でなんの連絡も取れず不安でいたたまれない人もいるだろう。
いろいろなことを思うと胸が苦しい・・・。

通信手段、電気、水が復旧し、父や妹が一番困っているのはガソリンの不足だと。
車が足代わりの地方なので、車が使えなくなるとどこにも行けなくなる。
妹ももうガソリンがないので実家の様子を見にも行けない、と。
実家に来てもらっているヘルパーさんもガソリンがないのでこられなくなるそうだ。

まだ余震は続いている。
福島原発も一体どうなるのか。
ゆうべは静岡で震度6で「まさか東海大地震に!?」と心配になる。
菅さん枝野さんも寝ていないんだろうな・・・。
原発に直接関わる人たち、被災地救出の自衛隊の人たちも命と引き換えに作業しているのだろう。
本当に大変なことになってしまった・・・。

実家の近くの幹線道路は内陸から気仙沼へと通じる道だ。
父が電話で言う。
「おまえは何の被害もないのに心配だけしたって役にたたないんだから心配しなくていい。『東京消防庁』とかいろんな地方の車が何台も何台も列をなして通るよ。みんな助け合ってるよ。テレビでも避難所で津波から逃げた人が『助けてもらった命。前向きに生きていくしかない』って言ってるよ。だいじょうぶだから!」。
・・・なんの被害もないのに心配して後ろ向きになっている自分が恥ずかしくなる言葉だった。



楽しいのかよ?

2011年3月5日 日常
毎日がサクサクと過ぎていきます。

家事をしつつわんこのお世話をしつつお仕事に行くと、もうそれだけで毎日が過ぎる。
これといってイベントも華やぐ出来事もない。
なーんかさ、活動意欲が低下してるっていうの?
まだ寒いってのもあるし、日々をこなすともうそれ以上のエネルギーがないっていうのもあるし。
やっぱり年か?

今年はしばらく会ってなかった人たちとの旧交を深めよう。とか、老後にまでつながるような活動を始めよう。なんて、年頭に誓ったはずだったが。
あれあれと思ううちにもう3月。
旧交を深めるためには連絡して会う段取りをつけたりしなくちゃなんなくて、そんなことからしておっくう。
たまーに主婦友とランチするとか、ふらっとひとりでショッピングや映画に出かけるとか、家で本やDVDを見るとかそんなことで人生が完結してしまっている。
ううーん・・・。

淡々とした日々の繰り返しってことじゃ、わんこの生活と同じだろう。
わんこの生活を見て「犬っていいなー。めんどうなことしなくていいもん」と娘が言い、息子は「こんなんで楽しいのかよ」と言う。
確かになーお散歩のとき以外はわんこは外に出ることもない。
お散歩で外に出たって、臆病ものなので犬とか人とかの姿が道の向こうに見えただけでビクビクしてるので関わらないし。
落ち着きがないのでどこかにお出かけもしたことない。

世間様の犬はドッグランに行って犬友と思いっきり遊んだり、ご主人様とお泊り旅行やドッグカフェに行ったり楽しい経験をしているのかもしれない。
でも、まあうちのは家で静かな中のんびりしているだけで、よそさまの犬がどんな生活をしているか知るはずもないので、こんなもんと思えばこんなもん。

と同じく私の生活もこんなもんでどうなのか。
春休みに入り、合宿に続きまたまたお泊り旅行に行ったり行ったりの息子。
TDLに行ったりカラオケ行ったりあちこち遊んでいる娘。
息子はバイトで娘は小遣いを貯めたりしての遊びなので文句はないが。
華やかなヤツらの生活に比べればなんて地味な母の生活・・・。

そして、きっと世の中には旅行に行ったりホームパーティやバーベキューをしたりランチ・ディナー・飲み会の嵐のアラフィフ女子がいるはずだ。(→発想自体貧困ですいません)
息子娘にこれからまだまだお金がかかるので、ここ数年の私に金銭的ゆとりもできるはずもなく。
犬がいるためと親の介護など考えると時間的ゆとりもこれからもできるはずもなく。
他人の生活を知らなければ今の生活もこんなもんだとギモンにも思わないけど、ふと立ち止まって考えると楽しいのかよ?と。

いや。こんなことは考えちゃいけないのかもね。
実際のところ、最近はホームセンターめぐりをするのが好き。
デパートやショッピングモールと違って華やかで洗練された売り場ではない。
でも、春に向けての植木や花・庭周りのものが春先の明るい日差しの中で所狭しと並べられてあったり、ペットコーナーではかわいい子犬や子猫がガラスケースの中よちよちと動いていたり。そこらでは売られていないめずらしい犬おやつがあったり。
こんなものまで?と思うようなキッチンツールやお掃除グッズが売られていたり。
しかもすべて価格が安い。
近々、近所に巨大ホームセンターができる予定なので楽しみ。
そういう身の丈にあった楽しみを探していくっていうの?それが大切なんだろうなと思うよ。
でもこんなんじゃホントあっと思ったらもうバアサンになってるんだろうな。






春休みの息子。
合宿に行った。

大学ってのはアレだね。お高い授業料なのにお休みばっかりだね。
8月9月は夏休み。2月3月は春休み。
夏休みもサークル合宿とかイベント参加とかバイトバイトとかでほとんど家にいなかったが、春休みもとっとと免許合宿に行ってしまった。
ダンナも息子も元気で留守!が一番なのでそれはいいんだけど。

「休みになったらすぐ行くから。免許合宿。もう申し込んだから」。
正月明けに突然そう言われた。
「あ。そうなんだ」・・・というしかない。
運転するしないはともかく免許くらい早いところとらないとなと思ってたし、免許用費用は自分の貯金からとってあった。
友達と何人かで申し込んで少し割引もあるというのでまあよかった。

年からして当たり前のことなんだけど、一言の前振りも相談もなしにいろんなことを決めるようになったんだな。
「免許、合宿でとるってハナシ出てんだけど」とか、前もって一言くらい言ってくれればいいのにさ。
・・・でもそれは息子の行動パターンからいってないな。
自分の都合で物事を決める。
費用の問題もクリアしていたので、そこになんの問題もない。
ただね、もっとコミュニケーションとってもいいんじゃない?と思うのだった。

世の中で、母とよくコミュニケーションをとる息子の話はよく聞く。
息子の同級生たちの話をその母たちから聞くにつけ、つくづく私はソンしてるなあと思う。
主婦友A「きのうさあ、息子に運転させて買い物行ったの。帰りに、車出してくれたお礼にっていっしょにピザ食べてきた」とか。
主婦友B「コンビニで『新しいスイーツが出たから買ってきてあげたよ』ってロールケーキ買ってきてくれたんだけど、結局は私がお金はらうのよねえ」とか。
主婦友C「息子からメールで『いつもゴハンありがとうございます。感謝してます。きょうは食べないのですいません』ってきたんだ。今までこんな感謝の言葉なんてなかったのに成長したんだね」とか。

・・・まずありえない。
そういう息子でうらやましいなーーーと思う。

うちは昔からそんなにおしゃべりな子ではなかった。
オタクとかマザコンとかいうのを毛嫌いしていて、中学2年のころから家の外ではいっさい他人のふり。たまたまそこらで会ってもスルー。
思春期だしイヤなんだろうなと私も気をつかって、学校・部活の大会なども息子に来たことがばれないようにコソコソかくれて参加。
高校受験のときの学校訪問だって卒業式・入学式だって、肩をならべて談笑しながら歩く母と息子のペアを見ながら、私はひとりで行った。
まあ、娘に言わせればそういう母と息子こそ「キモっっっ!」なんだそうだが。

何年か前に、大学生の息子を持つ主婦友に言われた。
「だいじょうぶよ。○○くんだって大学生になって一人暮らしの子とかを見たりしてるうちに親への感謝の気持ちを持つようになるよ。そういうのはハタチすぎたらマザコンじゃなくて親孝行っていうんだって気がつくよ」。

その言葉を信じて、息子が少しオトナになり人の気持ちがわかるようになるのを待ってはいたが。
ちょっぴり期待していた。
大学生の息子がいる生活ってのはどんなんだろうな。
いつまでも反抗期でもなく時間のゆとりもあるだろうから、人間と人間の関わりができるようになるのかな。
都会の流行りモノのこととかイマドキの大学生の話とか、社会情勢のこととかいろんな対等なハナシができるようになるのかな。
・・・なーんて。
(息子にこの母の期待の話をしたら「テレビの見すぎじゃね?」「みんな親とそんな話してねえよ」と笑われる)

まず、家にいるときは寝てるかケータイ握ってるか。
いや、だいたい生活時間が違うので会話そのものが成り立たなかったりする。
朝は私が出かける時間にはまだ寝ている。
夜は私が寝てから終電近くで帰ってくる。
メールしても返事なし。
必要最低限の予定を聞くのがせいいっぱい。
ほんとにたまーに自分からハナシをするときは調子よくしゃべるんだけど。
このままじゃ「結婚することにしたから。決めたから」「あっ。そうなんだ」ってことになりかねない。

合宿に行く朝、「安否の確認くらいしたいからメールしたら返事よこしてよ。普通だったら『こっちは雪だよ。寒いよ』とか写メもいっしょに送ったりするんじゃん?」と言ってみる。
「ないない。『雪』とかそういう当たり前のことならメールする必要ない。『雪国なのに気温25度』とか想定外のことならメールする」だと。
ってことでいったいどうなってんだか、どうせ返事もないだろうとメールもしてないけど。








冬ごもり

2011年2月2日 日常
あっという間に恵方巻きのシーズンになってしまいました。

春の選抜高校野球のチームも発表になりプロ野球もキャンプインし、夕方5時でも暗くならない。春もそこまで!
それにしても雪国の方々からすれば申しわけないくらいの真っ青な晴天が毎日続きます。
洗濯物はよく乾くけど、静電気で髪の毛はぼわぼわ、指先は帯電してパチッとなる。
クリームをぬってもぬっても手が毛羽立ったようにカサカサになるのは年のせい?

