娘、宿題の音読をしている。
お題は「人類よ、宇宙人になれ」。
「太陽が死ねば地球も死ぬ・・・だっちゃ」。
文末に「だっちゃ」。
これは『野ブタ。』バージョンの音読。
ひととおり終わって、娘「はい。次、『電車男』バージョン。「たたたたたたたいようがしししししねばちちちちちちきゅうも・・・・」。
・・・さっぱり進まない。
さて、話は変わって。
私が行っている介護の会社のメンバーはオバチャンよりも若いママたちが多い。
歳のころは30代前半。
保育園に預けて朝から晩までバリバリ働いていて、家に帰ればまだまだ手がかかる子供のお世話。
ホントにアタマがさがる。
先日、事務所で報告書を書きながら保育園ママたちの会話を聞くとはなしに聞く。
「あした、『野ブタ。』だよねー。楽しみー♪」。
「うんうん。一時間あっという間に終わっちゃうよねー」。
「ふたりともいいよね♪」「どっちが好き?」「んーやっぱり『だっちゃ』のほう?」「あーそうだよね」。
などと盛り上がっていた。
ふうーーん・・・「ふたりともいい」のか・・・?
「野ブタ。をプロデュース」の「ふたり」とはNEWSの山下くんとKAT-TUNの亀梨くん。
「だっちゃ」の方が山下くん。
私としてはふたりとも「いい」とは思えない。
だらだらした話し方、だらしのない服装、何も考えてないっぽい会話・行動。高校生なのにホストみたいだ。
高校生ならもっと若いエネルギーを何かにぶつける、みたいなのがあってもいいだろ?とつい思ってしまうのだった。
「野ブタ。」のお話自体が、周囲に合わせて浮かないように気をつかうイマドキの高校生の閉塞感を描いているのだから、役作りなのかなーとも思うけど。
でも、ごくせんの亀梨くんもドラゴン桜の山下くんも今の「野ブタ。」のキャラとそんなに変わんないもんなあ。
「素」なんだか役柄なんだか。
原作と違ってプロデュースもさっぱり進まないし。
というより絶対アレじゃ設定にムリがあると思うなあ・・・。
修二が信子をプロデュースする必然性がないもん。
原作どおり修二が人気者から嫌われ者に一転する場面はあるのか?
比べるのもなんだが、WATの小池徹平くんとウエンツくんはカワイイし、速水もこみちだってカッコイイと思う。いい顔してるもん。
ウエンツくんは前から「なんて整った顔立ちの子だろう」と思っていたし、Mステで小池くんが感激のあまり思わず泣いた場面など「ああっなんてカワイイっっっ!」と私だけではなく、全国のオネエサマオバサマの心をわしづかみしたに違いない。
でもなあ・・・山下くんと亀梨くんのよさは私にはわからない。それでもNEWSもKAT-TUNも人気なんだから「いい」んだろう。
よくわからないな・・・と思っていた。
「まあ最近の若い子はああいうだらだらしたのがいいんだろうな」くらいに思っていた。
しかし!30代の保育園ママたちまであのふたりを「いい」とは・・・・。
「いいの?あの二人ってかっこいいの?」と聞くと、「うーん・・・カッコイイってわけじゃないけど『いい』よねえ」と。
「私はさ、WATの小池くんは『いい』と思うよ。カワイイし。ポルノのアキヒトの若いころに似てるじゃん」と言うと、「磯野さん、『○○の若いころに似てる』ってそういうほめ方はヤバイよ!」と笑われる。
そういえば、「中井喜一は、佐田啓二の若いころに似ていていい男だねえ」と母が言うのを聞いて、「ふーん?」と思ったもんな。
10歳くらい年下の世代とジェネレーションギャップを感じたひととき。
お題は「人類よ、宇宙人になれ」。
「太陽が死ねば地球も死ぬ・・・だっちゃ」。
文末に「だっちゃ」。
これは『野ブタ。』バージョンの音読。
ひととおり終わって、娘「はい。次、『電車男』バージョン。「たたたたたたたいようがしししししねばちちちちちちきゅうも・・・・」。
・・・さっぱり進まない。
さて、話は変わって。
私が行っている介護の会社のメンバーはオバチャンよりも若いママたちが多い。
歳のころは30代前半。
保育園に預けて朝から晩までバリバリ働いていて、家に帰ればまだまだ手がかかる子供のお世話。
ホントにアタマがさがる。
先日、事務所で報告書を書きながら保育園ママたちの会話を聞くとはなしに聞く。
「あした、『野ブタ。』だよねー。楽しみー♪」。
「うんうん。一時間あっという間に終わっちゃうよねー」。
「ふたりともいいよね♪」「どっちが好き?」「んーやっぱり『だっちゃ』のほう?」「あーそうだよね」。
などと盛り上がっていた。
ふうーーん・・・「ふたりともいい」のか・・・?
「野ブタ。をプロデュース」の「ふたり」とはNEWSの山下くんとKAT-TUNの亀梨くん。
「だっちゃ」の方が山下くん。
私としてはふたりとも「いい」とは思えない。
だらだらした話し方、だらしのない服装、何も考えてないっぽい会話・行動。高校生なのにホストみたいだ。
高校生ならもっと若いエネルギーを何かにぶつける、みたいなのがあってもいいだろ?とつい思ってしまうのだった。
「野ブタ。」のお話自体が、周囲に合わせて浮かないように気をつかうイマドキの高校生の閉塞感を描いているのだから、役作りなのかなーとも思うけど。
でも、ごくせんの亀梨くんもドラゴン桜の山下くんも今の「野ブタ。」のキャラとそんなに変わんないもんなあ。
「素」なんだか役柄なんだか。
原作と違ってプロデュースもさっぱり進まないし。
というより絶対アレじゃ設定にムリがあると思うなあ・・・。
修二が信子をプロデュースする必然性がないもん。
原作どおり修二が人気者から嫌われ者に一転する場面はあるのか?
比べるのもなんだが、WATの小池徹平くんとウエンツくんはカワイイし、速水もこみちだってカッコイイと思う。いい顔してるもん。
ウエンツくんは前から「なんて整った顔立ちの子だろう」と思っていたし、Mステで小池くんが感激のあまり思わず泣いた場面など「ああっなんてカワイイっっっ!」と私だけではなく、全国のオネエサマオバサマの心をわしづかみしたに違いない。
でもなあ・・・山下くんと亀梨くんのよさは私にはわからない。それでもNEWSもKAT-TUNも人気なんだから「いい」んだろう。
よくわからないな・・・と思っていた。
「まあ最近の若い子はああいうだらだらしたのがいいんだろうな」くらいに思っていた。
しかし!30代の保育園ママたちまであのふたりを「いい」とは・・・・。
「いいの?あの二人ってかっこいいの?」と聞くと、「うーん・・・カッコイイってわけじゃないけど『いい』よねえ」と。
「私はさ、WATの小池くんは『いい』と思うよ。カワイイし。ポルノのアキヒトの若いころに似てるじゃん」と言うと、「磯野さん、『○○の若いころに似てる』ってそういうほめ方はヤバイよ!」と笑われる。
そういえば、「中井喜一は、佐田啓二の若いころに似ていていい男だねえ」と母が言うのを聞いて、「ふーん?」と思ったもんな。
10歳くらい年下の世代とジェネレーションギャップを感じたひととき。
←雲ひとつない青空に黄色のいちょうが映える。
二十四節季の一つ、「小雪(しょうせつ)」である。
今年は11月22日より12月6日まで。
高い山に初雪が降って白く輝き、朝、息が白くなる時期。
うちの2階のベランダからも、天気のいい朝には雪を抱いた富士山が見える季節になった。
「小雪」のあと、「大雪」「冬至」「小寒」「大寒」と冬の季節は続く。
夏と冬とどっちが好き?と聞かれれば、迷わず「冬!」と答える。
寒いのはたくさん重ね着することであったかくなるし、空気が澄んでいるから風景がきれい。
あったかいお風呂に入ったり、湯気の出た食べ物をはふはふいいながら食べるのはこの上ないしあわせ。
今年は暖冬なんだろうか。雪は降るのか。
思案のしどころ。
なぜかって・・・いよいよマイカーにもスタッドレスかチェーンを装着しなければならない・・・。
去年までは学校のお仕事で、雪が降ってもいざとなれば歩きや電車で職場まで行っていた。
一冬に何度もあるわけじゃないし。
記憶をたどれば、雪が降って車が使えないのは去年も一昨年も一回ずつ。
だから、私の車はノーマルタイヤのまま。
でも今年はそうも言ってられない。
介護のお仕事、移動は車。
会社のヘルパーカーもあるけど、早い者勝ちだし、だいいち会社までだって車で行かなくちゃならない。
去年は新人だったから「雪で運転できないので休みます」とも言えたかもしれないが、今年は言えないなー。
私が北国育ちで雪道の運転に慣れている、ってみんな思っているし。
雪が降っても出動しなくちゃ。
何回降るのか?
スタッドレスは必要なのか?
チェーンでいいのか?
ダンナに言ったら「チェーンつけられるの?」。
あー・・・。
そんなのつけたことないし、だいたい自分でつけたチェーンなんてどこまで信用していいものか・・・。
やっぱりスタッドレスかなあ。
でもムダな出費はしたくないしなあ。
二十四節季の一つ、「小雪(しょうせつ)」である。
今年は11月22日より12月6日まで。
高い山に初雪が降って白く輝き、朝、息が白くなる時期。
うちの2階のベランダからも、天気のいい朝には雪を抱いた富士山が見える季節になった。
「小雪」のあと、「大雪」「冬至」「小寒」「大寒」と冬の季節は続く。
夏と冬とどっちが好き?と聞かれれば、迷わず「冬!」と答える。
寒いのはたくさん重ね着することであったかくなるし、空気が澄んでいるから風景がきれい。
あったかいお風呂に入ったり、湯気の出た食べ物をはふはふいいながら食べるのはこの上ないしあわせ。
今年は暖冬なんだろうか。雪は降るのか。
思案のしどころ。
なぜかって・・・いよいよマイカーにもスタッドレスかチェーンを装着しなければならない・・・。
去年までは学校のお仕事で、雪が降ってもいざとなれば歩きや電車で職場まで行っていた。
一冬に何度もあるわけじゃないし。
記憶をたどれば、雪が降って車が使えないのは去年も一昨年も一回ずつ。
だから、私の車はノーマルタイヤのまま。
でも今年はそうも言ってられない。
介護のお仕事、移動は車。
会社のヘルパーカーもあるけど、早い者勝ちだし、だいいち会社までだって車で行かなくちゃならない。
去年は新人だったから「雪で運転できないので休みます」とも言えたかもしれないが、今年は言えないなー。
私が北国育ちで雪道の運転に慣れている、ってみんな思っているし。
雪が降っても出動しなくちゃ。
何回降るのか?
スタッドレスは必要なのか?
チェーンでいいのか?
ダンナに言ったら「チェーンつけられるの?」。
あー・・・。
そんなのつけたことないし、だいたい自分でつけたチェーンなんてどこまで信用していいものか・・・。
やっぱりスタッドレスかなあ。
でもムダな出費はしたくないしなあ。
よくあることだが2、3日ダンナの顔を見ていない。
なにやら仕事が忙しいらしい。
夜中に帰ってきて、5時半ころ起きて6時くらいに出て行く様子。
私は11時には寝ているし6時半に起きるのですれ違い。
昔から「起きなくてもいい」と言われていたし「忙しいときには話するより一分でも寝たい」という人だったので、わざわざダンナに合わせて寝たり起きたり、という習慣が私にもない。
さすがに平日はカギが開く音や目覚ましの音などで気配は感じるが、けさは全く気づかずに朝を迎える。
7時半に起きたときには「あれ?ゆうべは物音がしなかったけど帰ってきたのかな」と思う。
居間の電気が消えていたことと、風呂に入った形跡があったので「ああ、一応帰ってきて出て行ったのか」と・・・。
コドモたちに「これでいいと思う?」と聞く。
娘「いいんじゃん。別に生活に影響ないし」。「いなくてフツーだからいるとビミョーな空気が流れていやだ」とも。
息子「なんか忙しいんでしょ。いいも悪いも別に困ることないし」と。
ううーん・・・。
確かにそうなのだった。
「これでいい?」も何も・・・コドモたちが物心ついたときにはこんなだったから少なくともコドモたちにとってはいいか悪いか比較のしようがないだろう。
生活は回っているし、ダンナがいなければ気をつかう相手がないなから母子3人のお気楽生活そのもの。
食事だって以前はよく3人で食べに行ったりテイクアウトしてきたり。
平日はダンナがいっしょに食事することはないので、魚の切り身だって自然と3枚、デザートのプリンやケーキなども自然に3個選ぶようになっている。
たまに平日の夜に急に「仕事早く終わったから帰る」と電話があると、「大変だ!おとうさん帰ってくるんだって!」とあわててしまう。
日曜日などでダンナがいると娘も息子もぎこちなく、それぞれ部屋にこもったり口数が少なくなったり。
「いなくて当たり前」だから「いると不自然」、だったら「いなくても別にいい」・・・そうなってしまってもしょうがない面はあるだろう。
私が「これでいいと思う?」と思うのはそこのところ。
今の状態が「いい」とは思えない。
でも、「いなくて当たり前」が居心地がいいのは確かで、そうすると「いなくてもいい」になってしまう・・・。
このことはずーっと昔から何度となくダンナに訴えたことなのだが、ここ数年はコドモたちも大きくなり、手はかからないし話し相手にもなるし、確かに母子家庭状態でも「困ることはない」のだった。
かえってお気楽で良し、と思うようにもなった。
・・・何が正しいのかフツウなのかはよくわからない。
平日の夜にそろって食事をする、ということがウチだけではなく難しいだろうということは予想できる。
思春期に入った息子や娘と父親がコミュニケーションをとるのは、家にいないならなおさら難しいだろうということも予想できる。
でも一週間に一度しかいっしょに食事することがないってのはどうか?と。
その一週間に一度、家にいるときだって特にコドモたちに話しかけるでもないおとうさんはどうか?と。
まあ、今ではすっかり悟り(あきらめ?)の境地で、いまさらどうにかなるとも思えないが・・・。
私がぼんやりと理想としていたところが高すぎたのかもしれない。
「おとうさんがなんとなくリーダーシップをとってくれて家族という集団をまとめてくれる」みたいな理想。
それとかけ離れているからといって「これじゃだめ」と思うのは考えすぎなんだろうな。
でもさー・・・。
ダンナとすれば、「仕事をすることで家族のためがんばっている、これ以上何を?」と思うのかもしれないが。
確かに「ダンナが働いてくれているからだ」と感謝はしているけれど、それって目に見えないこと。
たとえば「今度の休みはおいしいものを食べに行くか?」「紅葉がきれいだから出かけるか?」。
実際行く行かないはともかく、そんな言葉を聞いてみたいもんだ。
妻やコドモたちの喜ぶ顔を見たいなあとか何かしてやりたいなあとか、そういう気持ちが伝わることはいっさいナシ。
今となってはそんな気持ちなんてないのだろうが。
でも、コドモが熱を出したときくらい早く帰るとか「だいじょうぶか?」と額に手をあてるとか、それくらいしてもいいでしょと思ったりもする。
まあこんなこと書いていると、自分がとても不幸に思えてくるのでやめとこう。
目に見えないダンナの気持ちとか状況とかを推し量って気持ちを暗くしてもしょうがないし。
実際に目に見えることとして、きょうも天気がよくてコドモたちも元気。
ダンナは仕事に行ったし息子は部活に行ったので、のんびり土曜日。
娘がDSソフト「おいでよ どうぶつの森」の予約をするというので出かけて、二人で回転寿司でも食べてくるかな?