ひさしぶりに読書にハマった。
村上春樹の「1Q84」3巻一気読み!
おもしろかったーーー。
なめてたよ、村上春樹。今までいいと思ったことは一度もないもん。今回もカッコつけてる人たちのあっさりしたハナシかと思ったよ。
言葉や表現のうまさはさすがだし構成がいい。次は?次は?と気になる展開もテンポがいい。
謎は残ったままだけどアレで完結だよね。

ついでに「ノルウェイの森」も読んでみた。
高校生の頃、装丁にひかれて読み始めたもののザセツしたお話。あのときはつまんなかったけど今なら何かわかるかと思って。
やっぱりつまんなかった。で?ってカンジ。
映画化されてるけどどこをどう映像化したんだか。金払って見るもんでもないと思うけど、どう料理されているのかあとでDVDでみようと思う。

冬ドラマ。
刑事モノ事件モノばっかりで見る気になれず。
サスペンス調なのと東方神起の音楽にひかれて、仲間由紀恵の「美しい隣人」を見始めたけど・・・。
4回目なのに展開がグダグダ。いつまでも意味ありげな微笑だけでは視聴者は引っ張れないよ?
主人公主婦の浮世離れした風貌や服装もなんだか?だし子役もかわいくないし、何より渡邊篤郎の老けっぷりが痛々しい・・・。

秋から見てる「渡る世間は鬼ばかり」と「蒼穹の昴」、それと大河「江」だね。
やっと地デジになったからなのか今回の大河は色がキレイで華やか!
9歳設定の上野樹里はのだめ以外の何者でもないけど、まあ大河って子供時代はそういうもんだから。
なんといってもトヨエツの信長様がすばらしいわあー。
眉間のシワもりりしくて、いつキレるかテレビのこちら側までがドキドキするような緊迫感。
ここは日本史で一番好きなところなのでこれからが楽しみです。

映画はたまたま見た「ソーシャルネットワーク」がおもしろかった!
世界最大のSNS「フェイスブック」の立ち上げからの実話?
見ごたえありました。ハーバード大の学生さんたちの生活も興味深かったし、サイトを広げていくときに発生する問題から訴訟に発展する過程も引き込まれた。
自分としてはあまり見るタイプのハナシではないだけに興味深くて2時間があっという間だった。

冬で出不精になってるってのもあり、先月働いてなくて金がないってのもあり、冬ごもり生活をしています。



「将来の夢は?」と聞かれたら(聞かれることもないけど)。
ちょっと前までは「直木賞作家」と答えていたが、最近は「独居老人」。
「どっきょろうじん」ってのは一人暮らしのお年寄りのことね。

お仕事でよく使う言葉。
「新規来月から入ります」「独居?」「日中独居(にっちゅうどっきょ)」・・・みたいに。
意味・「来月から新しい利用者さん増えますよ」「ひとりぐらし?」
「ご家族と同居してるけど昼間は仕事に行ってるからひとり」。

だってさーもういろんなことで忙しいんだもん。
時間が不規則な息子が一番私の生活を乱している!
といっても何か世話をやいているわけじゃないけど、なーんか変な時間に起きてきたりシャワーしたり出かけたりで落ち着かない。
娘がいるとあれこれ話しかけてきたりバタバタうるさいし。
ダンナがいるとただ無言でテレビの前に座っているからこれまたジャマ。
わんこはお散歩やお手入れで手がかかるけど、癒し担当だし生活リズムが規則的なのでそれにあわせればなんてことない。

もう。一人暮らししたいです。わんこと。
子育てはもう終わってるんだから、だれにも自分の時間をジャマされずにいろんなことしたい。

それにしても・・・仕事で行く利用者さんや自分の父母を見て考える。
「年をとってコドモの世話にならない」。
今の時代みんなそう思うけど、これは実際問題キビしい。
世話になりたくなくなって、年をとるとどうしても自分ではいろんなことがどうしようもなくなる。
体力・気力・判断力が衰えると、どうしたって人の手を借りなければいけなくなる。
「行政や身内の世話にならない!」といくら拒否していても、今の世の中何か不都合が起きるとやっぱり身内に連絡が行く。
「子供の迷惑になるから」と遠慮していても、やっぱり不都合があれば子供身内が見てみぬふりをするわけにもいかないし。
「施設に入るからいい」と言っても、判断力が少しでも衰えたら自分で煩雑な事務処理はできないし。

どっちにしても多かれ少なかれ息子や娘に迷惑かけることになってしまうんだろうと思う。
だったらそれを最小にするように今からできることはやっとかなくちゃ、と50を前にして考えるのだった。

ダンナは楽しさのカケラもない人だけど、ほぼこちらの言うことが通るのでまあよしとする。リコンなんて面倒なことはもう考えない。
コドモたちはさっさと独立してもらいたい。
ちょっと前までは「コドモたちがいなくなってダンナと二人」はありえない設定だったから「出て行かないでよー」なんて思っていた。
でも「ダンナと二人」より「いい年をした息子や娘がパラサイト」は私的にはもっともっとありえない設定。
自分のことが自分でできる年になってもおかあさんにやってもらう、とかマジありえない。
同居してればそこらへんの線引きがあいまいになってこっちの精神的負担が増えるだけだから、「就職と同時に独立。就職と同時に独立」と今から念仏のように唱えておく。

ダンナが脳梗塞とかになって半身不随・・・とかもありえない、絶対介護なんてムリ!キモっ!と思っていたが、そこはもう「コドモに迷惑」にならないよう事務的にでもなんでもやるしかない。
施設に、とかヘルパーさんに、とか思っても、お金の問題もあるけどそれより今の介護制度では、リコンしない限り配偶者の世話は避けては通れないことになっている。(自分が年をとっても)

国の年金は、私などは一ヶ月3万くらいしかもらえないっぽいので、個人年金も用意したい。
理想は55歳のときに1000万一括払いで終身に加入。そうすれば65歳から月々5万ずつだが入ってくる。
・・・不可能!一体1000万の年金資金がどこに?

そして。
母が元気だったとき、実家に帰ると母は帰りがけに私に万札を数枚握らせてくれた。
そのたび私と母は同じ会話をした。
ビンボーだったのでありがたい!と思うが、いい年をしていつまでも情けないという気持ちもあり「いいよ。おばあちゃんの年金でしょ。好きなように使えばいいんだから。いらないよ」と一応言う。
すると母は、「年金をあげて喜ばれるのも楽しみのひとつなんだから。あげられるときはあげるんだから。その分あとで返してもらうから」と言った。
父の退職のときも、退職金の中から「無事退職できたお礼だし、あとで助かるだろうから」と私の通帳に定期預金をしてくれた。
母が言う「あとで返す」の意味や父の言う「あとで助かる」の意味なんかそのときは考えようともしていなかったが・・・。

その「あとで」が「今」なんだと思う。
ずっとずっとじゅうぶんなほど父や母に援助してもらっていた。
その思いがあるから、やっぱり娘としてできることはやろうと思う。
母亡き後父がこちらに来る気があるなら、父からの定期預金で増築でもして部屋も用意する心づもりもある。
援助があったから返す、なかったらしない、という単純なものでもないんだけど。

だから、やっぱり自分が親にしてもらったように、私もコドモたちにはしておかないとなあ、と思ったりもする。
お金を渡すってのは即物的なようでいかがか?金じゃない!とは思うが、気持ちをカタチにするひとつの方法だろう。
世話になるつもりなんかなくても、多かれ少なかれ厄介をかけるんなら、お互い気持ちよくできたほうがいいもんな。
父母世代のように私達世代はゆとりがない、ってモンダイもあるが。


今年はこれで書くのは終了です。
いや、来年もいつ書けるか。
でもお休みが続いて少しは書けてほんとによかった。
やっぱり書くのは楽しいわ。気持ちが吐き出せてすっきりするし。
では、みなさんよいお年を。

もう会えない

2010年12月24日 日常
ひさしぶりにお仕事に行った。
なんだかんだで1ヶ月近くお休みしたことになる。

シフト表を見て・・・いつも訪問しているTさんの名前がない。
新人のころから通っている一人暮らしのおばあちゃん。
ひさびさ行くのでどうしてるか気になってたのに。
室内飼いのわんこもいて、「ヘルパーさんの中ではあなたに一番なついている」と言われて私もいつもかわいがっていたのに。

「あれー。いつもだったら朝夕とシフト入ってるはずなのに、だれが行くのかな?しばらく休んでたから別の人が行くようになっちゃったかな?」と、シフト表のほかのスタッフのところを探してもTさんの名前がない。
年末だしショートステイ(施設のお泊りサービス)でも行ってるのか・・・と思いながら、連絡帳を見ると、
「T様。ご逝去されました」の文字。

・・・えっ!
「どうしたの?Tさん亡くなったんですか?」と社員さんに聞くと、
「そうなのよ・・・。夕方のヘルパーのごはんも食べて、いつもと変わりなかったのに。息子さんがたまたま夜行ったらソファに座ったまま意識がなくて。救急車は呼んだみたいなんだけど、救急隊員の方にそのときはもう心停止してるって言われたみたいで」と。

ああー・・・。
11月にお休みに入る前の最後のお仕事はTさん宅だった。
「じゃあまた来ますね」と帰ったのが最後になってしまった・・・。

私たちは告別式などに行けるわけではない。
表面上は、ただ何かの都合で「その家には二度と行かなくなる」という事実があるだけだ。

利用者さんが生きているときのままで時は止まり、記憶にとどまる。
こんなふうにして何人もの方々ときちんとお別れもしないで会えなくなっているが、その人たちはみんな私の中では「生きている。ただ、家に行かないから会えないだけ」。
家の前を通るときも、「こんにちは」とたずねればまだそこに以前のように出迎えてくれるような気がする。
きちんとお別れしていないからだ。

「亡くなったのよ」と聞かされて「ああ。亡くなったんだ」と悲しい気持ちにはなるけれど、その「死」は実感として響かない。
頭で「亡くなった。もう二度と会えない。もうあの家に行くこともない。悲しい」と理解はするけれど、心の中からわきあがる悲しみとは違うのだと思う。

きっと・・・
住んでいる人がいなくなった部屋のシンとした空気を感じたとき。
持ち主がいなくなりもう使われなくなったお茶碗やコップを見たとき。
もう二度とそでが通されることがないセーターや上着を見たとき。
そこで初めて感情がグググッと動くのだろうと思う・・・。

だれがが亡くなったときはきちんとお別れしたい。
なんだかこんなふうに何人もの人たちとお別れもできずそのままになるのは、ものすごく中ぶらりんの気持ちのままだ。
Tさんの穏やかなやさしい笑顔はすぐ思い出される。
もうこの世にいないことは信じられない。

お仕事で「老い」を目の当たりにし「死」もよくあることになってしまい、いいんだか悪いんだか。





先月末からあった家の周りの足場がやっとはずれた。
冬眠からさめたみたいにおうちの中が明るくなった!

へやの中のほうまで冬の白っぽい光が差し込んで、あらあらこんなに明るかったの?と。
足場がなくなったので庭もやけに広く感じる。
外壁も新色に塗り替えられてキレイになった。

いやー長かったあー。
1階だろうと2階だろうと、窓の外をヘルメット姿の人々が平気で通り過ぎる日々。
玄関を開けると必ずそこに人がいる日々。
畑の一軒家に慣れてしまって、住宅密集地にはとてもとても住めないわ・・・。

まとまったお休みはこれでおしまい。
きっと生活に追われてまた書けなくなるんだろうな。
時間がない、ってこともあるんだけど、父と妹に母のお世話をまかせきりにしている負い目もあって書けない、ってのもある。
80近いのに自分がやるほかはない、と崖っぷちにたった気持ちで家業と介護に明け暮れる父。
近くに住んでいるから仕事のかたわら実家に連日通い、ストレスがたまって眠れなくなって薬のお世話になるほどの妹。

私ときたら、月に1度の訪問がせいぜい。
少しでも時間があったら実家に寄る妹と違って、本を読んだり映画やドラマを見たり犬の散歩をしたりたまにはお出かけしたり・・・なんかものすごく申し訳なくて妹と父に悪いことをしているような気になって、その上パソコンで遊んでなんかいられないんじゃないか、と思ったりして・・・。

お金なんかかかったって、もっと行けばいい。親なんだから。
そうは思うけれど、往復2万ちょい。えきねっとでなるべく15パーオフとかで買うようにはしてるけれど。
てぶらで行ったり来たりするわけにもいかず、近所の方々・ヘルパーさんへのおみやげ、こちらの方々へのおみやげ、行って食材を買ったりするとやっぱり一度行くとけっこうな出費。
以前は帰る間際に母が万札を数枚握らせてくれ、うるおって帰ってきたものだったが今はそれもない。

先月から今月にかけては二週に一度行っている。
コドモたちの学費を考えるとキツイよね。私立大学生が二人になったらカンペキにアウト。お金じゃないんだけどやっぱり・・・もどかしくて悔しい。
そう思うと、やっぱり親の近くにいないとダメだったなあ・・・と。

コドモに手がかからなくなったら実家に戻ろう。とか、週末は実家に行ってお世話しよう。とか、親があやしくなったら呼び寄せよう。とか。
みんな元気なうちはぼんやりとそう思っていたけど、どれもこれも実際問題まるっきり現実的ではない。

ふうー・・・。

スーパーに行ったら冬至のかぼちゃやゆずが並んでいた。
ぱあっと黄色くて華やかな冬至コーナー。
そしてもっともっと鮮やかなクリスマスのコーナー。
「ジングルベル」や「サンタが町にやってくる」や「赤鼻のトナカイ」やエンドレスで流れてくるはずんだクリスマスソング。

スーパーで季節を知る。
いつからこんなんなっちまったんだよ、私。
こんなんじゃあっという間に店先に恵方巻きや節分豆、ハマグリや雛あられ、桜餅や柏餅が並んじゃうよ・・・。

気分ではなかったが、そこはホレ恒例の伝統行事だから、と今月に入ってクリスマスツリーも飾ったしシクラメンの鉢も買い求めた。
外のパンジーや植木にもちっちゃいサンタさんを飾ったりした。
息子の予定はさっぱりわからないし、去年までみたいにみんなでケーキを囲むこともないだろうが、とりあえず生協の宅配で恒例のチキンもケーキもシチューのパイ包みもシャンメリーも買っておいた。
サンタさんが来なくなってからも、おかあさんの気持ちとして毎年ちょっとしたプレゼントを枕元にしのばせておく。
おととしはパスボム(入浴剤)とボトルガム、去年はメガシャキ2本とサンタのチョコレート、今年もいい香りのするハンドクリームとチョコとのどあめのセット。
かわいい袋につめて用意してある。
息子と娘に。ついでにおとうさんにも。

・・・・と、自分をなんとかクリスマスに向けて盛り上げようとするんだけど、なんかやっぱりダメ。
なんだろうなー。

父も母も元気だった頃=コドモたちが小さかった頃、この季節はほんとにほんとに気持ちがわくわくして楽しかった。
12月になるころからコドモたちにサンタさんにお手紙を書かせたりおもちゃの手配をしたり、冬休みと実家行きへのカウントダウンをしたり。 
ドウダンツツジの赤やイチョウの黄が冬空に映え、街にはあちこちにイルミネーション。
クリスマスが終わればすぐに実家にとんで行き、一面の雪の中コドモたちと雪遊びをして帰れば暖かい部屋と母の手料理が迎えてくれる・・・。
そしてのんびりほっこりのお正月。

あとに冬休みやお正月がひかえているクリスマス。
それが心の奥の奥から待ち遠しかった頃にはもう戻れない。






「トロン・レガシー」を見た。
が!
おそるべし3Dメガネ!
強力なラリホー効果に今回も撃沈・・・。
「アリスインワンダーランド」を見たときもそうだったんだけど、なーんかコレかけると眠くなるのよね。
画面が暗くなるから?
視界が限定されて頭にいい具合に負荷がかかるから?
ただでさえ「トロン・レガシー」の画面はコンピュータの中っていう設定で暗め。
で、専門用語っぽいのがけっこう出てきて考えてるうちにふっと記憶が途切れる・・・。

映像と音楽はすごい!と思った。過去には「マトリックス」、最近では「インセプション」クラスの衝撃。
でもお話としてはどうよ?
途中途中で記憶が途切れた分を差し引いたとしても、主人公に共感できなかったからかなー。
18や19の若いもんならともかく、27歳にもなってなんだかな、な若者が主人公だった。ああ、主人公はおとうさんのほうなのかな?