なにやら仕事が忙しいらしい。
夜中に帰ってきて、5時半ころ起きて6時くらいに出て行く様子。
私は11時には寝ているし6時半に起きるのですれ違い。
昔から「起きなくてもいい」と言われていたし「忙しいときには話するより一分でも寝たい」という人だったので、わざわざダンナに合わせて寝たり起きたり、という習慣が私にもない。
さすがに平日はカギが開く音や目覚ましの音などで気配は感じるが、けさは全く気づかずに朝を迎える。
7時半に起きたときには「あれ?ゆうべは物音がしなかったけど帰ってきたのかな」と思う。
居間の電気が消えていたことと、風呂に入った形跡があったので「ああ、一応帰ってきて出て行ったのか」と・・・。
コドモたちに「これでいいと思う?」と聞く。
娘「いいんじゃん。別に生活に影響ないし」。「いなくてフツーだからいるとビミョーな空気が流れていやだ」とも。
息子「なんか忙しいんでしょ。いいも悪いも別に困ることないし」と。
ううーん・・・。
確かにそうなのだった。
「これでいい?」も何も・・・コドモたちが物心ついたときにはこんなだったから少なくともコドモたちにとってはいいか悪いか比較のしようがないだろう。
生活は回っているし、ダンナがいなければ気をつかう相手がないなから母子3人のお気楽生活そのもの。
食事だって以前はよく3人で食べに行ったりテイクアウトしてきたり。
平日はダンナがいっしょに食事することはないので、魚の切り身だって自然と3枚、デザートのプリンやケーキなども自然に3個選ぶようになっている。
たまに平日の夜に急に「仕事早く終わったから帰る」と電話があると、「大変だ!おとうさん帰ってくるんだって!」とあわててしまう。
日曜日などでダンナがいると娘も息子もぎこちなく、それぞれ部屋にこもったり口数が少なくなったり。
「いなくて当たり前」だから「いると不自然」、だったら「いなくても別にいい」・・・そうなってしまってもしょうがない面はあるだろう。
私が「これでいいと思う?」と思うのはそこのところ。
今の状態が「いい」とは思えない。
でも、「いなくて当たり前」が居心地がいいのは確かで、そうすると「いなくてもいい」になってしまう・・・。
このことはずーっと昔から何度となくダンナに訴えたことなのだが、ここ数年はコドモたちも大きくなり、手はかからないし話し相手にもなるし、確かに母子家庭状態でも「困ることはない」のだった。
かえってお気楽で良し、と思うようにもなった。
・・・何が正しいのかフツウなのかはよくわからない。
平日の夜にそろって食事をする、ということがウチだけではなく難しいだろうということは予想できる。
思春期に入った息子や娘と父親がコミュニケーションをとるのは、家にいないならなおさら難しいだろうということも予想できる。
でも一週間に一度しかいっしょに食事することがないってのはどうか?と。
その一週間に一度、家にいるときだって特にコドモたちに話しかけるでもないおとうさんはどうか?と。
まあ、今ではすっかり悟り(あきらめ?)の境地で、いまさらどうにかなるとも思えないが・・・。
私がぼんやりと理想としていたところが高すぎたのかもしれない。
「おとうさんがなんとなくリーダーシップをとってくれて家族という集団をまとめてくれる」みたいな理想。
それとかけ離れているからといって「これじゃだめ」と思うのは考えすぎなんだろうな。
でもさー・・・。
ダンナとすれば、「仕事をすることで家族のためがんばっている、これ以上何を?」と思うのかもしれないが。
確かに「ダンナが働いてくれているからだ」と感謝はしているけれど、それって目に見えないこと。
たとえば「今度の休みはおいしいものを食べに行くか?」「紅葉がきれいだから出かけるか?」。
実際行く行かないはともかく、そんな言葉を聞いてみたいもんだ。
妻やコドモたちの喜ぶ顔を見たいなあとか何かしてやりたいなあとか、そういう気持ちが伝わることはいっさいナシ。
今となってはそんな気持ちなんてないのだろうが。
でも、コドモが熱を出したときくらい早く帰るとか「だいじょうぶか?」と額に手をあてるとか、それくらいしてもいいでしょと思ったりもする。
まあこんなこと書いていると、自分がとても不幸に思えてくるのでやめとこう。
目に見えないダンナの気持ちとか状況とかを推し量って気持ちを暗くしてもしょうがないし。
実際に目に見えることとして、きょうも天気がよくてコドモたちも元気。
ダンナは仕事に行ったし息子は部活に行ったので、のんびり土曜日。
娘がDSソフト「おいでよ どうぶつの森」の予約をするというので出かけて、二人で回転寿司でも食べてくるかな?
父が退職してから2ヶ月が過ぎた。
北国はそろそろ冬の気配だろうと電話してみる。
父が出る。
「集まりがあったり神社関係の正月の準備があったり、畑もやらなくちゃいけないし、忙しくて書類の片付けもなかなかできない」とのこと。
まあ、やることがないよりいいしボケるヒマもないのは何よりのこと。
そして・・・「ばーさんはなんだかさっき隣に出かけたっきり帰ってこない。なんだか俺がいると『茶のみ友達もこなくなった』と言ったり、毎日弁当も作らなくていいから朝もラクだろうと思っていたのに、『弁当作るから出かけてくれたほうがよかった』と言う」と声を落とした。
ああー・・・。母の気持ちも父の気持ちもよくわかるなあ・・・。
父は昔から仕事熱心で現場が大好きな教師だった。
私が子供のころ家にはしょっちゅう父の教え子たちが出入りしていたし、休みの日でも教え子たちと遊ぶために学校に行くようなそんな古き良き時代の教師だった。
クリスマスや誕生日・花火大会などのイベントごとを約束していても仕事で帰ってこなくて、さびしい思いをしたことは数知れず。
昔のことなので「遅くなる」と電話一本するわけでもなく、私たちはただひたすら父の帰りを待ったものだった。
母がどんな思いだったかは知らないが、「出かけた人はいつ帰ってくるかわからないから」といつも力なく笑って言っていた。
きっと子育て中は「自分の子供たちよりよその子たちを優先するなんて」と母なりに残念な思いをしてきたにちがいない。
校長を定年退職したあともついこの前まで教育委員会に勤務していたので、父不在は当たり前。
母は母の気楽な老後を近所の茶のみ友達たちとのんびりと過していたのである。
そこへ父の退職。
本来なら「おとうさん今までお疲れさま。これからはゆっくりしてください」とねぎらうべきなのはわかるが・・・ううーん・・・。
木曜9時のドラマ「熟年離婚」を思う。
定年退職した夫に対して妻が一方的に「離婚させてください」というところからドラマは始まった。
おっとりとした妻役の松坂慶子のセリフは世の妻たちの言いたいことを丁寧に言ってくれている。
ダンナが退職して毎日家にいられるなんて私だって耐えられない。
お金さえ困らなくてあんな再就職先とあんなマンションに住めるなら即離婚である。
でも回が進むにつれて、不器用なおとうさんを演じる渡哲也が見ていてあまりにもいじらしくかわいそうにも見えてくる。
ドラマの中で、こんなやりとりがあった。
妻「あなたが家族のためにいったい何をしたっていうんですか!」。
夫「俺が家族のために何もしてこなかったというのか!」。
・・・ああーと思う。
「何かする」ということの認識がズレている。
「あなたは子供が熱で大変だったときもゴルフでいなかった」などあのときもああだったこうだったそんなことの積み重ねが・・・という妻に対して、「そんな昔のこと!」と言い聞く耳を持たない夫。
ううーわかるわかる。
ホントにそうだよ。ウチもそうだ。
「熟年離婚」の夫婦も私たちも、そしてうちの父母も。
言い古された言葉で言ってしまえば、「仕事のため家庭をかえりみない夫と、どうせ言ってもしょうがないとあきらめ家庭のことはすべて自分でやってきた妻」。
男側の論理としては仕事をするのは家族のため、というのはアタマではわからないわけではないけれど。
仕事仕事で夫がいないのがあたり前の状況で妻と子供たちの生活が回っていて、急に退職したからといって家にゴロゴロされたり食事を待ったりされたら・・・・。
母の様子が気になって、あとでまた電話する。
もし私が母の立場ならノイローゼっぽくなるかもしれないし、ひとりの気楽な時間がほしくてイライラするかもしれない。
・・・「じーちゃんこんなこと言ってたけど?」と聞いてみると、母は「ああーそうねえ。でも何かあったときひとりでいるよりだれかいれば安心だしねえ。もう年寄りじいちゃんとばあちゃんだからねえ」とのんびり笑う。
そうかそうか。
ドラマの夫婦はまだ60歳で若いけど、父母はとうに70過ぎてるしね。
心配しすぎだったみたいでよかったよかった。
北国の冬は長くて寒い。
年寄り二人暮らしのこと、ひと冬年を重ねるごとに心配だけれどなんとか長生きしてほしいなあと思う。
北国はそろそろ冬の気配だろうと電話してみる。
父が出る。
「集まりがあったり神社関係の正月の準備があったり、畑もやらなくちゃいけないし、忙しくて書類の片付けもなかなかできない」とのこと。
まあ、やることがないよりいいしボケるヒマもないのは何よりのこと。
そして・・・「ばーさんはなんだかさっき隣に出かけたっきり帰ってこない。なんだか俺がいると『茶のみ友達もこなくなった』と言ったり、毎日弁当も作らなくていいから朝もラクだろうと思っていたのに、『弁当作るから出かけてくれたほうがよかった』と言う」と声を落とした。
ああー・・・。母の気持ちも父の気持ちもよくわかるなあ・・・。
父は昔から仕事熱心で現場が大好きな教師だった。
私が子供のころ家にはしょっちゅう父の教え子たちが出入りしていたし、休みの日でも教え子たちと遊ぶために学校に行くようなそんな古き良き時代の教師だった。
クリスマスや誕生日・花火大会などのイベントごとを約束していても仕事で帰ってこなくて、さびしい思いをしたことは数知れず。
昔のことなので「遅くなる」と電話一本するわけでもなく、私たちはただひたすら父の帰りを待ったものだった。
母がどんな思いだったかは知らないが、「出かけた人はいつ帰ってくるかわからないから」といつも力なく笑って言っていた。
きっと子育て中は「自分の子供たちよりよその子たちを優先するなんて」と母なりに残念な思いをしてきたにちがいない。
校長を定年退職したあともついこの前まで教育委員会に勤務していたので、父不在は当たり前。
母は母の気楽な老後を近所の茶のみ友達たちとのんびりと過していたのである。
そこへ父の退職。
本来なら「おとうさん今までお疲れさま。これからはゆっくりしてください」とねぎらうべきなのはわかるが・・・ううーん・・・。
木曜9時のドラマ「熟年離婚」を思う。
定年退職した夫に対して妻が一方的に「離婚させてください」というところからドラマは始まった。
おっとりとした妻役の松坂慶子のセリフは世の妻たちの言いたいことを丁寧に言ってくれている。
ダンナが退職して毎日家にいられるなんて私だって耐えられない。
お金さえ困らなくてあんな再就職先とあんなマンションに住めるなら即離婚である。
でも回が進むにつれて、不器用なおとうさんを演じる渡哲也が見ていてあまりにもいじらしくかわいそうにも見えてくる。
ドラマの中で、こんなやりとりがあった。
妻「あなたが家族のためにいったい何をしたっていうんですか!」。
夫「俺が家族のために何もしてこなかったというのか!」。
・・・ああーと思う。
「何かする」ということの認識がズレている。
「あなたは子供が熱で大変だったときもゴルフでいなかった」などあのときもああだったこうだったそんなことの積み重ねが・・・という妻に対して、「そんな昔のこと!」と言い聞く耳を持たない夫。
ううーわかるわかる。
ホントにそうだよ。ウチもそうだ。
「熟年離婚」の夫婦も私たちも、そしてうちの父母も。
言い古された言葉で言ってしまえば、「仕事のため家庭をかえりみない夫と、どうせ言ってもしょうがないとあきらめ家庭のことはすべて自分でやってきた妻」。
男側の論理としては仕事をするのは家族のため、というのはアタマではわからないわけではないけれど。
仕事仕事で夫がいないのがあたり前の状況で妻と子供たちの生活が回っていて、急に退職したからといって家にゴロゴロされたり食事を待ったりされたら・・・・。
母の様子が気になって、あとでまた電話する。
もし私が母の立場ならノイローゼっぽくなるかもしれないし、ひとりの気楽な時間がほしくてイライラするかもしれない。
・・・「じーちゃんこんなこと言ってたけど?」と聞いてみると、母は「ああーそうねえ。でも何かあったときひとりでいるよりだれかいれば安心だしねえ。もう年寄りじいちゃんとばあちゃんだからねえ」とのんびり笑う。
そうかそうか。
ドラマの夫婦はまだ60歳で若いけど、父母はとうに70過ぎてるしね。
心配しすぎだったみたいでよかったよかった。
北国の冬は長くて寒い。
年寄り二人暮らしのこと、ひと冬年を重ねるごとに心配だけれどなんとか長生きしてほしいなあと思う。
きょうはおまけのお休みをとった。
ひとりでのんびりしたいなあと思って。
のんびりのイメージ→おうちでソファに寝っころがって読書orテレビ。
それも、「読まなくては」「見なくては」という消化試合じゃないもの。
部屋にただようコーヒーの香り。
眠くなったら昼寝。
でも!