先週の「ハリーポッターと死の秘宝1」に続き、1000円で見ました。
お休みが続くとこうして映画も安く早く見に行けるのね。

「ハリーポッター」もあと一作を残すのみ。
・・・すっかりあの3人もオトナになってしまいました。
まあできればオバチャンはハリーの胸毛や腹毛は見たくなかったよ。
ハリーとハーマイオニーのやたら濃厚なチューも見たくなかったよ。
あんなにぷくぷくしたほっぺでかわいかったのに・・・。
三本の箒(だっけ?)でバタービールを飲んでたくらいがほほえましかったっす。

「秘密の部屋」くらいまでは子供映画・ファンタジー映画の要素が大きくて、ちょうどクリスマス時期に公開されたこともあって、コドモたちといっしょにわくわくしながら楽しんで見たもんだった。
なんだかもうリアルでもクリスマスへのわくわく感がなくなり、ハリーたちと同じくコドモたちも成長してしまい、ちょっぴりさびしい「ハリーポッター」なのだった。

今期のドラマも続々と最終回を迎えました。
おもしろいのが多かったんで消化が大変だったあー。
よかったのは「フリーター家を買う。」かな。
仕事や生き方へのさまざまな価値観が描かれてて、コレはぜひフリーターになりかねない息子にもみてもらわないと!と思った。おかあさんの手にハンドクリームを塗るやさしさも見習え、と。
ま、息子にはテレビなんて見てる時間はなかったけどね。
私としては「スペック」も楽しみだったのに、意味不明な終わり方だった・・・。

東野圭吾の「秘密」(志田未来主演)もひやかし半分で見始めたもののなかなかよかった。
きのうたまたま10年前の映画「秘密」(広末涼子主演)をやってた。
あらためてよーく見ると広末かわいかったなあ。足も長くてスタイルいいし。当時、人気あったってわかるわー。
原作は読んでないのでわからないが、事故を起こしたバス運転手サイドの描き方以外は同じ。

ドラマ版の「秘密」があそこまでおもしろかったのは、やっぱりお父さん役の佐々木蔵之介でしょう!
娘(中身は奥さん)に男の影がチラチラしたときの気持ち悪い演技は、思わず何度も繰り返してみてしまうほど。
映画版では小林薫が同じ場面をあっさりコメディタッチで流していたけど、クラちゃんときたら・・。
娘の部屋の前にイグアナのようにはいつくばって電話を盗み聞きする、娘の部屋に盗聴器をしかける、娘が男に会いに行ったのを高飛車な態度でじゃまする・・・。
未来ちゃんだってついこの間までまーるいほっぺの小学生だったのに、クラちゃん相手にラブシーンだもんな。
広末も未来ちゃんも女優魂はただものじゃないと見た。

それと、撮っておいて見る時間がなかった「99年の愛 ジャパニーズアメリカン」を一気に見ました。
戦前から現代という激動の時代背景、シアトル設定の農場や捕虜収容所(ロケ地はどこ?)の広大な景色などあいまってなかなかに興味深く、これはすばらしいお話だと思った。
それにしても、イモトアヤコが年をとって泉ピン子になるってのも趣深いが、泉ピン子と中井貴一が夫婦って年齢設定おかしくないか?
何か脚本家橋田壽賀子大々先生のご意向がおありだったのか?

それより何より「ジャパニーズアメリカン」平松家の人々が「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉一族と同じ口調で・・・見ているこちら側としても橋田先生の影がちらちら見えて・・・。
たたみかけるような説明口調。「○○って道理はないでしょう」「ぜいたくさせてもらってるの」「食べていかれないわ」などなど。
わたおにで多用される「お夜食こしらえて」が出るかと思ってチェックしてたが、さすがにそれはなかったが。

まあーとにかく時間があるのも今だけ。
工事もゴールが見えてきて、ちょっぴりあせる。


母のこと

2010年12月17日 日常
きょうの朝は一面の霜!

わんことの朝のお散歩はなかなかに季節感があっていい。
うちの周りは畑や雑木林、造成地なんかがいっぱいあってお散歩にはことかかない。・・・田舎ってことね。

もやがかかる早朝の真夏の畑も風情があったけど、冬はなお。
白菜や大根の葉っぱは端っこのちりちりとしたプリーツまで霜で白くふちどられ、
ブロッコリのつぼみのひとつひとつも霜で包まれている。
おとといあたりまでは枯葉をサクサクと踏んで歩いたけれど、きょうは霜柱。
ザクザクザクザク・・・。
はい。私の足音です。わんこは霜柱でも沈まない。
早朝のはりつめた空気の中、私の白い息とちょっぴり小さめのわんこの白い息と。

朝、目が覚めると「父と母は無事いつもの朝を迎えられただろうか」と思う。

今度のお正月で、母が急に体調をくずして2年になる。
糖尿・高血圧・狭心症・うつ病。

いつの頃からか、昼は服に着替えていたのが一日中パジャマで過ごすようになり、
お風呂も一週間に一度になり、薬も何を飲めばいいのかわからなくなり・・・。
最近は認知症も進み、服を着る手順・食事を食べる手順などもあやしくなった。

それでもここ2年、なんとかなんとか老老介護の生活は静かに穏やかに回っていた。
お昼は週に2日ヘルパーさんに食事の用意をしてもらい、あとの3日はお弁当の配食サービス。
近所の人もおかずを届けてくれるし、私や妹がときどき行っては掃除をしたりお風呂に入れたり。
父も料理の腕も上がり、本やお料理番組を見てどんどん新しい料理が作れるようになり、ヘルパーさんのお料理をアレンジするまでになった。
前に母がやっていたように白菜や大根の漬物や干し柿も作ったりするのは恐れ入る。

母がこうなったおかげで、と言ってはなんだが、父や妹とも以前よりずっと仲良くなれた。
実家帰りも私にとってはいい気分転換になった。
介護のお仕事でいろいろなお年寄りのケースを見ていたこともとても役に立った。
「老い」を目の当たりにするのがまるっきり初めてだったら、いろんなことができなくなっていく母を前に私は何もできなかっただろうな。

「排泄と食事の自立」が一般的には介護度の目安になる。
一日中ほぼ寝たきりでも食事とトイレだけは自分で起きて歩いて用をたしていたので、なんとか父との高齢者世帯でもやっていけた。

寝たきりで脚力も腕力もすべてが弱っているから、いつかはベッドから起きられなくなるだろう、トイレもひとりでは行けなくなるだろう。
そうなったら父ではお世話しきれない、と心配していたが・・・。

先月。
夜中にひとりでトイレに行った母は、途中で座り込んでしまい立てなくなった。
父を呼んでも声は小さく、父もいびきをかいて寝ていたので助けも来ない。
たまたま妹が泊まっていた日で、なんとなく異変に気づいた妹が行ったら母が寒くて暗い廊下で座り込んでいたとのこと。
あわてて父を呼んで二人で立ち上がれるよう介助したものの、母の足腰に力が入らないため、35キロを二人がかりでやっとベッドまで運んだと・・・。

それに懲りて夜中のトイレも父が介助してみたものの、夜中2度3度のトイレ介助は80近い父にはあまりにも酷なこと。
私も泊まったときに父の代わりに母の隣に寝てみたけれど、
「おじいちゃん。おトイレ」というか細い母の声に耳をすませていて、ベッドから体を起こしてやり、上着を着せてベッドから立たせ腕をささえてトイレまで連れて行き・・・。
パジャマ・リハパンを下ろしてやり、便座に座らせ・・・。
母の動きはゆっくりゆっくり。
「おれの方が早くあの世行きだ」という父の言葉は冗談ではすまされない。

妹や私がずっと実家にいられるわけではないので、父が休める時間を作るため、母にデイサービス(1日あずかり)やショートステイ(お泊まり)を以前からすすめていたが、ダメ。
母には母の言い分があり、「私が家をあけるわけにはいかない。おじいちゃんをひとりにするわけにはいかない」と。
ずっと家を守ってきた母らしいが、いやいや、そうじゃなくて行ってくれればおじいちゃんもラクなんだから、との言葉はグッと飲み込み、信頼しているお医者さんに今回ばかりは強くお泊りをすすめてもらう。
お医者さんはさすがだ思ったのは「泊まって少しだんなさんをラクにしてあげたら?」ではなくて、「お家のこと考えてたら奥さんも心配で大変でしょう。たまには家のこととか何も考えないでゆっくり泊まったら体も病気も良くなりますよ」と。なるほど。

先月私がこちらに戻ってきたあとにお泊りは実行された。
母も個室ベッドでゆっくり寝ているだけでみんな親切にしてくれてお風呂にも入れてくれてよかった、と電話で父から聞いた。
ただそこは個室のためホテル並みの料金で、週に一度ずつお泊りが実行できれば、と考えていたこちらのもくろみは外れたが。

今月になって、介護用ベッドとポータブルトイレをケアマネさんに手配してもらい、夜中はポータブルトイレをなるべく父の助けを借りないで使えるように母と練習してきた。
母をお風呂に入れるときのこと。
お泊まり用に新しく買ったものだろう、ピンクの花柄の温かそうなパジャマのズボンのゴムのちょうど真ん中、おへその辺り。
黒のマジックで母の名前が大きく書いてあった。

パジャマのすそにも。シャツのすそにも。
靴下の足の裏の部分にも。
母のものにはひとつひとつ丁寧に、妹の字で母の名前が書いてあった。
デイやショートに行くときは「持ち物に記名」は決まりごと。
私もお仕事で、利用者さんの服やパジャマやコップに何度も名前を書いてきた。

旧家の跡取り娘らしく、誰よりも誇り高く誰よりも世間体を気にしていた母。
その母のパジャマに黒々と書いてある持ち主の名前。
妹はどんな気持ちで母の持ち物に名前を書いたのだろう。
母はどんな気持ちでそれを見たのだろう。
それとも何かを感じることも忘れたのだろうか。
・・・母の「老い」のひとつひとつには「まあそれもあるよな。みんなそうだし」と冷静にうけめられた私だったけれど、これには胸がきゅんとした。






急に寒くなりました。
私はわんことぬくぬく軟禁生活なんだけど、2階ベランダの外からは「さみー」「ガチでさみーよ」と若い職人さんたちの声が。
温かいお茶を用意する他に何かできることがあるんだろうか?