だめなんだよね・・・。
のんびりできなくてついつい「何か」してしまう私。
冬物のボアシーツを出したりコタツ布団を出したりついでにお掃除したり。
買い物行って銀行行って宅急便出して、あちこち見て帰りにDVD借りてしまったため消化しなければならず、やっぱりまた「見なくては」になってしまった。
まあそれなりにおもしろかったけど。
本日のDVD。
「ドラムライン」。
アメリカの大学のマーチングバンドが舞台。
ドラムラインはバンドの花形なんですな。
いわゆる「ウォーターボーイズ」「スィングガールズ」的お話で、大変わかりやすくしかもワクワクして楽しい。
ドラムいいねえー♪
今度生まれ変わったら小学校で金管クラブ、中学校で吹奏楽部に入ってドラムをやるのだっ。
「ビッグフィッシュ」。
父が語る冒険ストーリーと息子との確執?ですか。
ラストしんみり。大変いいお話でした。
息子が語る父の死の場面とおとうさんのお葬式のシーンはあまりに美しく見入ってしまった。
ユアンはやっぱりカワイイところがあって永遠の少年って感じ。
きょうは寒い。
一日って早いなあ・・・。
ひとりでのんびりしたいなあと思って。
のんびりのイメージ→おうちでソファに寝っころがって読書orテレビ。
それも、「読まなくては」「見なくては」という消化試合じゃないもの。
部屋にただようコーヒーの香り。
眠くなったら昼寝。
でも!
だめなんだよね・・・。
のんびりできなくてついつい「何か」してしまう私。
冬物のボアシーツを出したりコタツ布団を出したりついでにお掃除したり。
買い物行って銀行行って宅急便出して、あちこち見て帰りにDVD借りてしまったため消化しなければならず、やっぱりまた「見なくては」になってしまった。
まあそれなりにおもしろかったけど。
本日のDVD。
「ドラムライン」。
アメリカの大学のマーチングバンドが舞台。
ドラムラインはバンドの花形なんですな。
いわゆる「ウォーターボーイズ」「スィングガールズ」的お話で、大変わかりやすくしかもワクワクして楽しい。
ドラムいいねえー♪
今度生まれ変わったら小学校で金管クラブ、中学校で吹奏楽部に入ってドラムをやるのだっ。
「ビッグフィッシュ」。
父が語る冒険ストーリーと息子との確執?ですか。
ラストしんみり。大変いいお話でした。
息子が語る父の死の場面とおとうさんのお葬式のシーンはあまりに美しく見入ってしまった。
ユアンはやっぱりカワイイところがあって永遠の少年って感じ。
きょうは寒い。
一日って早いなあ・・・。
ウワサのベジータくん
2005年11月8日 日常
←ベジータ。若いのに気の毒。
介護のお仕事。
訪問する家ごとに会社のほうで用意した「連絡ノート」が置いてある。
一訪問ごとに「訪問日・訪問時間・内容」などを書き、最後に署名する。
訪問介護員というのは個人プレーのお仕事なので、会社でみんなが顔を合わせることはそれほど多くない。
報告書を会社のファイルに書けばよく、直行直帰もありなので同じ会社のヘルパー同士でも顔を知らないということはよくある。
ただ、タイムカードや報告書・日報などで名前だけは見かけるので「メンバーの名前と筆跡だけは知っている」状態になる。
すると、訪問先のノートで署名を見かけると、どんな顔か知らないけれど「ああ○○さんだ」ということになる。
ノート上でよく見かけるとどんな人かなあと気になり、たまたま会社に本人がいてどんな人か判明すると妙にうれしくなったりもする。
丸っこいカワイイ文字で書いているから若いおねえさんかなあ想像しているとオバチャンだったり、ものすごく達筆なのでどんなしっかりした人かと思えばまだ20代前半の若い人だったり。
よく訪問するお宅のノートで見かけるヘルパーさんの名前はよく覚え、顔を知らなくても鈴木さん宅によく行くヘルパーさん同士は「チーム鈴木」みたいな感じで勝手に親近感を持ったりもする。
連絡ノートには訪問する私たちだけでなく、ご家族の方が「いつもご苦労様です」とか「できればもう少しオムツを背中寄りにあててください」とか書くこともある。
訪問看護士さんやケアマネージャーさんが訪問したあとも、「本日訪問いたしました。デイサービスのパンフレットをお持ちしましたのでご検討ください」などと一筆残したりもする。
そんな中で、「北山」というケアマネさんの署名が妙に目に付くようになる。
女性がほとんどの連絡帳の文字の中に、角ばった文字でしっかりとした筆跡。
ノートを見ていて、利用者さんに「あ、きょうケアマネさん来たんですね」というと、「北山さんって面倒見のいい人でね、よく話聞いてくれるんだよ」とか「まだ若いんだけどね、よくできた人だよ。なかなか男っぷりもいいし」とか。
そういういいウワサを聞くと、なんとなく自分の中で「若くて男っぷりがよくて熱心な北山さん」像が広がるのだった。
私が10時インのときに、9時50分アウトで「北山」の署名があったりすると「ううーっニアミスっっっ!」とものすごく残念な気になったり。
ノート上でだけで、そんなニアミスを繰り返したりするとぜひ顔を拝みたい・・・という気になる。
どんな人だろ?年の頃は?男っぷりがいいというのは本当か?
ある日、利用者さん宅でお仕事していると「ピンポーン♪」と突然の来客。
「どなたかしら?」と利用者さんが玄関先に出ると「北山です」。
北山さん、「まだヘルパーさんいる時間かと思ったんですけど書類お持ちしました」と玄関先で言いながら靴を脱いであがってくる様子。
えっ?あの北山さん?胸は高鳴る。
イスから立ち上がって待ち、入ってきた北山さんにごあいさつ。
・・・この方がウワサの北山さん!
背もスラリと高く、この業界の男性によくいる人あたりのよさそうな優しい笑顔。
たしかに面倒見がよく熱心に話を聞いてくれそうだ。
そして若い。
あごのラインのシャープさからいって、おそらくまだ20代だろうと思われる。
が!
惜しいのはそのオデコの広さ・・・。
きれいなM字型に切れこんだオデコの広さはサイヤ人ベジータもびっくり!
ううーん・・・顔立ちもキリっとしてウワサどおりなかなか男っぷりがいいのに。
ケアマネというのはストレスが多い仕事だと思うが・・・それにしても切れ込みは西村雅彦以上。
ホントに惜しいっっ!
それ以来、私は「北山」の署名を見ても残念ながら胸が躍ることはなくなり「あっベジータくん、がっばってるね」とひそかにエールを送るのであった。
介護のお仕事。
訪問する家ごとに会社のほうで用意した「連絡ノート」が置いてある。
一訪問ごとに「訪問日・訪問時間・内容」などを書き、最後に署名する。
訪問介護員というのは個人プレーのお仕事なので、会社でみんなが顔を合わせることはそれほど多くない。
報告書を会社のファイルに書けばよく、直行直帰もありなので同じ会社のヘルパー同士でも顔を知らないということはよくある。
ただ、タイムカードや報告書・日報などで名前だけは見かけるので「メンバーの名前と筆跡だけは知っている」状態になる。
すると、訪問先のノートで署名を見かけると、どんな顔か知らないけれど「ああ○○さんだ」ということになる。
ノート上でよく見かけるとどんな人かなあと気になり、たまたま会社に本人がいてどんな人か判明すると妙にうれしくなったりもする。
丸っこいカワイイ文字で書いているから若いおねえさんかなあ想像しているとオバチャンだったり、ものすごく達筆なのでどんなしっかりした人かと思えばまだ20代前半の若い人だったり。
よく訪問するお宅のノートで見かけるヘルパーさんの名前はよく覚え、顔を知らなくても鈴木さん宅によく行くヘルパーさん同士は「チーム鈴木」みたいな感じで勝手に親近感を持ったりもする。
連絡ノートには訪問する私たちだけでなく、ご家族の方が「いつもご苦労様です」とか「できればもう少しオムツを背中寄りにあててください」とか書くこともある。
訪問看護士さんやケアマネージャーさんが訪問したあとも、「本日訪問いたしました。デイサービスのパンフレットをお持ちしましたのでご検討ください」などと一筆残したりもする。
そんな中で、「北山」というケアマネさんの署名が妙に目に付くようになる。
女性がほとんどの連絡帳の文字の中に、角ばった文字でしっかりとした筆跡。
ノートを見ていて、利用者さんに「あ、きょうケアマネさん来たんですね」というと、「北山さんって面倒見のいい人でね、よく話聞いてくれるんだよ」とか「まだ若いんだけどね、よくできた人だよ。なかなか男っぷりもいいし」とか。
そういういいウワサを聞くと、なんとなく自分の中で「若くて男っぷりがよくて熱心な北山さん」像が広がるのだった。
私が10時インのときに、9時50分アウトで「北山」の署名があったりすると「ううーっニアミスっっっ!」とものすごく残念な気になったり。
ノート上でだけで、そんなニアミスを繰り返したりするとぜひ顔を拝みたい・・・という気になる。
どんな人だろ?年の頃は?男っぷりがいいというのは本当か?
ある日、利用者さん宅でお仕事していると「ピンポーン♪」と突然の来客。
「どなたかしら?」と利用者さんが玄関先に出ると「北山です」。
北山さん、「まだヘルパーさんいる時間かと思ったんですけど書類お持ちしました」と玄関先で言いながら靴を脱いであがってくる様子。
えっ?あの北山さん?胸は高鳴る。
イスから立ち上がって待ち、入ってきた北山さんにごあいさつ。
・・・この方がウワサの北山さん!
背もスラリと高く、この業界の男性によくいる人あたりのよさそうな優しい笑顔。
たしかに面倒見がよく熱心に話を聞いてくれそうだ。
そして若い。
あごのラインのシャープさからいって、おそらくまだ20代だろうと思われる。
が!
惜しいのはそのオデコの広さ・・・。
きれいなM字型に切れこんだオデコの広さはサイヤ人ベジータもびっくり!
ううーん・・・顔立ちもキリっとしてウワサどおりなかなか男っぷりがいいのに。
ケアマネというのはストレスが多い仕事だと思うが・・・それにしても切れ込みは西村雅彦以上。
ホントに惜しいっっ!
それ以来、私は「北山」の署名を見ても残念ながら胸が躍ることはなくなり「あっベジータくん、がっばってるね」とひそかにエールを送るのであった。
「立冬」である。
とはいえ本日は雲ひとつない真っ青な空。
ちょっと体を動かせば汗ばむ陽気。
夏日・・・とまではいかないが、23度は越えていたな。
さて、「立冬」というと思い出すお話がある。
小学生のころ読んだ本にのっていてうろ覚えだったが、つい先日ネットで発見!
ああ、こんなお話だった、とうれしかったので立冬の本日ご紹介♪
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昔、冬がきて寒くなると空からお砂糖や小麦粉の降ってくる村が中国にありました。
その村では、初めの日に小麦粉が降ってくると、そのつぎの日お砂糖がたくさん降ってくるのです。
お砂糖と小麦粉がかわりばんこに空から降ってくる、そんな日が十日も十五日も続くのです。
「やあ、今年も降ってきたぞ、白い粉が」。
小麦粉の白い粉が降りだすと、村の人たちはおけや水がめやそのほかいろんな入れ物を持ち出してせっせと粉を集めます。
そしてそれを袋に入れて、大きな蔵にいっぱい粉の入った袋をつめこみます。
「やあ、きょうは、甘い砂糖だぞ」。
お砂糖も小麦粉と同じで、砂や土がまじらないようにきれいに集めておきます。
こうして一年分のお砂糖と小麦粉をたくわえてしまうと、村の人たちは遊んで暮らせばいいのです。
「やあ、けっこう、けっこう。今年も働かなくていいわけだ」。
「ほんとうにありがたいねえ。毎日、寝ころがっていればいいんだから」。
村の人たちは、ほかの村の様に畑を耕して麦や豆をつくろうとしません。
おなかがすいたら、おだんごや砂糖菓子をつくって食ベればいいわけですから。
しあわせなことに、毎年毎年冬になるとお砂糖も小麦粉もじゅうぶんに空から降ってきました。
そうなると、村の人たちの心の中にありがたいという気持ちなどは、すっかりなくなって小麦粉やお砂糖をそまつにするようになりました。
子どもたちまで、小麦粉をおだんごにして石のように投げてみたり池にお砂糖を流して遊んだりしました。
やがて、今年も冬がやってきました。
けれども、村の人たちは空からの贈り物を待ってはいません。
もうあり余るほど前の年の分が残っていたからです。
そのうちにまた、白い粉が降ってきました。
みるみるうちに、あたり一面まっ白に積もりました。
そのとき、外で遊んでいた子どもたちが奇妙な叫び声をあげました。
「あれー! 砂糖じゃないぞー!」。
「小麦粉でもないぞー!」。
「冷たい、冷たい、冷たい!」。
「口の中へ入れたら、とけてなくなるよー!」。
驚いて、おとなたちも外へ飛び出してきました。
「ほんとうだ。冷たくて口に入れるととけてしまうぞ!」。
空から降ってきた白い粉、それはお砂糖でもない小麦粉でもないふつうの雪だったのです。
そして、そのつぎの年もまたつぎの年ももうお砂糖や小麦粉はけっして降ってきませんでした。
たくわえてあったお砂糖や小麦粉もついになくなり、すっかりなまけ者になってしまった人たちは、たいへん困ったということです。
とはいえ本日は雲ひとつない真っ青な空。
ちょっと体を動かせば汗ばむ陽気。
夏日・・・とまではいかないが、23度は越えていたな。
さて、「立冬」というと思い出すお話がある。
小学生のころ読んだ本にのっていてうろ覚えだったが、つい先日ネットで発見!
ああ、こんなお話だった、とうれしかったので立冬の本日ご紹介♪
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昔、冬がきて寒くなると空からお砂糖や小麦粉の降ってくる村が中国にありました。
その村では、初めの日に小麦粉が降ってくると、そのつぎの日お砂糖がたくさん降ってくるのです。
お砂糖と小麦粉がかわりばんこに空から降ってくる、そんな日が十日も十五日も続くのです。
「やあ、今年も降ってきたぞ、白い粉が」。
小麦粉の白い粉が降りだすと、村の人たちはおけや水がめやそのほかいろんな入れ物を持ち出してせっせと粉を集めます。
そしてそれを袋に入れて、大きな蔵にいっぱい粉の入った袋をつめこみます。
「やあ、きょうは、甘い砂糖だぞ」。
お砂糖も小麦粉と同じで、砂や土がまじらないようにきれいに集めておきます。
こうして一年分のお砂糖と小麦粉をたくわえてしまうと、村の人たちは遊んで暮らせばいいのです。
「やあ、けっこう、けっこう。今年も働かなくていいわけだ」。
「ほんとうにありがたいねえ。毎日、寝ころがっていればいいんだから」。
村の人たちは、ほかの村の様に畑を耕して麦や豆をつくろうとしません。
おなかがすいたら、おだんごや砂糖菓子をつくって食ベればいいわけですから。
しあわせなことに、毎年毎年冬になるとお砂糖も小麦粉もじゅうぶんに空から降ってきました。
そうなると、村の人たちの心の中にありがたいという気持ちなどは、すっかりなくなって小麦粉やお砂糖をそまつにするようになりました。
子どもたちまで、小麦粉をおだんごにして石のように投げてみたり池にお砂糖を流して遊んだりしました。
やがて、今年も冬がやってきました。
けれども、村の人たちは空からの贈り物を待ってはいません。
もうあり余るほど前の年の分が残っていたからです。
そのうちにまた、白い粉が降ってきました。
みるみるうちに、あたり一面まっ白に積もりました。
そのとき、外で遊んでいた子どもたちが奇妙な叫び声をあげました。
「あれー! 砂糖じゃないぞー!」。
「小麦粉でもないぞー!」。
「冷たい、冷たい、冷たい!」。
「口の中へ入れたら、とけてなくなるよー!」。
驚いて、おとなたちも外へ飛び出してきました。
「ほんとうだ。冷たくて口に入れるととけてしまうぞ!」。
空から降ってきた白い粉、それはお砂糖でもない小麦粉でもないふつうの雪だったのです。
そして、そのつぎの年もまたつぎの年ももうお砂糖や小麦粉はけっして降ってきませんでした。
たくわえてあったお砂糖や小麦粉もついになくなり、すっかりなまけ者になってしまった人たちは、たいへん困ったということです。
冒険とイマジネーションの海へ
2005年11月5日 日常
←一回転コースター 「レイジングスピリッツ」入り口
文化の日、ディズニーシーへ行く。
4年ぶりのシー、堪能したした!
ハロウィンとクリスマスのはざまで空いているかも?という予想が当たり、乗った・食ったで大満足!
シー行きが決まったのはつい先日。
息子が友達同士文化の日にシーに行く約束をしたというのを聞いて、主婦友にグチる。
「あーあ・・・コドモたちは友達とこれから何度でも行けるけどさ、もう私は一生行けないかもなあ・・・。娘だって中学になれば友達同士で行くようになるしさあ。ダンナはあんな場所に行かないし。いや、ノリの悪いダンナと夢の国に行く気なんて私もないけどさ。今度行くとしたら娘に子供がうまれて、子守り代わりに行くときかなあ・・・」。
いや、マジでそう思った。
若いときも子供が小さいときも1、2年に一度は行っていたディズニーリゾート。
ランドは制覇したがシーは全くである。
でももう「家族でお出かけ」はないし、主婦友たちとオトナだけで行くのもなんだかなあ、と。
それを聞いた主婦友も深くうなづき、「私たちも行かなくちゃ!」。
というわけで、主婦友のダンナを運転手にしたててコドモたちもみんなで行くことに決定。
うれしいぃぃぃーーー(涙)。
シーは4年前の開園と同時に一度行ったきり。
あのときは開園したばかりでメチャ混みのうえ、娘が小さかったのでどれもこれも乗れずさっぱりであった。
息子たちが「インディジョーンズ」や「センターオブジアース」に行くのを横目に、一日の大半をマーメイドラグーンとアラビアンコーストで過した・・・。
アリエルの子供遊び広場にこもり、あまりの照明の暗さとやることのなさにしばらく居眠りをした・・という苦い記憶がある。
シーにきてまでイトーヨーカドーのオコサマ広場みたいなところで居眠りかよ、とくやしい思いをしたので、今回はリベンジであった!
今回の目的はアトラクション制覇と屋台(?)のうまいもの制覇。
アトラクションはファストパスをとりつつウェイティング60分以内なら並ぶ。
やっぱり空いているらしくけっこうさくさくとこなせる。
また乗りたいもの。
・センターオブジアース 4年越しの思いがかないうれしい。外から見ていると火山の高いところから絶叫とともにコースターが飛び出してくるのでさぞ・・とビビるが、真っ暗な中スピードが出ていよいよだなと思ったらポッ!と出て終了。
便秘スッキリみたいな、あの感覚はなかなか。
・インディジョーンズアドベンチャー 期待したほどスピードもなくそこそこ。これから来るか来るかと思っているうちにちょっと落ちて終了。センターもインディもコースが未知だったので今度は中をちゃんと見たい。
・レイジングスピリッツ 一回転する新アトラクション。ディズニーのアトラクションは広い場所にさまざまなしかけといっしょにあるからこそ、なのに、狭い場所にぎゅっと作ってあるのでディズニーリゾートらしくない。だまして乗せた娘たちは「もうムリ!もうイヤ!まだあるのー?!」と叫んでいた。
・海底2万マイル ドラマ「海猿」を見るだけで心拍数・血圧ともに上昇し息苦しくなるというのになぜ乗ってしまったのか。私は閉所がダメ・・・。しかも海の底で潜水艦内に閉じ込められ上昇できなくなる、という設定。ぎぇー・・・。こんなもんはツクリモノだ、海の底なんかじゃない・・と一生懸命言い聞かせ考えないようにして切り抜けるが、もう二度と乗りません。
まあ、その他3D「マジックランプシアター」には楽しませてもらったし、「シンドバッド」や「蒸気船でシー一周」は寝かせてもらったし。
夕暮れになるにつれ、私も主婦友たちも「ランドの『カントリーベアシアター』とか『ミッキーマウスレビュー』みたいなすぐ入れて休める場所はないの?」と思うがシーにはなし。
アップダウンがけっこうあるシーは足が疲れる・・・。
限界に近いがコレを見ないことには・・と夜のショー「ブラヴィッシーモ!」に備えて立って待つ。
昼のショーも空中を舞い踊るタコ(オクトパスではなくカイトのほう)に感激したが、この夜のショーは圧巻。
水の精と火の精がすばらしく、最前列にいた私たちは水でぬれるわ火であぶられるわで臨場感バッチリ。
惜しげもなく水や火が噴出し、花火もズボーンズホーンと大盤振る舞い。
主婦友、「一晩で何百万円?ランドのパレードは使いまわしだけど、こりゃ金かかってるよ」と主婦感覚。
シーに行ったら必見なのだった!
歩く先々で行列に並んではワゴンのうまいもんも制覇。
餃子ドック・うきわまん・フライドもちボールなどみんなおいしい。
私としてはアメリカンウォーターフロントの「焼き寿司ロール」「クリームみそスープ」がうまかった。
ということで、楽しい一日でした。
文化の日、ディズニーシーへ行く。
4年ぶりのシー、堪能したした!
ハロウィンとクリスマスのはざまで空いているかも?という予想が当たり、乗った・食ったで大満足!
シー行きが決まったのはつい先日。
息子が友達同士文化の日にシーに行く約束をしたというのを聞いて、主婦友にグチる。
「あーあ・・・コドモたちは友達とこれから何度でも行けるけどさ、もう私は一生行けないかもなあ・・・。娘だって中学になれば友達同士で行くようになるしさあ。ダンナはあんな場所に行かないし。いや、ノリの悪いダンナと夢の国に行く気なんて私もないけどさ。今度行くとしたら娘に子供がうまれて、子守り代わりに行くときかなあ・・・」。
いや、マジでそう思った。
若いときも子供が小さいときも1、2年に一度は行っていたディズニーリゾート。
ランドは制覇したがシーは全くである。
でももう「家族でお出かけ」はないし、主婦友たちとオトナだけで行くのもなんだかなあ、と。
それを聞いた主婦友も深くうなづき、「私たちも行かなくちゃ!」。
というわけで、主婦友のダンナを運転手にしたててコドモたちもみんなで行くことに決定。
うれしいぃぃぃーーー(涙)。
シーは4年前の開園と同時に一度行ったきり。
あのときは開園したばかりでメチャ混みのうえ、娘が小さかったのでどれもこれも乗れずさっぱりであった。
息子たちが「インディジョーンズ」や「センターオブジアース」に行くのを横目に、一日の大半をマーメイドラグーンとアラビアンコーストで過した・・・。
アリエルの子供遊び広場にこもり、あまりの照明の暗さとやることのなさにしばらく居眠りをした・・という苦い記憶がある。
シーにきてまでイトーヨーカドーのオコサマ広場みたいなところで居眠りかよ、とくやしい思いをしたので、今回はリベンジであった!
今回の目的はアトラクション制覇と屋台(?)のうまいもの制覇。
アトラクションはファストパスをとりつつウェイティング60分以内なら並ぶ。
やっぱり空いているらしくけっこうさくさくとこなせる。
また乗りたいもの。
・センターオブジアース 4年越しの思いがかないうれしい。外から見ていると火山の高いところから絶叫とともにコースターが飛び出してくるのでさぞ・・とビビるが、真っ暗な中スピードが出ていよいよだなと思ったらポッ!と出て終了。
便秘スッキリみたいな、あの感覚はなかなか。
・インディジョーンズアドベンチャー 期待したほどスピードもなくそこそこ。これから来るか来るかと思っているうちにちょっと落ちて終了。センターもインディもコースが未知だったので今度は中をちゃんと見たい。
・レイジングスピリッツ 一回転する新アトラクション。ディズニーのアトラクションは広い場所にさまざまなしかけといっしょにあるからこそ、なのに、狭い場所にぎゅっと作ってあるのでディズニーリゾートらしくない。だまして乗せた娘たちは「もうムリ!もうイヤ!まだあるのー?!」と叫んでいた。
・海底2万マイル ドラマ「海猿」を見るだけで心拍数・血圧ともに上昇し息苦しくなるというのになぜ乗ってしまったのか。私は閉所がダメ・・・。しかも海の底で潜水艦内に閉じ込められ上昇できなくなる、という設定。ぎぇー・・・。こんなもんはツクリモノだ、海の底なんかじゃない・・と一生懸命言い聞かせ考えないようにして切り抜けるが、もう二度と乗りません。
まあ、その他3D「マジックランプシアター」には楽しませてもらったし、「シンドバッド」や「蒸気船でシー一周」は寝かせてもらったし。
夕暮れになるにつれ、私も主婦友たちも「ランドの『カントリーベアシアター』とか『ミッキーマウスレビュー』みたいなすぐ入れて休める場所はないの?」と思うがシーにはなし。
アップダウンがけっこうあるシーは足が疲れる・・・。
限界に近いがコレを見ないことには・・と夜のショー「ブラヴィッシーモ!」に備えて立って待つ。
昼のショーも空中を舞い踊るタコ(オクトパスではなくカイトのほう)に感激したが、この夜のショーは圧巻。
水の精と火の精がすばらしく、最前列にいた私たちは水でぬれるわ火であぶられるわで臨場感バッチリ。
惜しげもなく水や火が噴出し、花火もズボーンズホーンと大盤振る舞い。
主婦友、「一晩で何百万円?ランドのパレードは使いまわしだけど、こりゃ金かかってるよ」と主婦感覚。
シーに行ったら必見なのだった!
歩く先々で行列に並んではワゴンのうまいもんも制覇。
餃子ドック・うきわまん・フライドもちボールなどみんなおいしい。
私としてはアメリカンウォーターフロントの「焼き寿司ロール」「クリームみそスープ」がうまかった。
ということで、楽しい一日でした。
←オタク画伯による飛脚
JAFメイトを読んでいたら「車のジンクス」という特集記事。
「霊柩車を見たら親指をかくす」とか「赤い車に乗ると貧乏になる」とか。
今でも心のどこかでそう思ってしまうものや、「黄色いビートルを見たら幸せになる」とか、ああそういえばそんなのあったなー、と思うものまで。
ひところはよく走っていたビートル自体、今はお目にかかることはない。
そんな中で「佐川急便のトラックに書いてある飛脚にさわると願いごとがかなう」というジンクス。
学生のときの記憶がよみがえる。
同じサークルの男の子が願いごとをかなえたい一心で、走りだした佐川トラックを追いかけて縁石につまづき転んで歯を折ったっけ。
コドモたちにそんな話をする。
「佐川急便のマークってなんだっけ?」と娘。
「ほら、トラックに書いてあるじゃん、飛脚のさあー」と私。
「ひきゃく?ひきゃくって何?」。
どうやら娘、飛脚も知らない様子。
「昔、車のない江戸時代とかに手紙を運んだ人で・・・」と言っても、説明している自分ですらなんだかよくわかんないなと思う。
絵に描いてみる。
・・・えっとー佐川急便の飛脚・・・アタマに鉢巻まいててハッピみたいの着て、フンドシだったか?書いていてますます混乱。
ううー・・足の形は駆け足で肩に手紙が入る箱をかついでいて・・・。
絶対違うだろ!というような絵ができあがる。
前によく娘に「アンパンマン書いて」「ドラえもん書いて」と言われ、書くのはいいが全然違ったあやしいキャラになったことを思い出す。
人間の記憶力(観察力?)なんてあいまいなもんだ。
キティちゃんだってミッキーだってなかなか書けやしないのだよ・・・。
娘、負けじと「ヤマトなら知ってる」と書く。
たしかに口に子供ネコをくわえているが、目がカッと見開かれた怖いネコができあがる。
これじゃ化け猫・・・おそろしやー。
さて、私が描いた絵もどうみても佐川急便の飛脚じゃないので息子にも聞いてみる。
「佐川急便の飛脚ってどんなんだっけ?」。
息子「・・・スモウの人」。
はあー?
「マジ、ちょんまげでハダカだし」。
ええーハダカだっけー?
娘「ちょっと書いてみて」と紙を渡す。
息子はオタクなので微妙に絵がうまい。
「スモウ・ちょんまげ・ハダカ」というキーワードでどんな絵がしあがるかワクワクして娘と待つ。
オタク画伯は眉間にシワをよせながら「・・・ひきゃく」とつぶやきながらペンを走らせる。
さてどんな絵ができたのか。息子の記憶力はどれほどのものか?
「ホレ」と手渡されたメモ帳を見るやいなや笑い出す娘。
「こわっっっ!!こんなのトラックに書いてあったらマジヤバいし!」と涙を流しながら笑う。
手渡された私も思わず息子の絵には絶句。
んー・・・息子、何か心に闇が?
フンドシいっちょのマッチョな飛脚のトラックが町を走っている様子を思い浮かべる。
これに触っても願いごとはかないそうにないけどな。
教育熱心な親は「見てはいけない」などとコドモの目をふさいだりするのであろうか、と思うような絵であった。
JAFメイトを読んでいたら「車のジンクス」という特集記事。
「霊柩車を見たら親指をかくす」とか「赤い車に乗ると貧乏になる」とか。
今でも心のどこかでそう思ってしまうものや、「黄色いビートルを見たら幸せになる」とか、ああそういえばそんなのあったなー、と思うものまで。
ひところはよく走っていたビートル自体、今はお目にかかることはない。
そんな中で「佐川急便のトラックに書いてある飛脚にさわると願いごとがかなう」というジンクス。
学生のときの記憶がよみがえる。
同じサークルの男の子が願いごとをかなえたい一心で、走りだした佐川トラックを追いかけて縁石につまづき転んで歯を折ったっけ。
コドモたちにそんな話をする。
「佐川急便のマークってなんだっけ?」と娘。
「ほら、トラックに書いてあるじゃん、飛脚のさあー」と私。
「ひきゃく?ひきゃくって何?」。
どうやら娘、飛脚も知らない様子。
「昔、車のない江戸時代とかに手紙を運んだ人で・・・」と言っても、説明している自分ですらなんだかよくわかんないなと思う。
絵に描いてみる。
・・・えっとー佐川急便の飛脚・・・アタマに鉢巻まいててハッピみたいの着て、フンドシだったか?書いていてますます混乱。
ううー・・足の形は駆け足で肩に手紙が入る箱をかついでいて・・・。
絶対違うだろ!というような絵ができあがる。
前によく娘に「アンパンマン書いて」「ドラえもん書いて」と言われ、書くのはいいが全然違ったあやしいキャラになったことを思い出す。
人間の記憶力(観察力?)なんてあいまいなもんだ。
キティちゃんだってミッキーだってなかなか書けやしないのだよ・・・。
娘、負けじと「ヤマトなら知ってる」と書く。
たしかに口に子供ネコをくわえているが、目がカッと見開かれた怖いネコができあがる。
これじゃ化け猫・・・おそろしやー。
さて、私が描いた絵もどうみても佐川急便の飛脚じゃないので息子にも聞いてみる。
「佐川急便の飛脚ってどんなんだっけ?」。
息子「・・・スモウの人」。
はあー?