訪問介護も暑い寒いが響くお仕事だけど、こういうまるっきり外の職人さんたちはもっと大変だなあ。
きょうはけっこうモコモコ着こんでたけど、動きが悪くなるから着膨れるのも限度があるだろうし。
「今年の夏も暑かったですよね。お仕事・・・あったんですよね?」と当たり前のことを聞いたら「猛暑の屋根の上であぶられて死ぬかと思いましたよ。いやいっそ倒れちゃおうかな?と何度も思いました」と。
職人さんたち、朝は8時前には来てるし5時すぎて寒くて真っ暗になるまで外のお仕事でほんとにおつかれさまです。

19やハタチの若いにいちゃんもいて、キビキビと元気よく働いている。
上の人からちゃんと指導されているのだろう、礼儀正しくて気持ちがいい。
うちの息子ときたら昼近くになって朝の眠気をひきずったままもっさりと学校に出かけていく。
同世代の職人さんたち「いいご身分だ」と思ってるだろうな。

「小学生じゃないんだから『おはようございます。おつかれさまです。よろしくお願いします』と目を見てにっこり笑って言え」と息子にはくどいくらいに言ってはいるが、息子が出たときに外からなにがしかの声も聞こえない、というのは、あいさつもしてんだかしてないんだか。

きょうこそ写真の整理とかカタチに残ることをしよう!と思ったけど、きょうもまたまた一日があっという間に過ぎてしまった。
たまってたドラマの消化をしたくらいか。
「蒼穹の昴」を見て西太后の冷酷さにビビリ、「坂の上の雲」を見て香川さんの演技にほれぼれし、「フリーター家を買う。」であーあーせっかくためた100万円が・・・と思い、「ギルティ」えっ。最終回?人物関係わからないままに終わっちまうじゃんよとザンネンに思い。
リンクの方々の近況を読もう、と思ってたけどそれもはたせず。

でもまあ、仕事がある上でのお休みっていいな。
少しのんびりさせていただきます。




はあー・・・マイ日記残ってたあー・・・。
おひさしぶりです。

パソは開いていろいろと調べ物はしても、こうして字をうちこむのは久しぶりで。
指が動きません。

今年もあと少しになってしまった。
はやいですねえー。

家の外壁と外回りの工事のため、12月に入ってお仕事お休み中です。
うちの中のちょっとした修理はもう終わってあとは外だけ。
職人さんにお茶とお菓子を用意して仕事に行ってもいいんだろうけど、この機会にまとめて休んじゃおうっとことで。
外で人が動いたり物音がするとわんこが怖がるしほえるしかわいそうだし。

工期は2週間、の予定が、予想外に屋根が傷んでいたり雨だったりで、なんだかんだで3週間目に突入。
足場の解体は来週だというし、そのあとの外回りの工事もあるし。
うーん。こんなんじゃ年内仕事に行けないな・・・と困ったようなうれしいような。
うれしいのは、まだもうちょっと朝もゆっくりで本とかDVDとか見られるってこと。
困るのは・・・来月お金がなーい!

9月には決まってたの。
12月になったらお仕事お休みだって。
まとまったお休みは何年ぶりか。
もうーーーとっても楽しみにしてました。

あまり外には出られないだろうから、放置してただいありーも読んだり書いたりしよう。
撮りためたドラマや映画も見よう。見逃した映画のDVDも借りてこよう。
読みそこなった本も見よう。
おうちの掃除もしよう。模様替えもしよう。
わんことお出かけもしよう。
わんこの毛でぬいぐるみも作ろう。
・・・などなど。

が。
いくら外回りといっても職人さんたちがくるとやっぱり気をつかう。
毎日の車の移動。朝晩のあいさつ。
ポットに入れるお湯の用意。茶葉やコーヒーの用意。甘いのしょっぱいの取り混ぜてのお菓子の用意。
接客してるわけではないんだけど、なんか忙しいんだよね。
ちょっと買い物に出ても、「お湯がなくなってないか」と10時とお昼と3時には帰ってなくちゃ、とか。

外壁を塗るために窓はびっちりビニールで覆われてるから、外の様子はいっさいわからず、なんかある意味軟禁状態?
お天気が良くても洗濯物は干せず乾かず、乾燥機だったり家干しであちこちつるしてあったり。
でもね。窓が覆われてて外には足場が組んであってさらにぐるっと囲まれてるから、うちの中が寒くない!
これはいいわー。春まで足場があってほしいくらい。

それにしても、うちにいると一日はあっという間です。
はじめの一週間は、何もしなくても一日が過ぎてしまうことにあせった。

朝のわんこのお散歩が終わると職人さんが来る。
わんこのブラッシングやらごはんやら、掃除洗濯してるともう10時。
へんな時間に息子が起きてきてなんだかんだ作業が中断され、ちょっとゆっくり新聞読んだりしてるともうお昼!
残りもので何か食べるついでにテレビなんかつけてしまうと、海老蔵がどうしたこうしたの話にくらいついてしまったりで時間はあっというまに過ぎてしまう。
ドラマの再放送だとか韓国ドラマだとかもダメ。
なまじ再放送だと展開がわかっているためつい見てしまうし、韓国ドラマのあの怒涛の展開もなかなか新鮮。
ミヤネ屋さんとか見始めてもちゃってもついつい見てしまうし。
普段昼間のテレビ見てないから、やけにこれがおもしろいんだなあー。

で、夕方のわんこの散歩すら行かず一日が終わってしまうのだった。
こんなはずでは!

3週間目に突入してやっとここに来れた。
これだって、お休みのあいだだけでも書きたかったことをぽちぽち書こう、ってずっと思ってたのにねえ。
自分の日記にもたどり着けず、パスワードも忘れてログインできず、悪戦苦闘の末やっと書けました。

年を重ねるほど新しいことほど忘れることが多くなるので、ホントはそのときそのときの気持ちを書いて残しておきたい出来事ってあるんだけどね。

お休みの間に少し書ければいいな。



お誕生月に
おひさまがまぶしいの!→



新緑が美しい風薫る5月になった。
太陽の光を浴びてキラキラと輝く若葉を見ていると、「ああーよくこの季節に生まれたもんだ・・・」と我ながらうれしくなります。
5月生まれのみなさん、お誕生日おめでとうございます。

とはいっても、誕生日とか母の日とか心が乱れるこの季節、やっぱりブルーな気分に。
なんかイヤなんだよね・・・。
テレビとかチラシで「母の日ごちそうセール」だとか「おかあさん、ありがとう」だとか。
それが自分の身の上には起こらない確率の方が高いと・・・。
母の日だって誕生日だってなければないで心が乱れることもないのに。

今年の母の日。
とりあえず息子・娘に「もうすぐ母の日だよ。誕生日だよ」とアピールしておいた。
が、息子も娘も自分のことで忙しく、いつものように私が食事を作り食べ終え、一息つきたいところだけど、いそいでまずすぐにフロに入った。
すぐ入らないと風呂ラッシュで夜中まで入れなくなってしまうから。
入浴剤いれたての一番風呂がプチぜいたく(泣)。
・・・あーあ。食事がまず毎日のことなんだから、母の日くらい外食とかさ・・。
とは思うものの、息子がいっしょに外食することはありえないし、ひとこともしゃべらず無言で食べるダンナと外食もありえない。何より自分の財布からお金が出るんじゃなあ。
ということはもう私は一生みんなで楽しく外食っていうことはないんだな、と悲しくなる。
ちょっと前のコマーシャルみたいに父子で和気あいあいとおかあさんのためにカレー作成、とかいうのもありえないし。

風呂を出たらダンナが食器を洗っていた。
娘はソファで熟睡。息子は無表情でケータイ。
風呂上りの皿洗いほどイヤなものはないので、とっても助かったけれど・・・。
「・・・母の日なのに何もなくてかわいそうだと思って?」と聞くと「うん」と。
ダンナが皿洗いをしたことでなんだかますます悲しくなり、そういうことじゃないんだよね、と思う。

ちょうどその日の昼にスーパーに買い物に行ったときに見た、おとうさんとコドモふたりが仲良さ気にカーネーションのアレンジメントを選んでいる光景がよみがえる。
ちょっと気が利くおとうさんなら、「おかあさんにはいつもお世話になってるんだからコンビニでも100円ショップでもいいからチョコでも買ってきて『いつもありがとう』って言ってわたせよ」とかひとこと言うだろうな。
それか、スーパーのフラワーアレンジメントなら500円も出せば買えるんだから、おとうさんが買ってきておいてコドモに「これ渡してやれ」って出したりするんだろう。
皿洗いもそこそこに私が風呂に入ったんだから、コドモたちに「きょうは母の日だから何もしないなら皿くらい洗ったからどうだ」って言うとかさ。

息子や娘だってまったくなんだってんだか。
極端なことを言ってしまえば、あんたたちの生活はおかあさんの犠牲の上に成り立ってんだよ?
息子はともかく、娘は小中学生のころはそういう気配りは忘れない子だったのにな。
なんかなー、高校生は自分のことでいっぱいだし、大学生ならもうちょっとオトナになって親への感謝とかあってもいいだろ?と思うけれどね。いつまでも反抗期の高校生じゃないんだから。

なによりあの人たちはコミュニケーション不足なんだよ。
ダンナが息子や娘に何か話すこともないし、その逆もない。息子と娘が話すこともない。
だから「今年の母の日はどうする?誕生日はどうする?」っていう会話ももちろんない。ダンナはダンナでコドモがするのが筋だと思っているし(それは母の日は正しい)、コドモたちにとっては特になんの日でもない。