「マジ、ちょんまげでハダカだし」。
ええーハダカだっけー?
娘「ちょっと書いてみて」と紙を渡す。
息子はオタクなので微妙に絵がうまい。
「スモウ・ちょんまげ・ハダカ」というキーワードでどんな絵がしあがるかワクワクして娘と待つ。
オタク画伯は眉間にシワをよせながら「・・・ひきゃく」とつぶやきながらペンを走らせる。
さてどんな絵ができたのか。息子の記憶力はどれほどのものか?
「ホレ」と手渡されたメモ帳を見るやいなや笑い出す娘。
「こわっっっ!!こんなのトラックに書いてあったらマジヤバいし!」と涙を流しながら笑う。
手渡された私も思わず息子の絵には絶句。
んー・・・息子、何か心に闇が?
フンドシいっちょのマッチョな飛脚のトラックが町を走っている様子を思い浮かべる。
これに触っても願いごとはかないそうにないけどな。
教育熱心な親は「見てはいけない」などとコドモの目をふさいだりするのであろうか、と思うような絵であった。
←元気。ピー&ひま。
チョコに噛まれて足が不自由になった子ハムの男の子。
「うちの子になりな」と娘は言い、名前をピーちゃんとつけた。(ピーナッツのピー)
女の子のほうはひまわりのタネのひまちゃん。
名前をつけてしまったら情が移って人にあげられないじゃん・・・と思うが、娘、ひまは最初からうちの子にしたいらしく、ピーちゃんも里子に出さず・・・
それもなーと思ってはいたが足がこれじゃしょうがない、と私もハラをくくる。
しかし。
なんとピーちゃん、日に日に足はよくなり今では全く元気。
まわし車もいきおいよく回すし、動きも普通だし。
コドモだから治りが早いのか?もう絶対ダメだと思ったのに。
足が使えなくなったハムは不自由な足を自分で噛みちぎったりもする、と何かで読んだので、また血を見ることになるのかなあと不安だったのだが。
「これじゃだいじょうぶだよ。全然何もなかったみたいだから、もらってもらおうよ」と娘に言うが・・・
いったん「うちの子にする」と決めて名前もつけたあとじゃダメらしい。
母としてはフクザツ。
たしかに2匹いるとかわいさも倍だけど。
だってハムは基本的に一匹飼い。
うちにはすでにクリームとチョコがいるから、これでハムは4匹。
娘は熱帯魚のお世話も忙しく、ハムゲージの掃除担当は私の役目に。
4つもゲージ掃除すんのか・・・?
ピーとひまは男の子と女の子だから、いっしょにしておけばあと2週間もすれば生殖可能になり、知らないうちにまたまた子ハムが生まれる可能性だってある。
これ以上増えたらハム屋敷になってしまう。
それは困るっっっ!
しょうがないのでまたゲージを一個購入。
4つもあると居間の一角を占領してしまい、しかも天気が悪くて空気が重い日はクサいにちがいない・・・。
チョコに噛まれて足が不自由になった子ハムの男の子。
「うちの子になりな」と娘は言い、名前をピーちゃんとつけた。(ピーナッツのピー)
女の子のほうはひまわりのタネのひまちゃん。
名前をつけてしまったら情が移って人にあげられないじゃん・・・と思うが、娘、ひまは最初からうちの子にしたいらしく、ピーちゃんも里子に出さず・・・
それもなーと思ってはいたが足がこれじゃしょうがない、と私もハラをくくる。
しかし。
なんとピーちゃん、日に日に足はよくなり今では全く元気。
まわし車もいきおいよく回すし、動きも普通だし。
コドモだから治りが早いのか?もう絶対ダメだと思ったのに。
足が使えなくなったハムは不自由な足を自分で噛みちぎったりもする、と何かで読んだので、また血を見ることになるのかなあと不安だったのだが。
「これじゃだいじょうぶだよ。全然何もなかったみたいだから、もらってもらおうよ」と娘に言うが・・・
いったん「うちの子にする」と決めて名前もつけたあとじゃダメらしい。
母としてはフクザツ。
たしかに2匹いるとかわいさも倍だけど。
だってハムは基本的に一匹飼い。
うちにはすでにクリームとチョコがいるから、これでハムは4匹。
娘は熱帯魚のお世話も忙しく、ハムゲージの掃除担当は私の役目に。
4つもゲージ掃除すんのか・・・?
ピーとひまは男の子と女の子だから、いっしょにしておけばあと2週間もすれば生殖可能になり、知らないうちにまたまた子ハムが生まれる可能性だってある。
これ以上増えたらハム屋敷になってしまう。
それは困るっっっ!
しょうがないのでまたゲージを一個購入。
4つもあると居間の一角を占領してしまい、しかも天気が悪くて空気が重い日はクサいにちがいない・・・。
きのうのこと。
別の部屋でテレビを見ていると、息子、子ハムを一匹連れてくる。
「ちょっと見て。コイツ虐待されてた。血が出てる」と。
4匹生まれた中で唯一の男の子。シッポが白いのが目印。
見てみるとたしかに足のところがうっすら赤い。
「チョコがおさえつけて噛んでた」と息子。
「まさかー。だっておかあさんだよ。子ハムのことかわいがってたんじゃないの?」と私。
足が赤いのもまだコドモだからピンクなんだろう、と。
「だって・・・キーキーって鳴いてたし」と息子。
おかあさんハムが子ハムをおさえつけて噛んでいるように見えることはときどきある。
おしっこをなめてきれいにしてあげていたり、毛づくろいみたいなことをしていたり。
チョロチョロ出ている子ハムを巣に戻すときも、子ハムの体をかんで引きずって連れ戻したりしている。
ハムを複数飼いすると「チッチッ」と鳴くことはよくあって、それは「じゃまだよ」「あっちいけ」みたいな鳴き声。
「キーッキーッ」と長く鳴くときはどちらかがやられているときかもしれないので気をつけているが、まさかまだ小さい子ハムを攻撃するはずない、と私は思っていた。
でもその鳴き方は気になる。
数日前から、チョコは育児放棄していて一匹でのんびりまわし車の下に寝ていたりしていた。
エサを子ハムにあげても奪って自分だけで食べていたし。
まあ、子ハムたちもそろそろ親離れしてもいい頃だからチョコもじゃまになってきたのかな、そろそろ分け時かなとは思っていた。
でも2匹もらわれていったあとなので、残されたチョコも子ハムたちもさびしいかなあ、と勝手に考えていた。
「だいじょうぶでしょ」という私の言葉を信じて息子、子ハムをゲージに戻す。
しばらくして私が食事のしたくをしていると、本当に「キーッキーッ」という鳴き声が。
息子、駆けよって「やべえ!」と言ってゲージをあけてチョコを素手でつかむ。
チョコはおかあさんになってから、私たちのことを噛むようになっていたのでいつも軍手着用の上、触っていた。
息子が素手でさわるなんてよほどのこと。
「チョコが子ハムを押さえつけて噛んでて、引き離そうとしてもまだ噛んでいた」ということで、子ハムを見ると今度は赤くなっているだけじゃなくて噛みあとがあり、血が出ている。
子ハムを手に乗せた娘、「おかあさん、大変!足が折れてる!」。
えっっ!?見るとたしかにそうだ。
子ハムのちっちゃいピンク色の片方の後ろ足に力がない。
ぬくもりはあるのだが力がなくてひきずっている・・・。
チョコ、なんてことを!
息子も娘も噛まれた子ハムをかわるがわる手に乗せてはやさしくなでたりそっとほっぺをくっつけたりしながら、「ひどい!お母さんなのに!」「まだちっちゃいのにこんなことするなんて!」。
特に、社会の不条理に気づく年頃の息子は「事故でこうなったらしょうがないと思うけど、親にやられるなんて!許せない!ぶっ殺してやる!」とチョコのゲージを蹴る勢いだった。
急いで押入れの奥からもうひとつゲージを出してきておがくずや水を入れたりしてセットし、チョコと子ハムたちを分ける。
実はチョコはクリームの後妻さん。
クリーム♂とチョコ♀を買ってきたのは春先のこと。
が、チョコは2ヶ月もしないうちに急死してしまったので、チョコ2世として今のチョコがきたのは夏のこと。
まだ2匹とも若く、まあ人間でいえばクリームは20歳後半くらいの男盛り。チョコは16,7歳といったところか。
まだ若く遊びたい盛り(?)だったのに、なぜかおかあさんになってしまったチョコ2世。
さぞ災難だっただろう。
子ハムを育てているときは夢中だったが、子育ても一段落してふと「コイツらのせいで私の青春は・・・」とか思ってたのかもしれない。
噛まれた男の子が他の子にいじめられていないか心配でそのあと何度か見てみるが、どうやらだいじょうぶそう。
足は残念ながら折れたのか神経が切れたのか引きずっている状態。
もらい手は決まっていたがこれじゃダメだ・・・ちっちゃい足をひきずっている姿は心が痛む。
別の部屋でテレビを見ていると、息子、子ハムを一匹連れてくる。
「ちょっと見て。コイツ虐待されてた。血が出てる」と。
4匹生まれた中で唯一の男の子。シッポが白いのが目印。
見てみるとたしかに足のところがうっすら赤い。
「チョコがおさえつけて噛んでた」と息子。
「まさかー。だっておかあさんだよ。子ハムのことかわいがってたんじゃないの?」と私。
足が赤いのもまだコドモだからピンクなんだろう、と。
「だって・・・キーキーって鳴いてたし」と息子。
おかあさんハムが子ハムをおさえつけて噛んでいるように見えることはときどきある。
おしっこをなめてきれいにしてあげていたり、毛づくろいみたいなことをしていたり。
チョロチョロ出ている子ハムを巣に戻すときも、子ハムの体をかんで引きずって連れ戻したりしている。
ハムを複数飼いすると「チッチッ」と鳴くことはよくあって、それは「じゃまだよ」「あっちいけ」みたいな鳴き声。
「キーッキーッ」と長く鳴くときはどちらかがやられているときかもしれないので気をつけているが、まさかまだ小さい子ハムを攻撃するはずない、と私は思っていた。
でもその鳴き方は気になる。
数日前から、チョコは育児放棄していて一匹でのんびりまわし車の下に寝ていたりしていた。
エサを子ハムにあげても奪って自分だけで食べていたし。
まあ、子ハムたちもそろそろ親離れしてもいい頃だからチョコもじゃまになってきたのかな、そろそろ分け時かなとは思っていた。
でも2匹もらわれていったあとなので、残されたチョコも子ハムたちもさびしいかなあ、と勝手に考えていた。
「だいじょうぶでしょ」という私の言葉を信じて息子、子ハムをゲージに戻す。
しばらくして私が食事のしたくをしていると、本当に「キーッキーッ」という鳴き声が。
息子、駆けよって「やべえ!」と言ってゲージをあけてチョコを素手でつかむ。
チョコはおかあさんになってから、私たちのことを噛むようになっていたのでいつも軍手着用の上、触っていた。
息子が素手でさわるなんてよほどのこと。
「チョコが子ハムを押さえつけて噛んでて、引き離そうとしてもまだ噛んでいた」ということで、子ハムを見ると今度は赤くなっているだけじゃなくて噛みあとがあり、血が出ている。
子ハムを手に乗せた娘、「おかあさん、大変!足が折れてる!」。
えっっ!?見るとたしかにそうだ。
子ハムのちっちゃいピンク色の片方の後ろ足に力がない。
ぬくもりはあるのだが力がなくてひきずっている・・・。
チョコ、なんてことを!