・・・と、母の日なんかなければこんなふうに心が乱れることもないのに。

新年に見た今年の運勢の本にこう書いてあった。
「今年の春は去年の春と同じくなんとなくスッキリと気持ちが晴れない日々が続いています」・・・。

去年の春は、念願の子犬との生活が始まったというのに母の体調不良もあって気持ちが晴れないどんよりした日々。
その運勢の本を見た新年の頃は息子も受験生だったし「・・予備校か?」と思ったもんだったが。

息子は第一希望の大学・学部に合格し、日々サークルだとかオールだとか飲み会だとか飲み会だとか飲み会だとか。授業は出てるんかい?
とにかくもう息子は手を離れたんだ、ということを受け入れるのに少しかかった。
いやいや、もうとっくに離れてたんだろうけどとりあえず受験生で家にいたから手の中にいたような気がしていただけなんだろう。
娘はふと気がつくと自分とは違うタイプの女の子になっていて、これまたなんというか肩透かしをくらったカンジ。
コドモは自分とは違う人間で、いずれ離れていくっていうことはわかっていてもね・・・。
こういうとき夫婦仲がよければ「ああ、また二人の時間が持てるのね。これからは二人で楽しみましょう」と子離れがすんなりできるんだろうな。

「おかあさん!おかあさん!」とまとわりついてくるわんこが去年の春、私のもとに来たのは必然だったとしか思えない。



いやいやすいません。
すっかりご無沙汰で。元気です。

仕事と家事とわんこのお世話におわれて、パソは開く時間がない・・・。
はずしていいのか迷っているリンクの方々にごあいさつもできずに申しわけありません。

ここ何年かの激動の日々の記録であり息子と娘の成長の記録でもあるので、日記はちょっと寝かしておきますが、なんかこの先も書く時間があるんだかないんだか。
ホントに申し訳ないので、リンク整理のときには切っていただいていいです。

まず目の前にあるのは息子の受験だ。勝負だ!
受験生の母も3回目で、この時期特有の朝の空気と空の色を見ると身が引き締まる。
これが、2月の半ばになると空気は冷たくても春の空の色が混じってくるのよねえ。それはやっぱり希望の色。
はたしてどんな春が迎えられるのか。
・・とはいえ、3年前の息子の高校受験が精神的に大変だったので(私が)今回はそれにくらべるといいわー。
自分で目標設定してがんばってる姿を見ると、この3年で成長したんだなあ、と。
息子も娘も一歩一歩自分の足で歩き始めていく。


わんこももうすぐ1歳。
人間でいえば18歳。成犬です。
でも、感覚でいうと3歳くらいの幼児がうちにいるみたい。
そのおかげでコドモたちにもかまってあげられず、それがまたいいカンジに自立をうながすっていうか。
コドモたちが高校生で犬を飼う、じゃ世話もできなくてダメじゃんよ!と思っていたけど、別の意味でこれはこれでいいのね。
犬がいると忙しいのとかわいいのとで毎日があっという間。
散歩のあとのわんこは、ふわふわもふもふの毛いっぱいに真冬の外の匂いをまとっている。
わんこのほっぺに顔をうずめていっぱい息を吸い込むときの幸せ・・・。
ああーこの匂い、コドモたちが小学生のときもそうだったーと懐かしい。
おかえり♪と出迎えてだっこするとふわっと真冬の匂いがした。
自分がいないと生きていけない生き物と生活するのは、めんどくさいけど充実しているんだな。

母のうつ病も少しずつ快方に向かってはいる。
それでも認知の症状が出始めているし、高齢の老世帯なのでいつどうなるかはわからない。
去年の今頃、母の状態がどん底に悪くて夏までもたないだろうと思ったことからみれば、低め安定。
この一年でお仕事先のおじいちゃんおばあちゃんを何人も見送った。
「実家の母が悪くてねえ」「それは心配ね」と会話をかわした人たちが何人も先にいってしまい、母はとりあえず生きている。
それも「まだ若い」ということなのかな。
お仕事で行く方々はだいたい85前後で母より10は年上。「75ならまだ若いわよ」とみんな言っていた。
母よりずっと元気だった人たちが、急に悪くなり先に逝ってしまう。
何か不思議な感覚・・・。

うつの大きな原因は、私や妹のことを母が心配しすぎたことだった。
借金があるだのリコンするだの・・・。
妹も私も母をグチのはけ口にしていたもんな。悪かったと思う。
母は黙って全部聞いていたけれど、心の中は不安とか心配でいっぱいだったんだろうな。
自分のところの堤防は絶対決壊させないように、そして現実がどうであれ高齢の親に心配や負担をかけないように、というオトナの配慮が私たちには足りなかった・・・。

母が体調をくずしてもうグチをきいてくれる人がいない・・・と思った一年前の私はほんとに甘かったと思う。
オトナなら負の感情を垂れ流ししないで、自分でなんとかしなきゃいけなかったんだ。
少なくとも父や母はもう私にとってはこちらが守るべき存在なんだ、と思う。

書けるときはまた書きます。
みなさんもお元気で。


夏日記

2009年8月22日 日常
この前書いたのはまだ夏の手前だった。
あれあれと思うまもなく夏が始まりお盆が過ぎ夏休みも終盤。
これでは季節がめぐって夏の日記はひとつもないことに・・・。

書きたいことはたくさんあるのよー。
わんこのこと、実家のこと。読んだ本とか見た映画のこと、ドラマのこと。
みなさんがどんな日々を過ごしているのかも知りたいけれど、落ち着いてパソの前に座る時間がないんです。

もうーとにかくここ2ヶ月は高校野球・高校野球で日々が過ぎた。
地方大会の始まりとともに夏は始まり、甲子園が終わるまでお祭りは続くのだった。
そして気がつけば秋の気配。いや、まだ暑いけど。

今年は娘の高校が県大会でもかなり勝ちあがり、ホント楽しめたわー。
球場にも何度も足を運んで応援し、テレビ中継のスタンドの様子でも何回かぽちっと映りこんだりしてちょっとうれしい。

そして甲子園では花巻東!
大技小技からめた粘り強い試合運びと選手たちの素朴な笑顔に感動。
岩手のチームがここまで甲子園で活躍できる・・・ってのは隔世の感がありますな。
ついこの前まで一勝もできなくて当たり前で、せめて甲子園では恥ずかしくない負け方でなんて思ってたほどだったのに。
お盆で実家に行ったときには新聞の一面が花巻東関連で、まあー盛り上がり方のすごいこと。
地元に勇気と感動を与えたのは間違いありません。

わんことの暮らしも5ヶ月になり、かわいかった子犬も人間で言えば10歳ほどに。
初めての生理が来る前に避妊手術をするとのことで、来週初めに入院になります。
わんこのために失ったもの(自由な時間・お金)は確かにあるんだけど、トータルで考えれは得たもののほうが少し多いのかなあと思う。

それは、わんこがいなかったら見ることができなかった息子や娘の無邪気な笑顔だったり、ふわふわの手触りとつぶらな瞳に癒される瞬間だったり。
家をまる一日空けることもできなくなったけど、帰ると必ず大喜びで出迎えてくれるのでカワイイし。(←特にダンナ。帰ってきて喜んでくれるのは犬だけ、と・・・)
お散歩もはっきり言ってめんどくさいが、それまで話もしなかった近所の人たちと顔見知りになったり、畑の小道や住宅街の中など近くでも知らない発見があったり。
横になってるとわんこに顔をなめられるし、お菓子を食べてるとわんこのチェックが入るので、ゴロゴロもできなくなり、朝夕の散歩で多少減量もしたかな。
忙しいなら忙しいなりになんとかやっていけるもんだなあ、と思う。
朝も早起きなので、ちゃんとした規則正しい生活をしたい人にはいいのかも・・・。

見た映画。
7月に「ターミネーター4」「ノウイング」「ハリーポッター謎のプリンス」。
「ハリーポッター」はついでに原作「不死鳥の騎士団」「謎のプリンス」「死の秘宝」を読み直したから、「ああーこういう流れでこういうお話!」とあたらめて確認。
「死の秘宝」なんて読んだはずなのにすっかり忘れていて、自分の忘却力に感心したわ。
前後がわかってなくて(というか、これだけ間隔があくと忘れるよね?)「謎のプリンス」見ても、ほんとうのおもしろさは半減かなあー。

読んだ本。
「ハリーポッター」のラスト3部作とちょっと最近帚木蓬生(ははきぎほうせい)づいている。
医療モノは好きなジャンルで、この作者も精神科医さん。
「エンプリオ」「インターセックス」と、同じサンビーチ病院岸川先生が出てくる医療モノを読む。どっちもおもしろい。
「エンプリオ」は人工中絶された胎児の臓器培養・男性の妊娠・胎児の脳組織を使った手術など生命倫理に関わるお話に殺人事件がからんでくる。
「インターセックス」はサンビーチ病院での両性具有(半陰陽)患者をとりあげている。

とりあえず近況で。
高校野球が終われば、お祭りも終わって少しは時間ができるのかな。
息子の部活ライフも終了。
思えば入部したのもついこの間だったような気がするから、部活に燃える日々っていうのもホントあっという間なのね。