息子も娘も噛まれた子ハムをかわるがわる手に乗せてはやさしくなでたりそっとほっぺをくっつけたりしながら、「ひどい!お母さんなのに!」「まだちっちゃいのにこんなことするなんて!」。
特に、社会の不条理に気づく年頃の息子は「事故でこうなったらしょうがないと思うけど、親にやられるなんて!許せない!ぶっ殺してやる!」とチョコのゲージを蹴る勢いだった。
急いで押入れの奥からもうひとつゲージを出してきておがくずや水を入れたりしてセットし、チョコと子ハムたちを分ける。
実はチョコはクリームの後妻さん。
クリーム♂とチョコ♀を買ってきたのは春先のこと。
が、チョコは2ヶ月もしないうちに急死してしまったので、チョコ2世として今のチョコがきたのは夏のこと。
まだ2匹とも若く、まあ人間でいえばクリームは20歳後半くらいの男盛り。チョコは16,7歳といったところか。
まだ若く遊びたい盛り(?)だったのに、なぜかおかあさんになってしまったチョコ2世。
さぞ災難だっただろう。
子ハムを育てているときは夢中だったが、子育ても一段落してふと「コイツらのせいで私の青春は・・・」とか思ってたのかもしれない。
噛まれた男の子が他の子にいじめられていないか心配でそのあと何度か見てみるが、どうやらだいじょうぶそう。
足は残念ながら折れたのか神経が切れたのか引きずっている状態。
もらい手は決まっていたがこれじゃダメだ・・・ちっちゃい足をひきずっている姿は心が痛む。
←近くのコスモス畑。コスモス祭りの出番待ち。
天気が悪い日が続くと、洗濯物が乾かない。
ついこの間までは、夜洗濯物を部屋干しすると朝までには半分ほど乾いていた。
そのまま室内に干しておけばわざわざ外に出さなくてもよくて楽な季節だったのに。
困ったなーということでファンヒーターの出番。
一台だけ灯油を入れたまま夏越ししたファンヒーターがビニールをかぶったまま廊下のすみっこにあるので、ひっぱって出してくる。
スイッチオン。
何秒かすると、元気に稼動し始める。
半乾きの洗濯物はあっという間にファンヒーターの熱風でどんどん乾いていく。
部屋中に広がるファンヒーター独特の灯油の匂い。
ああーまた冬が来るなあーとしみじみ思う。
ファンヒーターの匂いは冬の匂い、クリスマスの頃の匂いだ。
クリスマスケーキや年賀状の予約が始まり、紅白歌合戦関連のニュースがTVで流れたりする。(←レイザーラモンHGが腰フリ制限の上出演?とか。制限したらつまんないっしょ)
ここらでは季節はやっと秋になって、セイタカアワダチソウの黄色やコスモスのピンクが風景を彩るようになった。
紅葉もまだまだこれから。
それなのに情報だけは、いつも季節を先取りするからやたら月日がたつのがはやい。
いつもいつもそうだが、秋を楽しむ前に冬が来てしまうといった感じ。
10月ももうすぐ終わるなあ。
天気が悪い日が続くと、洗濯物が乾かない。
ついこの間までは、夜洗濯物を部屋干しすると朝までには半分ほど乾いていた。
そのまま室内に干しておけばわざわざ外に出さなくてもよくて楽な季節だったのに。
困ったなーということでファンヒーターの出番。
一台だけ灯油を入れたまま夏越ししたファンヒーターがビニールをかぶったまま廊下のすみっこにあるので、ひっぱって出してくる。
スイッチオン。
何秒かすると、元気に稼動し始める。
半乾きの洗濯物はあっという間にファンヒーターの熱風でどんどん乾いていく。
部屋中に広がるファンヒーター独特の灯油の匂い。
ああーまた冬が来るなあーとしみじみ思う。
ファンヒーターの匂いは冬の匂い、クリスマスの頃の匂いだ。
クリスマスケーキや年賀状の予約が始まり、紅白歌合戦関連のニュースがTVで流れたりする。(←レイザーラモンHGが腰フリ制限の上出演?とか。制限したらつまんないっしょ)
ここらでは季節はやっと秋になって、セイタカアワダチソウの黄色やコスモスのピンクが風景を彩るようになった。
紅葉もまだまだこれから。
それなのに情報だけは、いつも季節を先取りするからやたら月日がたつのがはやい。
いつもいつもそうだが、秋を楽しむ前に冬が来てしまうといった感じ。
10月ももうすぐ終わるなあ。
生まれてもうすぐ1ヶ月。
そろそろ・・・ということできのう一匹、きょう一匹もらわれていきました。
耳の先と目の上がぽわっと白くて、成長するにつれて色も薄くてほわんとした色に。
おかあさんと同じくサファイアブルーの種類みたい。
しあわせに暮らすんだよー。
そろそろ・・・ということできのう一匹、きょう一匹もらわれていきました。
耳の先と目の上がぽわっと白くて、成長するにつれて色も薄くてほわんとした色に。
おかあさんと同じくサファイアブルーの種類みたい。
しあわせに暮らすんだよー。
道明寺氏との日々 その4
2005年10月25日 日常今となっては道明寺氏宅への最後の訪問。
その日も契約時間をすでに1時間半超過していたが、道明寺氏の「指導」は続いていた。
返すべき言葉もみつからず黙るしかない・・・。
沈黙が続いたと思うと、「はい。もうお引取りくださってけっこうですから!あなたのような方でも『よくいらっしゃいました』と待っている方もいらっしゃるんでしょう」と道明寺氏。
こうなっては一刻も早く解放されたいと思っていた私は「・・・失礼いたしました」と玄関のほうに向かう。
すると・・・道明寺氏、おもむろに立ち上がり「はあーまったく!じゃあ私は掃除をしますよ。他の人たちは私が何も言わなくてもちゃんと掃除もしていってくれるのに」という。
時間(もなにもあったもんじゃないが)はとっくに過ぎていたし、「やるべきこと」に「掃除」という項目はない。
ただ、「時間がある場合は掃除」とは聞いていたが。
掃除しろってことかと思い、「・・・お掃除いたします」と戻ろうとすると、「お引き取りください!」と道明寺氏私を玄関のほうへ追いやる。
もうどうしようもなく、私は玄関から外へ出た。
一歩出たとたん、ガチャッガチャッと二箇所の玄関の鍵を閉める音が高らかに鳴る。
はあーーー?とも思うが、お客様なのに不快な思いをさせて申しわけないなあとも思う。
たしかに私はこうして離れればとりあえずそれで終了だし、その場にいた時間はお金がもらえるわけだし。
まあ、とにかく「解放された・・・」と思いながら会社へ戻る。
「戻りましたー・・・」と一歩入ると・・・何人かの人が「だいじょうぶ・・・?」と心配そうな顔をして出迎えてくれた。
たった今、道明寺氏からものすごい剣幕で苦情の電話がきたところだ、と。
たまたまその場には私の前に実際に道明寺宅に入って撃沈した先輩が何人かいた。
「がんばったよね。がんばったよ、磯野さん」といって肩を抱いてくれる先輩。
・・・思わず私は先輩に抱きついてホロリとしそうになる。
やっぱり先輩たちも同じように大変な思いをしたんだ・・・と思うと、そうして「がんばったよ」と声をかけてくれたことがとってもとってもうれしかった。
その場にいた人たち、「一生懸命やったって難癖つける人だから」「早く忘れることだよ」「がんばったってあれほどがんばりがいがなかったお宅はない」「私が行ってから一年たつけど、今でも夢に見るくらいイヤな体験だった」「あれはイジメだよね」。
・・・・行く前は聞けなかった、現場のナマの声を初めてこのとき聞く。
「勉強になるから」なんて言葉は一体なんだったんだろう。
がんばろうががんばるまいが最初からダメだったのかもしれない。
行った人はみんな大変な思いをしてきたんだ。
現場のこの声は今までだって上の人たちに届いていたはずなのに、なんとかならなかったんだろうか。
それとともに、「みんなダメだったんだ。なら私が認められるようがんばっちゃうぞー」なんて思い上がっていた自分も恥ずかしかったしバカだなあとも思った・・・。
確かにものすごくたくさんのことを学ばせていただいた。
世の中にはああいう人もいるんだということ。
どう言えば人が最大級に傷つくのかを学んだこと。
そして、他の利用者さんのお宅に行って「待ってたよー」「ありがとう」「また来てね」と言われることがどんなにありがたいことなのかがわかったこと。
私たちは何気なく訪問していて、よそのお宅の冷蔵庫から押入れまで平気で開けることに慣れてしまっているが、訪問介護員という他人を家に入れることは実はその家の人にとってはストレスでもあるのだということ。
そしてその「慣れ」の中で、「どうせ年寄りだからわからないだろう」という気持ちが少しでも自分の中にできていたこと・・・。
いろんなことに気づかせてもらった。
その意味では感謝すべき体験だったんだと思う。
ここ一ヶ月、悪い夢を見ていてなんだかやっとその夢から覚めたような気持ち。
もう思い出したくない!と思ったが、こうして書くことでマイナスの経験もプラスにできた気分。
だいありーさんのおかげです。
やっとしつこいカゼも抜けて平穏な日々が訪れた。
どん底があると普通の何気ない日々がしあわせだと思える。
でもこの一ヶ月で白髪が増えたかも・・・ううう。
その日も契約時間をすでに1時間半超過していたが、道明寺氏の「指導」は続いていた。
返すべき言葉もみつからず黙るしかない・・・。
沈黙が続いたと思うと、「はい。もうお引取りくださってけっこうですから!あなたのような方でも『よくいらっしゃいました』と待っている方もいらっしゃるんでしょう」と道明寺氏。
こうなっては一刻も早く解放されたいと思っていた私は「・・・失礼いたしました」と玄関のほうに向かう。
すると・・・道明寺氏、おもむろに立ち上がり「はあーまったく!じゃあ私は掃除をしますよ。他の人たちは私が何も言わなくてもちゃんと掃除もしていってくれるのに」という。
時間(もなにもあったもんじゃないが)はとっくに過ぎていたし、「やるべきこと」に「掃除」という項目はない。
ただ、「時間がある場合は掃除」とは聞いていたが。
掃除しろってことかと思い、「・・・お掃除いたします」と戻ろうとすると、「お引き取りください!」と道明寺氏私を玄関のほうへ追いやる。
もうどうしようもなく、私は玄関から外へ出た。
一歩出たとたん、ガチャッガチャッと二箇所の玄関の鍵を閉める音が高らかに鳴る。
はあーーー?とも思うが、お客様なのに不快な思いをさせて申しわけないなあとも思う。
たしかに私はこうして離れればとりあえずそれで終了だし、その場にいた時間はお金がもらえるわけだし。
まあ、とにかく「解放された・・・」と思いながら会社へ戻る。
「戻りましたー・・・」と一歩入ると・・・何人かの人が「だいじょうぶ・・・?」と心配そうな顔をして出迎えてくれた。
たった今、道明寺氏からものすごい剣幕で苦情の電話がきたところだ、と。
たまたまその場には私の前に実際に道明寺宅に入って撃沈した先輩が何人かいた。
「がんばったよね。がんばったよ、磯野さん」といって肩を抱いてくれる先輩。
・・・思わず私は先輩に抱きついてホロリとしそうになる。
やっぱり先輩たちも同じように大変な思いをしたんだ・・・と思うと、そうして「がんばったよ」と声をかけてくれたことがとってもとってもうれしかった。
その場にいた人たち、「一生懸命やったって難癖つける人だから」「早く忘れることだよ」「がんばったってあれほどがんばりがいがなかったお宅はない」「私が行ってから一年たつけど、今でも夢に見るくらいイヤな体験だった」「あれはイジメだよね」。
・・・・行く前は聞けなかった、現場のナマの声を初めてこのとき聞く。
「勉強になるから」なんて言葉は一体なんだったんだろう。
がんばろうががんばるまいが最初からダメだったのかもしれない。
行った人はみんな大変な思いをしてきたんだ。
現場のこの声は今までだって上の人たちに届いていたはずなのに、なんとかならなかったんだろうか。
それとともに、「みんなダメだったんだ。なら私が認められるようがんばっちゃうぞー」なんて思い上がっていた自分も恥ずかしかったしバカだなあとも思った・・・。
確かにものすごくたくさんのことを学ばせていただいた。
世の中にはああいう人もいるんだということ。
どう言えば人が最大級に傷つくのかを学んだこと。
そして、他の利用者さんのお宅に行って「待ってたよー」「ありがとう」「また来てね」と言われることがどんなにありがたいことなのかがわかったこと。
私たちは何気なく訪問していて、よそのお宅の冷蔵庫から押入れまで平気で開けることに慣れてしまっているが、訪問介護員という他人を家に入れることは実はその家の人にとってはストレスでもあるのだということ。
そしてその「慣れ」の中で、「どうせ年寄りだからわからないだろう」という気持ちが少しでも自分の中にできていたこと・・・。
いろんなことに気づかせてもらった。
その意味では感謝すべき体験だったんだと思う。
ここ一ヶ月、悪い夢を見ていてなんだかやっとその夢から覚めたような気持ち。
もう思い出したくない!と思ったが、こうして書くことでマイナスの経験もプラスにできた気分。
だいありーさんのおかげです。
やっとしつこいカゼも抜けて平穏な日々が訪れた。
どん底があると普通の何気ない日々がしあわせだと思える。
でもこの一ヶ月で白髪が増えたかも・・・ううう。
道明寺氏との日々 その3
2005年10月24日 日常道明寺氏宅訪問、3回目からはひとりで。
お叱りを受けたことは直すようこころがけ、先輩のやっていたことを思い出しながら同じようにやる。
が。それでもボロクソ。
野菜の洗い方・切り方、洗濯物の干し方・たたみ方、すべてお気に召さないらしくすべてにおいてチェックを入れては注意される。
道明寺氏、深いため息とともに「どうして介護されている側の私がこんなに疲れなくちゃいけないんですか。あなたにとって私はお客様でしょう。どうして野菜の洗い方から洗濯物のたたみ方までいちいち教えなくちゃいけないんですか!あなたは私がどれだけストレスにたえられるか試しているつもりですか!?」。
とにかく何か言うと「ずいぶんと理屈が好きなようですね」と嫌味っぽく言われるし、「そういうつもりじゃ・・・」と言っても「あなたは言い訳が多すぎる」と言われる。
何を言ってもやっても悪意にとられるので、「はい」「はい」言うしかない。
言えば言ったで「『はいはい』うるさい!あなたは『はいはい』言ったってさっぱり実行できてないじゃないですか。まったく・・・あなたは冷蔵庫に入れないと食品は傷むとか濡れた洗濯物を乾いたものといっしょに干したら湿気る、とか何でも知っているくせにやらない。一体どういうことですか。道明寺はボケてるからまあいいだろうと思ってるんですか!」。
・・・わかっていたっていくつものことを同時進行すると、すぐに行動にうつせないとかぽっと抜けることがある。
するとすかさずそこをつっこまれる。
前に何の仕事をしていたのかとか家族構成なども聞かれ、しかも、いちいち他の人と比べられるのもつくづく閉口した。
「何もおフランスの料理を作ってくれなんて言ってませんよ。普通のジャガイモや大根をおいしく煮ていただければいいんです。他の人はおいしく作るのに、それなのによくもまあ同じ材料を使ってこんなにまずく作れるもんですね。あなたのご家族は味覚おかしいんじゃないですか?」
・・・料理は得意じゃないにしても他の利用者さんには好評なんだけど・・・。
コドモたちだってダンナだってそれなりに食べてるし。
体に気を使ってだかなんだか知らないけど、道明寺家では砂糖もだしの素も使ってはいけない。
しょうゆのみの薄味でおいしく作るなんて私にはムリ・・・。
お怒りの道明寺氏の毎度毎度の行き着く先は「あなたは先生やって人に教える立場だったんでしょう?」。
「野菜も満足に洗えない人が教育をしていたなんて、未来の日本はどうなることやら」。
「あなたなんて『学校』という閉鎖社会で先生やって生きてたほうがずっとマシだったんじゃないですか?」。
・・・前の仕事のことを突かれるのが一番私はグサっとくる。
野菜を洗えないとか洗濯物もたためないとか道明寺氏は言うけれど、それはあくまでも「道明寺家のやり方」をカンペキにマスターしていないってこと。
たしかに私はガサツな人間だけど日常生活に差しさわりがなく家事はできてるはず。
今となっては最後の訪問のとき。
毎度毎度1時間近くサービス残業させられ、その日もグチグチとお話が長引いていた。
「大変失礼いたしました。申し訳ありません」。
何か言う気力もなく、深々と頭を下げるしかない。
「あなたはいいですよ。そうやって頭をさげて『失礼いたしました』とか『申し訳ありません』とか口先だけで言っていてもお金をもらえるんだから。私はこんなにイヤな思いをしてあなたにお金を払わなくちゃいけないんですよ。おかしいでしょう!?」
・・・はあ。
・・・みなさん泣いて帰ってきた、というけど、解放されるには泣くしかないかも、とふと思う。
でも、それもバカバカしい。
「叱って伸ばす」タイプの方かと思い、道明寺氏の言うことを素直に聞いて反省し、ご満足いただけないまでもなんとか・・と思っていたが、何をやっても言ってもダメじゃここらが限界か・・・。
完結するはずだったのに、さらに続く
お叱りを受けたことは直すようこころがけ、先輩のやっていたことを思い出しながら同じようにやる。
が。それでもボロクソ。
野菜の洗い方・切り方、洗濯物の干し方・たたみ方、すべてお気に召さないらしくすべてにおいてチェックを入れては注意される。
道明寺氏、深いため息とともに「どうして介護されている側の私がこんなに疲れなくちゃいけないんですか。あなたにとって私はお客様でしょう。どうして野菜の洗い方から洗濯物のたたみ方までいちいち教えなくちゃいけないんですか!あなたは私がどれだけストレスにたえられるか試しているつもりですか!?」。
とにかく何か言うと「ずいぶんと理屈が好きなようですね」と嫌味っぽく言われるし、「そういうつもりじゃ・・・」と言っても「あなたは言い訳が多すぎる」と言われる。
何を言ってもやっても悪意にとられるので、「はい」「はい」言うしかない。
言えば言ったで「『はいはい』うるさい!あなたは『はいはい』言ったってさっぱり実行できてないじゃないですか。まったく・・・あなたは冷蔵庫に入れないと食品は傷むとか濡れた洗濯物を乾いたものといっしょに干したら湿気る、とか何でも知っているくせにやらない。一体どういうことですか。道明寺はボケてるからまあいいだろうと思ってるんですか!」。
・・・わかっていたっていくつものことを同時進行すると、すぐに行動にうつせないとかぽっと抜けることがある。
するとすかさずそこをつっこまれる。
前に何の仕事をしていたのかとか家族構成なども聞かれ、しかも、いちいち他の人と比べられるのもつくづく閉口した。
「何もおフランスの料理を作ってくれなんて言ってませんよ。普通のジャガイモや大根をおいしく煮ていただければいいんです。他の人はおいしく作るのに、それなのによくもまあ同じ材料を使ってこんなにまずく作れるもんですね。あなたのご家族は味覚おかしいんじゃないですか?」
・・・料理は得意じゃないにしても他の利用者さんには好評なんだけど・・・。
コドモたちだってダンナだってそれなりに食べてるし。
体に気を使ってだかなんだか知らないけど、道明寺家では砂糖もだしの素も使ってはいけない。
しょうゆのみの薄味でおいしく作るなんて私にはムリ・・・。
お怒りの道明寺氏の毎度毎度の行き着く先は「あなたは先生やって人に教える立場だったんでしょう?」。
「野菜も満足に洗えない人が教育をしていたなんて、未来の日本はどうなることやら」。
「あなたなんて『学校』という閉鎖社会で先生やって生きてたほうがずっとマシだったんじゃないですか?」。
・・・前の仕事のことを突かれるのが一番私はグサっとくる。
野菜を洗えないとか洗濯物もたためないとか道明寺氏は言うけれど、それはあくまでも「道明寺家のやり方」をカンペキにマスターしていないってこと。
たしかに私はガサツな人間だけど日常生活に差しさわりがなく家事はできてるはず。
今となっては最後の訪問のとき。
毎度毎度1時間近くサービス残業させられ、その日もグチグチとお話が長引いていた。
「大変失礼いたしました。申し訳ありません」。
何か言う気力もなく、深々と頭を下げるしかない。
「あなたはいいですよ。そうやって頭をさげて『失礼いたしました』とか『申し訳ありません』とか口先だけで言っていてもお金をもらえるんだから。私はこんなにイヤな思いをしてあなたにお金を払わなくちゃいけないんですよ。おかしいでしょう!?」
・・・はあ。
・・・みなさん泣いて帰ってきた、というけど、解放されるには泣くしかないかも、とふと思う。
でも、それもバカバカしい。
「叱って伸ばす」タイプの方かと思い、道明寺氏の言うことを素直に聞いて反省し、ご満足いただけないまでもなんとか・・と思っていたが、何をやっても言ってもダメじゃここらが限界か・・・。
完結するはずだったのに、さらに続く
道明寺氏との日々 その2
2005年10月22日 日常道明寺宅2度目の訪問。
膨大な決まりごとを覚えるため、今回も先輩といっしょ。
「おはようございます。前回おじゃました磯野です。きょうもよろしくお願いします」と笑顔で道明寺氏にあいさつ。
すると道明寺氏、表情ひとつ変えず「あなたねバカにしないでくださいよ。『磯野です』って言うのは、道明寺さんボケてるから私の名前覚えてないでしょ?ってことですね」。
・・・えっ?
あ・・・ボケてるからっていうわけではないけれど、忘れてるだろうなあという気持ちは確かにあるから、私はたいてい訪問先では何度でも名前を言うことにしている。
それって相手をバカにしてることなのか・・・?
道明寺氏続けて、「前回のあなたの様子を見ましたがね、あなたはずいぶんと雑な人のようですね。それにさっぱり人の話を聞いていない。わからないことは私に聞いてくださいと言ったはずなのに、あなたは先輩に聞いている。ここは道明寺の家ですからね。今まであなたが行ったお宅の年寄りは雑なあなたに文句など言わなかったでしょうが、それはみなさんずいぶんとボケているかおとなしいかなんでしょうね。私はボケてもいないしおとなしくもないですから」。
・・・はあ。
しょっぱなからガツンとやられて笑顔が凍りつく・・・。
家事のやり方というのは同じにみえるがその家ごとやり方が違う。
家ごと、というよりその人ごとに独自のやり方があるので完璧に同じになどできるはずがない。
が、道明寺家ではすべてが決まっている。
包丁とまな板は煮物・生食用・肉用・魚用と4種類使い分け。
スポンジタワシも普通の洗いもの用・フライパン用・シンク用と3種類。
口に入るものは食用洗剤と浄水で洗うこと、大根・ごぼうは皮をとらないが人参は皮をとること・・・などなど細かい決まりがある。
ファイルにもある程度書いてあるが、だいたいは同行した先輩ヘルパーにひとつひとつ教えてもらうことで「その家なりのやり方」を知ることになる。
それでも細かいことまではわからない。
「わからないときは聞け」と言われているので道明寺氏に聞くと、ものすごく不機嫌な言い方かイヤミな言い方かあからさまにキレられるのには閉口する。
たとえば、着替えた下着など洗濯しようとすると、洗濯機にタオルが数枚入っている。
「洗濯機の中のタオルはどうしますか」と聞く。
きっと道明寺氏のことだから、タオルと下着はいっしょには洗わないだろうと思いつつ。
すると、「あなたはタオルが5枚たまった程度で洗濯機をわざわざ回すんですか」。
「・・いえ。それではタオルはよけておいて下着類だけ洗えばいいですね」。
「そうです!(キレてる)」。
たとえば、煮物用に頼まれたさつまあげをヨーカドーから買ってくる。
本日の調理メニューを前もって聞いたときに「さつまあげとじゃがいもをはじめからだし汁で煮て」と言われていたが、さつまあげのパックには「煮すぎないでください」とある。
初めから煮ると「煮すぎ」になってしまう・・・と思い、道明寺氏におうかがいをたてる。
すると「あなたはずいぶんと権威がお好きなようですね。ヨーカドーさんの言うとおりにしたければそれでいいんじゃないですか」と嫌味たっぷりに言われてしまう。
「勉強になる」と言われてその気できたので、最初は何を言われても「ああ。これは自分が至らないからだ」と謙虚に反省した。
「雑だ」「ガサツだ」「気が利かない」と嫌味たっぷりにおこられても、まったくそのとおりだからしょうがない、と。
人格を否定されてる、と思っても、まあこんなザツな性格だったら否定されてもしょうがないのだ、と素直に聞き反省した。
言われたことはちゃんとメモって次回からは同じことを指摘されないよう注意しようとがんばった。
せめて「道明寺家のやり方」さえ覚えればおこられることも少なくなるだろう、と。
・・・アタマでは現状を理解しようとした。
でも朝起きたとき胃が痛くなったしなんとも気分が重く暗くなった。
またまた続く
膨大な決まりごとを覚えるため、今回も先輩といっしょ。
「おはようございます。前回おじゃました磯野です。きょうもよろしくお願いします」と笑顔で道明寺氏にあいさつ。
すると道明寺氏、表情ひとつ変えず「あなたねバカにしないでくださいよ。『磯野です』って言うのは、道明寺さんボケてるから私の名前覚えてないでしょ?ってことですね」。
・・・えっ?
あ・・・ボケてるからっていうわけではないけれど、忘れてるだろうなあという気持ちは確かにあるから、私はたいてい訪問先では何度でも名前を言うことにしている。
それって相手をバカにしてることなのか・・・?
道明寺氏続けて、「前回のあなたの様子を見ましたがね、あなたはずいぶんと雑な人のようですね。それにさっぱり人の話を聞いていない。わからないことは私に聞いてくださいと言ったはずなのに、あなたは先輩に聞いている。ここは道明寺の家ですからね。今まであなたが行ったお宅の年寄りは雑なあなたに文句など言わなかったでしょうが、それはみなさんずいぶんとボケているかおとなしいかなんでしょうね。私はボケてもいないしおとなしくもないですから」。
・・・はあ。
しょっぱなからガツンとやられて笑顔が凍りつく・・・。
家事のやり方というのは同じにみえるがその家ごとやり方が違う。
家ごと、というよりその人ごとに独自のやり方があるので完璧に同じになどできるはずがない。
が、道明寺家ではすべてが決まっている。
包丁とまな板は煮物・生食用・肉用・魚用と4種類使い分け。
スポンジタワシも普通の洗いもの用・フライパン用・シンク用と3種類。
口に入るものは食用洗剤と浄水で洗うこと、大根・ごぼうは皮をとらないが人参は皮をとること・・・などなど細かい決まりがある。
ファイルにもある程度書いてあるが、だいたいは同行した先輩ヘルパーにひとつひとつ教えてもらうことで「その家なりのやり方」を知ることになる。
それでも細かいことまではわからない。
「わからないときは聞け」と言われているので道明寺氏に聞くと、ものすごく不機嫌な言い方かイヤミな言い方かあからさまにキレられるのには閉口する。
たとえば、着替えた下着など洗濯しようとすると、洗濯機にタオルが数枚入っている。
「洗濯機の中のタオルはどうしますか」と聞く。
きっと道明寺氏のことだから、タオルと下着はいっしょには洗わないだろうと思いつつ。
すると、「あなたはタオルが5枚たまった程度で洗濯機をわざわざ回すんですか」。
「・・いえ。それではタオルはよけておいて下着類だけ洗えばいいですね」。
「そうです!(キレてる)」。
たとえば、煮物用に頼まれたさつまあげをヨーカドーから買ってくる。
本日の調理メニューを前もって聞いたときに「さつまあげとじゃがいもをはじめからだし汁で煮て」と言われていたが、さつまあげのパックには「煮すぎないでください」とある。
初めから煮ると「煮すぎ」になってしまう・・・と思い、道明寺氏におうかがいをたてる。
すると「あなたはずいぶんと権威がお好きなようですね。ヨーカドーさんの言うとおりにしたければそれでいいんじゃないですか」と嫌味たっぷりに言われてしまう。
「勉強になる」と言われてその気できたので、最初は何を言われても「ああ。これは自分が至らないからだ」と謙虚に反省した。
「雑だ」「ガサツだ」「気が利かない」と嫌味たっぷりにおこられても、まったくそのとおりだからしょうがない、と。
人格を否定されてる、と思っても、まあこんなザツな性格だったら否定されてもしょうがないのだ、と素直に聞き反省した。
言われたことはちゃんとメモって次回からは同じことを指摘されないよう注意しようとがんばった。
せめて「道明寺家のやり方」さえ覚えればおこられることも少なくなるだろう、と。
・・・アタマでは現状を理解しようとした。
でも朝起きたとき胃が痛くなったしなんとも気分が重く暗くなった。
またまた続く
道明寺氏との日々 その1
2005年10月21日 日常9月末からの一ヶ月ほど心身ともに低迷していた。
朝起きたとき、「この先、生きていてもいいことなさそうだなあ・・・」そんな気持ちになってしまうほどずーっとモヤモヤした気分だった。
カゼをひいて体調が悪かったというのもあるが、お仕事でものすごい人に出会ったから。
人生40ウン年生きてきてあんなに強烈なキャラの人に関わったのは初めてである。
「磯野さん、ものすごく勉強になるお宅があるんだけど行ってみる?」と主任に言われたのは9月半ば。
訪問するお宅は70半ばの男性の一人暮らし。
以前料亭を経営していて人に指導する立場でもあったというキビシイ人、とウワサでは聞く。
数々のヘルパーが泣いて帰ってきたとか皿を投げつけられたとかでやめた人もいる、とも。
でもさまざまなことを良く知っているのでとても勉強になる、とも。
実際訪問した人たちのリアルな話を聞いたわけではないし、私もまだまだ勉強不足だなあという気持ちがあったので、勉強になるなら行ってみるかなと思う。
行くことが決まると、「行くことになったんだって?」「・・・選ばれたんだあ。がんばってね」という言葉をあちこちでかけられる。
あっこれは私がどれだけそのお宅でやれるか注目されてる、数々の人たちが撃沈したそのお宅、もしそこで認められたらすごいなあ、よーしがんばるぞ!と自分でも思った。
・・・今思うとわれながら素直かつ健気であった。
訪問するお宅が決まると、今までの経過など書かれたファイルに目を通すのが第一歩。
ウルサイお宅は注意点がこまごまと書かれているのだが、なんとその方、まあ仮に本日ドラマ開始の「花より男子」にちなんで道明寺さんとしよう、道明寺さんのファイルには膨大な数の注意書きが記されている。
やるべきことは、「清拭(体をふく)・トイレ掃除・買い物・調理・洗濯・漢方薬作り・ゴミ捨て・片付け」。