で、家にいる時間も多少長くなり本来なら受験モードになるはずだが?
私立の子たちがスパートかけつつある時期にやっと受験レースに参戦するっていうんだからいかがなものか。

まあそれはそうとして、人生経験からすれば部活を最後までやり通した息子に拍手。
最後の大会の日のレース終了後。
やり切った感のある満足そうな笑顔で仲間たちと歩いていた息子の姿を見て母としては感慨無量。
水面はキラキラと光り木々の葉がさわさわと揺れて、ああこんなステキな水辺で青春の1ページを
刻めるなんて・・・と息子たちがうらやましく思えた。

私は中学の部活ライフがキツかったので、高校で部活をやる気にはならなかった。
文武両道もムリだと思ったし。
でも、高校生のときに濃い人間関係を築いてなかったのでなんとなく今になって高校時代を振り返るとつまらない。
思ったような希望の大学に合格したわけでもなかったし。

息子の最後の姿を見て、やっぱり高校生は部活やってナンボだとしみじみ思う。
なんかいいなあー。燃えるものがあって、やりきったものがあるって。

で。部活終了して、毎日の山のような洗濯物が減った。朝、用意する弁当の量も麦茶のペットボトルも減った。・・・気が抜ける。
過ぎ去ってみると、そういうのもひとつのシアワセのカタチ?だったのか。
何よりも毎日の食事の量がガクッと減ってはりあいがないったら。

食事が体を作る、とは言うけれど、実際息子にアスリート食をやってみると体がしっかりと反応してくるのには感心した。
若くて毎日鍛えてるから反応がいいんだろうけど。
アスリート食について知ったのは息子が3年になってからなので、実際食事に気をつけたのはここ最近。
もっと早く知っていてもっと早く食事に気をつけていれば、今頃はさぞマッチョに・・とちょっと残念。
娘にはこの知識は生かせないと思うともったいないし、忘れるのもなんかなーと思うので記録しておこうっと。

運動している男子高校生は一日3500キロカロリー必要。
ごはんなら8杯、卵なら20個。
炭水化物はごはんだけで摂取するわけではないし、タンパク質も卵だけでまかなうわけではないので、それぞれイモ類に置き換えたり、納豆・とうふ・ささみなどに置き換えたり。
ごはんはビタミンB1とカルシウムが強化された米(商品名・サプリ米)をいっしょに炊く。
朝と夜の食事には必ずオレンジジュースとプロテインを入れた低脂肪乳を一杯ずつ。
オレンジジュースやキウイ・いちご・グレープフルーツなどのビタミンCは怪我予防と体の回復には重要なので欠かせない。

練習の時期のある日のメニュー。
朝→どんぶり2ごはん杯。納豆1パック・ハムエッグ。野菜たっぷりの味噌汁・ささみ入り。オレンジジュース・プロテイン牛乳。
前は「朝から納豆なんかムリ」だとか「朝はやっぱりパンかシリアル」なんて軟弱なことを言っていたが、朝食をどんぶりメシに変えたら見る見る体がしっかりしてくるのにはちょっと驚く。
昼→ガッツリ男弁当。
夜→どんぶりごはん3杯。納豆1パック。ピーマン・目玉焼き添えハンバーグ。かぼちゃ・さつまいも・大豆の煮物。ほうれん草おひたし。きゅうりとささみの胡麻和えサラダ。野菜たっぷり味噌汁ささみ入り。オレンジジュース・プロテイン牛乳。
最初はこんな量食べられない。でもやっぱり食べられるようになると体が違ってくる。

試合3日前からはカーボローディングといって、筋肉に糖質を貯め込むためおかずを減らして炭水化物を多くとる。
レースの前は「景気づけにトンカツ?」なんて前は思っていたが、揚げ物や油モノなんてご法度なのだった。
当日の朝もとにかく炭水化物。もち入りのうどんやカステラ。バナナなんか朝食べたって1時間半でレース前に消化されてしまうので、同じ果物ならキウイヨーグルトみたいな体を回復させるものを。
いやーホントこのアスリートの栄養学は知らないことばかりで勉強になった。
もっと早く知ってればよかったよ。

部活終わって・・・あんなに食べていたのにごはん一杯におかずもせいぜい2品に。
食事の用意もラクにはなったけど、祭りのあとみたいでなんだかちょっと物足りない。
運動もしなくなってプロテインも飲まなくなったら、またヒョロヒョロに逆戻りか?
今月に入ってダウン。
春先からの全力疾走の疲れか。
たまにこういうことあるんだよね。
気持ちは走ってるのに体がストップしてしまう。
しつこいせきから気管支炎になって持病のめまいまで出てしまった。
熱はないからなんとか動けるんだけどめまいで不調。

6月はけっこうコドモ関連の行事も多く、体育祭や大会・懇談会など目白押しで。
はやいもので息子も最後の大会を迎えてしまう。
ついこの間高校生活が始まったように思ったのに、先日の相模湖での関東大会・近々あるインターハイ県予選が最後の大会になる。
高校生の生活は駆け足だなあー。
中学生まではなんとか伴走したつもりでも、高校生は自分の足ですいすい走っていって頼もしくもありちょっと寂しくもあり。
まあそれが成長ってことだよね。

そんな中、月イチの実家訪問もして母を風呂に入れたり家中のおそうじをしたり。
体調が悪いことを父母には気づかれちゃいけない、と思ってがんばったのもあるし。
母が体調を崩したのは今年に入ってからだからもう半年になる。
一日3度の食事の支度をする父にはほんとうに頭が下がる。
それと同時に近くにいないために父の助けになれなくて申し訳なくて。

先月までは少しずつ回復の兆しを見せていた母だったが、今回の訪問でもうすでに母はあっちの世界の人になったような気がした。
糖尿とか心臓とか血圧とか体のほうは確かに回復している。
でもうつ症状と認知が。
つい半年前の正月まではあんなに気丈でしっかりした人だったのに、どうしてこんなになってしまったのかと哀しくなる。
「もう何もわからない。頭がワーッとなる」「薬が命令するまで足も手も動かない」そう言ってつらそうにする母。
明るいのも騒々しいのも嫌がるので、昼でもカーテンを閉めテレビもつけられない。
献身的にお世話をする父にたいして攻撃的な言葉も吐く。自分のつらさを力説する。
以前の母は一言のグチも後ろ向きなことも言うことはなかったのに。

「こうして3人いれば気が紛れるんだよなあ」。
食卓を囲みながら父がポツっと言う。
・・・それはよくわかる。
子育てのときもそうだったし、とにかくなんにしろ「閉鎖した空間に二人きり」という状態はダメだ。
空気がどんよりと重くよどみちょっとしたことでイラっとする。
自分しかいないという崖っぷちに立っているような重圧が重くのしかかる。
父の言うことがものすごくよくわかるからこそ、近くにいられなくて申し訳ないと思う。

「孫たちは元気かな。夏には来られるかな。顔見たいなあ」。
父がそう切り出した夏の泊まりの話題も「でも来てもしょうがないよね。テレビも見られないし」と母は一言で切り捨てた。

つい半年前まで、盆・正月の年に二度のお泊りは恒例だった。
父も母も孫たちの成長が楽しみだったし、私にとってもコドモたちを連れての帰省は親孝行のつもりだった。
でも今の母にとっては孫の存在が心配の種でしかないのだ。
春に娘の中学の卒業アルバムを持っていったときも、母は顔をゆがめて「見たくない」と言った。
娘ががんばって県立高校に合格したことも聞きたくなかったようだった。
今年は息子の大学受験もあるからますますだ。
母にとっては孫の話題は禁句。
私にとっては、母がダンナよりも誰よりも孫の成長を共に喜んでくれる相手だったのに・・・。
近くにいればちょっと父にだけでも顔を見せに行けるのに。
父はやっぱり孫たちの顔を見たいだろう。
母がこんなふうになったことも、父に孫の顔を見せてやれないこともとても哀しい。

そんな中でのちょっとした安らぎはわんこ。
体調が悪いのでここのところお仕事も行かないで家にいるけど・・・。
一日二回外のベンチでブラッシングしながらのんびり景色を見たり、いっしょにお昼寝をしたり。
ちょうどお散歩デビューの時期なので、お散歩に出てみたり。
うちの中でも私の顔を見るとしっぽをふって駆け寄ってくる。
台所でお仕事しているとふせをしてまるい目で見つめてじーっと待っている。

「わんこを置いて仕事に行かなくちゃいけないのもストレスのもとだったんだ」と気づく。
あんなにちっちゃいうちから一日中お留守番させてなんてかわいそうなことを、と今思う。
「お散歩は週に一度30分でいい」とショップのおねえさんは言ったけど、実際お散歩に出てみるとものすごくうれしそう。
息をはっはっとはずませてあっちの匂いをかいだりこっちの匂いをかいだり。
たまにお散歩中のワンちゃんに会ってほえられたりお互いに鼻をくっつけてごあいさつしたり。
もんしろちょうやカナヘビを追いかけたり。
息子や娘の子育て中のときのゆったりした時間の流れが戻ってきたみたいだ。