なのだが、洗濯ひとつをとっても、どの洗濯物をどのネットに入れるのか洗剤の量や洗い方はどうなのか、ハンガーへのかけ方・干す位置・干す順番など、こと細かに決まっているのだった・・・。
O型でおおざっぱなワタシにはちょっときびしいかも・・・と不安がよぎる。
初回訪問は主任といっしょ。
体の不自由なお年寄りの一人暮らしとは思えないほどよく片付いている邸宅・数々の手入れの行き届いた調度品。
機能的な間取りの居間の真ん中に圧倒的なオーラを放つ道明寺氏が座っていらっしゃる。
ニコリともせずに「ここは道明寺の家ですから。わからないことはすべて私に聞いてからやってください」。
「よろしくお願いいたします。いろいろなことを教えていただけると伺ってまいりました」と頭をさげる。
「私はあなたからギャラいただいているわけではありませんから教えることなどいたしません。あなたに求めるのは完璧な介護です」。
・・・はい。初回から圧倒される。
続く
朝起きたとき、「この先、生きていてもいいことなさそうだなあ・・・」そんな気持ちになってしまうほどずーっとモヤモヤした気分だった。
カゼをひいて体調が悪かったというのもあるが、お仕事でものすごい人に出会ったから。
人生40ウン年生きてきてあんなに強烈なキャラの人に関わったのは初めてである。
「磯野さん、ものすごく勉強になるお宅があるんだけど行ってみる?」と主任に言われたのは9月半ば。
訪問するお宅は70半ばの男性の一人暮らし。
以前料亭を経営していて人に指導する立場でもあったというキビシイ人、とウワサでは聞く。
数々のヘルパーが泣いて帰ってきたとか皿を投げつけられたとかでやめた人もいる、とも。
でもさまざまなことを良く知っているのでとても勉強になる、とも。
実際訪問した人たちのリアルな話を聞いたわけではないし、私もまだまだ勉強不足だなあという気持ちがあったので、勉強になるなら行ってみるかなと思う。
行くことが決まると、「行くことになったんだって?」「・・・選ばれたんだあ。がんばってね」という言葉をあちこちでかけられる。
あっこれは私がどれだけそのお宅でやれるか注目されてる、数々の人たちが撃沈したそのお宅、もしそこで認められたらすごいなあ、よーしがんばるぞ!と自分でも思った。
・・・今思うとわれながら素直かつ健気であった。
訪問するお宅が決まると、今までの経過など書かれたファイルに目を通すのが第一歩。
ウルサイお宅は注意点がこまごまと書かれているのだが、なんとその方、まあ仮に本日ドラマ開始の「花より男子」にちなんで道明寺さんとしよう、道明寺さんのファイルには膨大な数の注意書きが記されている。
やるべきことは、「清拭(体をふく)・トイレ掃除・買い物・調理・洗濯・漢方薬作り・ゴミ捨て・片付け」。
なのだが、洗濯ひとつをとっても、どの洗濯物をどのネットに入れるのか洗剤の量や洗い方はどうなのか、ハンガーへのかけ方・干す位置・干す順番など、こと細かに決まっているのだった・・・。
O型でおおざっぱなワタシにはちょっときびしいかも・・・と不安がよぎる。
初回訪問は主任といっしょ。
体の不自由なお年寄りの一人暮らしとは思えないほどよく片付いている邸宅・数々の手入れの行き届いた調度品。
機能的な間取りの居間の真ん中に圧倒的なオーラを放つ道明寺氏が座っていらっしゃる。
ニコリともせずに「ここは道明寺の家ですから。わからないことはすべて私に聞いてからやってください」。
「よろしくお願いいたします。いろいろなことを教えていただけると伺ってまいりました」と頭をさげる。
「私はあなたからギャラいただいているわけではありませんから教えることなどいたしません。あなたに求めるのは完璧な介護です」。
・・・はい。初回から圧倒される。
続く
←おかあさんのチョコと子ハムたち。クリックして拡大。
おかあさんは色が薄いサファイアブルーだけど、子ハムたちはノーマルジャンガリアンらしい。
耳の先っちょが白いところがおかあさん似でカワイイ。
子ハムたちはもうすぐ生まれて3週間。
ちょろちょろと巣から出てきてはエサを食べたり水を飲んだり、何匹かでじゃれあってちっちっと鳴いたり、とかわいい盛り。
私や娘が毎日手に乗せて遊んでいるので、人間にすっかり慣れた「手乗りハム」である。
ペットショップに並べられるのはちょうど3週間すぎ。
まあ3週間過ぎれば親から離れてもだいじょうぶってことだろう。
最近は、おかあさんのチョコも子ハムたちからはなれてひとりでのんびりとまわし車の下で寝てたりするし。
そろそろ里親さんたちに引き渡す時期が近いなあと思うとちょっとさびしい。
2匹は生まれる前からもらい手が決まっていた。
「磯野さんちのハムは手乗りだからカワイイ」と評判で、ハム子ばあさん一匹しかいないときも「いつ生まれるの?うまれたらちょうだい」と言われていた。
だから今回も二匹はすぐ引き取り手は決まった。
ダンナの会社の人にもう一匹。
でもあと一匹の里親がなかなか決まらない。
周囲の主婦仲間はだいたいみんなハムを飼ったことがあって、ゲージが押入れに眠っているはず。
散歩もしなくていいし、ゲージの掃除だって一匹飼いなら一ヶ月に一度でいいし、昼間は寝ているからいるかいないかわからなくて手間がかからない。
それでもビーズのようなつぶらな瞳とフワフワな毛がとってもかわいい生き物だ。
これ以上飼うのに楽なペットはないのに。
「すぐ死ぬからかわいそうで」というのがみなさんの「ハムはちょっと・・・」の理由。
うーん。まあねえー・・・1年半くらいが平均寿命かな。
確かに死んだらかわいそうだけど、次のハムとの出会いもあるわけで。
娘は「一匹、女の子残そうよ」と言う。
メスはぷよぷよしていてさわり心地がいいし、なんだったらまた子ハムが増えれば楽しいし、と。
増えれば楽しいけどなー。
引き取り手さえいれば何匹でも子ハムは見たいけどさー。
基本的にオトナのハムは一匹飼いなのでゲージだけ増えても困るし。
それこそハム部屋が必要になってしまう。
おかあさんといっしょの子ハムのかわいい姿が見られるのもあと数日と思うとちょっと残念。
おかあさんは色が薄いサファイアブルーだけど、子ハムたちはノーマルジャンガリアンらしい。
耳の先っちょが白いところがおかあさん似でカワイイ。
子ハムたちはもうすぐ生まれて3週間。
ちょろちょろと巣から出てきてはエサを食べたり水を飲んだり、何匹かでじゃれあってちっちっと鳴いたり、とかわいい盛り。
私や娘が毎日手に乗せて遊んでいるので、人間にすっかり慣れた「手乗りハム」である。
ペットショップに並べられるのはちょうど3週間すぎ。
まあ3週間過ぎれば親から離れてもだいじょうぶってことだろう。
最近は、おかあさんのチョコも子ハムたちからはなれてひとりでのんびりとまわし車の下で寝てたりするし。
そろそろ里親さんたちに引き渡す時期が近いなあと思うとちょっとさびしい。
2匹は生まれる前からもらい手が決まっていた。
「磯野さんちのハムは手乗りだからカワイイ」と評判で、ハム子ばあさん一匹しかいないときも「いつ生まれるの?うまれたらちょうだい」と言われていた。
だから今回も二匹はすぐ引き取り手は決まった。
ダンナの会社の人にもう一匹。
でもあと一匹の里親がなかなか決まらない。
周囲の主婦仲間はだいたいみんなハムを飼ったことがあって、ゲージが押入れに眠っているはず。
散歩もしなくていいし、ゲージの掃除だって一匹飼いなら一ヶ月に一度でいいし、昼間は寝ているからいるかいないかわからなくて手間がかからない。
それでもビーズのようなつぶらな瞳とフワフワな毛がとってもかわいい生き物だ。
これ以上飼うのに楽なペットはないのに。
「すぐ死ぬからかわいそうで」というのがみなさんの「ハムはちょっと・・・」の理由。
うーん。まあねえー・・・1年半くらいが平均寿命かな。
確かに死んだらかわいそうだけど、次のハムとの出会いもあるわけで。
娘は「一匹、女の子残そうよ」と言う。
メスはぷよぷよしていてさわり心地がいいし、なんだったらまた子ハムが増えれば楽しいし、と。
増えれば楽しいけどなー。
引き取り手さえいれば何匹でも子ハムは見たいけどさー。
基本的にオトナのハムは一匹飼いなのでゲージだけ増えても困るし。
それこそハム部屋が必要になってしまう。
おかあさんといっしょの子ハムのかわいい姿が見られるのもあと数日と思うとちょっと残念。
はいはい。ここしばらくの停滞モードから浮上してきましたよ。
とりあえず秋ドラマの感想から。
「危険なアネキ」月曜9時フジ。
ケツが浮きそうな恋愛ドラマバージョンの月9は見ないけど、今回はどうかなと思って見てみた。
森山くんとエルメスさんって組み合わせもおもしろそうだし。
伊藤美咲はこういうコメディもいいかもね。
ドラマの始まりのほうで、完璧な容姿とスタイルをもってしても、服装によってダサダサとなるといういい見本をみせてくれました。
まあまあおもしろかったので次回も見ようと思った。
「1リットルの涙」火曜9時フジ。
話題のお話なので見てみた。
んー・・わざわざ見るほどでもないな。
ところで陣内さん、あの芸風ってどうなのよ。
「鬼嫁日記」火曜10時フジ。
話題のブログということで。
ブログはおもしろいのかもしれないけどドラマとしてはあまりにもくだらない。
配役がもっとカンペキなS女とM男なら笑えたのかも。
これじゃただのワガママな女と振り回されてるだけの男のお話。
あのコドモがまたムカツク。
あんな環境で育ったら間違いなくまともなオトナには育たないな。
小池徹平くん見たさで見たけどもういい。時間のムダ。
「あいのうた」水曜10時日テレ。
玉置浩二の笑顔を見るだけでこちらまで癒されます。
愛を知らないできたヒロインに「さびしい人生だったんだね・・・」という場面があったが、じいーんときた。
ヒロインいわく「こんなベタベタの愛に満ち溢れてる家庭」の人たちはじめ登場人物がどう変化していくのか楽しみ。
次回からもみようと思った。
♪あなたもわたしもポッキー、の男の子がカワイイ。
「熟年離婚」木曜9時テレ朝。
このカップルは義経の入道様と時子様ですな。
定年退職を迎えた夫と妻がすれ違うさまはリアルに想像できて、このさきどうなるの?と。
それにしても、熟年離婚のネックはお金だろうけど、60近い主婦の再就職先として都合よくあんなにすてきなブティック(?)があるわけないぞ、と。そこんとこはドラマだよな。
子持ち女と結婚を考える期待されている長男、とか、職ナシの男とつきあう(だまされてる)末娘、とか、展開が知りたいので次回からもみるつもり。
「大奥」木曜10時フジ。
前回も見たが、まあこんなものかと。
わざわざみるほどでもないかなー。
「野ブタ。をプロデュース」土曜9時日テレ。
原作本を読んだのでみてみた。
原作との大きな違いはプロデュースするのが「信子」で女の子であること。
「信太(野ブタ)」で小太りのドンくさい男の子(石井智也くんのイメージ)だからあのお話はおもしろみがあるんじゃないの?
クラスの中心的男の子がいじめられている転校生の女の子に優しくするなんて、ストーリー的にありえなくないか。
男だったらいいけどさー。
コメディなら全編コメディタッチでとおしてほしいところ。
女の子が暗いのでなんか一部シリアスになっちゃってるんだな。
やっぱり石井くんにやってほしかったよ。
娘が見てるので時間があればいっしょに見るかな。
ついでに大河「義経」。
運命の波に翻弄されるタッキー義経。
ああーこの先悲劇が続くだけなのね・・・と思うと、これ以上見るのがつらくなる。
でももちろん見ますよ。最後まで。
ところでケーブルの「時代劇チャンネル」で奥州藤原氏の大河「炎立つ」を放送中。
ちょうど今、義経が平泉に入ったところで並行して見るとけっこうおもしろい。
野村宏伸の義経と時任三郎の弁慶です。若い。
まあこんなところです。
とりあえず秋ドラマの感想から。
「危険なアネキ」月曜9時フジ。
ケツが浮きそうな恋愛ドラマバージョンの月9は見ないけど、今回はどうかなと思って見てみた。
森山くんとエルメスさんって組み合わせもおもしろそうだし。
伊藤美咲はこういうコメディもいいかもね。
ドラマの始まりのほうで、完璧な容姿とスタイルをもってしても、服装によってダサダサとなるといういい見本をみせてくれました。
まあまあおもしろかったので次回も見ようと思った。
「1リットルの涙」火曜9時フジ。
話題のお話なので見てみた。
んー・・わざわざ見るほどでもないな。
ところで陣内さん、あの芸風ってどうなのよ。
「鬼嫁日記」火曜10時フジ。
話題のブログということで。
ブログはおもしろいのかもしれないけどドラマとしてはあまりにもくだらない。
配役がもっとカンペキなS女とM男なら笑えたのかも。
これじゃただのワガママな女と振り回されてるだけの男のお話。
あのコドモがまたムカツク。
あんな環境で育ったら間違いなくまともなオトナには育たないな。
小池徹平くん見たさで見たけどもういい。時間のムダ。
「あいのうた」水曜10時日テレ。
玉置浩二の笑顔を見るだけでこちらまで癒されます。
愛を知らないできたヒロインに「さびしい人生だったんだね・・・」という場面があったが、じいーんときた。
ヒロインいわく「こんなベタベタの愛に満ち溢れてる家庭」の人たちはじめ登場人物がどう変化していくのか楽しみ。
次回からもみようと思った。
♪あなたもわたしもポッキー、の男の子がカワイイ。
「熟年離婚」木曜9時テレ朝。
このカップルは義経の入道様と時子様ですな。
定年退職を迎えた夫と妻がすれ違うさまはリアルに想像できて、このさきどうなるの?と。
それにしても、熟年離婚のネックはお金だろうけど、60近い主婦の再就職先として都合よくあんなにすてきなブティック(?)があるわけないぞ、と。そこんとこはドラマだよな。
子持ち女と結婚を考える期待されている長男、とか、職ナシの男とつきあう(だまされてる)末娘、とか、展開が知りたいので次回からもみるつもり。
「大奥」木曜10時フジ。
前回も見たが、まあこんなものかと。
わざわざみるほどでもないかなー。
「野ブタ。をプロデュース」土曜9時日テレ。
原作本を読んだのでみてみた。
原作との大きな違いはプロデュースするのが「信子」で女の子であること。
「信太(野ブタ)」で小太りのドンくさい男の子(石井智也くんのイメージ)だからあのお話はおもしろみがあるんじゃないの?
クラスの中心的男の子がいじめられている転校生の女の子に優しくするなんて、ストーリー的にありえなくないか。
男だったらいいけどさー。
コメディなら全編コメディタッチでとおしてほしいところ。
女の子が暗いのでなんか一部シリアスになっちゃってるんだな。
やっぱり石井くんにやってほしかったよ。
娘が見てるので時間があればいっしょに見るかな。
ついでに大河「義経」。
運命の波に翻弄されるタッキー義経。
ああーこの先悲劇が続くだけなのね・・・と思うと、これ以上見るのがつらくなる。
でももちろん見ますよ。最後まで。
ところでケーブルの「時代劇チャンネル」で奥州藤原氏の大河「炎立つ」を放送中。
ちょうど今、義経が平泉に入ったところで並行して見るとけっこうおもしろい。
野村宏伸の義経と時任三郎の弁慶です。若い。
まあこんなところです。