わんこのために気が休まることがなくてこんなはずじゃなかった、と何度も思った。
いなければもっと自由な時間が増えるし仕事も出来るのに、と。
でもなあ・・・。
いなかったらどうだっただろうね。
息子も娘も夜9時近くまで帰ってこなくて、父母のこともあってなんとなく寂しかったり空しかったり、だったんだろうか。
わんこがいるとさびしいとか考えているひまもないもんな。
「おかあさん大好き!」という気持ちをストレートにぶつけてくる存在。
大歓迎でお出迎えするわんこに戸惑いながらもかわいがる息子や娘たち。ああ、ダンナも。
大変は大変だけど生活の中でのうるおいにはなってるのかな。

あじさいも咲いて、去年植えたタチアオイも今年は花をつけそうだ。
この時期いつもなら青梅を手にとるはずだけど、あまりの余裕のなさにやめておいた。
こういう心のゆとりのなさがちょっとさびしい。

綱渡りの毎日

2009年5月29日 日常
綱渡りの毎日
綱渡りの毎日
5月も終わってしまうよー。
せっかくいい季節なのに、サクラもハナミズキもツツジも見たんだか見なかったんだか。
季節が目の前を通り過ぎていくみたいなあわただしさだ。

毎日毎日綱渡りみたいな日々。
家事と仕事はやんなきゃだしわんこのお世話もしなくちゃで、寝るときはぐったりで横になって3秒で寝てしまう。
ゆっくり本を読んだり文章を書いたりしたいなあー。
今シーズンはスーパー銭湯にも行ってないよ。
私の持ってる自由になる時間とわずかなお金は全部わんこにいってしまいます・・・(泣)。

それでも留守しておうちに帰ると、ピョンピョン飛び跳ねて短いしっぽをびゅんびゅんふって何度も何度もペロペロしてきて大歓迎される。
何年も会わないでいた恋人に再会したみたいな歓迎ぶり。
どこにいくにもちょこちょこついてくるし、やることすべてつぶらなひとみでじーっと見つめてるし、ふわふわの毛並みはさわりこごちがいいし、まあかわいいっちゃかわいいけど・・・。
でも、カワイイ<大変。
人間の子と同じで、またまた子育てやってるみたい。

先日、血統書が送られてきた。
血統書血統書って言葉は聞くけど、見たのは初めて。
家系図みたいに、父・母・4匹の祖父母・8匹の曽祖父母の名前や生まれ、ブリーダーさんの名前など書いてある(英語で)。
うちのはポメなんだけど、セーブルとかいう色で普通の茶色いポメの色ではない。
「なーんかさあー薄汚れた雑種の犬?みたいな色になってきたよね」
「だまされたんじゃね?雑種じゃね?」などとコドモたちと言っていたので、うちのわんこのひいおじいちゃんまでみーんなポメなことに軽くビックリ。

もっとビックリしたのはそこに書いてある名前。
アレックスだとかボニータだとかみなさまステキなお名前でいらっしゃるのだった。
しかもうちの子も名前がついていて、カレンデュラとかいうしゃれた名前。
・・・うわー。
純血種のセレブな一族を想像してしまう。
父「カレンデュラ、おまえもいいところにもらわれていくのだよ」
母「ドラッグストアの安い食事なんかを袋買いするような飼い主ではだめよ」
祖父「もちろん夏は冷房冬は暖房完備の邸宅だろうな。われわれ一族は気温の変化に弱いのだから」
祖母「お散歩もちゃんと靴を履かせてもらいなさいな。もちろんおしゃれなお洋服もね。『あら、あの犬ハダカよ』って思われちゃ一族の恥だわ」
・・・。

うちのわんこはポチとかタマとかそんなカンジの純和風なシンプルな名前です・・・。
その落差がヤバすぎる。
うちに来てよかったのかどうか。

そろそろお散歩もデビュー。
・・・もっと忙しくなるのかなあ。

こんなはずでは

2009年4月21日 日常
こんなはずでは
うちに来たばかりのころ。→
(うまくアップできないのでクリックして見てね)



わんこのワクチン接種で動物病院へ。

子犬は3回ワクチンを接種する。
1回目はすませてからうちに来たので、2回目の今回が動物病院デビュー。
この3回の予防接種が終わらないことには、わんこはお散歩にも出せないのだ。

子犬がいると「赤ちゃんがいるのと同じで外出できない」と前に聞いたけどこういうことか。
子犬はほんとに小さい4ヶ月近くの間、ずっとおうちで過ごすことになる。
私ははじめから仕事に行くため日中留守番させているけど、ずっとゲージに入れてひとりぽっち(一匹?)でおくのはかわいそう、と思えば外出なんかできないな。
だって、仕事行って帰ってくるとウンチをしてそれを踏んだりしているのでヒサンな状態に。
しかも、さびしい思いをしていたからか玄関あけて気配がするだけでキャウーンキャウーン鳴く。
ずっと家にいるなら、ウンチはしたらすぐ処理できるしわんこの相手も余裕をもってできるんだろう。

いやいや、こっちだって疲れて帰ってきてほっと一息したいところだよ。
せっかくコドモたちが高校生になって帰りが8時近くになったんだから。
仕事だっていっぱい働けて、帰ってからの夕方のひとときはコーヒータイム・DVDタイム・ぱそタイムになったはずなのに。
ただでさえ忙しいのにますます時間がなくて、新聞とかチラシ、コドモたちのお手紙関係でさえ滞る始末。
読書やテレビなんてさっぱりだ。
もうホントこんなはずでは!のオンパレード。

一番困るのは、かまってほしくて鳴かれること。
しつけの本によるとこれはほっといて「鳴いてもムダとわからせる」とある。
キャンキャン鳴いたらシカト!なんだけど、忙しいときとかゆっくりしたいとき(家にいるときはこのどっちかでしょ)に鳴かれるとイラっとくるんだよね。
自分のコドモたちが赤ちゃんのときもそうだったから、いやーなトラウマが蘇る気分。
かわいいことはかわいいんだけど、ホント犬は時間を奪うわー。
私にはハムちゃんくらいの距離感がちょうどいいや、と後悔しましたよ。

わんことの出会いは春休みの終わりのこと。
「高校生になったら忙しくなると思って、娘と二人で旅行に行ってきたの」と主婦友。
ああーしまった。実家に行ったりといろいろ忙しくて、娘とお出かけなんてしてない。高校生になったら時間なんてないし娘と出かけることもなくなるのに。
どこかに行けばよかった・・・と後悔。
で、プチお出かけのつもりで少し遠出して巨大ショッピングモールへ。
ここには大きなペットショップがある。
広いスペースで何匹もの子犬がじゃれていて見ていて飽きない。

その中でひときわ目を引く薄茶色のポメちゃん。
耳の先とシッポが黒くてよちよちコロコロと動く姿はぬいぐるみそのもの。
目もまんまるでかわいい。
「わんちゃんだっこしますか?」とペットショップのおねえさんに声をかけられ、だっこすると・・・片手にのりそうなくらいちっちゃい。
毛はふわふわもふもふ。
こんなぬいぐるみみたいな生き物がいるの?と思うほどかわいいったらない。

・・・即決だった。
今このときにこのわんこを飼う、ということが運命づけられていたのでは?と思うほどのタイミングだった。

いつか犬を飼いたいな、と思って何年たっただろう。
私も娘も犬が好きで、今までもしょっちゅうあちこちのペットショップに行ってはなごんでいた。
でも働かなきゃだし、娘が世話するったって結局は自分がかぶることになるのはわかっていたのでどう考えてもムリ。ずっとそう思っていた。
それでもなあ・・・自分も年をとると犬の散歩も大変になるし、コドモたちがうちにいるのもあと数年かも。
だったらこれが最後のチャンスかな?
ちょうど春休みに実家に行った直後で、あと一ヶ月は泊まりで出ることはないし。

「お世話するから。だいじょうぶだから。おかあさんひとりが大変になることはないから」と娘。
ショップのおねえさんも「みなさんお仕事に行ってる間はわんちゃんひとりでお留守番させてます。ごはんも朝と夜2回でいいし、お散歩も週に一度30分でだいじょうぶですよ」と・・・。
そうかなあ・・・。

そんな甘いハナシはないのだった。
娘だって「世話する」とか言って、高校生はうちにいないじゃんよ!
よりによって部活もまたハードなところに入部したもんだから、帰りは8時。
犬も朝晩2回のごはんのお世話だけですむなら、こんなに簡単なことはない。
生きてるんだもんなー。
人間で言ったらまだ幼稚園の子くらいだもんなー。
うんちもおしっこもまだまだ失敗するし、人恋しくてキャンキャン鳴くし、あちこち興味があって探索もするよなあ・・・。
娘だって3歳のころ、庭でダンゴ虫を口に入れてたもんな。

動物病院で「どうですか?おうちに来てから2週間ですよね」と先生に聞かれ、思わず「もうーキャンキャン鳴かれて大変で!」と答えてしまい、あああ、私のこと聞かれてるんじゃない、犬のことだったよ、と「ごはんもよく食べるし元気です」と言いなおす。
病院のおねえさんにおとなしく爪を切られ、先生に耳そうじをしてもらい、注射のときもきゃんとも鳴かずおりこうにしていたわんこ。
なんだよ、うちでの態度とずいぶん違うじゃんか・・・。
借りてきたネコ状態がちょっと笑えた。










わんこ has come!
時間も心の余裕もお金もないっつーに・・・
わんことの暮らしが始まってしまいました。

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